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夢に見た渇き

 それから荷台に乗せられた僕や最年長のロキリア、その他4人の子供たちは、喉の渇きと闘いながらどこか遠くへと運ばれ続けた。

 一体どこへ向かっているのか、とんと見当がつかない。まして空腹からは解放されたのにそのせいか喉の渇きがピークに達していた。


「み……水ぅ…………」


 僕の幼い体は、その渇きに耐えうる忍耐力を持ち合わせてはいなかったらしく、ゆらゆらと視界が霞み意識が遠のいていくのを感じた。






「何をやってるか!早く立って走れ!」


 その怒鳴り声で叩き起された僕は、そこが中学校のグラウンドであると悟る。

 なんだか懐かしさを感じるようだが、そこで僕は気づいた。このグラウンドで走るのは今日が初めてであるということに。一体なぜ懐かしく感じたのだろうと首を捻って、はて、僕は何故ここにいるのだろうと疑問を抱いた。


 そんな風にグラウンドの真ん中であぐらをかきながらぼんやり考え事をしていると、不意に頭皮が痛みを訴えた。その痛みは頭からつま先まで、まるで電気が走ったように感じ、僕は慌てて飛び起きる。


「ほう、まだ寝るようだったらもう1発食らわせてたぞ。ほら、さっさと走れ!」


 頭に出来たコブを抑えて立ち上がった僕に、白いタンクトップを身につけた大柄の男が拳を突きつけて怒鳴り散らした。どうやら僕はゲンコツを食らったらしい。


 何が起きたのか理解出来ないといった表情を見せると、その男は僕の目線に立って目を見つめ話し始めた。


「なぁ、お前が言ったよな?誰よりも速くなりたい、誰よりも忍耐強くなりたいって。だから小学生の癖に中学校の陸上グラウンドまで来たんだろう?」


 そういえばそうだった。僕は彼の言葉を聞いてふと思い出す。

 僕は今日、何を思ったのか突然速くなりたいなんて考えて、家に帰る道を通らずに近くの中学校へ顔を出したんだった。

 たしかこの中学校の陸上部と野球部は全国大会にも出たことがある有名校だ。

 どうしてこんなにも速くなりたいと願ったのに、走りながら夢を見ていたんだろう。あれ、一体なんの夢を見ていたんだったか。

 まぁいい。そんな事よりもしっかりしなくては。そう思った僕は慌てて背筋を伸ばし大声で返事をした。


「はい!速くなりたいです!強くなりたいです!」


「なら走れ!言ったはずだ。ここは小学生が遊びに来るようなところじゃない!ふざけたり休んだりしている暇があったら帰れ!そして二度と来るな!お前が本気なら走り切った姿を俺に見せてみろ!」


「はい!」


 陸上部顧問の言葉に、僕は大声で返事をしてから再び走り出す。理不尽とか、虐待とか、そんなことは微塵も感じなかった。そんな事よりも、誰よりも速く走りたい。その一心が僕を支配していた。


 それから走り初め、次第に走ることの辛さを感じ始めた。僕は今、全力疾走の状態でグラウンドを3周し終えた現状である。足は縺れるし頭は痛いし、心臓は早鐘の如く血液を全身に打ち出し、肺は張り裂けそうなほどパンパンになっている。

 そして体からは、もう汗が出ないほどに水分を出し切ってしまったらしく、喉の奥がくっつくかと思うくらいの渇きに襲われていた。


 年齢もまだ6歳。6年間しか生きていない。立ち上がるのが周りより早かったとは親によく言われていたが、だからと言って走ることに関して才能があるというわけでは無いらしい。

 死にものぐるいで足を動かせば動かすほど、今にも体のパーツが千切れてしまいそうだった。第一僕はこの日までまともに走るということをしてないのだから。



 それでも走る。走り続ける。そう望んだのは自分であり、この渇きも、この辛さも、この痛みも、全て僕のためなのだから。





 だが、いくらなんでもこれ以上は無理だ。


 そう感じてきたのは10周目に差し掛かった頃だった。もうその頃には全力疾走などできず、僕は本気で走っているというのに、そのランニングなんかよりも普通に歩いている人の方が速いといった状況だった。僕は溺れるカエルみたいに力の入らない手足をばたつかせて、地面に崩れ落ちない限界の状態で走り続けていた。

