序 フロスト銀河史Ⅱ
繁栄を続ける人類にとって第二の転機は、宇宙暦425年に開発された星間ジャンプ航法であった。
宇宙歴に入って科学技術が飛躍的に進歩してなお、太陽系から最も近い星系でさえ四光年という文字通り天文学的な距離が存在しており、光速を超える術を持たない人類の進出限界は太陽系外縁部という状態が長く続いた。人口に比して広大な宇宙空間の開発はいつ果てることなく拡大し続けていたが、それとて有限である以上何れは飽和状態に陥るのは目に見えていた。それは西暦時代の悪夢の再現に他ならず、人類は更なる新天地を求めて試行錯誤を重ねる事となる。
例えば冷凍睡眠による超長期航海は当時最も有望と目された星系間航行技術であった、これは人体を凍結して老化を抑え、自動操縦や勤務サイクルによって数世紀単位で目的地を目指そうという試みである。
慣性制御装置の小型化でノーベル物理学賞を受賞したアンドレイ・シジマ博士らの研究チームは実用的な人体凍結技術を確立。惑星連合技術開発省の全面支援の元、史上初の恒星間航行用航宙艦「アルカディア」を建造し、博士自ら4000人の移民を率いてプロキシマ・ケンタウリ恒星系へと旅立った。
この壮挙が実を結ばなかった理由は今持って判明していない。ただ400年後、予定された航海期間を遥かに超過してなお「アルカディア」がプロキシマ・ケンタウリに到達しなかった事実が記録されているのみである。不慮の事故や外的要因、異星文明の干渉等様々な噂が巷間に流布したが。現代の科学者達は世紀単位の航海という計画そのものが内包する無理と自動操縦装置やAIなど基本的な技術力の未熟によるものという説で一致している。
一部の歴史家の間には傲岸さと虚栄心、天才的な頭脳の持ち主に付き物の危うさを持っていたシジマ博士が自らの栄光に逸る余り、技術の成熟を待たずに強引に計画を進めた為だという批判も存在する。いずれにせよシジマ博士の名は本人が望んだよりも小さい形で歴史に刻まれることとなったが、彼の遺産はおそらく彼自身も予想しなかった形で昇華された。
宇宙暦408年、シジマ博士の共同研究者であった
ウィリアム・ネーデルマン教授はシジマ博士の残した研究データを元に「重力開発」の論文を発表
恒星の重力井戸を利用したスイングバイによる超光速航法を提唱した。この画期的な発想の最大の利点は、必要な殆どの技術が既存のそれの延長線上にあることだった。
宇宙暦417年、最初の実験船「イロアス」が太陽圏を離脱、五年後にはプロキシマ・ケンタウリへの到達が確認された。
これが第二期宇宙開拓時代の嚆矢である。
「彷徨える艦隊」の新刊まだですかね?