夢に見たロキリア
初めに見たとき黒い砂が付いている饅頭だと思っていた魚の燻製の様な食べ物を、モソモソと食べ始めて30分程が経過した。見たところ最年長の白髪の女の子は、荷台に詰め込まれた子供たちみんなにそれを配っているらしかった。彼女は荷台に寝かされている6人の子供たち一人ひとりの傍に座り、呼吸があるか手をあてて確認してから、そっと揺すり始める。最初は優しく丁寧に揺すりながら、少年少女の耳元に口を当てて、何やら囁くのだ。
小声であるために聞き取ることは出来ないし、第一聞き取れたとしても、僕の知っている言語じゃないのだから、意味は分からないだろう。だがその仕草や表情から、「起きて」とか「大丈夫?」とか、どうせアリスが僕に呼びかけてくれたのと大差ない事を言っているに違いないのだ。
そして揺すっても起きない子供には、更に強く揺すぶってみたりもしていた。どうやら最初に起こされたのは僕らしく、その時もこんな風にメチャクチャに揺すっていたのだろうな。そう思うとまた腹が立ってきた。ちなみにその子は今、最後の6人目の男の子を強く揺さぶっている。
そうして起された子供は、皆が皆して、僕と同じ様に苛立ちを込めた表情を見せ、それから白髪の少女の言葉を聞いて、急に焦りだしたり、涙を流し始めるのだった。
そんな子らに、彼女は決って例の饅頭に似た魚の燻製の様なものを手渡すのだった。
子供らはそれを受け取ると、決まって嬉しそうな表情を見せて齧り付いた。僕からしたら臭みの強いビーフジャーキーと鰹節を混ぜてザラメを加えたような変わった味で、若干首を捻るが、それでも子供たちにとってはかなりの贅沢品らしく、空腹も相まってかなかなかに良い反応であった。
また、その食べ物は同じく荷台に詰め込まれた木製の箱から勝手に取り出していることにも僕は気がついた。そして、荷台がガタンと揺れる度に、詰め込まれた少年少女が慌てて燻製を隠すことから、勝手に盗んで食べているんだろうことも想像ができた。
しかし、僕もそうだがここに乗せられている子供らは皆腹が減っているらしく、盗んだからと言って敬遠する様子もなく、必死になってそいつに食らいついていた。
パサパサとした魚に近い肉が、かなり香りの強い煙で燻されたのか、魚と煙の匂いで包まれており、それを誤魔化すためなのかジャリジャリとした食感の黒くて甘いものがかかっている。
僕個人の感想としては、美味しくはないが嫌いではなかった。結局のところ、僕は必死にその肉を口に入れ、何度も噛んでは口の中で柔らかくなるまで解し、飲み干していた。そして顎が痛くなる頃にはそれを全て食べ終わってしまった。
その肉をすべて食べ終わってから、僕は喉の乾きが頂点へ達しているのに気がついて、飲み物を探して周囲を見渡した。
そんな僕と目が合った白髪の少女は、眉を潜めて首を横に振る。それを見て、飲み水が無いことを悟ると、僕はただ肩を落とすことしか出来なかった。
ガタガタと揺れる荷台に座って、一体どれだけ時間が経ったのだろう。どこへ向かっているのだろう。起きてから感覚では30分が経過しているが、僕が寝ていた時間を含めると一体どれだけの時が過ぎたのか、想像すらできなかった。
ただ、蝋燭の短さと喉の乾きから相当寝ていたのだろうなということだけは断言できた。なにせ僕が眠りにつく前は、溺れるほどの水を飲んだのだから。
そんなことを考えると、スタート地点からかなり離れてしまったことを察して、僕は深くため息をついた。
ファンタジー小説なんかで異世界に飛ばされるだ何だという話を目にしたことはあるが、実際それを読んだことがないのでハッキリと断言はできないが、こういう異世界に飛ばされる話というのは、きっと元の世界に戻る方法は最初に目が覚めた場所にあるものだと思っていたために、そのスタート地点から離れてしまうというのは僕個人としていただけなかった。
さてとどうしたものか、荷台の壁に穴でも開けて無理にでも脱走するか、それとも大人しく運ばれるべきかと頭を抱える。
見たところ子供たちの反応から、彼らも望んでここに詰め込まれたわけじゃないことはすぐに分かった。要するに誘拐だろう。アリスが言っていた「リブレス村は危ないから行くな〜」的な発言には恐らくそういう意味が込められていたに違いない。
そういえば彼女は水が腐っているから炭で浄化した〜みたいな事も言っていた気がする。井戸の水を飲んだ後に眠気が僕を襲ったことや、今のこの状況はなにか関係があるのだろうか。
よく考えればこんなに揺れる荷台に居るのに、子供たち皆が爆睡していたという事もおかしい。村に人気が無かったことや、昼間からグッスリと眠ってしまったことにも何か関連がある気がする。
そんなことを考えていると、僕の隣に白髪の少女が腰掛けた。彼女は顔一面に心配そうな表情を浮かべて、僕の顔を見つめてくる。
恐らく最初に起こされた時に、なんの返事もせずにそっぽを向かれて、今は眉間にシワを寄せてあれやこれやと考えを巡らせてる5~6歳の幼少年が心配になったのだろう。
僕の変わった身なりが気になったからかもしれない。もしかすると、この荷台に乗せられた子供らが全身白い髪を持っているのに対し、僕だけが黒い髪を生やしているから不思議に思ったのかもしれない。
どちらにせよ、少女は何かしらの事を思って僕の傍に座り、僕の顔を覗き込んでから声をかけた。