 喉も目も渇き、見れば服には塩が浮んでいる。そんな中何度も何度も同じ地面を蹴りながら、少しずつ少しずつ走っていた。


 もう既に日は堕ちていて、グラウンドにはいつの間にか照明が点灯していた。陸上部も既に帰り支度を初めており、その様子から7~8時なのだろうなと想像がついた。

 不思議と空腹はなく、喉は渇いているのに水が飲みたいとも思わなかった。

 限界を超えるってこういう事なのかと、6歳の僕は走ったまま引きつった笑みを浮かべる。


 ここまで来たら、何だかもう怖いことなんて無い気がしてきた。そうして10周目を周り切り、11周目に差し掛かろうとした時、陸上部顧問が僕に足をかけた。


 バランスを取る耐力など残ってはいない。僕はそのまま崩れ落ち、それでも走ろうと地面の上でバタついていた。傍から見れば弱った金魚が陸に上げられたように見えたことだろう。


 そんな僕に、顧問が声をかける。


「お前は凄いよ。よく耐えたものだ。この苦しみにも、この渇きにも。よくやった。お前の覚悟が凄いってことがハッキリ分かったよ。体の節々が痛いだろう。立てるか?」


 僕はその優しい言葉が嬉しくて、笑顔で首を横に降った。僕としては、後半なんのために走っているのか分からない状況だった。ただ走るのを辞めたらダメだという言葉が脳内でグルグルと渦巻いていて、僕はその言葉に従ってただ無我夢中になっていた。

 もしかしたらまたゲンコツを喰らうのが嫌だったからかもしれない。もしかしたらただ遊びに来ただけと思われるのが嫌だったからかもしれない。最後まで速くなりたい、強くなりたいと思い続けていたかと問われると、それは疑問である。

 だが、確かに僕は走りきったし、体が張り裂けそうな思いにも耐えきった。だから素直に嬉しかったのだろう。僕は笑顔のまま仰向けになって、顧問の顔を見てから「喉が渇きました」と呟いた。それを見て、顧問がそうかと呟く。そして手に持ったバケツをひっくり返して、僕に潤いを与えてくれた。







「ゲホッゲホッ……ブハァッ」


 一瞬溺れ掛けた僕は、命の危機を回避するためか慌てて飛び起きた。そして気がつく。どうやら夢を見ていたらしい。

 荷台に乗せられ暑さと渇きで気絶していたのだろう。そしてそれが引き金になって過去の記憶を少し思い出せた。なんだか、過去の僕は今の状況よりも過酷な環境に居たらしい。あの夢を見てからか、異世界に飛ばされた今の状況を大して嘆く必要無いなと思いはじめた。


 それでも喉の渇きに勝てるはずもない。気絶するほどに脱水症状が深刻化していたのかと思うと鳥肌が立った。しかし、今僕のTシャツもズボンも靴も、すっかり水で濡れてしまっている。ふと周りを見れば辺り一面びしょ濡れになっていた。

 どうやら、夢で水をかけられたタイミングで、現実でも水をかけられていたらしい。僕は犬みたいに四つん這いになって、必死で地面に零れた水を啜った。


 若干土臭い、粘土を水で溶かして飲んだようなヌルッとした感覚に、僕は一瞬たじろいだが、その横でロキリアが水を飲む様子を見て、気にすることをやめて再び地面を舐め始めた。



 そんな僕を見てか、ふと頭上で笑い声が起こる。文字で書くとデハデハデヒヒヒャ! みたいな気味悪く野太い笑い声だ。気味が悪いと言うより気持ちが悪い。清潔感のない笑い声に、僕がゆっくり顔を上げると、そこには上半身裸の大男が立っていた。

 大男というのは、身長が高いという意味ではなく、横幅が広いという意味でだ。デベソが笑う度に揺れていて、その下の毛がモジャモジャとうごめいている。明らかにヤバイ奴だ。


 その男は僕を見て、グフフと笑うと再び水をぶっかけた。貝殻みたいな横に広がった皿のようなものを、両手いっぱいに抱えてその中に満たされている水をかけるのだ。

 その水は若干緑色をしていて、そして少しぬるぬるしていた。まるで漫画や映画に出てくるエイリアンのヨダレみたいだと僕は思った。


 しかし、喉の渇きがその水を飲めと促してくる。喉の奥が「その水を飲まなきゃ死んでしまう」と訴えてくるのだ。


 僕は貪るようにその水を飲み続けた。気が狂うかと思うくらい飲んでいると、また水が無くなる。それで顔を上げると、男が水をかけてくれるのだ。

 男が持っている皿のような器は、わざわざ水を汲んだりする必要が無いらしい。無限に湧いて出るのだ。それを有難く飲んでいるうちに僕は気がついた。


「う、美味いっ!」


 若干土臭いのは地面にかかったのを飲んでいるせいだろう。飲みながら辺りを見回したところ壁も天井も土壁だったので、ここは地下なのかもしれない。だから土臭い水を飲むのは別に気にならない。

