第10話:ご利用は計画的に
「我を呼んだか? 矮小なる人間よ」
悪魔バフォメットは、地の底から響くような声で、召喚主オジャルに問いかけた。
「あ、悪魔……!? 実在したの!? なんて魔力……!」
「悪魔だと!? オジャル……貴様っ! 悪魔などと契約をしたのか!」
聖女アレクシアとオシャリティア王は顔面蒼白になりながら、その恐ろしい存在に震えあがる。人間とは比較にならない魔力と身体能力を持ち、伝説上の生き物とされた怪物。ひとたび出会ってしまえば、生きて帰れる人間はいない。
「バフォメットって強いんですか?」
『雑魚だな。ゼウス様が大砲だとすると私やアンドラスは銃、バフォメットは……まあ打製石器くらいか』
「一応悪魔としてフォローしておきますが、磨製石器くらいの攻撃力はありますよ」
「……フォローになってなくない?」
「バフォメット、おっすおっす!」
聖女アレクシア組が絶望する一方で、聖女エクリプス組は言いたい放題言っていた。温度差が激しいにもほどがある。だが、バフォメットの方はむしろ愉快そうに笑う。
「クックック……無知ゆえの暴言、特別に許してやろう。なぜなら、そういった者を絶望に叩き落とすことが、私にとって愉悦なのだからな」
バフォメットは残虐な笑みを浮かべた。それに負けず劣らず、オジャル王子も邪悪に笑う。
「これが偉大なる悪魔、バフォメットだ! 古文書を解くのには苦労したが、その恐怖、身を持って知るがいい! さあバフォメットよ! その愚か者共に絶望を教えてやれ!」
オジャルがそう言うと、バフォメットは目を妖しく輝かせる。その禍々しい光に、アレクシア達は声も出ない。
『悪魔は貴様の管轄だろう。お前が何とかしろ』
「分かっていますよ」
アンドラスが珍しく不満げに舌打ちすると、臨戦態勢のバフォメットの前に歩み寄る。
「貴様が盾になるつもりか? 人間ごときが百人束になろうと、私の剛腕を止める事は不可能だがな。クハハハ!」
「そうかい。じゃあ人間じゃないならどうかな?」
アンドラスはそう言うと、手の平をあごに当て、それから上の方に撫でるような動作をした。その直後、彼の顔が豹変する。肉体は今まで通りの長身痩躯の人間だが、顔の部分がカラスになっていた。
ひょろりとした姿に、後ろに控えていたオジャルが爆笑する。
「あっはっは! 異端の聖女だけあって悪魔を従えているのは予想外だ! だが、なんだその貧弱な悪魔は? バフォメット! そのゴミ悪魔と聖女達をまとめて始末しろ」
オジャルはこれから始まる蹂躙ショーに舌なめずりするが、バフォメットの様子がおかしい。先ほどまでこの場を支配していた悪魔の身体が、目に見えてぶるぶると震えている。
「どうしたバフォメット? 武者震いかな?」
「あ、アンドラスしゃま……」
アンドラス様、と言いたかったらしいが、バフォメットは舌を噛んだ。全身が震えているのは武者震いなどではなく、純然たる恐怖のためらしかった。
「何をしている! そんな鳥頭に何をビビッているんだ!」
「やかましい! ちょっと黙ってろ! ぶち殺すぞ!」
「えっ」
急に逆切れされたオジャルは目が点になるが、バフォメットはさらに信じがたい行動に出た。細身のカラスの悪魔の前に恭しく跪いたのだ。
「これはこれはアンドラス様。今日も相変わらずカラスの濡れ羽色で……」
「お世辞はいい。さて、バフォメット君、これはどういう事なのかな?」
「え、ええ、ど、どういう事かと仰られましても。何のことやらさっぱり」
「天界と魔界の計画については君も知っているはずだよね? それがなぜ、ここで神の座に就こうとしているんだい? 細かい説明をお願いしたいね」
「えっ、い、いや、それはその……」
つい二、三分前まであれだけ尊大な態度を取っていたバフォメットは、割った花瓶を隠している最中に、お父さんに見つかった子供みたいにしどろもどろになっていた。
