22・3魔法レベル②
金髪碧眼の爽やかイケメンで、令嬢侍女に大人気の第二王子バルナバス。
そんな人に抱き抱えられて庭園を、そして城内を進む。
ふたりの王女は憤怒で真っ赤な顔をしていたし、ベテラン侍女はぽかんとしていた。こんな状況に出くわした者は、あの四股ビッチはすわ五股かと驚くだろう。顔がバルナバス側に傾いているのではっきりとは見えないけれど、確実に数人とすれ違っている。
バルナバスに抗議をしたいのに、口が動かないし動けない。歯痒いし、何より身動きできないことが物凄く怖い。
背に腹は代えられないから王子のクラバットに小さな火をつけよう、きっと木崎がフォローしてくれる。そう覚悟して心の中で呪文を唱えたけれど、何も起こらなかった。
始めのうち、私の顔を見たオーギュストが
「泣きそうな顔をしているぞ」と心配そうに言ってくれた。「だいたい、どこへ行く気だ。医務室はこちらではないぞ」
そうだそうだ、もっと言って!と叫びたい気分の私。だけどバルナバスは、
「ああでも言わなければ、どちらも引かなさそうだったからな」で終了。
オーギュストに助けてほしいと懸命に目で訴えかけた。だけど彼は、
「確かになかなか激しい性格のようだ」と納得してしまったのだった。
ちがうのです、寝不足でイライラしていて、挙げ句に走りすぎて酸欠でもあったのです、普段の私は温厚です。そんな言い訳もできず、動かせるのは目だけ。
彼は喋らない私に不審を感じることもなく、困った小娘だとでも言いたげな笑みを向け、それからはバルナバスとの会話に気を向けてしまった。私が動けないとは露にも思っていないらしい。それとも分かった上で素知らぬふりをしているのか。
ふたりの攻略対象は、妹たちの我が儘にはお手上げだとか、申し訳ないが王女の好意は迷惑だとか、あるいは全く関係ないことをのんきに話している。
途中で、
「どうかしましたか。そちらはマリエットのようですが」と麗しの声が掛けられた。姿は見えなかったけれど明らかに、カールハインツだった。
お願い状況に気づいて助けてと祈ったけどバルナバスは、
「何でもない。気にするな」
と返答してそのまま会話は終わったのだった。
きっとカールハインツには『バルナバス殿下まで惑わしているのか』と思われただろう。また好感度アップから遠ざかってしまった。
バルナバスは何を考えているのか分からないし、オーギュストもどう関わっているのか不明。攻略対象だからおかしなことはしないとは思うけど、身動きできず魔法も使えないというのは、ひどく恐ろしい。
とにかくいつでも何でも対応できるように冷静でいなくては。怖いながらもそう腹をくくる。
と、いつの間にか自分が見慣れた廊下を進んでいることに気がついた。まだ足を踏み入れたことのない政務棟を通ってきたのかもしれない。この先にはバルナバスの私室がある。それから、ムスタファの。
やがて馴染みのある扉前で歩みは止まり、少し気持ちが落ち着いた。悪いことには、ならなさそうだ。多分。
ノックとヨナスさんの応対を経て、
「失礼するよ、兄上」
バルナバスは朗らかな声でそう言って、私を抱えたままムスタファの私室に入った。
ガタリと、椅子が激しく動く音。
「お届け物だ」
「何があった!」
切迫したムスタファの声と共に近づいてくる気配がして、すぐに顔が見えた。
私を覗きこむ見慣れた顔。ムスタファだ。木崎だ。
ほっとして、力が抜ける。
「どうぞ、兄上」
バルナバスが私を兄に押し付けて、私はムスタファの腕の中に移った。それと同時に体が動くようになった。
「下ろして」
口も喉もうまく動かず、頼む声がもごもごとなる。それでも伝わったようで木崎は下ろしてくれた。
思わずその腕にすがりそうになり、ぎりぎり踏みとどまった。ムスタファが動き、僅かに私の前に出る。近衛たちと違って細めの背なのに、頼もしく思える。
