さよならマッチ売り。マッチは売ってないけども。
寒さの厳しいレンガの家々が続く道は、降り積もる雪と風と大地が一緒になって私、リズ
コルベットを寒えさせる。
「はぁ…… 冷える。 陽が落ちちゃったから、また一段と冷えてきたわね」
薄い靴底は足の裏をこれでもかと痛いほどに私の体温を逃していく。
せめて風から身を守る為にと、私は今は亡き大好きなおばあちゃんがくれた紅いフードを引き寄せて頬を風から守った。
私の手には籐籠と、それ一杯に詰められた飲み屋のマッチがあるだけ。
それ以外は何も荷物は無い。
お酒を飲んでばかりいる父親が飲み代にして来いと私に押し付けたマッチだけ。
父親はどこからかお金を少しだけ得ては、少しのご飯代を私に渡し、一緒に持って帰ってくるお酒を飲む。
仕事は私の知る限り何もしていない。
どこからお金を得ているのかは教えてもくれないし、聞いたこともない。
怖い答えが返ってくるかもしれないと思うととても恐ろしくて聞けないから。
私は寒空の下で、マッチを見つめる。
こんなタダで貰って来た物を買う人がいるとは思わないし、こんな物がお金になるなんて、風邪で頭がクラクラしている時でも思わないだろう。
父親はお酒の飲み過ぎで、もう正常な判断ができないのかもしれない。
一つ溜息をつくと、息は真っ白くなった。
その息で手を温めてみるけど、ちょっとだけ温かさを感じるだけで、とても虚しい。
私はマッチを一つ手に取って、擦る。
マッチは古く、湿気っているのか火がつきはしなかった。
今度は比較的新しいマッチを選んで擦る。
マッチは火がつくと燃え上がり、暖かな色を出しながらすぐに燃え尽きた。
燃えカスを足下の雪に押し付ける。
ジュッっという音にさえ、暖かみを感じてしまう自分が悲しい。
手に持ったマッチがお金に変わるイメージが全く持てない。
それにたとえお金に変わろうとも、こんなに怖いことはない。
だってこんなものにお金を払うだなんて、何を見返りに持っていかれるか分かったものじゃない。
想像するだけで恐ろしさと寒さに背筋が凍ってしまう。
「はぁ、時間潰して帰ろう……」
役に立たない唯一の所持品のマッチを擦る。
僅かの間揺らめく火を見つめると、頭の片隅がピリッとなって、目の前にありもしないものが浮かんでくる。
「また…… なんなの? 変な記憶」
私も父親のことは言えない。
嫌だけど、やはり親子なのだろう。
こんな見たこともない景色を思い出すなんて。
ついこの間から、私は少し変になってしまったらしい。
マッチの炎を見ていると、何かが頭を巡るようになってしまうのだ。
それは見たことのない景色で、見たことのない顔の変な服を着た人達の光景。
見る度違う光景で、今回見えたのは汚れてほつれも見える白い四角く角ばった印象の服を着たおじいさんがいる光景だった。
腰には黒いベルトをして、緑の床で裸足で立っている。
すごく変な光景なのに、どこか安心してしまうという不思議な感覚を覚えた。
「こう…… かな?」
マッチの火を消して、さっきのおじいさんの動きを真似てみる。
おじいさんは白く短い髪をしていて、服装のくたびれた感じと違って清潔な印象で、どこか厳しさと優しさと恐ろしさを感じる。
不思議な信頼感のままにおじいさんの動きを真似た私の拳は、今まで全く知らないはずの解放感と懐かしさを齎した。
それから寒い中、私は一心不乱におじいさんの真似を続けた。
真似を続けていると、あんなに厳しかった寒さが心地よい温度に感じられる。
私は嬉しくなって、また繰り返した。
今日も私はマッチを持って家を出る。
お父さんは売り上げがない事を怒るけれど、怒鳴られるだけなら大した事はない。
怒鳴る父親のいる家から、私は笑顔で出かけていく。
この前みたいに寒さの厳しい人通りの少ない夜ならいざ知らず、今日みたいに陽が高いうちから街中でマッチを擦っては空を殴るとさすがに居心地が悪いし、人に当たると大変なので私は森へと向かう。
森のひらけたいつもの場所で、私は早速マッチを擦る。
はじめて続けて見たいものが出来て知ったけれど、マッチの火はちゃんと見たいものを見せてくれる。
今まではただなんとなく擦っていたから色んなものがただ雑然と見られていたようだ。
火を見つめていると脳裏に浮かぶおじいさんは、今日もシャンとして綺麗な真っ直ぐの背筋で綺麗でキレのある動きを見せてくれる。
私はそれを同じになぞり、満足に笑う。
上手くいかない日もあるけれど、そんな時は「なんでだろう」と考え、夜に目を閉じて本当に眠る前までその事を考えて、次の日一番に起きては試す。
