第3話:大罪人から聖女へ
「ウウッ……む、胸が重い……」
何とも言えぬ違和感を覚えつつ、エクリプスは身を起こした。
断罪の刃が振り下ろされた所までは覚えているが、そこで記憶は途切れている。
大剣で斬りつけられたはずなのに、不思議と痛みは感じなかった。だが、どうにも体のバランス感覚がおかしい。もしかしたらどこか欠損しているのかもしれない。
辺りは一面の闇に包まれていて何も見えない。エクリプスは全身の状態を手で探る。なんだか、全体的にお肌がすべすべになった気がする。それから胸元に手を伸ばすと、むにゅっとした感触があった。
「なんだ、おっぱいか……」
エクリプスは安堵の溜め息を吐いた。自分の胸元に、たわわな二つの果実が付いていた。さっきから妙に胸が重いと思っていたが、これでは仕方ない。
「……って! ちょっと待てぇい!?」
おかしい。エクリプスは間違いなく男性である。このふくらみは一体何なのか。他人に付いているのは歓迎だが、自分に突然生えても困惑してしまう。
「目が覚めたようだな。大罪人エクリプス」
「え?」
慌てふためくエクリプスに対し、水を掛けるような鋭い声が届いた。
気が付くと、すぐ横に背の高い女性が立っていた。
エクリプスはまったく気配を感じなかったが、暗闇なのに、その女性の姿はなぜかはっきりと見てとれた。菫色の髪を長く伸ばし、背筋をぴんと伸ばした美しい女性だ。
パリッとした白と黒のスーツに身を包み、男性のような格好をしている。だが、それよりも特徴的なのは、背中に美しい白鳥のような翼を生やしていることだ。当然、人間の背中に翼はない。
「あ、あの……あなたは一体?」
「私の名はザフキエル。大罪人エクリプスよ、これより貴様は公開裁判にかけられる。進行役はこの私だ」
「公開裁判?」
インチキ教祖として断罪されたのは覚えている。もしかして自分はまだ死んでおらず、気絶させられて異端審問にかけられるのかもしれない。それはそれとして、なぜ自分は女性になっているのか。
状況に思考が追いついていかないが、ザフキエルは無視して天を仰ぐ。
「これより大罪人エクリプスの公開裁判を開始する!」
ザフキエルがよく通る声でそう叫ぶと、まるで照明を一気に付けたように辺りが一瞬で明るくなる。あまりの眩さに、エクリプスは思わず目を閉じる。
「……なにこれ?」
光に目が慣れた後、エクリプスから出た最初の言葉はそれだった。
エクリプスは、塔の最下部にザフキエルと共に居た。いや、それは塔ではない。裁判所の傍聴席が、異常なほど高く伸びているから塔のように見えるのだ。
傍聴人たちもおかしかった。ザフキエルと同じく背中に羽を生やした美しい姿の者もいれば、頭に首が三つある犬のような動物もいるし。竜のような生き物もいた。その人外達は、天まで届くほどの数で席を埋め尽くしている。頭を真上に向けるが、上部がかすんで見えないほどだった。
「つかぬ事をお尋ねしますが、もしかして、ここって死後の世界ですか」
「端的に言うとそうだ。質問はそれだけか?」
「いや、ありすぎて何から聞いていいやら……」
エクリプスは神や悪魔、死後の世界を信じてはいなかったが、前世の行為でその後の未来を決める場所があると聞いた事はある。もちろん与太話としてだが。
「本当にあったんですね。こんなすごい場所だとは思いませんでしたが」
死ぬのはもっと苦しい事だと思っていたのに、意外とあっさりだったのでエクリプスは拍子抜けだった。だが、逆にザフキエルの方は険しい表情を作る。
「本来ならこのような大規模な裁判にはならんのだ。人間の過去の記憶をざっと見て、それで天界か魔界に行くかを決める。だが、貴様は別だ。大罪人よ」
ザフキエルはそう言うと、こめかみをぐりぐりと押す。
「単刀直入に言おう、大罪人エクリプス、貴様の行いで天界と魔界、そして人間界は滅びの道を歩んでいる。それを裁くためにこの法廷は開かれたのだ。原因が貴様であると探りつつ、魔界側と裁判の折衝するのに二千年掛かったのだぞ」
「二千年!?」
途方も無い数字が出てきたので、エクリプスは思わず大きな声を出した。ザフキエルの言葉を信じるなら、自分が死んでから既に二千年経っていることになる。エクリプスからしたら、ついさっきの事なのだが。