私の動きを封じていた男は爽やかな笑顔のままだ。ムスタファが
「一体どういうことだ」と固い声で問いかける。
「彼女は妹たちに苛められていたのだよ、兄上。私が助け出した」
バルナバスは私が庭園と城を何往復もさせられた挙げ句に、階段から落ちたこと。すんでで自分が助けたこと。王女の靴を守ろうという意気は素晴らしかったが、その余裕があるなら身を守れ、なんてことを笑顔で説明した。
「本当か? お前に怯えているぞ?」
「もしや、怖かったか」変わらぬ笑顔のバルナバス。「暴れられると面倒だから動きを封じていた」
「そんなことができるのか」と声を上げたのはオーギュストだった。
「もちろん。暗殺者対策に使える技だ」にこりとする爽やか王子。
「だから泣きそうな顔だったのか。てっきり王子に抱えられて困惑しているのかと思った」
オーギュストがすまなそうに私を見る。
「いや、すまん。落としてはならないと術をかけたのだが、かえって良くなかったな」
悪気はなさそうなバルナバス。
まだ恐ろしさで強張っている体を動かして、頭を下げる。
「お手を煩わせてしまい、大変申し訳ありません」
声もぎこちない。だけど爽やか王子は気にした風もなく、鷹揚にうなずく。
「では、私はこれで」と兄に言ったバルナバスは再び私を見た。「マリエット。次に妹たちに意地悪をされそうになったら、私の名前を出して構わぬ」にこり。
清々しく健康的な笑みだ。
私に向かってまたなと言って去る第二王子と、邪魔をして悪かったと第一王子に一言残して続く公爵令息。
ふたりが扉の向こうに消えると、しかめ面のムスタファが、
「何があった!」
と強い口調で私に迫った。
「彼の言った通り」そう答えてから恐怖がよみがえり、体が大きく震えた。「恐ろしい術よ! 手も足も動かない、声も出ない、魔法も!」
怖い顔のムスタファが私の腕を掴む。
「大丈夫なのか!」
「絶対ダメ、あんなのを覚せ――」
「マリエット」
名を呼ばれ肩を掴まれる。
「座るといい。お茶をいれてあげよう」
そう言ったのはヨナスさんで、その肩越しに所在なさげに立っているヴォイトが見えた。
驚いて息を飲む。いつからいたのだ。危うく『覚醒前』と口にするところだった。
いや、きっと最初からいたのだ。髪の手入れのとき木崎は、午前中はヴォイトと魔法の練習だと話していた。
「私は失礼しましょう」とヴォイト。
「ああ」とうなずくムスタファ。
「待って」と私。「あんな、人の動きを封じる魔法があるのですか? それから私、彼のクラバットに火をつけようとしたのに出来ませんでした!」
ヴォイトの視線が動く。ムスタファを見たようだ。
「どうなのだ」とムスタファが王子の声音で問う。
「存在します。どちらも私がお教えしました」
「かなり高度なのでは?」とヨナスさんが尋ねる。
「ええ。元々高度な術ですが、バルナバス殿下の技術は最高レベルです」
ヴォイトの話によると、身動きを封じる技は本来ならば長い呪文が必要で、時間も数十秒が限界らしい。それをバルナバスは無詠唱で、時間も無限にかけられる。基礎を教わったあとに、ひとりでそこまでの術に磨き上げたそうだ。
私の魔法が使えなかったのは、私の術が封じられていたのではなく、彼が自身に防御魔法を掛けていたからだそうだ。
このふたつを同時に行うのは相当に難しいらしい。
「だけど何故防御魔法を」と首をかしげるヴォイト。
「恐らくバルナバス殿下は、マリエットが以前、ろくでなしのクラバットに火を付けたことをご存知だったのでしょう」ヨナスが言う。だけどすぐに彼も首をかしげた。「いや、声を出せないなら魔法も使えない。防御は必要ないか」
「マリエットは無詠唱で魔法を使えるのか?」とヴォイト。
「はい。簡単な生活魔法なら」
「バルナバスが何故知っている」とムスタファ。
「そんなはずはない……です。人に話したことはほぼない……ですから」