その様子を、アレクシアやオシャリティアはもちろん、オジャルすらも呆然と見ている。伝説と謳われた山羊の悪魔が現れたと思ったら、謎のカラスの悪魔が乱入して説教しだしたのだから無理もない。
「何と言いますか、アンドラス様や天界のザフキエルやゼウスならともかく、私のような矮小な存在はいつ消えるか不安でして、だったら自分で集めちゃおうかなー……とか思ったりしないわけでもなく……」
「それはつまり、私が考えて実行している計画に問題があると言いたいのかな?」
「いえいえ! そんな事はございません!」
「いや、君がそう思っていたとは実に残念だ。そうだ、こうしようじゃないか。君が私を絶望に叩きのめす事が出来たら私は身を引こう。さあ、構えたまえ」
『無知ゆえの暴言、特別に許してやろう。なぜなら、そういった者を絶望に叩き落とすことが、私にとって愉悦なのだからな』という言葉が、ものすごいブーメランでバフォメットにぶっ刺さっていた。
「いえいえ! 偉大なる魔界の大公爵アンドラス様のお力を、私のようなクソゴミカス悪魔ごときに見せるなどもったいなく思います!」
バフォメットは、膝を吐いたまま上半身を猫背で起こし、両手で揉み手しながらえへえへと愛想笑いをした。
『おい、もうその辺で許してやれ。聖女アレクシアから教団を奪うのが遅くなるだろう』
弱者バフォメットをいたぶって遊んでいるアンドラスに対し、ザフキエルが呆れたように声を掛けた。バフォメットには聞こえないだろうが、それはまさに天の助けだ。もっとも、言ってる内容は悪魔じみているが。
「仕方ない。じゃあ今回は出来心という事で不問にしよう。早く魔界に帰りたまえ」
「はい。分かりました」
「ちょっ、ちょっと待て! 話が違うぞ! お前をこの国の神にしてやれば、僕に富と権力と繁栄を与えると契約したじゃないか!」
バフォメットは一秒でアンドラスの提案を飲んだが、それを遮るようにオジャルが悲鳴を上げた。
「い、言ってないぞ!」
「いや、言った! 絶対にそう言ったぞ! 呪いの玉まで渡したじゃないか!」
オジャルは、自分が犯人ですと発言している事に気付かないほど動揺しているようだったが、バフォメットはしらを切る。微妙にどもっている辺り、多分そう言ったのだろう。
「言ってないといったら言っていないのだ! 何年何月何日何時何分何十秒にそう言った! それに契約書も交わしていないぞ!」
「うわぁ……」
『うわぁ……』
「うわー」
多分、正しいのはオジャルの方なのだろう。バフォメットの見苦しい言い逃れに対し、エクリプス一行は『うわぁ』という気持ちになった。なんかもう、いたたまれない。アンドラスも嘆息しているが、呆れてものも言えないようだ。
「で、でも、確かに、私と貴様とで認識違いもあるかもしれん。よって、特別に貴様からは対価を取らないでやろう。私は魔界に帰る。貴様とはもう二度と会う事はないだろう」
「ま、待て! そんな無茶苦茶な!」
「やかましい! 私はあくまで貴様を利用していただけにすぎんのだ。悪魔だけに!」
どうです? 面白いでしょう? という感じで、バフォメットはアンドラスに愛想笑いをした。
「……もう帰っていいよ」
「本当ですか! じゃ、じゃあ私はこの辺で失礼します! 家に七匹の子ヤギを待たせているので!」
アンドラスが心底呆れた様子で言い放つと、バフォメットは登場した時の逆パターンで、黒煙となって虚空へと消えた。気が付けば、オジャルの手の中にあった黒い宝玉も消えていた。
「そ、そんな馬鹿な……」
信じられない、という感じでオジャルはへたり込んだ。そのままオジャル王子は国家反逆者として兵士に両腕を掴まれ地下牢へと連れて行かれたが、その間、魂が抜けた人形のようになっていた。




