序章:ワイバーンさんと出会う前
少し踵の高いパンプスは、歩くたびにこつこつと鳴る。新しく買ったパンプスはヒールが少しあるが、控えめなデザインながらも軽くて歩きやすい。
本格的に就活を始めてから、手応えのない日々が続いていた。落ち込む気分を変えようと靴を新調したのは良い判断だったかもしれない。
普段より気分が明るく、なにより視線が上がる。それだけで一日楽しくなれそうだ。
機嫌良く通いなれた道を歩けば、最寄り駅が見えてくる。信号を渡った先、駅前の通りはすでに大勢の通行人で溢れていた。前言撤回、気分急降下である。
朝の駅構内は学生やサラリーマンなどでごった返している。誰もが時間に遅れまいと急ぐ中、微かな隙間を見つけ人混みを縫うようにして移動せねばならない。それのなんと疲れることか。馬鹿馬鹿しい。もう一本ほど電車の数が増えないだろうか。
いや、故郷のバス線よりも遥かにマシではあるが。一時間に一本あれば良い、とは誰が言ったのだったか。そも実家からバス停までの距離が遠いので、利用した記憶はないに等しい。
鳥が印刷されたICカードをかざし改札口をくぐる。ぴんぽん、と高めの音と共に小さな扉が開いたらホームへ続く階段へと足が向かった。鞄へ仕舞おうと手にしたカードをふと見つめる。程よくムカつく顔をしたその鳥は、上書きされた定期の文字によって微妙に潰れていた。可哀想に。これが世の真理である。
そううだうだと考え事をしているのが悪かったのだろうか。それとも通路の真ん中でゆっくり歩いていたのが悪かったのか。恐らくどちらともである。
どん、と背中を押された。
その衝撃で踏み出した右足は、下り階段の一段目を踏むが、足首がくにゃりと曲がった。左足は階段を踏むことなく宙へ浮く。
ふわりと体が浮いた。視界が目まぐるしく変わる。
――あ、落ちたな。
後ろも急いでいたのだろうと思う。通勤ラッシュの時間帯だ、遅刻しないよう気が急いていたのだろう。分かるとも、わたしも目の前でのんびりとされたらイラっとくる。しかし押さなくても良いではないか。
そして何故わたしは今日に限っていつもよりヒール高めのパンプスを履いてしまったのか。
誰に向けるとでもなく、ばっきゃろー! と心の内で叫んだ。
それが最期の記憶である。