第5話:何がむむむだ
そんな訳で理不尽な聖女をさせられる羽目になったエクリプスは、聖都オシャンティの廃教会に転移された。転移した直後、エクリプスはそれほど上等ではない白地の修道服にいつの間にか身を包んでいた。
『いきなり煌びやかな格好をすると聖女っぽくないからな』
「ザフキエルさん!?」
『なんだ?』
「半透明になってますよ!」
エクリプスが言った通り、ザフキエルは半透明になっていた。どうも天使らしいが、これでは幽霊である。
『そちらの世界に顕現するのは力がいると言っただろう。説明のために思念だけを飛ばしている状態だ。基本この形で貴様のセイカツを監視する形になる。この状態だと貴様にしか姿も声も認識できないから、逆に便利だろう?』
「セイカツ?」
『聖女活動。略してセイカツだ。貴様は聖女として活動に勤しみ、一日も早くオシャンティ教を破壊するのだ』
「やりますよ。やりますけど、あまり期待しないで下さいね?」
『安心しろ。お前の能力は本当の聖女だ。ならば自然とお前に信徒が集まるだろう』
「はい、はい」
『違う! もっと真剣になるのだ!』
などというやりとりをした後、ザフキエルの姿が掻き消えた。とりあえず従うしかなさそうなので、エクリプスはテストがてら、そこら辺に転がっていた病人を無作為に治した。
「なにしてんの?」
「パフォーマンス」
後ろから付いてくるゼウスが不思議そうに首を傾げた。とりあえず聖女活動をするなら、まず聖女がいる事を認識してもらわないとならない。まずは草の根活動をする方針で行く事にした。
――ここまでが大体二週間くらい前の話だ。
「まあ、そこそこ効果はあったのかな」
アルバとルーナが帰宅した後、エクリプスは廃教会の椅子に腰かけながらそう呟いた。スラム街の住人達には、聖女エクリプスの名は少しずつ広まりつつあるようだ。
「だっこー」
「今考え事してるから後でね」
「いやじゃ! わし、だっこされたい!」
「わがまま言うんじゃありません!」
今後どうやって聖女活動を続けていくか考えていたら、幼女と化したゼウスが抱っこを所望してきた。いちおう最高神らしいのだが、エクリプスからすると、出会った時点でこの状態だったので、あんまり敬意を抱けない。
「ぴ、ピカ……!」
「それはやばいからやめて!」
いつまでも抱っこをしてくれないのにご不満だったのか、ゼウスの周りにぱちぱちと電気が走りだしたので、エクリプスは仕方なく抱っこをした。だっこ。
「うむ。それでいいのだ。では、しょくじをいただくぞ」
「あ、ちょっと! 勝手に!?」
ゼウスは修道服の胸元を勝手に緩め、たわわな果実を取り出し、桃色の部分に吸いついた。ちゅっちゅという音が響き、ゼウスの身体が燐光を放つ。
「あの、ちょっといいですか?」
「なに? いまいそがしいんだけど?」
「おっぱいから信仰心を吸う理由とは一体……」
「たのしいから」
「そう……」
エクリプスは人々の信仰心を体に蓄えるようになっている。それを神々に転換するのが役目だ。別に乳を吸わせる必要はない。だが、ゼウスはやたら吸いつきたがるのだ。
「あーもう。なんでこんなややこしい事になっちゃったのかなぁ」
まさか、二千年後に金髪幼女と化した最高神に乳を吸われる未来が来るとは、誰が想像できようか。今まで神や悪魔を信じていなかった事を、エクリプスは後悔した。
◆ ◆ ◆
「……ん? もう朝?」
翌朝、エクリプスは壊れた屋根から降り注ぐ日差しで目を覚ました。ゼウスを抱きかかえながら授乳している間に眠ってしまったらしい。ゼウス本体は腕の中でぐうぐう眠っていた。
「あー、体がバキバキいう」
エクリプスはゼウスを長椅子に寝かせた後、軽くストレッチをした。この身体は神と悪魔の加護を受けているせいか、体力や感覚は以前よりはるかに優れているのだが、それはそれとして人間である。無理な体勢だとあまり休めない。
「……誰か来るな」
何者かが近付いてくる足音が聞こえたので、エクリプスはそちらを振り向いた。そこには、目つきの鋭い焦げ茶色の髪の青年が立っていた。
