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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その破片は胸中に

 ああ疲れた。もうなにもしたくない。何が楽しくて働くかと問われれば、それは無論、生きるためだ。仕方がない事だとわかってはいるものの、明日もまた行かなければならないと思うと、嫌気がさす。

 そんな会社と家を往復するだけの私にも、唯一の楽しみがあった。ハンドメイド作品を眺めることだ。特に気に入っているのは、樹脂で作られた精巧なおもちゃである。指の腹に乗るようなほど小さなそれは、スイーツだったり、料理だったり、家具だったりと様々だ。

 中でも「かなっぺ」という作家の作品が特に好きだった。作品ひとつひとつのクオリティが桁違いに高く、実物をそのまま縮小したのではないかとおもえるほど、再現度が高かった。

 彼女の作品のなかでも特に好きなのは、箱庭シリーズだ。彼女はジオラマも作成しており、掌ほどの小さな箱のなかに、世界を創造してしまうのだ。

 木や花が溢れる、小さくて優しい世界は、私の理想そのものだった。こんな優しさの塊のような世界が、きっと「かなっぺ」には見えているのだろう。それが心底羨ましく、いつかそんな世界へ行きたいと夢見ていた。

 いつも帰りの電車のなかで、新しい作品が出ていないかをチェックする。今日は新しいジオラマが発売されており、特になにも考えずに購入ボタンを押した。値段も見ずにものを買うのは、あとにも先にも彼女の作品だけだろうと思う。

 するとすぐに、彼女からメッセージが届いた。

『ひかり様 いつもご購入ありがとうございます。2、3日のうちに発送しますので、到着までもう少しお待ち下さい』

 このアプリの良いところは、作者へメッセージを送ることができることだ。

『かなっぺ様 いつも素敵な作品を楽しみにしています。今回の箱庭も、見た瞬間にポチりました!笑 素敵な作品が到着するまでとても待ち遠しいです。首を長くして待ってます』

 毎度のことながら、このやり取りが楽しくてしかたがない。あっという間に最寄り駅に到着し、そして家へ向かう。ポケットに入れたスマホが鳴った。

『ひかり様 いつも嬉しいお言葉ありがとうございます。ひかり様にお迎えしてもらえる作品も喜んでいるとおもいます。なによりも、私が一番喜んでます。唐突ですが、よかったら今度お茶しませんか。きっとお互いに楽しい時間を過ごせると思います。駅前に新しくできた紅茶の美味しいお店、私まだ行ったことなくて。でも1人で入る勇気もないんです。だからひかり様と、いきたいなって思いました。お返事、お待ちしてます』

