第三話 赤波
そうこうしているうちに東門の前までたどり着いた僕は足を止め、高い門を見上げる。
色付けされた石を積み上げて弧を描くように組み上げ、木の板を合わせて作られた大きな扉が付けられている。扉に描かれた模様は美しく、その佇まいは何度見ても立派なものだ。
「お勤めご苦労様です」
扉の内側に立っていた衛兵に会釈し、ギィと押し開けられた扉から広い山道に出ると、石造りの街から一変、人の手が付けられていない大自然が僕を出迎える。
この山道をずっと行った先に聳える灰色の山の向こうがリーズベルクだ。すっと全身を撫でる土と植物の香りに目を細めつつ周囲を見渡す。しかし、どこにも馬車の姿がない。東門の外に馬車を待たせていると、そう聞いたのだが。
「馬車、ありませんね。予定の時間は、もう過ぎてるはずですけど」
「ぺトラが手配し忘れちゃったのかしら」
「考えにくい、というよりまず有り得ません。ペトラさんが待たせていると言った以上、確かに馬車は時間通りここに来るはずなんですけど……もしかして、何かあったんでしょうか。野盗か何かに襲われて馬車ごと持って行かれたとか」
「ペトラが手配したってことは、御者はセバスチャンよねぇ。泥棒さんにやられるほどヤワな子じゃないはずだけど~……それにぃ、こんな門の近くでドタバタやってたらすぐに衛兵さんが出てくるはずよ」
「じゃあ、馬車はどこに……」
改めて周囲に目を凝らしても、やはり馬車は見当たらない。フローレンベルク家はベスティアの首都ベルガに本家を構える貴族だ。人手は足りているため使用人の数は多くないが、先々代の時代からこの家に仕えているセバスチャンという名の御者がいる。
外回りの仕事を任されている彼は老齢ながらも武術に長け、細身であるにも関わらず大男を素手で叩き伏せるほどの実力者である。
年齢を感じさせないそのしなやかな拳術は美しくも鋭く、それでいて毅然としたその佇まいはいつだって僕の憧れだった。あの人が野盗相手にそう易々と馬車を渡すとは思えない。数々の修羅場を潜ってきたあの人ならば、煙幕や奇襲にも動じずに対処出来たはずだ。
「……ぅ」
そんなことを考えながら何気なく一歩を踏み出すと、何かを踏み潰す感触があった。ぷちと音を立てて潰れたそれを覗き込んでみると同時に、僕は小さくうめき声を上げてしまう。
蟲だ。粘着質な緑色の液体が靴の裏に糸を引き、見るも無残な姿となった蟲の残骸がそこにはあった。六本の足と、赤い甲殻を持つその蟲の名前まではよくわからなかったが、手のひらほどの大きさをもつそれを踏み潰したという生理的嫌悪感がぞわりと背筋を伝う。
「母上。何となく、嫌な予感がします。一度屋敷に戻りま――」
振り返ろうとしたその瞬間、閉じられた扉がカチリと音を立てる。
「……えっ」
今の音は、何だ。いや、そんなまさかと僕は扉に手を掛けるが、動かない。さっと血の気が引き、状況も飲み込めないままに一度振り返る。母上はいつも通りの緩い顔のまま首をかしげる。僕はもう一度扉に手をかけるが、やはり開かない。押しても引いても、ガチャガチャと音を立てるばかりだ。
「は、母上。何か、その、扉……鍵掛けられたみたいなんですけど……」
「え~、どうして?」
「いや、どうしてって言われても……ていうか、どうしましょう。これじゃ街に戻れません。どうすれば」
「大丈夫よソウジロウ。慌てちゃダ~メ」
いつもと変わらない優しい声と共に、母上が僕を抱きしめた。母上は僕より背が高く、僕の顔はその柔らかな双丘にすっぽりと埋まる形となる。多少の息苦しさと共に優しい温もりが僕を包み込み、思わず全身の力を抜いて身を委ねてしまう。
「は、母上、苦しいです」
