月の夜に想いを寄せて
今日は満月。
秋風が寒くは感じるが、今の僕には心地よい。
テラスのテーブルに置いたグラスを取り、月を眺めながら深紅色の液体を口へ運ぶ。
ほんのりとした渋みと、口の中に広がる芳醇な香りが安らぎを与えてくれる。
「にいさんってホントにすごいよね。こんな美味しいワインが造れるようになっちゃうなんて」
「これは僕の造ったものじゃないよ。修行させてもらったところで造っているやつだよ、美味しいに決まっているじゃないか」
横で『そうなの?』と首を傾げながら、じっとボトルのラベルを見る義弟の顔はほんのりと赤い。
そんなに飲ませたつもりはなかったが、僕のペースに合わせて飲んでいたのであれば少しピッチ早かったのかもしれない。
「よく義父さんにワイン造る仕事するのいいって言わせたね。大学入る時もかなり揉めたのに」
「いいなんて言わせてないよ。黙ってるだけ」
「バレたら怖いじゃん!」
「それは大丈夫だよ」
なにせ父とは音信不通。というか絶縁されていると言った方が正しい。
大学云々もあるだろうが、一番の原因は多分僕の性癖。
別に隠していた訳でもないけど。
勝手に隠していたと騒いで、勝手に未来設計を壊されたと喚かれ、絶縁。
一番騒いでいたのは父より義母だった。
元々あまり好ましくない人であるとは思っていたが、自分の事と財産の事しか考えてないとこの件でよく分かったから、絶縁できて何よりだけど。
多分父との再婚も財産目当てだったんだろうなぁ。
これは義弟には話していない。
こいつにとっては実の母親な訳だし、そんな母親の信じがたい一面を話したところで信じて貰える可能性も低い。
なによりそんな話をしてしまって、今までうまくいっていた義兄弟関係を崩してしまうのが嫌だったから。
僕は義弟が好きだ。
兄弟としてもだけど、パートナーとして一緒にいたい、そんな意味合いでも好きだ。
初めて会った時は、色の白いもやしのような義弟が出来たとしか思っていなかった。
でも一緒に過ごすうちに、こいつの潔さとか意志の強さとか、優しさとか自分への厳しさとか、色々なところに惹かれるようになっていった。
多分義弟は僕が同性愛者だということは知らないだろう。
性癖が親にバレたのだって、義母がお見合い話を持ってくるまでは知られていなかった事だ。
「お前はさ、仕事順調なわけ?」
「俺? んー、まあね。それなりに?」
「それなら良かった。急にこっちに来たいとかいいだしたから心配したんだよ」
「あはは、悪いわるい。有給休暇も使えてなかったし、息抜きにね」
そう、義弟は一昨日、急にこっちに来たいと連絡してきた。
こっちは気儘な一人暮らしだから全然構わないのだが、義弟はまだ実家にいる。
聞くところによると、旅行はおろか外泊するのだって義母が許可しないと出れないらしい。
それが急にとなるとあれこれと詮索も心配もするというものだ。
「にいさんはさ、今の自分に後悔してない?」
「なにさ突然」
「だってさ、にいさんの成績ならもっと上の大学だって行けたし、仕事だってもっと安定した収入の得られるものにだって就けたじゃない? 親の敷いたレールに乗っかっちゃってれば、もっと楽出来たかもしれないのに」
「……お前、酔ってる?」
「酔ってないよ」
顔はほんのりと赤いものの、呂律も回っているし姿勢も崩れていない。
酔っていないというのは本当らしい。
「……大学入った辺りで一回だけ後悔したかな。でも学びたい事学べたし、遣り甲斐のある仕事だって見つけられたし後悔はしてないな。父さんや義母さんが何と言おうと、僕の人生は僕だけのものだし、言われるままに生きるのもでもない」
「……やっぱりにいさんって凄いや」
「褒めたって何も出ないぞ」
義弟は『えー』と言って笑いワインを口に含んだ。
僅かに残っていた深紅の液体は流れるように義弟の口へと運ばれ、グラスを薄く赤く染まる透明な容器へと変えた。
「ねぇ、にいさんが造ったワインってないの?」
「あることにはあるが、売り物にならないようなものだぞ? 飲めない事はないが」
「飲んでみたいな。赤? 白?」
「ロゼ。一回造ってみたくて、自宅用ならってことで造らせてもらったんだ」
