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第六話 偽りの黒薔薇

 

 そこは、真紅に染まりゆく地獄。


 視界を埋め尽くす紅い色。焼け焦げた大地には、無数の肉塊。

 吹き荒れる風には煙と血の香りが入り混じり、空すらも赤黒く染め上げる。


 そんな場所に、僕は立っていた。


「……え?」


 周囲を見渡すと同時に、むせ返るような焦げ臭い匂いに思わず咳き込む。

 黒い膜は跡形もなく消え、見渡す限りに広がる大地はどこまでも赤黒く焦げ付き、遥か彼方にまで濁った風が吹き続けている。まずいな。僕はどこか妙な場所に飛ばされてしまったらしい。


 ここは、どこだ?

 少なくともベスティアにはこんな広い平地は無かったはずだが。


 それ以前に、何なんだこの場所は。見渡す限りの大地にはただ肉塊が転がるばかりで草木の一本もなく、空はどこまでも紅い。ここは地獄か、はたまた魔界か。まさか、こんな悍ましい場所が人間界に存在するのか。


「……う」


 そこらじゅうに散らばる肉片に、僕は思わず顔をしかめる。

 原型など、とうに失われた肉の破片であったが、突き出した骨やかろうじて見て取れる鱗などを見る限り、明らかに人間のそれではない。焼け焦げた魔族の肉片だ。僕は胃の中身を吐き出しそうになるのをぐっと堪え、ひとまず胸を叩く。


 どうして魔族の肉片が、こんなところに、こんなに沢山。

 いや、人間の肉でないだけマシか。大きさや形は様々だが、どれも原型をとどめていないということだけは確かだ。


 一歩、二歩と足を動かしてみれば、武器の残骸と思わしきものもそこらじゅうに転がっている。どれもこれも、ただの鉄クズと化しており、その全てが真っ黒に焦げ付いている。何なんだこれは。一体、ここで何があったと言うんだ。


『おい、本当にやる気なのか』

『当たり前でしょう。何をしにここまで来たと思ってるの』


 肉塊の向こうから聞こえてきたその声に、僕はハッと息を呑んで無意識のうちに身を隠す。

 肉塊にはあまり近付きたくないのだが、この際仕方あるまい。なるべく臭いを嗅がぬよう意識しながらそっと向こう側を覗き込むと、傷と汚れに塗れた一組の男女が歩いてくるところであった。


 一人は青い布を首に巻いた軽装の戦士。

 身の丈ほどの細い剣を肩に担ぎ、筋肉質なその肉体に数多の傷を残す男だ。痛々しい生傷だらけの血塗れではあるが、その立ち姿は堂々としていて勇ましく、顔つきも中々に精悍である。あの巨大な刃は一体どれほどの敵を屠ってきたのだろうか。


 もう一人は金属質な鎧と銃火器で武装した女性。

 巨大な銃を両手に携え、血に汚れながらも煌々とした輝きを放つその姿は恐ろしくも美しい。風に流れる金の髪はさらりと長く、割れたヘルムから覗く瞳は鋭く輝いていた。こちらもまた、相当な美人であろう。


 あの二人は何者だろうか。見たところ激しい戦闘を終えた後のようだが、もしかしてこの真紅の地獄は戦場だったのか。それともここではない別のどこかで戦いを生き延びた勇猛な戦士か。どちらにせよ、只者じゃない雰囲気だ。


 しかしこの二人、どこかで見たような気が……。


『にしても、この辺りはひどい有様だな』


 戦士の男が忌々しげに吐き捨てる。巨大な剣の先で肉塊を転がすと、赤黒いそれは易々と崩れて黒い灰と消える。


『……なんにせよ好都合ね。雑魚の相手は骨が折れるもの』


 ノイズが混じったような声でそう言った女性は、手にした銃火器が白煙を吹き出す様を眺めながら口からも煙を吐く。あの銃も相当なダメージを負っているようだ。美しかったであろう装甲は剥がれ落ち、機構が剥き出しになってしまっている。