「おい、聖女様」
「君、確か昨日の夜に来た男の子だよね?」
「俺はアルバっていうんだ。昨日は世話に……うぇ!?」
「ん? どしたの?」
「む、むむむ……」
自己紹介の途中でむむむと言いながら固まるアルバに対し、エクリプスが首を軽く傾げる。何がむむむだ。
「胸! なんで胸出しっぱなしなんだよ! 誰かに襲われたのか!?」
「あっ……」
そこでようやく、エクリプスは白いぷるんぷるんがむき出しのままになっている事に気が付いた。昨夜ゼウスに授乳した後、そのまま放置して忘れていた。
「誰だ!? 誰にやられた!? 俺がいまから叩きのめしに……」
「違う! 違うから! あの子が吸ったの!」
凄まじい怒気を放つアルバに対し、エクリプスが慌ててゼウスの方を指差す。アルバは怪訝な表情で眠りこける金髪幼女の方を見た。
「あのチビ、あんたの子供なのか?」
「違う」
「妹?」
「でもない」
「ふーん、ま、暴漢に襲われたとかじゃないならいいんだけどさ……」
「大丈夫だってば」
「いいから早くそれしまえよ!」
アルバは顔を真っ赤にして、そっぽを向きながらエクリプスの胸元を指差した。いまだに男の感覚が抜けきらないので、上半身を晒す事にあまり抵抗がない。エクリプスは別段慌てるわけでもなく、修道服を元に戻す。
「やっぱり来てよかった。あんた、ここがどこか分かってるだろ」
「廃教会」
「そういう事じゃなくて、ここはスラム街だぞ? どっかから流れてきたあんたにゃ分からないかもしれないが、悪党だってごまんといるんだ」
「ああ、そういう事か」
エクリプスはぽんと手を打つが、アルバは呆れたような表情になる。
「あんた、よく今まで無事だったな。ま、いいや。今日来たのは他でもない、それに関する事だ」
「どういう事?」
エクリプスの疑問に対し、アルバは一瞬声を詰まらせた後、まくし立てるように喋り出した。
「昨日色々考えたんだけど、あんたに礼をするにしても俺は金を持ってない。でも、借りは返さなきゃならない。この辺は治安が悪いだろ? だからほら、俺があんたを守ってやるよ。あんたとそのチビだけじゃ不安だからな。い、言っとくが、別に下心があるとかそういう訳じゃないぞ! ただその、あんたは美人だし、色々甘い所があるし、恩義もあるし……」
「つまり、ボディガードをしてくれると」
「そ、そういう事だ!」
エクリプスの言葉に対し、アルバはやたら大きな声で返事した。
「あんた達だけじゃ暴漢どもが出てきた時に対処出来ないだろ? 俺はこう見えてそこそこ腕は立つんだ」
「ありがたいけど、そこまで気を使わなくても……」
「いいんだ。俺がやりたいだけだからな。それともなんだ? あんたらだけで悪党を蹴散らせるっていうのか?」
「もちろんですよ。少年」
「なっ!?」
不意に声を掛けられ、アルバは反射的にエクリプスを抱きかかえて距離を取った。
「な、なんだお前!? どっから現れた!?」
「さっきからずっと居ましたよ。君の後ろにね」
爽やかな笑みを浮かべるその男は、恐ろしいほど整った顔立ちをしていた。褐色の肌に烏の濡れ羽色の髪。それと同じ色の黒いスーツとネクタイを着ていた。白部分はシャツと手袋くらいだ。背も高く、アルバとは頭一つくらい違う。
「てめぇ、暗殺者か!?」
アルバは警戒心を最大にし、胸元から短刀を取り出した。だが、男は肩をすくめるだけで、まったく怯む様子はない。
「アンドラス、急に出てきたら驚くでしょ!」
「……知り合いなのか?」
エクリプスの口調に慌てた雰囲気を感じなかったので、アルバは彼女に問いなおす。エクリプスが口を開く前に、男性は一歩前に出て、アルバに対し笑いかけた。
「申し遅れました。既にお嬢様が仰りましたが。私の名はアンドラス。聖女エクリプスの従者であり、身辺警護を担当しております。というわけで、君のボディガードは必要無いのです」
アンドラスは、実に紳士的な口調と表情で、アルバに不採用通知を叩きつけた。