 それはもう文字通り飛び上がるほど喜んだ。その勢いで打った文章を後で読み返し、死ぬほど恥ずかしくなった。

『かなっぺ様 ぜひ行きましょう! きっと楽しい時間になると思います。今週末、お時間空いていますでしょうか』

 みなぎるパッションを無理やり押さえて控えめにしたものを、彼女に送信した。


 当日はとにかくめかし込んだ。気合いを入れすぎて化粧が濃いような気もする。そして、待ち合わせのカフェに着くと、何故か顔見知りがいた。

「あれ、かなちゃん?」

 声をかけると、彼女は顔をあげ、満面の笑みを浮かべた。

「ひーちゃん! お久しぶり」

「まさかこんなところで会うなんて!」

「ええと、高校以来かな」

「ほんとにね! ……あ、ごめん! 私、待ち合わせしてるんだった。また今度」

 その場を去ろうとしたら、服を何かに引っ張られて振り返る。俯いたかなちゃんがきゅっと私の服の裾を掴んで、引き留めていた。

「あ、あの」

「ん、どした?」

 服の裾を握ったまま、彼女は固まってしまった。そういえば、高校の頃から内気な性格で、いつも言葉を慎重に選びながら話していた。何かを言おうとして、躊躇っている。

 しかし、かなっぺとの待ち合わせ時間が差し迫っており、あまり時間の余裕はなかった。長くなりそうならどうしよう、と思っていた矢先だった。

「……かなっぺと」

「え」

「作家のかなっぺと待ち合わせしてるんじゃない?」

 私は目を見開いた。どうしてそれを知っているのか。俯いた彼女の表情は読めない。

「……私、私がかなっぺ。ひかりさんをお茶に誘ったのは、私なの」

 絞り出すような声だった。まるで好きな人に告白したときの子供みたいに、私の反応をひどく怖がっていることは明白だった。どうしよう、と数秒考えてから

「話は紅茶のみながらしようよ、かなちゃん」

 喉乾いたし、と促してカフェへ入ることにした。

「騙すようなことしてごめんなさい。どうしてもお礼が言いたくて」

 かなちゃんは出されたお冷やを一気に飲み干して言った。何かが吹っ切れたのか、多少饒舌になったような気がする。

「お礼なんて、むしろこっちが言いたいくらいだよ。かなっぺのおかげで人生楽しいもん」

「……ほんと?」

「うん」

「それをいうなら、私こそだよ。ひーちゃんのおかげで生きられる」

「いやいや、そんな、大袈裟だよ」

 かなちゃんは、独自の講座なども開きながら、ハンドメイド作家として生活していた。最近では徐々に知名度も上がってきているようで、収入も安定し、企業などからも依頼があるそうだ。私は彼女が評価されていることを嬉しく思った。

「大袈裟なんかじゃないよ。ひーちゃんがいつもいい作品だって褒めてくれるから、あの箱庭を作れるの。作家ってそんなもんだよ。自分が作ったものを褒めてもらえることがなにより嬉しい」

 私は嬉しくなった。私が彼女の支えになっていたのなら、嬉しくないわけがない。

 暫くして、注文したミルクティーとアップルティーが運ばれてきた。紅茶の香りが幾分か気持ちを落ち着かせてくれる。

「ここね、入り口からも紅茶の香りがするから、ちょっとは落ち着きながら言えるかなって思ったんだけど……いざひーちゃんを目の前にしたら、全然ダメだった」

 店の前でガクガクしていたかなちゃんを思い出すと、なんだか笑えてしまった。

「初めて会ったときのかなちゃんを思い出したよ。生まれたての小鹿みたいな」

「えっ、嘘、そこまでプルプルしてないつもりだったんだけどな」

 紅茶をすすりながら、思い出話に花を咲かせる。 昔と何一つ変わらない彼女に安堵しつつ、その彼女が“かなっぺ”であることに驚きを隠せなかった。確かに昔からずば抜けて絵が上手く、器用で、芸術センスの塊だった。美術の授業では誰もが彼女の作品に注目していたし、何度か表彰されていたこともあった。しかし絵画での受賞が多かったと記憶している。私は思いきって訊いてみることにした。

「かなちゃんって、絵画が得意だったような気がしたんだけど」

「うん、確かに絵も好きだし、今でもたまに描くよ」

「でも、“かなっぺ”は粘土細工が殆どだよね。今はもう粘土一筋なの?」

「勿論依頼されたら描くこともあるよ。似顔絵とか、風景画とか、ちっちゃいポストカードとか。大学では粘土いじりが楽しくて、いろいろ作って出品したら思いの外に評判よくて。気付いたらこうなってた」

 中でもジオラマを作るのが一番楽しいらしく、いちから世界を生み出して作り上げる過程が好き、だそうだ。粘土でつくった小さな果物や、花などをモチーフにしたネックレスやイヤリングはあくまで副産物らしい。

