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第1話:スラム街に咲く花

 聖都オシャンティ――最高神オシャンティの名を冠したその都市は聖地であり、数千年の歴史を誇る大都市だ。


 光り輝く神殿。きらびやかな貴族達の談笑。街行く人々はみな活気に満ち溢れ、常にその栄光の輝きの中で安寧を保証され続ける。


 だが、それは光の部分だ。

 光が強ければ強いほど、また影も濃くなる。


 聖都オシャンティは中心部から円状に構築されている。中心部には聖殿や王城、貴族の住居があり、外側に行くほど地価は下がり、比例して治安が悪くなる。


 それは、満月の中心部が光り輝き、外側に行くほど輪郭がぼやけ、闇が広がっていくのに似ていた。


 聖都の最も外側、貧民街と呼ばれる場所の人々は、貧困、飢え、病……そして貴族たちからの理不尽な弾圧に悩まされている。


 そのスラム街の夜を、月明かりだけを頼りに進む二つの影があった。


「ルーナ、大丈夫か?」

「……大丈夫。アルバお兄ちゃんこそ平気?」

「俺は大丈夫だ」


 そんな会話をしながら二人は歩む。

 厳密には、一人の青年が幼い少女を背負っていた。


 青年の名はアルバ。今年で十六歳。

 それなりに端正な顔立ちをしているが、全体的な雰囲気は鋭い。

 焦げ茶色の髪に、鋭い鳶色(とびいろ)の瞳。

 細身ではあるが鍛えられたしなやかな身体は、彼が盗賊稼業で自然と身に付けたものだ。


 スラム街で生きていくためには、綺麗事など言っていられない。

 まして、病気の妹を抱えていてはなおさらだ。


 ルーナと呼ばれた少女は彼の妹で、まだ幼かった。十歳になったばかりのルーナは昔から体が弱く病気がちだった。


 スラム街に住む彼らには満足な治療を受ける事が出来ない。

 彼らの父母も既に先立っていて、アルバの唯一の肉親は妹のルーナのみ。


 このスラム街を夜に出歩く事は極めて危険な行為だ。アルバ一人なら鼻歌交じりに悪漢どもを蹴散らす事が出来る。だが、ルーナを背負っていては別だ。


 それでも、彼は歩まなければならなかった。


「噂じゃ、この先の廃教会に『聖女』がいるはずだ」

「その人、本当に聖女なのかな? もし聖女でも、私なんか診てくれな……けほけほっ!」

「あまり喋るな」


 アルバは背を揺らし、苦しそうに息をするルーナを励ますように笑いかけた。

 スラム街の悪漢どもが最近よく『異端の聖女』の話題を口にするので、アルバは危険を冒してこの夜の闇の中を歩いてきたのだ。


「本当にそいつが『聖女』なら、俺達を救ってくれるはずだ」


 そう言いつつも、アルバはほとんど信じていなかった。『聖女』とは、神の加護を受け、奇跡を起こす人間の事だ。オシャンティ神の加護で万病を治すとされている。


 されていると表現したのは、アルバが見た事が無いからだ。


 聖女は絶対数が少なく、中央で大事に保護され、もっぱら金持ちを治す。

 貧民街の連中など眼中に無いはずだ。その聖女が、このスラム街の廃教会に突然やってきたという。


 悪党どもの何人かが、そこで治してもらったと言っているが、奴らは嘘が服を着て歩いているような連中だ。信頼は出来ない。


(でも、今はそれに賭けるしかないんだ)