もちろん、日本語ではない言語で。
彼女の透き通った唇が微かに動き、そこから人の言葉とは思えない音が発せられる。発音できる気がしない異様な言葉に、僕は顔を歪ませて少女を見た。
「日本語でオケだよ」
そのまま通じるはずもない母国語を少女に浴びせかけ、プイっとそっぽを向く。いくら異世界に飛ばされた理由がわからないとか、何を言われてるのか理解出来ないからとはいえ、我ながらこの八つ当たりは大人気ないなと思った。
少なくとも記憶の中で僕は25歳だった気がするのに、これじゃ見も心も本当にガキじゃないか。
もちろん反省などはしない。一番理不尽の被害を受けているのは僕で間違いないのだから、悪い事をしたとは思わなかった。それでも少女の反応が気になって、横目でチラリと顔色を伺うと、彼女は目を白黒とさせて僕を見ていた。
どうやら自分の知らない言語を聞くのが始めてらしかった。僕としてはこれをきっかけに話しかけないで欲しかったのだが、むしろ逆の結果を招いたらしいことを、この後すぐに知ることとなる。
彼女は僕の肩をトントンと二度叩くと、「もう一回喋って!」と言わんばかりの笑顔で何事かを話しかけてくる。その興奮した声に、周りの子供らも反応を示し、目線がいっせいにこちらに向くのを感じた。
思わぬ形で注目を浴びてしまった僕は、言いしれぬ恥ずかしさと、この6人の中で唯一Tシャツを身につけ靴を履き、1人だけ違う言語を扱う人間だという場違い感に駆られ、少女を跳ね除けた。もちろん、この場にいる子供たちには、どうせへんなやつとして覚えられる事となったに違いなかった。
しかし白い髪の少女は、尻餅をついた態勢から起き上がると、僕を向いてニッコリと笑い、また何事か話しかけてくる。
「頼むからほっといてくれよ!なんなんだよ!」
僕はこれ以上注目を浴びたくないという一心から、必死に少女を払い除けようとするが、幼少期の僕の力は第二次成長期を迎えた少女の腕力に勝つことは出来なかった。僕は僕で、勝てないと分かっていながらも半ばヒステリー気味に少女を押し退け一人にしてくれと泣き叫んだ。だがそうすればそうするほど、むしろ少女は僕の方を押さえつけ、何か同じ事を囁いては目の前で深呼吸してみせる。
「何言ってるのか分かんねぇよ!離せよ!離せってば!」
僕が必死に足をばたつかせ抵抗する度に、彼女は僕を押さえつけてわざとらしく深呼吸をして聞き取れない言語を囁く。そしてたまに唇を人差し指と中指で摘むジェスチャーを見せた。
それが「落ち着いて、静かにして」を意味しているのに気がついたのは、僕がジタバタしたり声を荒らげたりするのを辞めて、わざとらしく深呼吸の真似をしてみせた時だった。
最初は深呼吸をしてから馬鹿にしてやろうと思ったのだが、僕が空気を胸いっぱいに吸い込むと嬉しそうに頷いたので、そこで初めて意思疎通が叶ったのだ。
僕はそれから彼女のジェスチャーに合わせて何度か深呼吸を行い、ゆっくりと彼女を見つめた。
確かにもうヒステリーは止まっていた。味方が居ないという思い込みから、この場にいる子供ら全員を敵と認識していたが、どうやらそれは僕の勝手な思い込みだったということに気付き、少女に向けて謝罪した。
言葉は通じないはずだが、彼女は僕が何を言ったのか理解出来たようで、笑顔で頷いてから頭を撫でてくれた。
それから少女は僕の方を向き、少女自身の発育し始めた胸に手を当てて、また聞き取れない言語を話し始めた。
「何言ってるのか分からないよ……」
僕が顔を暗くして俯くと、少女は僕の方を優しく叩いてまた同じ動作を繰り返す。何度も、何度でも。
そうしているうちに、彼女が僕に何を伝えようとしているのか理解できた。
どうやら彼女は自己紹介をしているらしかった。
周囲とのやり取りや身につけている服装から、少女はほかの子供らと顔見知りなのだろうと想像出来ていた。そして恐らくそれは正解なのだろう。だから少女は一番孤立しそうな僕を真っ先に起こしてくれたのだ。そして言葉が通じないと分かった今でも、一人にさせまいと自己紹介をしてくれているのだ。
彼女のその優しさに、僕は内心深く感銘を受けた。理不尽に、なんの原因も理由も知らされないまま異世界に飛ばされた僕だったが、こんなに優しい人が居るなんて思いもしなかった。
だから僕は真剣に彼女の言葉に耳を傾けた。
彼女は僕が声を聞き取れるまで、何度も自己紹介をしてくれた。
「ロ……キリ……ア?……………………ロキリア!」
最終的に、一文字ずつクセの強い発音を聞き取った末に、僕は彼女の名前を聞き取ることが出来た。長い白髪を頭の上で団子にした15歳くらいの女の子の名はロキリア、身なりも言葉も違う僕のためにしっかりと向き合ってくれた優しい少女だ。
彼女は僕が名前を呼んでくれた事が嬉しかったらしく、笑顔で何度も首を振ってくれた。
それを見て、次は僕の番だねと口を開いた。
「僕の名前はメロスって言うんだ!メ・ロ・ス!」
今度は彼女が聞き取れるまで僕が繰り返す番だ。僕は何故だか高ぶる幸福を、抑えようともせずに名前を繰り返した。
「メロス!」
それに応える様に、ロキリアやその周りの子供たちが僕の名前を覚えてくれた。
優しい少女の名前はロキリア、記憶を失った僕の名前はメロス。これが、初めて言葉の壁を乗り越えた瞬間であった。