ロキリアとグーグフェ
ロキリア視点第二弾です。
メロスという名の少年の心を開くことが出来た私は、彼を連れていざ逃げ出そうと考えた。そんな時、背中をニコという名の少年が激しく引っ張り始めた。今年で5歳になるニコは、お転婆で普段から落ち着きのない子だった。
「どうしたのニコ? 今からお姉ちゃんたちと脱出するから、大丈夫よ。安心してね?」
しかし、ニコの落ち着きの無さは不安から来るものではなかった。
「ニコ、喉渇いた!」
そう、私達が空腹の次に戦わなくてはならないのは、喉の渇きであった。
偶然得ることが出来たクフェイリの燻製で、私達はなんとか空腹を誤魔化すことは出来た。しかしそのパサパサとした食べ物は私達に無理やり唾液を絞り出させ、喉の渇きを促したのだ。
クフェイリの周りについていたあの黒くて甘いものも気になる。あのザラザラとした初めて食べる謎の粒は、私の口の中からどんどん水分を奪い取ったのだ。
しかしこの荷台に水瓶や水筒は見当たらなかった。こればかりは耐えるしかないのだ。
「そうよね、私も喉が渇いたわ。ニコ、他のみんなも、今だけは我慢して一緒に出ましょう。ここから脱出したら、きっと飲み水が手に入るわよ!」
飲み水が手に入る保証などもちろん無い。
私たちが住んでいたリブレス村は、リブレス黒砂漠と呼ばれる異様なほど黒い砂に覆われた土地に作られた村だ。
偶然私たちの御先祖様が地下水を見つけ、そこに井戸を作って発展を遂げた。
私たちの主な食料は雲の上に住む小魚で、それと砂漠でも育つぺポイという名の芋を干物にして食べている。
たまに旅人や行商人なんかが立ち寄ってくれた時は、高級食材のクフェイリや井戸の水を対価に野菜や干し肉、薪なんかを分けてもらうのだが、特に水はリブレス村でしか手に入らないらしく、旅人の殆どの目的が井戸だったのを覚えている。
つまり、私たちがここから逃げ出せたとしても、砂漠のどこに居るのか分からなければ水など飲めっこないのだ。
私は、その事を考えると無事帰れるのかといった不安で押しつぶされてしまいそうだった。
そのまま不安が大きく膨れ上がって、ズキズキと頭が痛くなる。
周りを見れば、ほかの子供たちも頭を抑えて唸り声を上げていた。みんなしてこんなに痛そうにしているなんて、もしかして食べたものが原因なんじゃ。
よく考えてみればクフェイリを食べてから体の調子がどこかおかしい。
喉はよく渇くし頭はガンガンと痛む。まさか、見たことないのを気にせずバリバリと食べてしまったあの黒いつぶのせいだろうか。
そう思うと私はいてもたってもいられない恐怖に苛まれた。
早く抜け出そう、そして水を探さなきゃ。
ガンガンと打ち鳴らす頭を抑えて、ゆらりと立ち上がった。その瞬間。
――ガタンッ
荷台が大きく揺れて、私はバランスを崩し、そのまま頭を強く打ってしまった。逃げ出すつもりだったのに、その衝撃に耐えきれず、私の意識はフッと遠くへ行ってしまった。
慌てて私が飛び起きた時、そこは暗い地下のようだった。ジメジメとした空間と、初めて触る土の感触が、なんだか気持ち悪い。
こんな涼しい場所に居るのは初めてで、ここは何処なのか認識するのにしばらく時間がかかった。
それから誘拐されたことや荷台から脱走しようとしたことを思い出し、急に焦りが込み上げてくる。
しまった、私とした事が気絶してしまった。結局私たちを拐った何者かの目的地へ付いてしまったんだわ。これじゃ本当に頼りないお姉ちゃんじゃない。
とりあえず子供たちはどこ。と私が辺りを見渡すと、私の周りにみんな横になっていた。
ホッと胸を撫で下ろした時、不意に頭上から声が聞こえてきた。
「おやぁおやぁ、お目覚ぁめですかぁ?」
訛りの強い言葉だった。上手く聞き取れた私を褒めてやりたい。しかし今はそれどころでは無かった。
私が慌てて声のした方を向くと、上半身裸の腹がプックリと膨れ上がった男が立っていた。恐らくこの男が私たちを誘拐した犯人なのだろう。