 アルバはちらりと背中に視線を向ける。ルーナは顔を真っ赤にし、はあはあと荒い息を吐いている。

 なんとか誤魔化してきたが、妹はもう長くない。藁にもすがる思いで、アルバは廃教会の手前にやってきて、顔をゆがめた。


「ぼろっちぃ建物だな……ま、異教徒の教会だもんな」


 それは、教会というよりは幽霊屋敷とでも表現すべき朽ち果てた石造りの建物だった。

 こんな所、幽霊やゾンビはいても、聖女がいるはずがない。


 それでも、アルバは錆付いたドアの取っ手を掴んだ。

 戻ったところで、あるのは破滅の道だけなのだ。


 ぎいい、と耳障りな音を立て、腐食したドアが開かれる。


「おい! ここに聖女が居るって言うのはほんと……う……」


 本当なのか、と言いかけ、アルバは言葉を失った。

 教会の内部自体は、外側と同じくひどい有様だった。


 かろうじて原型をとどめている机や椅子はあるが、塗装は剥がれて無造作に転がっている。教会の象徴である十字架やガラスの類は、全て盗み出されていた。


 だが、中心部には間違いなく『聖女』がいた。


 その聖女は、中心の椅子の一つに腰掛け、幼い少女を抱いていた。

 艶やかな金髪の少女は、気持ち良さそうに寝息を立てていた。


 微笑みを浮かべながら幼い少女を抱いているのは、自分と同じか少し年下だろうか。

 スラム街の住人らしく、つぎはぎだらけの黒い修道服を身に纏い、装飾品の類はまったくない。


 だが、そんなものはむしろ邪魔だ。


 修道服の少女は、宝石やドレスなどかすんでしまうほどに美しかった。綺麗に短く揃えられた銀の髪が、壊れた屋根の月光に照らされ、きらきらと輝く様は、月の女神のようだ。


 澄み切った空よりも蒼い瞳が、月明かりで瑠璃よりも美しく透き通る。

 どんな一流の彫刻家でも彫れないであろう整った顔立ち。細身ではあるが、修道服の上からでも分かる、女性的なラインを描く肉体美。


 朽ち果てた教会で眠る少女を抱くその姿は、その光景自体が一つの宗教画のようだった。どれだけ高貴な身分の物が、どれだけ高級な装飾品を着けようと、彼女の足元にも及ばないだろう。


 彼女が聖女かどうかはまだ分からない。だがアルバは、その美しさのみで聖女と思ってしまうくらいだった。


「……何かご用ですか?」


 妹の重病すら忘れてしまったアルバに対し、その少女が声を掛けた。顔立ちも美しいが、声もまた天使のラッパのような愛らしい声だった。その福音に、アルバは我に帰る。


「あんたが聖女なのか?」

「いちおう、そういう事になっています。ええまあ、仕方なく」

「……?」


 いまいち理解しがたい返答に、アルバは首を傾げる。

 だが、それよりも今は頼みたい事がある。


「もしあんたが聖女なら、俺の妹を治してやってくれ。オシャンティ神の加護があれば出来るんだろ? 嫌だと言ったら……」


 そう言って、アルバは自称聖女に近寄っていく。


 アルバは妹には見えず、聖女にだけ見えるようにポケットから小さなナイフを取り出した。金をほとんど持っていないアルバは、脅してでもやらせるつもりだ。仮に自分が後で処罰されようが、妹が助かるなら安いものだ。


