3・3再び夜の会合①
ロッテンブルクさんは、ちょっとばかり私に優しすぎやしないだろうか。いくら生い立ちの秘密を知っているからといって。
今日の仕事を終えて部屋に下がる前、また彼女に呼ばれた。そして言われたのは、
『私はあなたが一人前の侍女になるよう全力で指導しますが、あなたが人生を侍女としてまっとうするのか、他の道を選ぶのかに口を出すことはしません』
だった。
『ここで侍女をしながら淑女としての一般常識を身につけて、より良い人生を送れるようにしなさい』
なんて言うのだ。
そりゃ私が侍女になったのは、カールハインツと結婚するためだけど。
ロッテンブルクさんが一生懸命に指導してくれるから、彼女みたいな侍女になりたいという気持ちも芽生えている。
ふうとため息をついて、膝の上で開いていた本を閉じた。
私の個室。家具はベッドと衣装箪笥、小さな円卓だけ。見習いは誰でもこれしかないらしい。仕方ない。個室であるだけ、有難いのだから。
仕事を終えて寝るまでのわずかな時間は、貴重な勉強時間だ。私は公式に認められなくても王家の血筋だからと、恥ずかしくないレベルの教養を身につけるよう言われている。
教師はつかずに自学だけど。勉強机も椅子もないけど、本を渡されてひとりで勉強。分からないことがあったらロッテンブルクさんに質問。月末にはテスト。
もし私が前世の記憶を取り戻していなかったら、かなりキツいことだっただろう。孤児院では読み書きや計算など、生活に困らない程度のことは教えてもらったけれど、『勉学』というレベルではなかった。
幸い今の私には、前世で必死に勉強した経験があるからたいしたことではないけどね。今月の課題は自国の歴史だから、内容は難しくない。
でも、ゲームの私は大変だっただろうな。
と。
コツン
と窓が鳴った。
……まさか、あいつか? もう用なんてないでしょうに。
また、コツン。
無視しようか。
だけどまたワインを貰えるかもしれない。
……それに、用がないのに来る奴でもない。
立ち上がると窓を開けて下を見る。すると外套を頭から被った不審者が、酒瓶を掲げた。うなずくと、奴はふいと踵を返した。
◇◇
窓から外を見たとき、半月に近い月に雲の多い空だったので、今回はランプを持って部屋を出た。見回りの近衛に出くわさないかとヒヤヒヤする。
これは心臓に悪いな、こんな思いをさせながらたいした用ではなかったら木崎の奴はただじゃおかない。
そんなことを考えながら前回のベンチに行くと、暗闇の中に座っている人影が見えた。
「暗くない? 見えているの?」
「見えるわけあるか。俺だって普通の人の目だ。けど仕方ねえだろ。携行ランプなんて持ってねえから」
「なんで?」と尋ねてから気がついた。「そうか、夜に一人歩きをしないからか」
そう、と木崎のムスタファ。
「木崎とは思えない品行方正ぶりだね」
「今の俺はムスタファだ。お前と話していると、つい木崎のテンションになるけどな」
「ああ、分かる」
なんというか、木崎といると前世の私が強まる感じがする。
「高校の友達に会うと、高校のころのテンションになるのと同じ感じじゃない?」
「それ」と木崎が指を指す。「しかしお前と意見が合うなんて、世も末だ」
「失礼だな。呼び出しておいて。こっちは誰かにみつかったら、って怖い思いをしながら出てきているのに」
「酒目当てだろ? てか、座れば?」
「ご許可、ありがとうございます」
わざとらしくかしこまり、第一王子の隣に座る。
「ほら、王室御用達最高級の酒だ、特別に下賜してやろう」
差し出されるタンブラー。中身は半分しか入っていない。
「……木崎って、案外過保護?」
「倒れても運びたくないじゃん?」
「私だって遠慮する。うっかりそんな所を見られたら人生が詰む。これ以上おかしな噂を立てられたら、ゲーム開始前に『ジ・エンド』画面が出ちゃうよ」
タンブラーを受け取り、ゆっくり一口を含む。
「美味しい」
ついつい、にんまりしてしまう。
「噂な」とムスタファの木崎。
「まさか、木崎の耳にも届いているの?」
早すぎない? ゲームでは孤高の王子様キャラで、噂や社交界の状況には疎かったはずなのに。
「フェリクスから聞いた。カールハインツがお前に惚れたって」
「ああ、フェリクス殿下。私も今日彼に、それを言われたの。堅物隊長の噂の相手が気になったのね」
「え、お前、本当にあいつをもう落としたのか?」
「まさか」
どうしてこんな噂になったのか、嫌みを交えてきちんと説明をした。
「なるほど。原因は俺か」と木崎。