『ハ。お前の骨は鋼鉄製だろうがよ。錆びてやがんのか』

『鋼鉄が折れないとでも思っているの。これだから筋肉バカは嫌なのよ』


 言葉を交わしながら歩いてゆく二人。

 そんな彼らの後を追って、僕は肉塊の影から影へと移動しながら様子を伺う。


『……もう一度聞くが、本気でやるつもりなのか? ご自慢の脳みそイカれてねェか?』

『何度も言わせないで。私たちはもう、あの力に縋るしかないの』

『自分で何を言ってるか分かってるのかよ。あれは俺たちの守護神でも何でもねェ。ただのバケモノだぞ!?』

『バケモノでも何でもいいわ。私はこれ以上、兵を死なせるわけには行かないの』

『戦場で死ぬのが戦士の誉だ。お前にはプライドも何もねェのかよ』

『そんなにプライドが大事ならここで死ねばいいわ。それとも、手助けが必要かしら?』

『上等だ。二秒でスクラップにしてやる』


 雰囲気は一転、一触即発の空気に包まれる。巨大な刃と銃器が今にも火花を散らしそうなその様子に内心ハラハラしながら息を殺していると、やがて二人は何かを感じ取ったように顔を上げた。


『――おでましだ』


 同時に僕は、その言葉の意味を理解した。ビリビリと肌を焼くような威圧感に、僕は呼吸すら忘れてしまう。赤黒かった空に刻まれた紋様が怪しく光り輝き、迸る紫の焔が赤黒い大地を焦がす。大地を埋め尽くす肉塊が埃の如く吹き散らされてゆくその場所で、僕はただ呆然と立ち尽くすばかりであった。


「……っ」


 空間すら歪むほどの魔力が、轟々と音を立てて渦巻き、唸り、異形の姿を成してゆく。


 その圧倒的な気配に気圧されて尻餅をついた僕の視界が霞む同時に、巨大な竜脚が轟音と共に山を踏み潰し、その巨体が顕となる。震える大地からは溶岩と炎が火柱となって吹き出し、押し寄せる熱気に目を開けていられない。肌が、肺が、眼が焼けるような感覚を必死に堪え、僕はその姿を見た。


 竜だ。赤みを帯びた漆黒の鱗を纏う巨大な竜が、吹き上げる獄炎と共に吼える。

 緋色に燃え上がる前脚が大地を抉り、岩盤をも捲り上げた。


 唸る獄炎に大地が悲鳴を上げ、灼熱地獄が燃え盛る。僕はただ、身を焦がすような地獄に身を伏せることしか出来ない。渦巻く炎と熱気に意識を保つのが精一杯でその全身までは見えないが、冷え固まりつつある溶岩のような鱗は、その内側から絶えず炎を吹いていた。


 やがて『それ』は天を割くほどの翼を広げ、鋭い双眸を光らせる。


『フン。どうやら女王陛下はご立腹だぜ。どうするつもりだ?』

『どうもこうも無いわ。上手くいかなければ、ここで終わりよ。何もかも、ね』


 眼前の全てが炎に呑まれようというその場所に立つ鎧の女性は銃火器を下ろし、ヘルムを脱ぎ捨てて金の髪を流す。男性は呆れるように肩を落として巨大な刃を豪快に振り回し、地面に突き刺して頭を掻く。


 巨大な竜と向かい合い、その巨体を見上げる二人の姿。


 目に焼きつくようなその光景を最後に、僕の意識は途切れた。


 



◆◆◆




「……知らない天井だ」



 ぼんやりとした意識の中で、ぽつりと呟く。

 目を覚ました僕は、仕立ての良いベッドに横たわって見知らぬ天井を眺めていた。


 今のは、夢か。いや、夢にしては意識がはっきりしていたし、匂いや気配を確かに感じた。

 まるで僕自身が別の次元に迷い込んでしまったかのような。あれは何かの記憶か。予知夢か。それとも。僕は見知らぬ天井を眺めながらぐるぐると思考を巡らせるが、霧が掛かったように不鮮明な記憶から確かな答えを導き出せるはずもない。僕はやがて考えるのをやめた。


