第2話:そうだ、教祖に逝こう
今をさかのぼる事二千年前。エクリプスは三流貴族の第二夫人の三男坊という、果てしなく微妙な身分に生まれた。
貴族である恩恵はほぼゼロ。貴族としての振る舞いを強要される。一方、平民達からは「貴族様はいいよな」と嫉妬と羨望のまなざしを向けられる最悪のポジションだった。
しかも、当時は各国が戦争中。国内外で革命もひんぱんに起こっていた。怒り狂った平民たちによって粛清されるのは大体が貴族だった。
上流貴族は強力な私兵を持っているため大体は鎮圧出来る。でも三流貴族は別だ。エクリプスは平民に毛の生えたようなものなのだが、一族郎党の末席として連帯責任を負わされるだろう。
「そうだ! 教祖になろう!」
悩みぬいた末、エクリプスは謎の解決法を思いついた。
戦乱の世において、下級貴族の中には、腕っ節が強い者は傭兵として道を歩むこともあった。だが、エクリプスは他の兄弟と違い、比較的争いを好まない大人しい性格だった。
腕力は無いが、彼はそれなりに学問に通じていたし、多少は治癒の術を使う事が出来た。とても戦争で癒し手として活躍できる腕ではないが。
「でも、辺境の土地ならなんとかなるだろう。少なくとも都心部で粛清されるのはイヤだ」
エクリプスは、誰も知らない辺境の土地に自ら赴いた。地元では三流貴族の半端な癒しの術使いでも、超ド田舎に行けば、癒しの術が使える人間がゼロなので、彼がナンバーワンになれる。
そこで適当に神の癒し手を名乗り、地元に溶け込んで暮らすのだ。エクリプスは元々それほど贅沢にはこだわらないし、命の保証さえあれば辺境の土地で生きるのはそれほど苦ではない。
というわけで、エクリプスはわずかな財産を捨て、超ド田舎へ逃げるように旅立った。
「都市から来た癒し手ってだけだと警戒されるかもしれないな。よし、『放浪の神の癒し手』という称号を名乗ろう。そうなると、なんの神様にするかだけど……地元で邪神とかだったらまずいしなぁ」
辺境の土地へ旅する間、エクリプスは教祖となるべく色々な方法を考えた。
「よし! 最高神オシャンティにしよう。存在しない神様なら敵対しようがない!」
こうしてエクリプスは、ぼくのかんがえたさいきょうのかみさまの使徒を名乗る事にした。この目論見は思いのほか成功した。
辺境の人間ははじめ彼を警戒したが、それほど時間が掛からず彼は受け入れられた。
エクリプスは怪我を治してくれるし、彼の柔らかな物腰と、弱そうな外見も警戒心を薄めるのに役立った。さらに、エクリプスは、ほとんど読み書きの出来ない住民たちに文字を教えたりもした。
「ふふふ……思いのほか上手くいった」
ある程度時間が経つと、エクリプスはすっかりオシャンティ教の宣教師となっていた。といっても、名もなき村を拠点にしているので、全員含めて三十人程度だったが。
それでもエクリプスと、存在しない唯一神オシャンティは崇められていた。このくらいになってくると、エクリプスに『お布施』が入るようになった。それは果物や肉や魚などで、貨幣はほとんど無かったが、エクリプスは充分に満たされた。
「戦場送りにされてたらもう死んでただろう。やっぱり僕――おっと、私の決断は正しかったようだ」
エクリプスは、教祖らしく振る舞うためにわざと「私」と名乗り、極めて丁寧な言葉で喋るように意識した。それっぽい優雅な物腰を意識しておくと、ボロが出ても意外とフォロー出来るからだ。
移住して三年ほど経過すると、お布施のお陰でエクリプスは大分生活に余裕が出来た。その間、エクリプスは暇を持てあまし、オシャンティ教の経典――黒歴史ノートを作成するようになった。
「ええと、オシャンティ神は至高にして最強の存在であり、神や悪魔も超越した独立した概念である。天国や地獄といった所とは別の世界に住んでいて、オシャンティを信じる者のみ、最高の世界、オシャンティサンクチュアリに行く権利を得るのである……設定盛り過ぎかな?」
このような感じで、エクリプスはオシャンティ教の教義を雑に決めていった。
どのくらい雑かというと、オシャンティは最強の軍神で数千の神や悪魔を一撃で吹き飛ばしたという設定があるのに、オシャンティは慈愛の神であり、全ての生命に等しく慈悲を与えるという矛盾などがあった。
