第七話 錆びた町並み
「――なるほど。転移魔法の暴発……魔導事故ですか。それはまた、災難でしたね」
言葉を交わすこと、十数分。
事の経緯をほんの少し改変して話し終えた僕は、二杯目の紅茶を啜る。
言葉を交わすうちにわかったことをまとめると、僕が今いるこの場所はグレル山脈の麓に位置するクレウルの町の近くだそうだ。
主要街道からは外れており、それほど大きな街でもないため、知名度もない。
首都などの主要都市から排斥された荒くれ者や戦士職の者たちが流れ着く場所でもあり、治安もあまり良くないと聞く。気が荒い戦士職には居心地がいいらしいが、実際に悪い噂も耳にしたことがある。そんな町の路地裏に僕は飛ばされてしまったらしく、偶然通りかかったエヴァ様が助けてくれたらしい。
「しかしまぁ、どうしたものか……。今現在、この町からヴェントに向かう馬車は一台もありません。かといって、徒歩では二日ほど掛かる距離。入れ違いになるやも知れませぬ。お連れ様との合流の目処が立つまでは、この屋敷の一部屋をどこでもご自由にお使いください。お嬢様の許可も出ていますので」
「許可した覚えは無いのだけれど」
「お嬢様の私室以外であれば、どこでも構わないとのことです」
「い、いえ。そんな。貴族様にご迷惑は掛けられません。僕は適当な宿でも探しますので」
「左様でございますか。しかしこうして出会えたのも何かの縁。如何でしょう、これからお嬢様の散歩にお付き合いして頂くというのは」
「散歩、ですか」
「えぇ。この町は通路が非常に入り組んでおりまして、道を知らぬ旅人を誘い込もうとする輩も多いのです。宿を探すにも、まずはこの町の構造を大まかにでも理解しておいた方が良いかと」
その言葉に、ごくりと生唾を飲む。
考えてみれば、首都ベルガで生まれ育った僕は、治安の悪い町というものをほとんど知らない。戦士職の人間とまともに会話したこともなく、そんな戦士職が住民の大半を占める町で、僕に何が出来るだろう。そんな脳裏をよぎる不安を見透かしたかのように、エヴァ様がふんとため息をつく。僕はハッと顔を上げた。
「一緒にお散歩なんてごめんだわ」
冷たく言葉を吐き捨てたエヴァ様は椅子から立ち上がり、くるりと身を翻して風と共に姿を消す。舞い上がった黒い薔薇の花びらが紅茶に浮いた。
「おやおや。待ちきれないといったご様子ですね」
「待ちきれな……えっ!? いや、どう見ても嫌がって……」
「嫌がってなどいませんよ。むしろ、いえ、なんでもありませぬ」
スペクターさんは手袋を嵌めた指を絡ませ、クッと笑い声を零す。机に舞い散った花びらは音もなく崩れて消えた。
「さてさて、それではソウジロウ様。私が三つ数える間、目を閉じて頂けますかな」
「えっ」
「町までお連れ致します。心配せずとも、この状況では危害を加えることなど出来ませぬ」
確かにそうだ。従魔は主の命令なくして他者を傷つけることは出来ない。
若干の不安を胸に抱えながらも目を閉じると、ふわりと肌に何かが触れる。僕を包み込むそれは恐らく高濃度の魔力であろう。眠り姫のものとは違う、しっかりと安定しているように思える。
「三」
耳元で囁かれるその声にむず痒さを感じながらも、僕はじっと目を伏せ続ける。
「二」
ゆっくりと、それでいて確かに、空気が変わってゆく。厳密に何がどう変わったと表現するのは難しいが、確かに僕の周りの何かが書き換えられてゆくような気がした。何が起こっているのか、薄目を開けたい気分に駆られるも、ぐっと堪えて僕は奥歯を噛む。
「一」
パチン、と指を鳴らす音にハッと目を開ける。
そこに立っていたのは、クレウルの文字が刻まれたゲート。
木と鉄を素材に増築を重ねた特徴的な家々と、歪な小屋を積み重ねた塔のような建築物が静かに僕を出迎える。クレウルの町だ。無鉄砲な住民たちによる無計画な増築によって生み出された歪な建物が並ぶ外観は、この町の風物詩として一部では有名らしい。
背後に目を向けると、小高い丘の上に立派な古城が佇んでいた。なるほど、惚れ惚れするほど完璧な転移魔法だ。
「……」
ゲートをくぐると、通路脇の街灯に背を預けて腕を組んでいたエヴァ様がちらりと僕を一瞥して歩き出す。そういえば一緒にお散歩を、という話だったな。僕は軽く頬を掻いてその後を追う。