「かなちゃんのジオラマが一番好き」

 そう言うと、彼女は破顔した。

「ひーちゃんにそう言われると、何でも創れそうな気になる」

「いつもめちゃくちゃ楽しみにしてる」

「えっ、本当? 確かに新作出したら絶対すぐに買ってくれるよね」

「そりゃフォローして毎日見てるから」

 かなちゃんは目を見開き、そして赤面し、手で顔を覆った。

「……待って、控えめに言って死ぬほど嬉しい」

「次も楽しみにしてます、“かなっぺ先生”」

「ああ、本当に嬉しい。かなちゃんにそういってもらえるのが一番嬉しい。作家冥利につきます」

 かなちゃんはテーブルに突っ伏した。感情が昂ると下を向いて顔を隠そうとする癖は、健在だった。

 そのあと紅茶のお代わりとケーキを注文し、他愛もないお喋りをして、お開きとなった。

「はー、喋り倒した。かなちゃん家ここから近所なんだよね、また会おうよ」

 勿論、とかなちゃんは微笑んだ。

「今度は、私の家に遊びに来ない? 再来週は講座もないし、よかったら、だけど」

 なんて素敵なお誘いだろう。私は二つ返事でOKしてしまった。再来週の週末に会う約束をして、私達は帰路についた。



 絶対に仕事を持ち込まないようにと死ぬ気で終わらせ、かなちゃんとの約束の日は訪れた。私はただただ浮かれていた。化粧はいつもより濃い目だし、アイシャドウは新品をおろしたため、ただでさえ気分がいい。それに加えて、“かなっぺ”のお家に行けるなんて、テンションがマックスを振りきっていた。待ち合わせ場所には30分前に着いてしまうほどである。

 しばらくして、かなちゃんが迎えに来てくれた。

「早いね、ひーちゃん」

「今日が楽しみで楽しみで」

「可愛い、小学生みたい」

「中身は成人して結構経ってるよ」

「でも、本質は変わってない。ひーちゃんはずっと優しいひーちゃんのままだよね」

 今日もかなちゃんは饒舌だった。彼女の家兼アトリエは、郊外にあるこぢんまりした一戸建てだった。家のまわりは沢山の鉢植えがあり、緑に溢れている。曰く、何かを育てることが好きらしい。

「お邪魔しまーす」

「どうぞー何もないけどー」

 印象としては、とにかく明るい家だった。太陽光が入るように、大きな窓があり、そして壁はほとんどなく、見通しが良い。1階はアトリエになっており、とにかくシンプルで飾り気がない。あるのは大きな一室と、バスルームくらいだった。大きな部屋には、いくつかの作業机と、材料を置くための棚、作品を置くための棚くらいしかない。生活のための空間は主に2階だと教えてくれた。

「何かあると気が散るから、仕事は下でするって決めてるの」

 今日は仕事じゃないから、と2階へ案内してくれた。2階のリビングダイニングにも大きな窓があり、光をふんだんに取り入れた明るい部屋だった。

「紅茶いれるけどなにがいい? ダージリン、ウバ、ニルギリならあるけど」

「ありがとう、かなちゃんのオススメは?」

「ウバでミルクティー」

「じゃあそれがいい」

「おっけー」

 本当に紅茶が好きなようで、棚には紅茶の缶が並んでいた。

「このお家から沢山の作品が生まれてると思うと、なんかすごく感慨深いな」

「大袈裟だよ」

 かなちゃんの淹れてくれたミルクティーは、優しい味がした。先程よりは多少落ち着いたような気がする。

「かなちゃんって紅茶好きなんだね。本格的」

「高校の時に、紅茶飲むの流行ったこと、覚えてる?」

 唐突に訊かれ、おぼろげな記憶をたどった。確かに、紙パックに入った紅茶をみんなが揃って飲んでいたことを思い出す。様々なシールが貼られており、集めるために飲んでいたような。

「ああ、あったあった。机の上にみんな紙パックのやつ置いてたよね」

「高校まで紅茶は苦手だったんだけど、たまたまひーちゃんが一口くれたミルクティーが美味しくて。気がついたら色んな茶葉を買ってた」

 市販の、どこにでもある紅茶だった気がするが、かなちゃんにとっては衝撃だったらしい。

「それで、勢い余ってティーカップとポットを樹脂粘土で作っちゃって」

「あ、それもしかして、キーホルダーにしてたやつ?」

「そうそう。色んな人から褒められて、調子にのって、色々作ってたら、ハンドメイド作家のかなっぺになってた」

 作家になるきっかけがまさか、のみさしの紙パック紅茶だなんて思わなかった。かなちゃん自身も、驚いているに違いない。

「だから、きっかけはひーちゃんだったんだ。そのひーちゃんが、作品を気に入ってくれるって、私にとったらすごいことだった」

「それを聞いたらすごいなって思った。運命みたい」

 なんだか不思議な気分だった。もしかしたら本当に、私達が惹かれ合うのは運命だったのかもしれない。

「……偶然のままにしたくなくて、連絡、とっちゃったんだ。どうしてもひーちゃんに会いたかった。ずっと、ずっと会いたかった。これを作っているのは私だと気付いてくれるかもしれないと思って、かなちゃんへ送るものにはいつも手書きのメッセージも付けた」