「あら、ごめんなさい。私ったらつい……でもほら、慌ててる暇は無さそうよ」
僕を軽く抱いたまま微笑む母上がそっと指差す先。グレル山脈へと続く山道の彼方。息を飲んで耳を澄ますと、木々の囁きに似た音が徐々に大きくなる。ガサガサ、ガサガサと、蠢くそれはやがて道の彼方から姿を現した。
押し寄せるは赤い波。
ガサガサと音を立てて迫り来るそれは、僕が踏み潰した赤い蟲。広い道を埋め尽くす赤い色に、僕の意識が凍りつく。吹き出した冷や汗が頬を伝い、気が付けば僕は叫んでいた。
「ぁ、ぁあ、ああああぁあああッ!!? 蟲! 蟲が!! 母上ッ!!」
「よしよし。大丈夫、大丈夫よ」
背後には閉ざされた扉。正面からは迫り来る赤い虫。そして左右は深い森。僕は無意識のうちに母上の服の掴んで歯を食いしばるが、ちらりと伺い見た母上の表情はいつもと変わらぬ優しい笑顔だ。この状況にまるで動じていない。それでどころか、いつもより落ち着いているようにすら見えた。
「悪い蟲さんはぁ、私がやっつけてあげる」
持っていた杖をぽいと手放した母上は静かに息を吐き、しなやかなその指を払う。
それは、一瞬。
音もなく放たれた何かが、虚空を裂いた。
その時何が起きたのか、僕には分からなかった。
押し寄せる蟲の大群が突然糸が切れたように地面に転がり、そのまま動かなくなったのだ。僕の目の前で唐突に命を奪われた巨大な蟲の頭部が、コロコロと転がって僕の足元までやってくる。どこか虚ろな眼に光を反射する蟲の頭部は、胴体との境目で焼き切られていた。
今、母上は魔法を使ったのか。
僕は今、英雄たる母上の魔法をこの目で見たのか。しかし何も感じなかった。何も見えなかった。ただ、指を払ったようにしか……。
「うふふ。ちゃんと切れたかしら」
母上は指で額を拭うと杖を拾い上げて身を翻す。
「母上、今のは……」
「少し喉が乾いたわ。ソウジロウ、何か飲めるものを頂戴」
「は、はい」
母上は道路脇の倒木に腰掛けて微笑む。僕は脳裏に渦巻く思いを振り払うように首を振って荷物を漁り、ぺトラさんが用意してくれていた飲料水の瓶を取り出して母上に渡す。母上は瓶に口を付け、周囲の様子を一瞥してから顎に指を添える。
「……ちょっと、怒らせちゃったかしら?」
その言葉に、ハッとする。
隠しきれぬ殺意が、人ならざる者の気配が、にじり寄って来ている。足元の土が割れ、雑草の茂みが揺れ、遠くの空に羽音が唸る。どうやら、僕らを見逃すつもりはないらしい。出発早々ツイてないなと、強く奥歯を噛み締める。何もできない自分が悔しかった。
「母上。ペトラさんを呼んだほうがいいんじゃ」
「ダメよぅ。こんなことでペトラを呼んだら、きっと呆れられちゃうわ」
確かに、と僕は言葉を詰まらせる。まだ家を出て一時間も経っていないこの状況で最終手段に頼るのは、流石に情けないか。
「なら、僕が戦います。蟲は苦手ですけど、父上の剣さえあれば――」
「それもダ~メ。大丈夫よ。私に任せて」
母上はそっと僕の頬を撫でて身を翻し、ふふんとたわわな胸を張る。まさか、また魔法を使って蹴散らそうというのか。体内の魔力を削って具現化する魔術はその性質ゆえに、体への負担が大きいと聞く。いくら母上といえど、限界を知らないわけではないだろう。もし魔法を使うつもりなら止めるべきか悶々と考える僕を横目に、母上は大きく息を吐く。
「じゃあ、降参しましょうか」
「え」
僕は思わずぎょっとしてしまう。
母上は持っていた杖を手放し、胸元から取り出した白い布をヒラヒラと振ってみせる。敵意がないことを示す降参の仕草だ。どういうつもりかと思わず声を上げそうになった僕は、ちらりと向けられた視線に口を閉ざす。