 それよりもこの水の味である。ヌルヌルとしてて気持ち悪いと最初は思ったが、それはまるっきり勘違いであった。ヌルヌル飲んでいるうちにその美味しさに気がついてしまったのだ。

 普通の水とは違い、飲むと全身に水分が駆け巡り、また寝る前に食べた魚の燻製が一気に消化され体の中でエネルギーに変えられていくのを感じた。

 味が美味いんじゃなく、体が美味いと叫んでいるのだ。これは命の水だ。僕は有難がって必死に飲み続けた。

 記憶の中じゃこんな美味しい水を飲んだことが無い。夢の中で最後にかけられた水よりも圧倒的にこちらの方が美味しいだろう。


 そうして飲んでいるうちに、男は水をかける手をピタリと止めた。


「も、もっと下さい!」


 僕がそう叫んで彼の足にすがり付くと、男は少しわざとらしく困った顔をして見せた。

 それは、僕の言葉が聞き取れなかったからか、それとももう水が無いからなのか。どちらにせよあの貝殻みたいな皿から溢れ出る水が飲めないのは辛い。喉の渇きは潤ったが、まだ体がその水を欲してやまなかった。


「お願いです、飲ませてください!」


 そう懇願する僕の隣で、ロキリアも同じ体制をとっていた。布一枚で体を隠している分、水に濡れて体の輪郭がよく見え、今にも恥部が顔を出してしまいそうな体制で、ロキリアはその男の足元にすがり付いた。

 だが、そんな姿を見ても僕は何も感じなかった。それよりも水だ、水が欲しい。冷静に考えて見ると精神年齢25歳の僕が今の光景を見てもなんとも感じなかったのは少し変な話だ。普段ならもっとこう、何かがこみ上げてくるものだが、それは体が幼児化したために心までそれに近く幼くなっているからだろうか。はたまたそれ以上にこの水が魅力的だったからだろうか。


 周りを見れば、僕以外の子供たちも僕と同じようにしてすがり付いているのが分かった。みんな喉が渇いていたのだから仕方が無いだろう。つまみ食いしたあの食べ物が喉の渇きをより一層強くしたからかもしれない。

 そんな僕らを見て、大男は満足したのか水をもう一度かけてくれた。その水を全身に浴びながら、僕らは地面や自らの体を舐める様に飲み干していく。


 それから全てを飲み干して、僕らは再び男の元へ駆け寄った。もっと欲しい。まだ足りない。喉が渇いて死にそうだ。そう叫びながら男の足に引っ付いて懇願した。


 すると突然僕は蹴られ、宙を舞う。


――ゴツッ


 鈍い音を立てて土壁に頭をぶつけ崩れ落ちる僕を、大男は怒鳴り散らすようにして指さした。もちろんその言葉の意味は理解出来ない。僕の知らない言語でそいつは喚き散らし、それから手を叩いた。


 パンパンと2回手を鳴らすと、ロキリアを含めた5人の子供たちは慌てた様子で立ち上がる。

 それからみんなして一斉にこちらを見た。僕が「なに?」と声を出すと、憤慨した様子で大男が近寄り、無理やり僕の襟元を引っ張って立たせ、そのまま頬を強く殴られた。


ったな!父さんにもたれた事無いのに!」


 両手で頬を抑え、涙を流し睨みつける僕に、男はもう一度手を鳴らした。


 恐らく立てという意味なのだろうと思い、渋々立ち上がるとその男は僕の首根っこを掴んで子供たちの中に混ぜ入れる。

 それから少しばかり演説のようなことを始めた。恐らく、ここがどこでこれから何をするのか、何故こんなところに連れてこられたのかといった話をしているのだろう。


 それが終わってから、男は一人ひとりを指さして何かを指示する仕草を見せ、それから僕とロキリア二人を指さし別の言葉を喋る。

 そうして二人一組を作らせると、男は背を向けて歩き出した。


 周りの子供らは、皆してその男について行く。唯一現状を理解出来ていない僕の為を思ってか、ロキリアがそっと手を握ってくれた。

 その優しい表情に、僕は少し落ち着きを取り戻し、彼女に引かれる形でついて行くことにした。


 これから何が待ち構えているのか、一体なんのためにこんなくらい場所にいるのか、分からないことだらけで、僕は不安で押しつぶされそうだった。

 しかし、そんな僕の不安を察してか、ロキリアは優しく手を握ってくれる。幼い僕は、15歳というまだ若い少女に心の安らぎを覚え、彼女のあとをついていった。

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