そうやっていると楽しくて楽しくて、辛い日々も忘れられる。
マッチで出来る私の唯一の娯楽。
私は楽しさに夢中になって、拳を振るう。
毎日毎日同じ事と新しい事をなぞって、よく暗くなるまで気付かない。
夜の森は一つの生き物のように全てを飲み込んでしまうから、行っては行けないと町の子供は習うらしいが私からすればそんな事はない。
確かに恐ろしいが、それは知らぬ事由来の恐ろしさが大半を占め、知る事で大きく緩和された。
熊や獰猛な動物もどこかに潜んでいるかもしれないけれど、そんな事を考えながら集中して拳を振るっているうちに生き物の呼吸や足音、その他いろんなものを感じられるようになっていた。
熊は特にわかりやすい。
小さな生き物の命が全てわかるようになるまでにはどれくらいかかるだろうか。
そうした毎日を過ごしていると、この辺りに近寄ってくる動物はほとんどいないことがわかった。
木の実をつける木も無いし、柔らかい草も生えないからだろう。
私は自然と一つになった気分でただひたすらに拳を振るった。
私は珍しく、町に買い物に出かけた。
いつもお父さんがくれる少額のお金が貯まったから、食べ物を買うのに使っておこうと思ったのだ。
少額のお金がなぜ貯まったのかといえば、それはひとえに森のおかげだ。
毎日森へ行く私は、いつしか森の実りに感謝できるくらい多くのものを摘み取れるようになっていた。
町の人も、昔の私もよくわからない物を食べてはいけないと信じ、そしてそれは当然だったので手をつけていなかったが、森へ通ううちに小動物たちの食べるものがいつも同じ事に気付いたのだ。
試しに食べた木の実は美味しくはなかったけれど、空気よりはずっとずっとお腹に溜まってくれる。
お腹を壊さない、死んでしまうかもしれない森の食べ物は私に新たな生きる手段を与えてくれたのだ。
そんなこんなで私は町でお店を物色する。
店先に並ぶ商品は、どれも綺麗に見えるがなぜか以前ほど美味しそうには見えなくなっていた。
いまいち買う踏ん切りをつけない私はしばらく店から店へとフラフラしていると、すぐ近くで騒ぎが起こった。
「おい、お前俺にぶつかって謝りもしないのかよ! 礼に俺に付き合え」
「嫌よ! なんで私が謝らなきゃならないの?! あんたがふざけてぶつかってきたんじゃない!」
妙な三人組の男たちと、身綺麗な女の子が口論をしている。
周りの人たちは巻き込まれるのを面倒がったり恐れてか、無視して過ぎ去って行く。
「きゃあ!」
男が女の子の腕を掴み、女の子が悲鳴をあげた。
これはもう口論じゃない。
私は女の子のそばまで寄ると、グイッと引き寄せて男の手から女の子を引き剥がした。
「えっ、あ、ありがと「おいテメェ! 何しやがる。 なんだ? 仲間に入りたいのか? いいぜ、お前も俺達に付き合えよ」
すごく不思議な事を言って手を伸ばしてきたので、つい手が出してしまった。
男の顔面に私の拳が当たる。
しまった。 これは面倒になるなと覚悟したが、意外にも男達はあっさりと引き下がった。
殴ってしまった男が鼻血を流しながら気絶してしまったからかもしれない。
少しやり過ぎた。
おじいさんにもしバレたら絶対怒られるだろうな。
「ありがとう! 貴女お名前は? 私とお友達になってくださいませんかっ」
女の子は顔を少し紅潮させてそんな事を言ってきた。
つい可愛くて名を教えると、それで彼女の中ではもう友達になってしまったようだ。
まぁ、良いんだけど。
それから彼女、グリットは私の初めての友達になった。
私と生活圏が違いすぎてすぐ疎遠になるかと思ったけど、グリットは私に合わせてくれるので、そんな事はなく二人で森へ行き私の趣味を眺めてからグリットの作ってきた軽食を二人で食べて、なんて事ない話をしてはまた日々を過ごしていった。
そしてあれから、マッチを擦って森へ行くようになってから一年が経った。
私は寒さと飢えてしまうかもしれない不安で一杯だった自分と、いつの間にか上手に付き合えるようになっていた。
今も寒さと空腹を感じない事はない。
けれど確実に一年前よりもその頻度は減っている。
それは私の環境ではなく私の意識が、私の心が、私の世界がおじいさんに体を動かすことを通して変えられたからだと思う。
私は今でもマッチを通して、おじいさんから学び勤しんで、日々を暮らしていけている。
たまに理不尽が襲うこともあるけれど、その時は私の拳が唸る。
その度にグリットがキャーキャー騒いで私を抱きしめるけど。
ありがとう師匠。
おかげでお父さんも叩き直せたよ!
文字通りね。