「そう。だから私に近寄らないで。どんどん、ややこしくなるから」
「こっちも既になっている」
「どういうこと? 」
木崎が言うには従者のヨナスが、主が私を気に入っていると誤解しているそうだ。原因は廊下で私に話しかけたことと、メモの仲介を頼んだこと。
誤解だと言っても、それらの行動の理由を話せないから、一向に信じてくれないという。
「そういえば廊下の時の彼、何か物言いたげな顔で木崎を見ていたかも」
「気づかなかった」と吐息交じりの王子。「で、ここからが今日の本題。ヨナスにお前が惚れているのはカールハインツで、俺はたまたまそれを知って応援するようになったと話したい。構わないか?」
「……今までのムスタファのキャラとして、それは無理ない設定なの?」
木崎ってこんなに人に気を遣うタイプだったっけ、と不思議に思いながらも直面している問題を尋ねる。
「無理はある。だが誤解されたままも困るし、転生なんて話は流石に突飛すぎる。そもそもあいつに隠し事はしたくない」
ムスタファとヨナスの出会いは八年も前で、以来、主従であり兄弟であり親友という深い絆で繋がっているという。孤高の王子が唯一信用し、心を許せるのがヨナスだそうだ。
「では、そういうことにしよう。私もムスタファ王子に好かれているなんて勘違いは困るもの」
「よし。次から連絡を取りたいことがあったらヨナスに頼む。お前もそうしろ」
「いや、ないって。木崎には近づきたくないから」
ワインは惜しいけど。と貴重なそれをゆっくり味わう。
「何があるかは分からないだろう? ああ、そうだ。フェリクスはお前が可愛いってさ。楽しくなりそうと浮かれていたぞ」
思わずため息がこぼれる。
「興味ないから。チャラい男は嫌いなの。前世も、今世も」
「お前今、『前世』を強調しただろう」
「当然」
「酒を返せ」
「器の小さな王子だね」
「お前限定でな。前世も今世も」
ムカつく、お互い様、なんて言いあいながらツマミのチーズを食べる。前回のものと違うけど、こちらも美味しい。
「そうだ、木崎。市井の視察って行っている?」
「いや。外に出るのは公式行事の時ぐらいだ」
「だよね。ゲームのムスタファはそんなタイプだったし」
そこで私がなんとなく感じている、王宮の外と中の差について話した。
「市民はね、時勢が悪いから生活が苦しくても仕方ない、いずれ良くなると信じてがんばっているんだよね。だけどここだと、不作とか資源の枯渇とか不況を全く感じないの。格差がありすぎじゃないかな」
ふうん、と木崎は呟いて黙ってしまった。
ベンチがあるのは植木の影だから暗いし、私が持ってきたランプも人目につかないよう灯りを小さくしてあるから、隣に座っていても表情は見えない。私は何か気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。
だいぶ経ってから、小さな吐息が聞こえた。
「俺は……というか前世の記憶が戻る前の俺は、世間に関心がなかった。与えられた王子の義務をこなしていれば十分だとも思っていた。だがそれではダメだよな。為政者側にいるのだから」
「うん、まあ。孤児院出身の平民としてはさ、市井に目を向けてもらえると嬉しい」
「そうする。討伐も魔王化の心配もないんだもんな。お前に促されてってのは腹が立つが、頭が回らなかった俺が悪い」
「……木崎が素直すぎて怖い」
「バカにすんな。俺だって反省ぐらいできる」
そうだっけと思うけど、よく考えたら私はそこまで深く木崎を知らない。最初から反りが合わなかったから。
「じゃ、頼んだ。王子様」
「おう」
「そういえば王太子って、やっぱり決まってないの?」
ゲームでは決まっていなかった。
「うぅん」と唸る王子。「法律上は第一王子の俺。パウリーネやバルナバスも納得していると聞いている。だが決まっていない」
というのも、一部に反対派がいるからだそうだ。ムスタファの母親は侯爵令嬢として現国王の妃となった。けれどそれは正式に妃となるために侯爵家の養女となって得た身分で、実際の出自は不明とされている。
だからそのような母親を持つ者は王太子に相応しくないと反対派は強硬に訴えているそうだ。
ムスタファ自身も王太子や国王の地位に興味はなかった。――以前は。
前世の記憶を得てからは、法律を遵守してその地位がまわってくるのならば、やってもいいかな、ぐらいに気持ちは変化しているそうだ。
木崎ならば、張り切って国王になりたがりそうなのに。そのへんはムスタファとしての意識が強いのかもしれない。