「では罪状を言おう。貴様はオシャンティ教なるものを作り出し、神々と魔族、そして人類に甚大な被害を及ぼした。その罪は過去最大級と言っていいだろう」
「待った!」
「なんだ?」
黙って聞いていたエクリプスが、ザフキエルの声を遮った。
「なんであんなゴミみたいな宗教作っただけで、過去最大級の罪になるんですか!?」
「……そこから説明せねばならないか」
ザフキエルは若干苛立たしそうにしながら口を開く。
「我々、神や悪魔といった存在は、人間の信仰心を糧に生きるのだ。人間界は自分達だけで世界が成り立っていると思っているが、それは大きな間違いだ。人々は神や悪魔を崇拝し、我々はそれに対価を払う。祭りや祈り、それに召喚というのは、いうなれば価値の交換会だ」
「はぁ……」
そう言われても、エクリプスにはいまいちピンとこない。仮にそうだったとして、何故オシャンティ教が影響してくるのかが理解出来ない。
「つまり、人間は神や悪魔に信仰を捧げ、それに応じた加護を我々が渡す。その循環をオシャンティ教が狂わせたのだ」
「オシャンティなんて神、存在しないんじゃ……」
「存在しないから問題なのだ」
エクリプスの反論に対し、ザフキエルがぴしゃりと言い返す。
「存在する神に祈りを捧げられれば、天界や魔界で信仰心を循環させられる。だが、その対象がいなかったら? 当然、我々の誰にも力が入らない。人間でいえば、パンや麦をドブに捨てられるようなものだ」
「でも、あんなちっぽけなインチキ宗教、ごまんとあるじゃないですか」
エクリプスも反論する。当時は世間が乱れていたので、雨後のタケノコのように新興宗教が湧いてきた。誰もが何かにすがりたくなる時代だったのだ。
その中には、もっと大々的にやっているものもあった。エクリプスのオシャンティ教など、大河の一滴程度だろう。
「ただ消滅するだけの宗教なら我々も特に問題視しない。だが、オシャンティは、現在では大陸中のほとんどの人間が信奉する神になっている」
「なんだって!?」
んなバカな。
何がどうなって、あんな鼻歌交じりに五分で考えた神様がそんな事になっているのか。その疑問を読みとったかのように、ザフキエルは虚空から本のような物を取り出す。そしてパラパラとページをめくり、ある部分で止まった。
「これは人の歴史を記録している書物だ。オシャンティ教祖エクリプスが断罪された直後、あの付近で強力な薬草が見つかったのだが、それがまずかった」
そこまで言って、ザフキエルは一息ついてまた喋り出す。
「その薬草からは、霊薬とよばれる薬が精製できることに人間は気付いた。それによって貴様が拠点にしていた土地は一気に注目された。そこで流行っていた地元の人間がやっていたのがオシャンティ教だ。さらに、貴様はこんな言葉を遺している」
ザフキエルは数ページめくり、その部分をエクリプスに突きつけた。
『あなた方は分からないかもしれないが、いずれオシャンティ神の偉大さが分かるでしょう』
これはエクリプスも覚えている。数分前に自分で言った言葉だ。目を丸くするエクリプスに対し、ザフキエルは大きな溜め息を吐いて本を閉じた。
「人間とは即物的な生き物だ。霊薬が発見された事と、土着の教祖の言葉を結びつけてしまった。霊薬は強力な薬だ。人間の魔力や身体能力を、一時的にだが飛躍的に伸ばす事が出来る。だから、それをオシャンティに与えられた加護と思ってしまったのだな」
「えぇ……」
要するに、ものすごくタイミングが悪かったという事だ。
「というわけで、大罪人にして教祖エクリプス。天界と魔界、そして人間界のバランスを大きく崩した責任を取るのだ」
「責任取るって、どうすればいいんですか……」
そんな大事になると想像しろというほうが無理だし、仮にそうだったとしても、どうやって責任取ればいいのかさっぱり分からない。
途方に暮れているエクリプスに対し、ザフキエルは咳払いを一つする。
「つまり、貴様が天界や魔界への信仰を正しい道へ戻すのだ。オシャンティ神について最も詳しいのは貴様だし、我々は人間界にあまり明るくない。大罪人エクリプス、貴様は聖女となり、オシャンティ神から信仰心を奪い取り、存在しない神殺しを行え」
「……はい?」
めちゃくちゃな提案に対し、エクリプスは間抜けな返事をした。