 確かに、いつもメッセージを付けてくれていた。縁の絵柄は毎回異なり、季節にあわせたものだった。今思えば、その絵柄も含めて、すべて手書きでかいてくれていたのだ。

「住所のところで本名を書こうか、すごく迷った。忘れられてたとしたら悲しいし、私だと分かって幻滅されるのも嫌だったし」

「幻滅だなんてするわけないよ!」

「ありがとう。ひーちゃんが優しい人だってことはよく知ってたけど、自分に自信がなくて」

 かなちゃんの自己評価の低さは、高校の頃から変わっていなかったようだ。

「結局、かなっぺで通していたけど、偶然のままにしたくなくて、メッセージ送っちゃった」

 ブランデー入りの紅茶を飲んで、勢いで送ったとか。不思議な縁というものは、本当にあるのだと思った。かなちゃんとは高校2年生のときに、一度だけ同じクラスになり、知り合ったが、普段からつるんでいるわけではなかった。たまに話すくらいの間柄だった。

「なんか、すごく変な感じ。高校のときにもっと話してたら良かった。かなちゃんがこんなに面白い人だと思わなかったよ」

「……じゃあ今」

「今?」

「今から、これから仲良くして。ひーちゃんといっぱい話したいし、色んなところにいきたい。ひーちゃんといると、色んな世界が見えるの」

「それをいうなら私こそ。かなちゃんの作品で、毎日癒されてるもん」

 思わず前のめりになっていってしまった。癒されてるどころの騒ぎじゃない。むしろ、私の世界を広げてくれるのは、貴方だと。かなちゃんは目を見開き、そして俯いた。

「……面と向かって手放しに褒められるの慣れてないから、すごく嬉しい」

 かなちゃんは席をはずし、奥の部屋から何かを持って、差し出した。それは、彼女のペンケースに付いていたティーセットのストラップだった。 およそ10年前に作ったとは思えないほど精巧である。

「わ、懐かしい! 昔からかなちゃんはかなっぺだったんだ」

「で、ひーちゃんにはこっち」

 差し出されたのは、小さなティーカップがついたストラップだった。青い花が散りばめられているカップの中は、お行儀よくミルクティーが入っている。

「え、これ」

「あげる。もらって」

「えっ、本当に? めちゃくちゃ可愛い。大事にする」

「お近づきの印に、と思って。この前作ってみたの」

 ふと目を落とすと、それは自分が飲んでいるものと非常によく似ていた。白地に青色の花柄、中身はミルクティー。

「これ、まさか」

「ふふ、飲んでるものを縮小してみたの」

 縮小、という言葉が一番適切だと思った。小人や妖精が飲めそうなサイズで、かつリアリティーがある。目の前の紅茶がそのまま手のひらの中にあった。彼女は本当に粋なことをしてくれる。

「ほんと、かなちゃん、ほんとなんか……色々とすごい」

「大丈夫? 吃驚するくらい語彙が死んでるよひーちゃん」

 嬉しさのあまり、早速自分の鍵に結びつけた。小さなティーカップは、逆さまにしてもこぼれない。本物と寸分違わないそれは、間違いなくかなっぺの作品だった。

「やっぱりかなちゃんは天才だよ」

「それをいうなら、ひーちゃんはある意味、かなっぺの生みの親だよ」

「うっわーそんなこと言っちゃうの。まってほんと、嬉しくて色々と、その、死にそう」

「だめだめ、私と居てくれないと」

 かなちゃんは悪戯っぽく目を細める。相手は女の子だと分かっているのに、心の奥がざわつく。ああ、きっと私はこういうことを求めていたのだ。どうしてもっと彼女と関わらなかったのか、と昔の自分を殴りたくなった。

「高校のときに出来なかった事がしたいな」

「いいね、青春を回収しにいくみたい」

「芝刈機的な?」

「ひーちゃんってほんと、語彙が残念だからムードもへったくれもないよね」

 けどそういうところが好き、とかなちゃんは微笑んだ。これから色々と“回収”していくのだと思うと、楽しみで仕方がない。やはり、私の世界を彩ることができるのは、彼女だけなのだ。


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