「それより、ここは……」


 僕は軽く身を起こし、気怠さを振り払うように首をひねりつつ周囲を見渡してみる。

 僕が十数年過ごしたフローレンベルク家の客室とよく似た部屋の作りだが、このベッド以外に家具らしいものは何もなく、代わりに数え切れぬ程の本で埋め尽くされていた。


 右を見ても左を見ても、本。本。本。物の見事に本しかない。

 何なんだこの部屋は。書庫か。にしては随分と散らかっているというか、大雑把というか、部屋主の性根が伺える部屋だ。よく目を凝らせば本棚らしきものもあるが、本が溢れて埋もれてしまっている。というより壊れてただの木枠と化している。


「お目覚めになられましたか」


 耳元で囁かれたその声に、思わず腰を浮かして周囲を見渡すが、しかし誰もいない。

 いや、違う。僕の目には映らないが、確かに『何か』が傍に居る。完全に姿を消した上で、わざと気配だけを漏らしているのだ。この術者、相当なやり手とみて間違いない。が、敵意は感じない。


 状況から考えるに、この屋敷で生活している者。いや、仕えている者か。

 転移に失敗してそこらに倒れていたであろう僕を助けてくれた人かも知れない。


「あ、あの。初めまして。僕は――」

「ベスティア共和国の首都ベルガに居を構える魔法貴族、フローレンベルク家のソウジロウ様、ですね。失礼ながら、懐の手帳と紋章を拝見させていただきました。詳しい話は後ほど……それはそうと、お体の調子は……ふむ、問題なさそうですね」


 僕の肩に触れる滑らかな感触。ひやりと冷たい何かが、僕の肩から頬に掛けてそっと撫でるように動く。


 思わず小さな声を上げそうになったが、ぐっと堪えて目を泳がせる。何せ見えない。どの辺りにいるのかすら掴めないのだ。前か、背後か、あるいは左右か、ただ気配だけがすぐ傍にある。


 声の調子からして男性のようだが、彼はどうして姿を隠しているのか。これは、聞かない方が良いのだろうか。


「主がお待ちです。こちらへどうぞ」


 その声と同時に、部屋の扉がギィと音を立てて開く。色々と気になることはあるが、話は後だ。どうやらこの人はこの屋敷の主ではなさそうだし、まずは屋敷の主に挨拶をせねば。質問はそれからでも遅くはないだろう。


「少々散らかっておりますので、足元にお気をつけください」


 廊下に出ると、再び大量の本が僕を出迎える。

 壁際に立ち並ぶ本棚にびっしりと本が詰め込まれ、収まりきらなかった無数の本が無造作に積み上げられている。広々としていたであろう廊下も、これでは人がすれ違うことも出来まい。本の上に置かれたロウソクにポゥと火が灯り、ふわりと浮いて廊下の先へと僕をいざなう。姿の見えない彼は、この屋敷に仕える執事だろうか。


 積まれた本を倒さぬよう、踏まぬように気をつけながら長い廊下を歩き、僕は悶々と思考を巡らせる。


 あれから、ヴェントはどうなったのだろう。

 母上は、チャーリーさんは、街の住民たちは無事なのだろうか。というより、あれからどれほどの時間が経ったのか。転移魔法に失敗して行方不明となった者は多く、意識を失ったまま数年間もの間寝たきりになったという話も聞いたことがある。まずは状況を確認しなければ。


「……ぁ」


 思わず、足が止まる。

 顔を上げたその場所には、壁に掛けられた大きな肖像画。


 肖像画自体はそう珍しいものでもないが、僕はその絵から目を離すことが出来なかった。


 立ち並ぶ本棚と同じくらい大きなそれは、当主とその家族を描いたものであろう。

 不敵に笑う男性を中心に、どこか陰鬱な表情を浮かべる黒いドレスの婦人と、その子供達と思わしき少年少女が六名。合計八名もの人物を描いた立派な肖像画だが、僕はその中に見覚えのある姿を捉えていた。


 婦人に手を引かれるようにして佇む少女。

 眠そうに目を擦りながら立つその少女は、紛れもなく眠り姫であった。間違いない。見間違えるはずもない。つい先ほど、この眼で見たばかりだ。どうしてこんな所に、眠り姫の姿が描かれているんだ。まさか、かつてこの屋敷で生活していたとでも言うのか。


