第8話:えっ!? 今すぐ王を治せるって!?
「しっかし、マジで聖アレクシア修道院に行く気かよ」
薄暗い路地裏、先頭を歩くアルバが足を止めて振り向いた。彼の後ろには、聖女エクリプスと彼女に抱かれた幼女ゼウス。そして従者のアンドラスがいた。
アルバには見えないが、半透明になったザフキエルも幽霊のように漂いながら付いてきている。エクリプス達はスラム街を抜け、聖女アレクシアのいる修道院へ向かっている最中だ。
『転移などで行ってもいいのだが、いきなり現れると向こうが混乱するからな』
ザフキエルの提案で、なるべく可能な限り人間らしい手順を踏むことになった。アルバに案内役を頼み、聖都の中心に位置する聖アレクシア修道院へと歩いていく。
スラム街と中心部で明確なバリケードなどは無いが、街の雰囲気ががらりと変わる。中心に行けば行くほど人々は活発になり、服装や建物のグレードも上がる。だから、ボロ切れのような服を着ているアルバや、粗末な修道服に身を包んだエクリプスは、なるべく目立たない裏道を通っていた。
「着いたぜ。こっから先をまっすぐ行けば正門にぶち当たる」
「でっか!」
エクリプスは物陰から顔だけを出し、その修道院を見て端的な感想を述べた。
聖アレクシア修道院は、修道院というより要塞のような作りだった。高く頑丈な石壁に覆われたその向こうに、修道院らしき巨大な石造りの建物が見える。知らない人間が見たら、百人中百人が城と勘違いするだろう。
「道案内ありがとう。アルバ君はもう戻っていいよ」
「そのつもりだ。俺は盗賊稼業もやってるからな、あんまりこういう所に顔を出したくねぇんだ」
正直なところ、アルバは中心部の見周り兵士に見つかる危険性もあるので来たくなかったが、エクリプスにお願いされてしまったので仕方なく引き受けたのだ。
「でも、アレクシアは会ってくれないと思うぜ? あいつはお偉いさんお抱えだからな」
「そこは交渉次第ですよ」
「交渉ってもなあ……ま、精々頑張ってくれよ」
アンドラスのセリフに対し、アルバは投げやりな返事をした。異端者であるエクリプス達に、聖都最高の聖女が会ってくれるとはアルバには到底思えない。役目を果たしたアルバは身を翻し、スラムの方へ走り去っていった。
「さて、早速交渉に入りましょうかね。王に会うためには、聖女アレクシアと同伴でなければ駄目でしょうし」
「交渉するってどうするの?」
「まずは正門まで行きましょう」
言うが早いか、アンドラスはさっさと正門の方へ歩いて行ってしまう。エクリプスはゼウスを抱きかかえながら、慌てて後を追った。
正門は頑丈な鉄格子で固く閉ざされている。その上、重厚な鎧に身を包んだ兵士達ががっちりガードしていた。兵士達はこちらに気付いたのか、持っていた槍を構えながらこちらに近寄る。
「お前達、何者だ? ここは聖アレクシア修道院。礼拝なら礼拝堂へ行け」
「アレクシア様に面会をお願いしたいのですが」
「馬鹿な事を言うな! アレクシア様はご多忙なお方、特別な許可が無い限り会う事は許されん!」
「そう言うと思いましたよ」
アンドラスは兵士に向かって指を向け、空中で文字を書くような動きをした。その途端、槍を構えていた兵士の腕がだらりと垂れる。微動だにしない姿は、まるで操り人形のようだ。
「どうぞどうぞ。こちらへ」
「それでいいのですよ」
兵士達は自ら門を開き、恭しい態度でエクリプス達を招き入れた。
「……なにしたの?」
「洗脳を少々。大丈夫ですよ。用が済めば記憶は消えますから」
アンドラスは平然とそう言いながら、実にゆるりとした態度で、堂々と聖アレクシア修道院の内部へ入りこんでいく。その途中、何人もの兵士や修道女が道を阻んだが、全て入口の兵士と同じ手順で処理されていった。
「どうやら、ここが聖女アレクシアの部屋のようですね」
建物の奥まった部分の部屋に辿り着くと、アンドラスはそう呟いた。
外見は豪奢だが、アレクシアがいる部屋は驚くほど簡素だった。頑丈な造りではあるが、装飾品の類は何も無い。兵士の詰め所のような殺風景な雰囲気だ。
『入口の方、他の者達が使う部分はそれなりに華美だったが、聖女本人は清廉潔白のようだな。聖女というだけはある』
ザフキエルも同じ感想を持ったらしく、そう言いながら頷いた。
「でも、アポ無しでこんな所まで来て大丈夫かな」
「その時は聖女も洗脳するのでご安心を」
「洗脳はあんまり……」
手段を選んでいられないというのは分かるが、あれだけ聖女っぷりを見せつけられた純粋な少女に対し、あまり手荒な事はしたくない。
エクリプスは覚悟を決め、古ぼけた木製のドアをノックする。
「どうぞ。鍵は開いておりますので」
中から少女の声が聞こえてきたので、エクリプスはドアを開けて中に入る。
