第9話:これはもう駄目かもわからんね
オシャンティの神託をねつ造した結果、聖女エクリプスはアレクシアに拉致された。
アレクシアは意外と行動派らしく、すぐに信徒達に指示を出し、馬車を用意してエクリプス一行と王の元へ向かった。
「本当はわたくしと皆さまだけでよかったのですが、どうしても護衛の信徒たちも来たいと言いまして……」
「いえ、当然だと思います」
エクリプス一行に加え、アレクシアの護衛の十数名の兵士や信徒達もいるので、馬車はぎゅうぎゅう詰めになっている。
いくら機密情報を知っていたとはいえ、自称オシャンティの神託を受けた人間をあっさり信じるほど、信徒達の頭はお花畑ではないらしい。
もっとも、仮に一万人の護衛がいようと、半透明状態のザフキエルにすら敵わないのだが。
「わたくしが毎日霊薬を使用し、回復の魔法を掛けているのですが一向に効果が無いのです……ですが、オシャンティ神より遣わされたあなたなら……」
アレクシアは自分の不甲斐なさと、藁にもすがる思いがないまぜになっているようだった。エクリプスはどう反応していいのか分からず、適当に相槌を打っている。
自分の身を犠牲にして活動しているアレクシアのほうが、インチキ教祖かつ諸悪の根源で、しかもチート補助を貰っている自分よりよほど偉いのだが、言い出せないのがつらいところだ。
こうして喋りながらも馬車はどんどん進み、王城へと辿り着いた。
みすぼらしい格好の上に幼女を抱いたエクリプスを皆が不審がったが、エクリプス本体が見目麗しいのと、従者が極めて紳士的だったこと。
そして何より、アレクシアのお墨付きという事で、王に謁見することは割とあっさり許された。一行が王の間に向かっている途中、それを遮るように一人の男――オジャル王子が現れた。
「これはこれは聖女アレクシア様。今日もまた効果のない治療に来られたのですか。面子が違うようですが、何か別の方法でも思いついたんですかね?」
オジャルは嫌味っぽく笑いながら、アレクシアと、その後ろに控えているエクリプス一行を見る。
「今回は私が治療するのではありません。オシャンティ様の神託を受けた、聖女エクリプス様が治療をします。きっと王もお目ざめになるでしょう」
「聖女エクリプス? ああ、スラムのゴミ共がありがたがってる異教徒か。アレクシア様は猫の手も借りたいのかな? それとも神託を与えたオシャンティ神がボケたのかな?」
「オシャンティ様を侮辱する事は、王子といえど許されませんよ!」
アレクシアは普段おしとやかだが、オシャンティを侮辱されると逆鱗に触れるらしい。どちらかというとオジャルの方が正しいので、エクリプスは何とも言えない気持ちになる。
「まあいいさ、じゃあ聖女エクリプス様にお願いしてみようじゃないか」
オジャルは意外にもあっさりエクリプスに治療の許可を出した。だが、その瞳には明らかに侮蔑の光が宿っている。
「失敗して絶望する所を見たいのでしょうね。彼はなかなか悪魔的な才能がある」
エクリプス達だけに聞こえるくらいの小声でアンドラスがそう呟く。
「しかし、絶望するのを見たがっている人間が絶望するのを見るのは楽しみですね」
アンドラスはさらに愉快げに呟いた。王がどのような奇病なのか遠見の鏡だけでは分からないが、今のエクリプスの治癒力なら、死人だって生き返せる。
そうしてエクリプス達は、アレクシアとオジャルと一緒に王の間に入った。王は相変わらず昏睡したままだが、以前より頬はこけ、かろうじて生きているという状態だった。
「エクリプス様、さあ回復魔術を」
「わ、わかりました」
アレクシアに促され、エクリプスは意識を集中させて魔力を練る。以前、スラムでアルバの妹にやったのと同じ方法だ。
『待て。これは駄目だ』
「これは駄目ですね」
「だめだなー」
「えっ!? 駄目!?」
エクリプスがさあやるぞと思った途端、三人の人外からダメ出しを受ける。
「駄目とは一体どういう事ですか!? 王はもう助からないのですか!?」
「い、いや……それはですね」
アレクシアが目に見えて絶望した表情で、エクリプスにすがりつく。どうも王様は駄目っぽいのだが、なにがどう駄目なのかエクリプスには分からない。
『これは呪いの類だ。回復魔法は体力や治癒力を上昇させるが、病気とは原因が違う』
ザフキエルが見えないところからアドバイスを出す。
「王は呪われているようで、病気とはまた違う……らしいです」
「呪い!? そんなものがあるのですか!?」
アレクシアは驚愕に目を見開いた。ほぼ全ての人間がオシャンティ教徒となった現在、呪いとはおとぎ話の中だけに生き残る伝承と化している。