「じゃあ、それ、飲ませてよ」
義弟は自宅用ならいいだろ? とせがむ。
断る理由もない。
出したくないだけなんて理由にもならない。
「ああ、ちょっと待っててくれ。そんなに冷えてないぞ?」
「いいよ、にいさんのワインが飲みたいんだから」
部屋のワインセラーから、ラベルのない薄紅色のワインを持ってテラスに戻ると、少し残っていた筈の僕のグラスのワインが空になっていた。
「俺だけ飲むのも寂しいから、にいさんの残り、飲んじゃった」
「それはいいが、お前大丈夫か? 酒強くなさそうだけど」
「顔に出るだけで、そんなに酔わない体質だから安心して」
そう言って義弟は二つのグラスを並べて自分の前に置いた。
「俺に注がせて」
ゆっくりと瓶を傾け、グラスの半分までいかないラインを薄紅色に染めていく。
白ワインまで甘くない果実の香りが、グラスからほんのりと香る。
義弟は片方のグラスを僕に渡し、自分ももう片方を持ち上げる。
「『月が、綺麗ですね』」
義弟はグラスを満月にかざし、ロゼワインでオレンジ色に近くなった月を見て言った。
「漱石の有名な逸話だよね。この部分だけ独り歩きして、どうしてこう言ったかなんて知らない人多いけど」
『愛している』をそう言い換えて使ったという話は知っている。
でも、どうしてそれを僕に言うんだ?
義弟はノーマルなはず。
高校時代に彼女が居た事も知っているし、最近義母が義弟にお見合いをさせた事も知っている。
「にいさん、知ってる? 満月の夜にさ、こうやって月の光をロゼワインにかざして飲むと恋が叶うって」
知っているも何も、僕はそのためにロゼワインを作りたかったんだ。
義弟と、義兄弟なんかではなく、恋人として結ばれますようにと願いたかった。
本当に叶うのなら、自分で作ったワインで願おうと。
ちゃんと合格点が出るようなワインを作ってから、義弟と結ばれるようにと願いたかった。
「ねぇ、にいさんもやってよ。俺と、結ばれますようにって」
「な、んで……」
「知ってたよ。にいさんが俺を好きだって事くらい。だけど俺との仲をぎこちなくしたくなくて、言わないでいてくれたのも」
「お前、彼女が……、お見合い、したんじゃないのか?」
「あれは母さんの顔をたてただけさ。断った足でそのままこっちに来たんだよ」
グラスを僕に掲げてウインクしてみせる。
そのままグラスを口元に運ぶと、義弟はほんのりオレンジに染まる薄紅色の液体をゆっくりと含んでいく。
そしてグラスを口元から離すと、僕へと顔を近づける。
強く唇を押し付けてきたかと思うと、そのまま口移しでワインを僕へと飲ませていった。
「俺も自分に嘘はつかないで生きるよ。好きだよ、にいさん」
口に甘く広がる香りは師匠に『まだまだ』と言われた割に悪くない。
これは義弟の想いが含まれたせいなのか?
それとも初めて造った割には上手く出来たせいなのか?
そんなことを余韻に浸りながら考えていると、軽くグラスをぶつけながら義弟が覗き込む。
「にいさんは、言ってくれないの?」
義弟にせがまれ、僕も満月に照らしたワインを含み、お返しのキスをしてやる。
「来年はもっと美味しいワインを飲ませてやるよ。再来年も、その次の年も。お前が飽きたっていってもな」
ワインの効果だけでなく、さらに顔を赤くする義弟。
こんな可愛らしい一面もあったんだな、と今更ながら嬉しくなってしまう。
少し酔ったついでにお願いしてみようかな。
『にいさん』じゃなくて、名前で呼んで欲しいって。
きっと義弟ならこう言うだろう。
『俺も名前で呼んでくれなきゃ嫌だよ』って。
R18未満の方々初めまして。
がっつりBL書きの伊吹です。
エロシーンなしのBLで、どこまで書けるか(書きやすいのか)試作してみました。
エロシーンないBL作品は実は一本あるのですが、スピンオフで書いたものなのでR18用にアップしていたため、しっかりR15として書いたのはこれがここでは初かもしれないです。
(二次作品では書いてたものもありますが、発行してどっか消えたw)
まぁ、そこそこ楽しんで戴けたらそれを励みに自作品書いていきたいと思ってます。