「まあいい。すまないがヒュッポネン」ムスタファが言う。
だけど今日、木崎は魔力封印の可能性について尋ねるはずだったはずだ。もう話したのだろうか。それとも私がまた邪魔をしてしまっただろうか。
「私が失礼します。バルナバス殿下のお気遣いには感謝しますが……」
そう言って、初めて気が付いた。私はまだ第二王女の靴を抱えていた。
「何だそれは」私の視線で木崎も気づいたらしい。
「姫様の靴です。返しに行かないと」
「私が行きますよ」とヨナスさん。
「いえ、私が行きます。仕事途中で挨拶もせずに抜けてしまいました」
「意地悪をされていたのだろう?」そう言ったムスタファはすぐに「でもお前なら、そうか」と続けてため息をついた。
「意地悪だけど可愛いレベルです。あんなのに負けたくなくて、私も年甲斐もなく意地を張ってしまいました」
「だからアホなんだ」
「良い考えがある。マリエット、待っていて」
ヨナスさんがそう言って続き部屋に消えた。
間ができたのでヴォイトを見る。彼は円卓の傍らに立ち、その円卓には分厚く大きな本が何冊か。魔法書なのだろう。
ムスタファを見る。『もう訊いた?』という意味をこめて。
すると通じたのか彼は頭を左右に振った。
コホンと咳払いが聞こえた。
「やはり私が出直しましょう」とヴォイトが言う。
そこへヨナスさんが戻ってきた。手に何やら持っている。
「付けてあげよう」
良い笑顔の彼が私に見せたのは、ムスタファの髪留めだった。小さな紫色の宝石、恐らくアメシストがはまり、ほんのりとヴォイト特製軟膏の香りがする。
「君はひとつも装身具をつけていない。彼女たちもさすがに牽制に気づくだろう」
「結構です!」
冗談じゃない、噂を口で否定しておきながら見た目で肯定するなんて。
「だけどその方がムスタファ様も安心ですよね?」
「……下らないことを考えるな」
ムスタファがヨナスさんの手から髪留めを取り上げて、上着の内側にしまった。
「心配性なのは、どなたでしょう」
「あの。魔法でなんとかならないこともないですよ」
何故か遠慮がちな物言いで、ヴォイトが言う。
「危険に反応して、攻撃や防御が発動する魔法を彼女自身に掛けるのです」
「いいですね」とヨナスさん。
「ただし私ができるのは一日単位。毎日かけ直さなければなりません。正直なところ連日となるとボランティアの範疇を越えるので、殿下からの正式な依頼がほしいです」
「結構です。ご提案ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。
「もうひとつ」とヴォイト。
宝石に危険を知らせる魔法を掛けるというものもあるという。その石を分割し、必要な者が持つ。持った者が命の危険にさらされると、全ての欠片が光る。更に効果はひと月もあるという。
「ネックは『命の危険』です。この条件を広げる術を考えたほうが良いですよね?」
ヴォイトがムスタファに尋ねる。
「お願いします」と答えたのはヨナスさんだった。「マリエット、これは承諾してもらうよ。ムスタファ様もです」
ヨナスさんの目が先ほどまでとちがって真剣だ。
「石は三分割でお願いします。できたら内密で」
「三?」とムスタファ。
「三です」とヨナスさん。
ムスタファは諦めたような顔をして
「ヨナスの好きにしろ」と言った。
それから私を見る。
「お前はバルナバスの名前は出すなよ。下手にカールハインツの耳に入ったら、五股と思われる」
「……もう思われてます。すれ違ったので」
「運のない奴。もういっそ、私の髪留めを付けていたほうがいいのか?」
「遠慮します! 失礼します!」
さささと挨拶をしてムスタファから離れる。と、腕を捕まれ引き留められた。
ひょいと顔が寄ってきて、小さな声で耳元に
「夜に詳しく話せ」
と囁かれたのだった。