「呪い? 呪いだって! これは面白い! 聖女アレクシア様が見出した聖女様は、随分と子供じみたお考えをお持ちだ」
「いや、神託がそう言っているので……」
「神託ねぇ。この二千年で聞いた事は誰もないからなんとでも言えるねぇ。じゃあ、仮に呪いだったとしよう。それで、どうするんだい?」
オジャルはよほどツボだったらしく、見下すような笑みを浮かべ、ねちねちとした言い回しをする。どうすると言われても、どうすればいいのだろう。
『別にいつも通りやればいいぞ。意識を集中して、呪いの核を引きずり出す必要があるがな』
「意外とあっさりなんですね」
「……何を一人でぶつぶつ言ってるんだい?」
虚空に話しかけるエクリプスに、オジャルは怪訝な視線を向ける。空気に話しかけるやばい奴だと思っているらしかった。
「いや、その、神と対話をしてました。では治療を始めます」
「存分に治療をしてくれたまえ。霊薬が必要なら用意するが」
「必要ありません」
オジャルの申し出を断り、エクリプスは王の上半身をはだけさせ、両手を当てる。手の平の先に淡い光が輝く。ここまではアレクシアと同じ動きだ。
「ええっと……あった。これかな?」
エクリプスは少しの間、王の胸元をさすっていたが、不意にある違和感を感じた。砂の中に埋まった石が指に当たるような感触だった。
『そのまま引っこ抜け。雑草を抜くような感じでいい』
「えいっ! あっ、取れた!」
えいっとエクリプスが手を上に上げると、彼女の手の平に黒い塊のような物が貼りついていた。粘土をどす黒くして丸くしたような、不気味な物体だ。
「それが呪い……ですか?」
「うん。多分」
アレクシアが怖々と尋ねるが、恐らくこれがそうなのだろう。
『そのまま握りつぶせ。その程度の矮小な呪いなら一瞬で浄化できる』
「えいやっ!」
ザフキエルの入れ知恵に従い、エクリプスは手をきゅっと握る。すると、黒い塊は雲散霧消した。それと同時に、王がゆっくりと目を開く。
「……ここは? わ、ワシは一体? おお、お主はアレクシアではないか? どうした?」
オシャリティア王は、聖女アレクシアを自分の娘のように可愛がっている。王はまだ朦朧としていたが、それでもはっきりとアレクシアの名を口に出した。
アレクシアは、目に涙を浮かべて王に抱きついた。
「よかった! 国王様! 意識が戻られたのですね!」
「意識……? ワシは倒れたのか?」
「はい、私も尽力しましたが、どうにもならなかったのです。ですが、聖女エクリプス様が、オシャンティ神の遣いとして王の呪いを解いてくださったのです」
そう言って、アレクシアは満面の笑みでエクリプスの方を見た。エクリプスはほとんど何もしてないので、そんな神を見るような視線を送られても反応に困る。
「そうか……オシャンティ聖典に記されていた事は本当だったのだな。国に災い降り注ぐ時、救済が現れるというのは」
「いや、それは違いますよ」
エクリプスが全く同じセリフを言おうとしたが、それは別の人間の口から発せられた。
少し離れた場所で、オジャルが憎々しげにハッピーエンドで終わろうとする集団を眺めていた。
「まさか呪いを解くとは思ってもみませんでしたよ。ですが、オシャンティ神の思い通りにはならない。なぜなら、あなた方はここで全て滅びるからですよ! 皆には王の病気がうつったと伝えておこう」
「オジャル! 貴様何を言って……!」
王は身を起こそうとするが、衰弱しきって上手くいかないようだった。その王と、取り巻きたちを心底バカにしたように、オジャルは大仰に両手を広げる。
「そのままくたばっていれば苦しまずに死ねたのに。まあいいでしょう。オシャンティなんてお行儀のいい存在はもううんざりだ」
そうしてオジャルは、懐から何かを取り出した。それは、禍々しい雰囲気を放つ、手の平におさまるくらいの黒い宝石だった。
「無能なる王。あなたの代わりに僕が王位につき、オシャンティの代わりに彼を神としましょう! 出でよ! 悪魔バフォメットよ!」
オジャルの叫びに呼応するように、黒い宝石から黒煙のような物が噴き出す。その煙は段々と一か所に固まり、やがて異形の怪物となる。
悪魔バフォメットは、全身にはちきれんばかりの筋肉を付けた、山羊の頭と蝙蝠の翼を持った怪物だった。身長は優に二メートルを超える、身の毛もよだつ化け物だ。
「我を呼んだか? 矮小なる人間よ」
バフォメットは、地の底から響くような声でオジャルに問う。
こうして顕現した悪魔バフォメット。果たして彼は、目の前のとんでもない連中相手に生きて帰れるのだろうか。