部屋の中は使い古した木製の机やベッドといった生活必需品のみで、アレクシアは前に見たのと同じ修道服を着て、部屋の中心で祈りを捧げている最中だった。
「お、お邪魔します……」
「……どなたですか?」
アレクシアもエクリプスの登場は予想外だったようで、一瞬目を見開いた後、少し間を置いてそう尋ねた。ただ、嫌悪されている感じはない。エクリプスやアンドラスの外見、それにゼウスという子供を連れている事が警戒心を薄れさせているのかもしれない。
「私、エクリプスと言いまして」
「エクリプス? あら、奇遇な事ですね。オシャンティ神の最初の使徒と同じ名前ですね」
「えっ」
そりゃ、エクリプス本人なのだから当たり前なのだが、改めて他人から聞くとちょっと困惑する。名前を聞いてさらに気を緩めたのか、アレクシアの表情が少し柔らかくなる。
「どうやってここまで来たのですか? 面会の予定は入っていませんが……」
「お嬢様が是非アレクシア様の力になりたいと言った所、皆、快く通してくれましたよ。エクリプスお嬢様は強力な聖女ですので」
「まあ……わたくしなどに協力したいなど、聖女エクリプス様、お気遣いありがとうございます」
アレクシアは人を疑う事を知らないのか、アンドラスの言葉をそのまま信じたようだった。エクリプスの良心がちくちく痛むが、なんとか表情に出さないよう努力する。
「ですが、聖女として活動するなら正式な応募をしていただかないといけません」
アレクシアは、どうやらエクリプスをボランティア希望者だと思ったらしい。
「いえ、違います。実は国王が重篤だと聞きまして……」
エクリプスは慌てて訂正するが、その発言を聞いた途端、アレクシアは両手で口を覆った。
「何故それを!? ごく一部の者しか知らないはずなのに!?」
「あっ」
そう言えばそうだった事を、エクリプスは今さら思い出した。まさか、天使の力で覗き見してましたなんて言えないし、言っても信じて貰えないだろう。
『適当にごまかせ』
(適当にって言われましても!)
エクリプスは頭をフル回転させ、なんとか言い訳を考える。
「それは……その、神託を受けまして」
「神託……ですか?」
アレクシアは未だに警戒心を露わにしているが、エクリプスはしどろもどろに言葉をなんとか紡ぐ。
「ほ、ほら、オシャンティ神の設定……じゃなくて経典にあったでしょう? 『国に災い降り注ぐ時、それを救う者に神託を授ける』というのが」
「確かにオシャンティ聖典に記されていますが……あなたが?」
黒歴史ノートがオシャンティ聖典と呼ばれる事に目まいがしながらも、エクリプスは強引に押し切る事にした。
「そ、そうです! 私は異端者ということになっていますが、つい先ほど天の声を聞いたんです! 『この国の王を救え』と」
一応、本当にそう言われたから嘘は言ってない。そういうことにしておいた。ただ、この教団を乗っ取るつもりですとは口が裂けても言えないが。
アレクシアは固まっている。やはり、こんな無茶苦茶な言い訳通るはずが無い。
「……すごい」
「は?」
ぽつりとアレクシアが呟いたので、エクリプスは空気が抜けるような返事をした。だが、アレクシアは興奮して駆け寄り、小さな手でエクリプスの両手をぎゅっと掴む。
「すごい! すごいです聖女エクリプス様! わたくしでもオシャンティ神の神託を受けた事が無いのに! いえ、今まで二千年もの間、誰一人として神託を受けた者はいないのに!」
「そりゃ当然……いえ、何でもないです」
オシャンティ神なんていないんだから、神託を受けた人間がいないのは当たり前だ。だが、アレクシアは目を輝かせながらエクリプスを真っ直ぐに見つめている。まるで恋焦がれていた伝説の勇者にでも会ったかのような反応だ。その純粋さがつらい。
「聖女エクリプス、神託を受けたあなたなら王を救えるかもしれません」
「いや、でもどういう状況か分からないし……」
「できらぁ!」
国王がどんな病気か分からないし、エクリプスとしては借り物の力だし、いまいち自信が無いのだが、それまでエクリプスの背中に張り付いて黙っていたゼウスが大声を張り上げた。
「お嬢ちゃん、今、なんと言いました?」
「おうを、いますぐなおせるっていった!」
「本当ですか!? では、今すぐ王の元へ向かいましょう!」
「えっ!? 今すぐ王を治すの!?」
「時は一刻を争うのです! さあ行きましょう! 聖女エクリプス様!」
言うが早いか、アレクシアはエクリプスの手を取り、引っ張るようにして部屋を飛び出した。
先ほどまでの落ち着いた聖女ぶりとは裏腹に、年相応の乙女のように大はしゃぎするアレクシアの背を見て、アンドラスとザフキエルは苦笑しながら後を付いていった。