「如何なさいましたか。ソウジロウ様」


 耳元で囁かれるその声に驚きつつも、僕は再び肖像画に目を向ける。


「いえ、ここまで立派な肖像画を見たのは、久しぶりで……」

「左様でございますか。これはかつての当主である大旦那様と奥様、そして当時この館に住んでいた子供たちを描いたものにございます」

「ご子息や、ご令嬢とは違うのですか」

「大旦那様は、少々変わった趣味をお持ちでして。才覚を秘めながらも、様々な事情により開花できずにいた孤児に手を差し伸べ、自分好みに育てることを至上の悦びとしておりました。ここに描かれている子供たちは、そんな大旦那様によってこの館に迎えられた者たちです」


 そんな彼の言葉を聞きながら、改めて肖像画を見上げる。

 男の横で腕を組み、顔を背ける赤髪の少女。この子は随分と気が強そうだ。その斜め後ろで俯く少女は前髪が長く、どこか気弱な印象を受ける。その隣に立つ唯一の男の子は、どこか耽美な美少年だ。最前列に座ったお澄まし顔の少女は胸に一輪の薔薇を刺しており、その隣で黒い球体を胸に抱く少女は楽しげに笑っている。

 

 男の隣に佇む婦人が陰鬱な表情を浮かべているのが気になるものの、こうして見ると中々に個性的な面子が揃っていたことがわかる。


 きっとこの館の当主だった男は、自分にとって都合のいい人材を育てようとしていたのだ。

 伝承にもあるように、やはり眠り姫は昔から人間と良く似た姿をしていたらしい。実際に間近で対峙しても、目の前のそれが魔族だとはとても信じられなかった。強い魔力を持った人間と勘違いするのも無理はない。


「お嬢様がお待ちです。こちらへ」

「は、はい」


 廊下の先へと僕を導くロウソクを追って、僕は再び歩き出した。



◆◆◆


 

 

「――お嬢様。彼をお連れ致しました」


 歩くこと数分。たどり着いた扉の前で、ノックの音と声だけがその場に響く。


「後にして。今とても忙しいの」


 部屋の中から聞こえてきたその声は冷たい。

 どこか乱暴に突き放すような、会話すら拒絶するような、そんな声であった。


「失礼します」


 閉じられていたドアが独りでに開き、浮遊するロウソクが中へと入ってゆく。入るのか。入っていいのか。ぴしゃりと払いのけるような声を浴びせられたような気がしたが、僕の気のせいだったのか。


「どうぞお入りください」

「えっ、あ、はい」


 入っていいものかと立ち尽くしていた僕は、部屋の中からの声にぴっと背筋を正す。服の乱れなどを直し、軽く息を整えて、いざご挨拶をと部屋へ入ろうとした僕を出迎えたのは、銀のフォーク。頬を掠めて壁に突き刺さるそれを尻目に、僕は呆然と立ち尽くす。


「……」


 書斎と思わしきその部屋の奥。

 天井に届くほど巨大な書架と溢れる本の山に囲まれた窓際に、部屋の主は居た。


 黒いソファに寝そべる少女が静かに身を起こし、静かに僕を睨みつける。さらりと長く艶やかな黒髪と、宝石のような紫の瞳。美しく整ったその姿はまるで、人形のような。僕は身を強ばらせながらも頭を下げた。


「は、はじめまして。その、助けて頂いてありが――」


 小さなその手から放たれたフォークが、僕の眼前でぴたりと止まる。きらりと光る銀の刃は、間違いなく僕の眼に向けられていた。


「……お嬢様。お行儀が悪うございますよ」


 その声と共に、鋭いフォークがぐにゃりと曲がって弾け飛ぶ。


「ふん」


 人形のような少女はしなやかな脚を組み、悪びれる様子もなく指を絡ませる。スカートの内側にちらりと見えた少女の脚は、人のそれとは似て非なるもの。滑らかな陶器製であった。


「わたし、生身の人間って嫌いなの。気安く話しかけないで頂戴」


 浴びせられる冷ややかな声に、謝罪の言葉を紡ぐことすら忘れてしまう。どうやら僕はあまり歓迎されていないようだ。いや、無理もないか。束縛術を掛けられた状態でそこらに放り出されていたのだ。罪人か何かだと勘違いされてもおかしくない。