「オシャンティ神は何もしてくれませんよ」

「……なんだと?」


 淡々と言う聖女に対し、アルバは眉間に(しわ)を寄せる。


 やはり、どれだけ見た目が美しくても、所詮は貧民を助けることなどしないのか。猫がネズミをいたぶるように、お遊びで貧民街に来たのだろうか。


「違います。オシャンティなどという神はまやかしだと言っているだけです。背中の女の子は重病なのでしょう? こちらへ」

「ん? あ、ああ……」


 アルバが刃物を見せているというのに、聖女はまったく物おじしない。

 朽ち果てたソファの方にルーナを寝かせるように促した。


 聖女は抱いていた少女を起こさないよう、そっと別の場所に寝かせた後、ルーナの元に戻ってきた。そして、既に意識が混濁してしまったルーナの額に触れる。


「ルーナ! しっかりしろ! ルーナ!」

「騒がないでください。あの子が起きてしまいます」

「なんだよ! スラム街の住人なら死んでもいいってのかよ!」

「そうではありません。では、ちゃちゃっとやりますか」

「ちゃちゃっと?」


 何を言ってるんだこいつ、と思った瞬間、聖女の手から光が溢れる。

 眩い光だが、不思議と目が眩まない。まるで蛍の光のような幻想的な光だ。


 聖女の手から放たれた光が、ルーナの全身を包んでいく。

 すると、先ほどまで脂汗(あぶらあせ)を流していたルーナの呼吸が徐々に収まっていく。


「ふぅ、こんなものでいいでしょう」

「……お兄ちゃん?」

「ルーナ!? 意識が戻ったのか!?」


 アルバは、意識を取り戻した妹を抱きしめた。


 最愛の妹の肌に触れると、燃えるように熱かった額の熱は消え失せ、氷のように冷たかった手足には温かさが戻っていた。


「大丈夫か? どこも苦しくないか?」

「うん! 全然! ほらっ!」


 そういうと、ルーナは寝ていたソファから跳ね起き、ぴょんぴょん飛び跳ねた。病弱だったルーナがこれほどまでに元気になった事は無い。


 ――聖女は、間違いなく聖女だった。


「……ありがとう。ありがとうございます!」


 跳ね回るルーナと対照的に、アルバは目に涙を浮かべながら、その聖女の前に(ひざまず)いた。権力をとことん嫌うアルバであるが、生まれて初めて心からの敬意を示した。


 アルバは懐をまさぐり、薄汚れた小さな小袋を取り出した。


「聖女様、これが俺の全財産だ。今はまだこれしか無いけど、この礼は必ず……」

「必要ありません」

「えっ?」


 人間の欲望の沼で生きてきたアルバにとって、それは理解不能な返事だった。

 これだけの事をしてくれて、無償という事は、彼の常識ではありえない。


「あなた、私に――オシャンティ神以外の神に感謝をしていますか」

「あんたには感謝してるが、オシャンティ神の力じゃないのか?」

「違います。私は違う力を使う異端者なのです」

「異端者……噂通りってことか」


 異端者とは、簡単に言うと、大陸全土で最も力を持つオシャンティ教以外を信奉する者だ。圧倒的に数は少ないし、迫害を受ける事も多い。


 だが、アルバにとってはそんな事はどうでもいい。


 もともと彼はオシャンティ神を大して信じていないし、目の前の聖女は最愛の家族を救ってくれた。彼女が異端者だろうが悪魔だろうが構わない。


「あんたが異端者でも何でもいい。俺はあんたに感謝してる」

「そうですか。安心しました。それだけで充分です」

「……本当にそれだけでいいのか?」

「ええ、それこそが私の贖罪であり、この世に生まれてきた理由なのです」


 いまいち理解出来ないが、嘘を言っている感じではない。

 それに、正直な所、少ない手持ちの金を払わないでいいのはありがたい。


「ありがとよ。聖女様」

「聖女と言われると少し困りますね。私の名はエクリプス。他にも困っている人が居たら、どんどん私の所に連れて来て下さいね」

「……あんた」


 アルバは、生まれて初めて畏敬の念というものを感じた。聖女は奇跡の力を使う。ゆえに対価を多く望む。だが、エクリプスという少女はそれを全く要求しない。


 それはまさに、アルバの思い描いていた『聖女』そのものだった。


「いつかこの礼は必ず返す。ほら、ルーナも礼を言え」

「ありがとう! お姉ちゃん!」


 ルーナは満面の笑みを浮かべてそういうが、『お姉ちゃん』と呼ばれた時、エクリプスの表情が若干ひきつっているように見えた。


「コラ、聖女をお姉ちゃん呼ばわりするな」

「いや! そうじゃなくて! そうじゃないんだけど……」


 馴れ馴れしい妹の言葉に気を悪くしたと思ったのだが、どうもそうではないらしい。アルバは首を傾げたが、とりあえず気にしないでおく事にした。


 今は妹が全快した事を素直に喜びたいし、ルーナを連れて夜遅く貧民街を歩くのは得策ではない。


「また今度改めて来る。本当にありがとうな。聖女様」

「あはは……」


 聖女エクリプスは苦笑しながら、ひらひらと手を振って兄弟を見送った。それから、眠っている金髪幼女の隣に座り込み、大きくため息を吐いた。


「聖女……聖女ねぇ。なんでこんな事になっちゃったんだ……」


 異端の聖女エクリプスは頭を抱える。どうしてこうなった。


「最高神オシャンティって何!? それ、二千年前に私がテキトーに考えた奴じゃん!」


 朽ち果てた教会内に、エクリプスの声が響いた。

 彼女こそ、この世界を支配する最高神オシャンティを作り上げた人間だった。

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