22・1それぞれの作戦
ベルジュロン公爵邸訪問の翌日。ムスタファの髪の手入れタイム。明るい光が部屋いっぱいに差し込んでいる。
「太陽の光は平気なの?」
ふと気になって半魔の王子に尋ねてみた。
「ああ」とムスタファ。「真夏の強いのは苦手だが、よくあることだろ」
そうねと相槌をうつ。その程度では魔族特性か人の個体差かの判別はつかない。
「ヨナスの話を聞いて、自分がどういう仕組みなのか余計にわからなくなったよ」
髪の手入れは王子の背後から。顔は見えない。ムスタファは鏡台前などには座らず、普段の私室のいつもの長椅子に座っているからだ。声は明るいけれど、どんな表情で喋っているのかが気になる。
「とにかくヒュッポネンに封印のことは尋ねる」と木崎。
「気をつけて」
「当然。魔力なしを悩みに悩んだ末、思い付いた案にすがっている感を出す」
「木崎にはめちゃくちゃ不自然」
「木崎にはな。以前のムスタファの感じでいけば、問題なし」
「木崎になってからしか、リアルでは知らないからなぁ」
ゲームのムスタファだって全てに無関心そうで、だからこそ悩みとは縁遠そうに見えるキャラだったけど。
「この美貌に王子の地位。加えて木崎の経験と知識。最強だな」
「何に対してよ」
くるりとムスタファが振り向く。
「だから急に動かないでってば」
この仕事にもだいぶ慣れたけど、美しい髪が私の腕にかかっているという緊張感は抜けない。
「そんな王子の髪を任されているんだ、光栄に思えよ」
「はいはい、光栄です、殿下。前を向いて」
「畏敬の念が足りねえぞ」
「黙ってくれていたら、月の王に畏敬と憧憬を感じるのに。残念だね」
紫の瞳がじっと私を見上げている。と思ったらムスタファはふいと向き直った。まさかこの程度では怒らないだろう。きっとだんまりを貫く気だ。
意地悪をして話し掛けようかとも考えたけど、面倒なのでやめた。昨晩はよく眠れなかったから体も頭も重い。あまりに多くのことがあったせいで脳が活性化してしまったのだ。あれこれ考えが止まることなく続き、ダメだった。
静かなうちに手入れは終わり、終了を王子に告げる。用具一式を片付けて退出の挨拶を侍女らしくしようとしたところで、
「ここに座れ」
と王子は自分のとなりを指した。
「何で?」
「ヨナス待ち」
答えになっているようで、なっていない。戻りが遅くなるのは嫌だなと、今朝の食堂を思い返しながらもおとなしく従った。昨日の今日だ。大事な話だろう。
「時間はかかる? 外出のことがかなり尾ひれがついているの。周りの興味津々の視線が痛くて」
「人の噂も七十五日」
「待てないよ。ゲームが終わっちゃう」
「エンドが夏の終わりだったな」
多分と返す。
「ルート選択まではあとどのくらいだ?」
「二週間くらい。私の推測があっていればだけど」
「そんなんで綾瀬に配慮してるのか? アホじゃねえの?」
「だってさ、あんなにストレートに好意を向けてくれるんだよ。ひどい仕打ちはしたくないじゃない」
「……絆されて押しきられるぞ。綾瀬が自分でそれを狙うと言ってたからな」
「そんなことにはならない! 次の作戦も考えたから」
「お前が? また穴だらけなんだろ」
「大丈夫。ルーチェさんと練ったから」
ドヤッて宣言をする。情けないけど私ひとりで考えるより、ずっといいはずだ。
彼女には昨日の夕食のときに、カールハインツに相談に乗ってもらうことを伝えた。当然、今朝はその成果を訊かれたのだけど、正直に答えたら新しい策を一緒に考えてくれたのだ。
「カルラの誕生日プレゼント?」とムスタファ。
そう。ルーチェ情報によると来月らしい。
「私が作ることができて、彼女が喜びそうなカールハインツか近衛関連のものを教えてもらうの」
「悪くはないが、一瞬で終わりそうな内容だな」
「もうひとつ、それを尋ねるときにね――」
近衛兵の多くが身に付けているというお守りがあるらしい。元々は騎士だった聖人に縁のある教会が、授与しているものだそうだ。
「その教会に連れていってほしいと頼むの」
「お前が!?」
「そんなに驚くことないじゃない。――ルーチェさんが、よ。私じゃ下心が見え見えだから良くないって。だから行くのも三人。二人きりだとカールハインツも嫌がるだろうから。カルラにも喜んでもらえるし、すごく良い案でしょ?」
「で、途中でルーチェが消えるのか」
「それはなしでお願いした。あからさま過ぎるもん」
「攻略する気はあるのか?」
「引かれたら攻略にならないでしょ」
「そりゃそうだが」
もっとも私たちの休みとカールハインツの休みがいつ重なるかが分からないから、ルート選択には間に合わないかもしれない。完璧な策とは言い難いけど、いいのだ。
「カルラのプレゼントにお守りってのは良案だが」とムスタファ。「そもそもあのカールハインツが女と出掛けるか?」
「まずはチャレンジ」
木崎はこの作戦は成功しないと決めかかっているようだ。懐疑的な意見ばかりを口にする。
そこに
「お待たせしました」との言葉と共にヨナスさんがやって来た。
「どうだった?」とムスタファ。
対してヨナスさんは首を横に振った。
昨日三人で話をしていたフーラウムと先代国王の従者について、ヨナスさんは侍従長に尋ねていたらしい。だけどどちらも主人に一番気に入られていた専属は死去していて、その他もほぼ死去か、退職済みで遠方住まいとのことだった。
当時の侍従侍女名簿をヨナスさんが写してきたけど、期待の持てるものではなかった。
「やはり父親に突撃しかないようだ」ムスタファが王子の口調で言う。「だが今回の侍従長はやけに協力的だな。以前はここまでしてくれなかったぞ」
「噂のせいのようです」とヨナスさん。「『パウリーネ妃がファディーラ様を自殺に追い込んだ』という内容にあなたがショックを受けて、過去を調べようとしていると侍従長は考えているようです。昨日の外出も同様に」
「ロッテンブルクさんも、そうみたい」
「そうか。では、それを表向きの理由にしよう。多少は悩んでいる素振りもしておくか」
悩み多き憂いの王子だ、とムスタファがニヤリと笑う。言葉とは裏腹に月の王のイメージも崩壊する、ハードボイルドな笑みだった。
◇◇
ムスタファの私室からの帰り際。案外心配性らしいかつてのライバルは、あれほど懐疑的だったのに、
「カールハインツとの外出が決まったら知らせろよ」
と真顔で言ったのだった。