(……それにしても)
見事な義体だ。僕の目が正しければエヴァ様の脚は陶器製だったが、人のそれと何ら変わりのない滑らかな動きをしている。美しい装飾に彩られたドレスの下がどうなっているのか、想像しないほうが僕は幸せかも知れない。
「……」
特に会話もなく、鉄板を貼り合わせたような細い道を歩いてゆく。
予想はしていたが気まずい。
会話そのものを拒絶されているような気がする。話しかけるなという雰囲気がぴりぴりと伝わって来るのだ。きっとエヴァ様は静かな散歩が好きなのだろう。僕自身もそれほど話題を振るのが得意ではないし、ここは大人しくしていたほうがいいか。
僕はそんな沈黙を誤魔化すように周囲を見渡し、見慣れない景色にため息をつく。
この町はベスティアの中でも比較的リーズベルクに近いということもあって交流が多いため、山を越えて持ち込まれた機械技術もあちこちに用いられているようだ。
鋼鉄を加工するための設備があったり、無数に立っている煙突が絶えず煙を吹いていたりと、町の雰囲気もリーズベルクに近いのかもしれない。リーズベルクの街を直接見たことはないが、こうも鉄臭い所なのだろうか。
所々にある露店ではポーションの代わりに錠剤が、ローブや杖の代わりに小型の銃や刃を仕込んだ義手などが並べられている。
ここだけ見るとまるで別の国のようだ。住民の層の違いがよくわかる。ベスティアで暮らす数少ない戦士職の者たちが集まり、リーズベルクの文化に色濃く影響を受けた結果がこれなのだろう。他所からやってきた魔術師は首都ベルガやヴェントを始めとした魔法都市に行くだろうし、これでは戦士ばかりが集まるのも無理はない。
首都ベルガには魔法具店ばかりで武器屋などもほとんど無いため、目に映る全てが新鮮だ。少し覗いてみたい気持ちもあるが、それよりもまずは情報収集だ。ヴェントの状況について、何か情報を掴めればいいのだが。
「おい、見ろよ」
「今日もお散歩かい。お人形ちゃん」
「よせよ。呪われるぞ」
「俺たちの声なんて聞こえねーさ」
路肩で屯していた数人の男が下卑た笑い声を上げる。感じ悪いなと目を向けると、男たちの手には酒瓶が握られており、つまみが乗っていたと思わしき皿も落ちている。あぁ、酔っ払いか。やっぱり治安が悪いとああいう輩も増えるようだ。
僕は軽く一瞥してすぐに目をそらす。
口ぶりからして、いつもああしてエヴァ様をからかっているのだろう。
「……」
エヴァ様は慣れているのか、目もくれずに歩いてゆく。
どうやらこの町の住民はエヴァ様が生身の人間ではないということを知っているようだが、それほど仲がいいというわけではなさそうだ。
しかしエヴァ様はきっと無視するばかりで、手を下すこともないのだろう。住民たちも、声を掛けるだけでそれ以上の絡みをしてこない。微妙な距離を保っているのだ。生身の人間が嫌いだというのは、この町の住民たちが関係しているのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、僕はただ小さな背を追う。
男たちが笑いながら何やら野次を飛ばす声が聞こえたが、もはや聞き取ることすら出来なかった。
「号外~。号外だよ~……っと」
道端で三角座りをした少女が新聞の束を抱えて気だるげな声を上げている。
継ぎ接ぎだらけのボロ布を纏い、フードを目深に被った怪しげな少女だ。傍らには背負い紐をつけた大きな宝箱が置いてある。あの子は、新聞売りか。ああいう類の人間も、ベルガにはあまり居ない。無視したほうが良さそうな気がするな。
「へいへい、そこのお坊ちゃん。いい情報あるよ。銀貨一枚でどうだい」
……どうやら見逃してはくれないらしい。少女は僕の顔を見るや否や、待ってましたと言わんばかりに詰め寄って来た。僕はそんなに物欲しげな顔をしていただろうか。
「いえ、結構です」
「まぁまぁまぁそう言わずに聞いてってよ。とびっきりのがあるんだ」
軽く断って立ち去ろうとするも、少女は僕の行く手を塞ぐように回り込んでくる。
まずいな。完全に目をつけられてしまった。少し先を行くエヴァ様はどんどん先へと歩いて行ってしまう。まずい。このままじゃ置いていかれてしまう。
「いや、本当に結構なんで」