「子供たちをどうするつもりなの!」
私は一番近くに居たメロスを庇うようにその男を睨みつける。すると男は、見たことも無い変わった形の皿を私に向け、中の水をぶっかけてきた。
ヌルヌルとして緑色で、若干土臭い。気持ちの悪いその液体で全身を濡らされた私は、慌てて服が取れないように片手で抑え睨みつける。
しかし男は私の目を無視して、もう一度皿の中の水を私にかけた。そしてもう一度。私はその気味の悪い液体に浸され、どこかも分からない場所に幽閉され、いやらしい笑みを浮かべる男に見下ろされ、泣き出したい気分だった。
しかし男はそんな私などお構い無しに、周りの子供やメロスにもかけ始める。子供たちは水をかけられ慌てて飛び起き、その臭さや異様な色、感触、そして目前に立つ男に恐怖し震え始める。
「お願い、子供たちに手を出すのは辞めて!」
私はもう泣きかけていた。そんな私の涙を洗い流すように、男は再び水をかける。
そして一言口を開いた。
「お前らぁ喉が渇いただろう、飲んだらぁいいよ。摘み食いはぁ許してやるからぁさ」
そう言ってグヘグヘと声を上げて笑う。
「誰がこんな水飲むもんですか!」
私がそう言い返すも、男は周りを指さしてさらに笑った。
「見ろよ嬢ちゃぁん、ほかの子供らぁはもう水を飲みはぁじめてるぜ?」
見れば、子供たちは渇きに耐えきれなかったのだろう、さっきまで気味悪がっていた水を平然と飲み出していた。
「ダメよ! 皆飲んじゃダメ!」
慌てて叫ぶ私に、男は再び水をかける。一体その皿はどういう作りなのだろうか。男は水を汲みなおす素振りを一度も見せていないのに、毎回大量の水が押し寄せて来るのだ。まるで皿から溢れ出るみたいに。
そして私は、口を開いたままその水を被ってしまい、誤ってそれを飲んでしまった。
慌てて吐き出そうとするが、そこに再び男が水をかける。
「嬢ちゃぁん、喉乾いてるんだぁろう? 無理せず飲めよ」
その水が再び口の中に入って来て、反射的に飲んでしまう。そしたらまた男は水をかけた。
そうしているうちに、私とメロスの周りには水溜りができていた。そして私の水に対する感想も変わっていた。
美味しい。この水はとても美味しい。病み付きになる味だ。若干土臭い、ヌルヌルしていて気持ち悪い、変な緑色をしている。でもそうだとしても、美味しいのだ。
気付けば私はメロスの顔が水に沈んでいることもお構い無しに、水溜りに顔を埋めて必死にその水を飲んでいた。
さっきまでの喉の渇きが潤うのを感じる。全身に水が行き届いて先程食べたクフェイリの燻製が消化され体に元気を生み出しているのが分かる。
私はその水に病み付きになっていた。それを見て嬉しそうに男が水をかける。
その水のせいか、メロスが「ゲホッゲホッ」とむせて慌てて飛び起きた。そして周りの様子を確認し始める。
だが私はメロスに今の状況を伝えるよりも、この水を飲むことを優先した。だいたい言葉で話しても伝わらないでしょう。
しかしメロスは私の心配も必要無かったらしく、周囲を確認した後に自ら進んでこの水を飲み始めた。
「この少年はおりこうさんだなぁ」
それを見て満足したのか、男は気味の悪い笑い声をあげる。
その声に反応してメロスが顔を上げるのが分かったが、男はメロスが水を欲していると思ったのだろう、追加の水を少年にぶっかけた。
私もその男がかけてくれる水を有難がって飲み続けた。食わず嫌いはダメだと何度も妹に言われていたが、その通りだと私は思う。こんなに美味しい水があるのに、見た目で私は飲もうとしなかった。だが断言しよう。この水は安全でしかも美味しい。
男も私たちの反応に満足したようで、魔法の皿から溢れ出す水をどんどんかけてくれた。
しかし突然男はその手を止めた。
なぜ止めたのか理解出来ない私は、犬みたいに舌を出しながらその男を見る。メロスやニコも水が欲しいのだろう、四つん這いのまま男にすがり寄るのが見えた。