 それにしても、彼女は義体の持ち主か。

 義体は繊細な技術の結晶である人工の手足だ。僕も存在は知っていたが、まさか実物を見ることが出来るとは。


 魔導国家ベスティアでは、わざわざ人口の手足を装着しようという発想がそもそもない。治癒魔法を習得した術師に頼めば、どんな怪我も治すことが出来る。高位の術師であれば、失った手足を蘇生させることも出来るからだ。


「申し訳ありませんソウジロウ様。お嬢様は少々人見知りが激しいものでして。とは言っても、噛み付いたりはしませんのでご安心を。さ、こちらへ。只今、お茶をご用意致します」


 部屋の中にあった丸い机の上に乗っていた本がひょいひょいと近くの棚に収められ、椅子が引かれる。導かれるままに椅子に座ると、すぐに部屋の奥から熱々の紅茶とケーキが運ばれてきた。


「どうぞ。お召し上がりください」

「あ、ありがとうございます。頂きます」


 机に置かれたそれは、少し焦げたカップケーキ。そういった種類のケーキというわけではなく、どうやら本当にただ焦げているだけだ。


 どうしてこんなものを、とぼんやり考えながらそれを口に含むと、ざらりとした歯触りと溢れる苦味が何とも言えぬ。歯ごたえも中々のものだが、それでも噛んでるうちに柔らかな甘味が染み出してくる。こういうものだと思えば、食べられないこともないな。


「お嬢様もご一緒に」

「嫌よ」


 ただ一言、拒絶の言葉を紡ぐ少女。

 すると、ふいと顔を逸らして再びソファに寝そべる小さな体が、まるで脇から抱き上げられたように浮き上がる。


 少女は不満げな表情を浮かべながらも抵抗せず、身を委ねている。嫌だって言ってるのに、普通に連れてくるのか。先程から少女の言い分を完全に無視してるが、大丈夫なのか。不思議な主従関係だが、僕は口を出さないほうが良さそうだ。従者と主の数だけ、主従関係は存在するのだ。


「……」


 むくれた表情のまま運ばれ、僕の対面に座らされた少女。

 輝く宝石をはめ込んだような瞳が、じっと僕を睨む。あぁ、綺麗な眼だ。キラキラと透き通るような、美しくも無機質なその眼は、感情の色を灯していない。少女はやがてふいと視線を逸らし、机に置かれたカップケーキを見つめた。色々と聞きたいことはあるのに、言葉が見つからない。僕は沈黙の気まずさに奥歯を噛みつつ、再びカップケーキを齧る。


「お味の方は、如何でしょう」


 どこからか聞こえる声、もとい不可視の執事がそっと尋ねてくる。


「美味しいですよ。甘さも控えめで」

「左様でございますか。そちらは、お嬢様が今朝焼いたものにございます」


 その声に少女の方を見るが、相も変わらず不満げに頬を膨らませている。


「別に、褒められても嬉しくないのだけれど」

「いやはや。私もお嬢様も、人間にとっての美味というものがよくわからないものでして。お口に合わないのではと心配していたのですが……」

「そう、ですか……でも、美味しいですよ」


 少し焦げてはいるが、これでも綺麗に焼けたものを出してくれたのだろうか。少女の方を見ると、ぷいと視線を逸らされてしまった。


「それで、あの……あなた方は、一体……」

「あぁ、申し遅れました。私、従魔のスペクターと申します。そちらに御座しますは我が主、エヴァ様にございます。以後、お見知りおきを」


 恐らく彼は、恭しく腰を折ったのだろう。

 ほんの一瞬ではあるが、佇む黒い人影が静かに頭を下げるのが見えた。従魔は他者との契約のもとに、その力と魂を捧げた魔族。要するに使い魔だ。人間ではないとすれば、何かと頷ける。そしてこれほどの術を操る彼を使役できる彼女もまた、相当な実力者であろう。


「それではソウジロウ様。お話を聞かせて頂いても?」

「は、はい。えっと、僕は――」


 それから僕は、母上の素性などを上手い具合にぼかしつつ、僕の身に起きたことを話した。



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