「いやいやいや。待って待って、ちょっと待って。これは聞いておかなきゃ損するって。ね? 後悔するよ? あ、分かった。じゃあ銅貨十枚! 十枚でいいから聞いてってよ」
右に避けようとすると少女も右に。左に避ければ左に身を傾けてくる。よほど金に困っているのか、獲物を逃がすまいと必死だ。しかも値引きしたようで値引きしてない。銅貨十枚は銀貨一枚と同価値だ。僕は言葉を詰まらせ、思わず一歩後ずさる。こうもグイグイ来られると扱いに困ってしまう。僕はこういう輩の上手なあしらい方を知らないのだ。
「ちょっと、いい加減にしてください」
「あぅ」
行く手を塞ぐ少女の肩を掴み、ぐいと脇に押しのける。
この子にも都合というものがあるのだろうが、構っている暇はない。
「――ヴェントの状況、知りたいんじゃないの?」
「!」
呟かれたその声に、ハッと目を見開く。
立ち去ろうとしたその足を止めて振り向くと、少女が緩んだ口元をさらに歪めた。
「食いついたね。浮遊要塞ヴェントが今どうなってるのか、知りたいんでしょ?なんか大変なコトになってるみたいだね?ね?ね?銀貨二枚でいいよ」
しわくちゃになった新聞を手に、少女が喜々として詰め寄ってくる。しまった。つい反応してしまった。こういう輩は少しでも反応を見せるとここぞとばかりに詰め寄ってくるのだ。これでは相手の思うツボである。しかもちゃっかり値上げしてやがる。何てやつだ。
「情報がいらないって言うならそれはそれで構わないよ?でも君は困るんじゃないかなぁ?ねぇ、ねぇってば」
「く……」
少女は甘えるような声を出しながらするりと腕を絡めて小さな体を密着させてくる。
右手に布越しの柔らかな感触が触れるが、喜ぶ気持ちにはならない。
どうする。突っぱねて立ち去るべきか。しかしヴェントの状況が気になるのは事実である。どうやってそれを突き止めたのかは知らないが、この少女は確かな情報を握っているのだろう。幸いにもペトラさんから貰った二つの財布は上着のポケットの中に入っており、ズボンのポケットには僕が元々持っていた小銭も入っている。
これが初めての出費と考えると少し心苦しいが、ここは買っておくべきだろうか。しかし新聞一枚に銀貨一枚は釣り合わない。かといって、一刻も早く情報が欲しいのは事実。他の新聞売りがいればもっと安く買えるかもしれないが、探すのも手間だ。えぇい、どうとでもなれ。
「分かった。銀貨一枚で買うよ。だから、ちょっと、離れてくれ」
「んん、ちょ~っと足りないんじゃないかなぁ?」
「初めに銀貨一枚って言ったじゃないか」
「じゃあ、あと銅貨ニ枚。嫌なら別にいいよ。ボクは他所に行くから」
こいつ、僕の懐具合を探ってやがるな。嫌らしい笑みに思わず拳を握り締める。銅貨二枚程度なら僕の小遣いから払えるが……。
「……分かったよ。銀貨一枚と銅貨二枚、ほら。これでいいだろ」
僕はズボンのポケットに入れておいた自分の小遣いから銀貨と銅貨を支払う。いくら多めに用意してもらったとはいえ、ぺトラさんから預かったお金をこんなものに使うわけにはいかない。
「へへ、ありがとっ。はいどーぞ、じゃあまたね」
少女は僕に新聞を押し付けるように手渡すと、置いてあった箱に紙束とお金を放り込み、それを背負って足早に駆けてゆく。
いかにも重そうな鉄製の箱だが、その足取りは舞うように軽い。歪な街にその姿が消えるまで、ものの数秒も掛からなかった。何だったのかとため息をつきながらも、押し付けられたそれを広げて目を落とす。ベスティアで広く普及している魔法新聞である。記者が記したものを魔法で複製したものだ。
「……」
文章に視線を注いだ僕は、言葉を失った。
『浮遊要塞ヴェント陥落! 伝説の魔将軍復活か』
――――日。ベスティアの東部に位置する浮遊要塞都市ヴェントが魔族の大群による大規模な襲撃を受け、交戦の末に陥落。防護結界及び第一から第三浮遊結界装置が破壊され、マガの森周辺に墜落したものとみられている。現地では、かの魔将軍アスカトレスの目撃情報が多数寄せられているとのこと。これに対し、首都ベルガでは警戒体制のもと国家魔術師による大規模討伐隊を組織。残存する魔族の撃退および現地の被害状況を――――
書かれている日付は三日ほど前。つまり僕は丸二日ほど眠りこけていたわけだ。
僕が転移魔法でヴェントから弾き出されたあと、あの街は戦場になってしまったというのか。