無駄に長い設定を考えたせいでエクリプス自身も全部覚えてないし、辺境の人々も大雑把な性格なので、あまり問題にならなかった。
五年目になると、オシャンティ教は、エクリプスの居住する村において、絶対神としての位置を確立した。
豊作であればオシャンティの慈悲に感謝し、凶作であればオシャンティの試練という事にした。
何か問題が発生した場合、大体、『オシャンティ神の偉大なるお考え』という事にしておくと、人々は勝手に拡大解釈してくれた。
「最近、妻と上手く行っていなくて……」
「それはオシャンティ神の警告です。奥さんとの本当の愛を試されているのですよ」
「そうですね! 俺もそう思います!」
「それでいいのです。私はオシャンティ神の代弁者。大丈夫、あなたは必ず救われます」
「あ、ありがとうございます! エクリプス様!」
という感じで、エクリプスは人々の悩みや懺悔をその場しのぎで流した。
妻と上手く行けばオシャンティの慈悲であり、上手く行かなければオシャンティ神の慈悲であり、よりふさわしいパートナーが現れるということにしておいた。
こうすると、どう転んでもオシャンティ神なら仕方ないみたいな空気になるので、実に楽だった。
「いやー、教祖は三日やったらやめられませんわ」
エクリプスはわははと笑う。
といっても、エクリプスは先住民たちに無理に教化をする事はしなかったし、これ以上拡大する気も無かった。お布施も要求したわけではない。彼はあくまで住民の相談役であり、自分自身が安寧で、周りの住民が精神的に救われているならそれでいいと思っていた。
だが、こうした生活は十年目にして終わりを告げた。
「異端者エクリプス! 貴様を断罪する!」
戦争が一段落着き、貴族達の粛正が終わった後に行われたのは、治世を乱す者を取り締まる、いわゆる魔女狩りであった。
「唯一神ゼウス様を差し置き、オシャンティなる神を勝手に作り、無垢で善良な民を騙し利益を貪っていたその邪悪さ、見過ごすわけにはいかん!」
ある日、全身鎧に身を包んだ屈強な兵士達が十人ほど村へやってきて、教祖エクリプスを拘束した。
「教祖様! あんたらオシャンティ様の罰が下るぞ!」
「黙れ愚民共! そんな神は存在せんのだ!」
(兵士の言うとおりなんだよなぁ……)
エクリプスを慕っていた信徒達は、教祖の理不尽な拘束に抗議した。農具を持って戦おうとする者までいた。
「待って下さい!」
だが、それを止めたのはエクリプス本人だった。もともと、自分の利益で神をでっち上げた事は間違いない。だから住民たちはどちらかというと被害者なのだ。断罪されるのは自分一人でいい。
「罪を認めるのだな。貴様はこの場で私が断罪してやろう」
リーダー格らしき、他の兵士より少し豪華な鎧を着た男が、大剣を両手で構えた。村人たちは必死に泣きわめいているが、当のエクリプスは苦笑した。
「……何がおかしい?」
これから斬り伏せられるというのに、くすくす笑うエクリプスに、剣を構えた巨漢が不思議そうな声を出す。インチキ宗教の割によく十年も持ったものだ。
こんな子供の妄想みたいな宗教に対し、田舎までわざわざ重い鎧を着て十人がかりで大真面目にクソ雑魚一人に取りかかる。その様子がおかしくて、つい笑ってしまったのだ。
風の噂によれば、エクリプスの家は、想像通り革命で粛清され、彼以外は全滅してしまったそうだ。一番身分の低いインチキ教祖の自分が、一番長生きしたのだからよく頑張った方である。
「あなた方は分からないかもしれないが、いずれオシャンティ神の偉大さが分かるでしょう」
大剣が振り下ろされる直前、エクリプスは重鎧の男に向けてそう言い切った。もちろん、そんなものあるわけがない。単なる嫌がらせだ。
だが、何故か鎧の男は一瞬怯んだように見えた。
「ふ、ふざけた事を言うな異教徒め! 我が神の断罪を受けよ!」
その直後、思いきり大剣が振り下ろされ、エクリプスの二十六年の生涯が終わろうとする。
(神だの悪魔だの、いるわけないのにねぇ)
大剣が彼を切り裂く直前、エクリプスはそんな事を考えていた。
神や悪魔の存在を彼は信じていなかったし、死後の世界にもあまり興味が無い。だからこそ、こんなふざけたオシャンティなる神を作り出し、神をも恐れぬ行為をしたのだ。
――それから二千年後、エクリプスは神や悪魔の存在を知ることになる。