7. 初めての魔法
必要品の値段を調べてきた僕は、現在、宿屋の庭でシャワーを浴びようとしていた。
宿の庭には、大きなタンクの下に“男”“女”と書かれた個室が設置されていた。“男”と書かれた扉を開けてみると、予想通りシャワーが設置してあった。シャワーの蛇口の近くには紐が垂れ下がっており、おそらくこれを引けば上のタンクから水が出てくるんだと思われる。
「問題はどうやって温めるかなんだよな~」
そうなのである。宿屋のおばあちゃんは適宜自分で温めと使用してくれと言っていたのだが、どこを探しても温められるような設備がないのだ。誰も入っていないのを確認してから女湯?の方も確認したけれどさっぱりわからなかった。
気温はそんなに寒いわけではないので水のままでも問題はない。
でも温められるなら温めたいんだけど。
せっかくタオルを借りたんだからその時に聞けばよかった。しかし、まさか温め方がわからないとは思わなかったし。もう一度聞きに行くべきか、我慢して水シャワーを浴びようか。
そんなことを考えながらシャワー室の前でうろうろしていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「お兄さん、なにうろうろしてるの?」
振り返るとそこにはあの忌々しい少女がいた。
「いや、あの、うーん」
この子に温め方がわからないとか言うとまた馬鹿にされそうだから言葉に詰まる。
そんな僕の様子を見て、少女ははは~んと憎たらしい顔をした。
「女の裸を覗こうとしてるんでしょ~。エッチ~」
「違うよ!水の温め方がわからないんだよ!」
あらぬ疑いをかけられそうになり、とっさに本当のことを言ってしまう。
「水の温めかたがわからない?それは普通に生活魔法でやるんだよ」
「???」
「え、わからないかなー?」
少女は心底驚いたという顔をして、僕の手を引っ張る。
「あ、ちょっと、どうしたの?」
「いいから。いいから」
少女はタンクの近くまで僕を引っ張った。
「いい?こうやってタンクに手をかざして、火の魔法で温めるの。わかった?」
少女がタンクから手を戻して、こちらに向き直る。
「すみません。生活魔法そのものがわかりません」
「えーーーーー!?信じられない!!」
少女は先ほどよりもさらにびっくりした表情を作り、「おばあちゃーん!」と叫びながら宿の中へと走って行った。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか...」
僕はしょんぼりとシャワー室の前に立ち尽くす。
しばらくすると、少女がおばあちゃんをつれて戻ってきた。
「おばあちゃん、この人生活魔法を知らないって!絶対あやしいよ!危ない人だよ!」
少女がおばあちゃんの手を引いて必死に話す。
おばあちゃんは困った顔をしながら僕に尋ねてきた。
「生活魔法を知らないんですか?」
「はい、恥ずかしながら」
「そうですか...」
おばあちゃんは少し考えた後、こう続けた。
「宿の判子の件もありますし、何か並々ならない事情があるんでしょうね。もしよかったら私が生活魔法についてレクチャーしましょうか?」
「いいんですか。よろしくお願いします」
「え!?おばあちゃん、何言ってるの?危ないからやめた方がいいよー」
「メル、あなたは宿に戻ってなさい」
「えー、なんでよ。おばあちゃんが心配だから私も残る」
「じゃあ、大人しくしなさい」
「は、はい」
少女は納得のいかない表情をしているものの、おばあちゃんを守るためにしょうがないと必死に口をつぐんでいる。その目は最初の頃よりも敵意が剥き出しである。
別におばあちゃんを襲ったりしないのになぁ。なんだかこの子には怒りよりも申し訳なさが大きくなってきてしまった。
僕達は庭の隅にあるベンチに移動して腰をかけた。
少女は僕とおばあちゃんの間に座り、必死で僕を近づけさせないようにしている。
おばあちゃんを見ると、申し訳なさそうな表情をしていた。
僕があやしいから悪いんです。悪いのは僕です。僕はそんな意味をこめてはははと笑った。
おばあちゃんがふぅと大きく息をしてから話し始めた。
「生活魔法というのは魔術の最も基本的なものをいいます」
「はい」
「魔術についてはわかりますか?」
「すみません。全くわかりません」
「......魔術というのは、体内の魔力を物理現象に変換する術のことをいいます。地、水、火、風が魔術の最も基本の元素となっています。そして、その四大元素の最も基本的な魔法を総じて生活魔法といっているのです」
「なるほど」
「魔力は人によって保有量に違いがあるのですが、魔力量が少ない人でも扱える位基本的な魔術であるため生活魔法とも言われています」
「では、僕でも使えるんでしょうか?」
「ええ、使えるはずですよ。ちょっと確認してみましょうか」
そう言って、おばあちゃんが僕の手をとった。
「確認できるものなんですか?」
「ええ、実は昔魔術師をしてましてね。手を取ればその人に流れる魔力を感じることができるんですよ」
おばあちゃんは目をつむって何かを感じているように見える。
「今からあなたの魔力を使って簡単な魔法を使用してみます。一度体感すればどんなものかわかると思いますよ」
「本当ですか?お願いします」
「ではいきますよ」
そういうと、突然体の中を奇妙な感覚が襲った。
今まで感じたことはなかったが、しかしいつもそこにあったと感じる。不思議な感覚だ。
「では手のひらを出してください」
「はい」
僕はおばあちゃんに言われるがまま手を広げた。
すると、体中からエネルギーのようなものが手のひらに集まっていき、気付くとぼぅっと小さな火の球が出現していた。
「うわ!?」
僕はあわてて手を引いた。
すると現れた火の玉はしゅんと消滅してしまった。
「どうですか?今のが火の生活魔法ですよ」
「僕魔法を使ってたんですか?」
「ええ」
「うお~すごい!魔法だ!」
僕は嬉しくてベンチから飛び上がって喜んだ。
少女がびくっと体を縮こませていたけど、そんなの関係ない。
「これで僕も魔法使いですか?」
「いえいえ、そんなにすぐには使えませんよ。今感じた魔力を自由自在に扱えるようにならないと駄目ですよ」
「そうですか」
それでも魔法使いへの第一歩である。
ここにきて色々不安なこともたくさんあったけど、なんだか一気に雲散霧消してしまったように感じる。今は未来がバラ色でしかない。
「ちょっと火の魔法を使っただけではしゃぎすぎよ。誰でも使えるのに」
少女がなにやら水を差すようなことを言っているが僕には聞こえない。
「色々ありがとうございました」
「いえいえ、どうやって練習したらいいかも教えときますね」
そう言って、魔法の自主練の仕方をおそわり、突如始まった魔法講習会が幕を閉じた。
僕はおばあちゃんが宿にもどるまでぺこぺこと頭を下げ続けた。少女からの好感度はさらに下がったかもしれないが、それ以上に得たものは大きい。
僕は気分上々のまま、シャワー室に入り紐を思いっきり引っ張った。
「冷たい!!!!!」
調子に乗ってシャワーを温めるのを忘れていたようだ。
しかし、今の僕にはこんなのへでもないぜ。
「はははははは」
モルカドの町に僕の笑い声が響いていた......かもしれない。