何があったのかは考えるまでもない。
あの時、眠り姫が無理に魔法を使おうとした結果、眠り姫の魔導具が持続させていた魔法が乱れてしまったのだろう。結界が破れたことにより、アスカはあの部屋の中、たった一人で、母上とチャーリーさんを相手取ることになったのだ。
その結果がこれだ。
母上は言わずもがな、チャーリーさんも指折りの魔術師。さらにあの場所は強固な結界に覆われた街の中。住民たちも目を覚まし、そして眠り姫は魔力枯渇状態と、どうしようもない状況に追い込まれたというわけか。
そんな状況に追いやられたアスカ、いや、魔将軍アスカトレスは本気を出さざるを得なかったのだろう。
魔将軍アスカトレスといえば、歴史上最も多くの眷属を従えた蟲の王。
その眷属たる蟲は個々の力こそ弱いが、大群を成すことで街をも飲み込む脅威となる。三十年前の大戦では、圧倒的な数の力で魔族の前線を支え続けた怪物だ。その力を以て全てをひっくり返そうとしたのだろう。
文面の向こうに描かれた事実を読み解いてゆくと同時に、魔将軍という存在が如何に怪物であるかがよくわかる。頭の出来は悪くとも、かつて魔将軍と恐れられた実力は本物であったということか。
それと同時に、考えうる最悪の事態が脳裏をよぎる。
母上は、チャーリーさんは無事なのだろうか。いや、きっと大丈夫だ。チャーリーさんは優秀な防衛魔術師。防御魔法の専門家である。母上はあんな奴に負けたりしない。
きっといつものように優しい笑顔を浮かべながら、のんびり僕を探しているはずだ。すぐに合流できるさ。そう自分に言い聞かせてみるも、喉の奥に引っかかる気持ちが茨のように僕の胸を締め付ける。
「……ぁ」
思わずその場に立ち尽くしていた僕は、ハッと顔を上げる。
「……」
静かに僕を見つめる宝石のような瞳。さらりとした髪が風に揺れ、大きく広がって美しく光る。柱に背を預け、腕を組んで佇むエヴァ様が、はぁとため息をついた。
「す、すみませんエヴァ様……お散歩の途中、でしたね……」
「……あなた。確か、ソウジロウ。だったわね」
「あ、はい。ソウジロウです」
エヴァ様は静かに身を翻し、相も変わらず無機質な瞳で僕を見る。
「あなたが今銀貨と引き換えに手に入れたその紙、向こうの掲示板で同じものを見たわよ」
「……えっ」
その指が指し示す方向は、通路をまっすぐ行った先の広場。
耳に入ったその言葉の意味を完全に理解する前に、僕は思わず駆け出していた。
円形広場の中央。町並みの真ん中に当たるであろうその場所に佇む掲示板を見上げ、僕はその場に崩れ落ちそうになる。僕の手に握られたそれと同じものが、掲示板の最も目立つ場に大きく貼り出されていた。当然のことながら、掲示板の新聞を見るためにお金を払う必要はない。
「ぁ」
その瞬間、ふと、上着の重さに違和感を覚えた。
僕は慌てて上着のポケットに手を突っ込み、まさぐる。確かに入れておいたはずの革袋が、ぺトラさんが持たせてくれた財布がない。僕はさっと青ざめた。
「……やられた」
ヴェントの状況と母上の安否で正直いっぱいだった頭の中に、どうしようもない憤りと自責の念が割り込んでくる。ごちゃごちゃと渦巻く思考ごと頭を掻き毟り、僕は深くため息をつく。
少し冷静になろう。こんなときこそ、冷静に。これは完全に僕の失態だ。無駄遣いはするなとあれほど言われていたのに、早々にこのザマだ。帰ったらぺトラさんに謝らないと。怒られるだろうか。怒られるだろうな。二度目はない。絶対にだ。
「……ぁ、エヴァ様。待ってください」
そんな僕のことなどまるで気にもとめず、エヴァ様はスタスタと広場を横切ってゆく。返事もなければ、反応らしい反応もない。まるで僕の声など聞こえていないかのように。声など聞きたくもないとでもいうように。その理由はすぐに分かった。考える間もなく理解した。僕は一瞬立ち止まり、再び歩き出す。
『……』
井戸端会議をしていた女性たちが、眉をひそめて何かを囁く。
すれ違う男性は路傍に唾を吐き捨て、煙たそうな顔をしながら足早に歩いてゆく。
勢いよく窓や扉が閉められ、エヴァ様を目で追う子供の視線を母親が遮った。
「……」
そんな狭苦しい町の広場を、エヴァ様は堂々と歩いてゆく。
僕は突き刺さる視線に奥歯を噛みながら、遠ざかる小さな背を追った。