私も水が欲しいと思い、彼らに続いて男の元へ這い寄った。
と、メロスが何かを口にする。男は眉を潜めて「何言ってんだコイツ」みたいな顔をしたので、私は慌てて口を開いた。
「もっと、水を、お願いします。水を下さい!」
お願いしますお願いしますと、私や他の子供たちが地面に頭を擦りながら男に縋りつく。
その後継を満足そうに眺めて、男は水を掛けてくれた。
「そいつが最後だからなぁ」
だがそれでも構わない。私達は必死になって水を飲み干した。
しかし言葉の通じないメロスは再び懇願し始める。男からしたら、終わりだと宣言したのに言うことの聞かないやつに見えた事だろう。案の定その男はメロスの腹を力いっぱい蹴りつけて土で出来た壁まで吹っ飛ばした。
「メロス!」
私が慌てて駆け寄ろうとした時、男がメロスに向けて怒鳴り散らした。
「いいかぁ糞ガァキ! ここではぁ俺の命令はぁ絶対だぁ! 逆らぁうやぁつは痛い目みるかぁらなぁ!」
訛りが酷く、ふざけている様に聞こえるが、その男は本気だ。何をされるか分からない恐怖で、私はメロスを助けに行くことが出来なかった。
そんな状況で男はさらに続けた。
「いいかぁ! 合図を決める。俺がぁ二度手を叩いたぁら、キサマァらは全員俺に注目しろ。立ち上ぁがって手足合わぁせて俺を見ろ。わぁったな?」
そう言って男は手を二回鳴らした。
慌てて私を含めた5人は立ち上がるが、言葉の通じないメロスは反応出来なかった。
もちろんそれは男の逆鱗に触れる行為だ。男はメロスの所へ歩いていき、無理やり立たせて頬を強く殴りつけた。
反動でメロスは吹き飛び頬を抑える。
メロスが何か言い返すのに対し、男は黙って手を鳴らす。
お願い、メロス立って。私は心の中でそう願った。そしてそれは通じたらしい。メロスは渋々といった様子ではあったが立ち上がると、男に投げられるようにして私たちの立つ所へ混ぜられた。
それから男は私たちの前に立ち、両手を広げてこの場所の説明を始めた。
「ようお前らぁ。俺のなぁまえはグーグフェ。お前らぁの管理人になぁる。お前らぁは何故ここに居るのかぁ分からぁねぇだろうなぁ。ここはぁお前らぁがこれかぁら生活する場所だぁ」
その言葉を冒頭に話し出した男の内容はこうだ。
私達は親に捨てられた存在で、今日からここで働くこととなった。その代わり食事と寝る場所は与える。ただし仕事をこなせなかった場合は食事や水を与えない。
実際飲んだ君たちには分かるだろうが、あの水は特別な水だ。ここで働いてくれる君たちには、あの水を分けてあげよう。ただし無限に湧き出すわけじゃないから貴重な水だということは忘れるな。それだけ貴重なものを飲みたいと言うのだから、ここでの仕事はそれなりにしてもらうぞ。
最初に言った親に捨てられた存在というのは嘘だろう。私の親がそんな事をするはずも無いし、メロスに至っては言葉が通じていない。捨てる引き取るの交渉を親としたとは思えなかった。
しかし、あの水を飲ませてくれるというのはかなり惹かれた。正直なところ、私は今もあの水を欲してやまないのだ。
「続いて仕事についてだぁが」
と男は前置きし、二人一組を作らせた。
力仕事ができる10歳の少年二人、ニコとその友人の幼い子二人、そして言うことを聞かなかった私とメロスの二人。合計3つのグループを作らせて男は私達に付いてくるよう命令した。
私は状況を理解出来ていないであろうメロスの手をそっと握り、小さく「守れなくてごめんね」と呟いた。
彼には聞こえていなかったようだが、私は彼の手を引きながら自分に喝を入れる。
何をやっているんだ私は。この少年を守るんじゃ無かったのか。みんなと一緒に故郷へ帰るんじゃなかったのか。挫けるな私。あんなまやかしの水なんかで負けちゃダメだ。
皆を守りきってみせる。みんなと一緒に、ここから脱出してみせる。
私はそう決意した。