「どこの誰だか知らないけど、戦うつもりはないわ。お話しましょ~?」
母上は普段通りの柔和な顔のまま困ったように眉をひそめ、白い布をパタパタと振り回して声を上げる。周囲の茂みや木々の合間に蠢いていた蟲の気配が、ほんの少しだけ遠ざかる音が聞こえた。
「!」
ピリと肌が痺れ、背筋がざわつく。蟲の気配ではない。しかし明らかに人のそれとは違う。
異質な、どこか不気味な気配が、僕の首筋に手を這わせる。吐き気を催すような、音もなく這い寄る本能的な嫌悪感に僕は顔をしかめた。
「――まさか、この程度とはな」
吐き捨てるような、冷たい声。遥か頭上から、耳障りな羽音がゆっくりと降りてくる。
脳裏をかき乱すような羽音に顔を上げると、数百とも、数千とも知れぬ真っ赤な羽虫の群れが渦を巻くように虚空を舞う。やがて母上の眼前にまで降りてくると同時に、黒いモヤがその形を変えた。
「失望したぞ。英雄」
黒く禍々しいヒールが、土の地面に降り立つ。
濡れたように光る紅い髪が地面に流れ、頭部を覆う漆黒のヘルムが怪しく輝いた。
羽虫の群れが集まり形を成したそれは、軽装の鎧を身に纏う紅色の騎士。豊満ながらもしなやかな体を大胆に露出した、艶やかな色気を放つ女性である。美しくも恐ろしげな風貌を醸し出すそれは、しかし明らかに人間ではなかった。
「あなたが蟲使いさん?素敵な鎧ねぇ。うふふ」
「フン! あんな陳腐な召喚士もどきと一緒にするな。我が名は鮮血の魔将軍アスカ。深淵の絶対覇者たる魔王グランベルゼ様直属の配下。つまりは最上位の魔族サマだ!言葉を慎め下等種族め」
堂々と名乗りを上げた黒騎士アスカは舌打ちを零し、手にしたムチのような武器を振るう。弾けるような音と共にムチが地を叩き、両手を上げて佇んでいた母上の豊満な体を縛り上げた。ローブ越しにきゅっと締め付けられ、母上が声を上げる。
「あん、捕まっちゃったぁ」
「母上っ!!」
僕は思わず駆け寄ろうとするが、その刹那、赤黒い針が僕の頬を掠めて背後の巨木に突き刺さった。
「わめくな小僧。次は当てる」
黒いヘルムに浮き出た巨大な目玉がぐりんと回り、僕を睨みつける。その不気味な風貌に気圧された僕は、思わず尻餅をついてしまった。単なる脅しではない。次は間違いなく僕の顔を焼き潰すつもりだ。
「ちょっとぉ、私はいいけどソウジロウに怪我させちゃ――んんっ」
母上の体に絡みつくムチの先端が、その口をも塞ぐ。
地面に転がる杖を踏み砕き、アスカは笑う。ふと気が付けば、周囲の森や土の中から大小様々な蟲が湧き出して群がり始めていた。
蜘蛛のようなものや、百足と似たものなど、それぞれ形は違えど、総じて紅く鋭い甲殻に覆われている。大きさは手のひらに乗るほどのものから、人の背丈ほどもある巨大なものまで様々だ。
僕が先ほど踏み潰したあの蟲も、こいつの手下だったらしい。ギチギチと甲殻が擦れ合い、大顎を噛み合わせるその音に、僕はただ腰を抜かしたまま奥歯を噛むことしかできない。でかい。怖い。気持ち悪い。そんな感情ばかりが、脳裏に渦巻き絡み合う。しかし紅い蟲たちは周囲を取り囲むだけで襲いかかってくる気配はない。それだけが唯一の救いか。
「グランベルゼ様を倒した魔法使いってのァ、お前のことだよな?どんな化物かと思えば……ただの人間じゃないか。少しは楽しませてくれるかと期待したのに……なァ? 英雄さんよ。自慢の魔法をもう一回見せてみろよ」
縛られたことでより一層張り出す母上の胸に指を喰い込ませ、アスカはその口元に下卑た笑みを浮かべる。吐息を零しつつも抵抗できずにいる母上の様子を見て、高らかに笑うアスカの背後で僕がそっと父上の剣に手を伸ばすと、ヘルムに浮いた目玉がギョロリと背面に回り込んで僕を睨みつけてくる。同時に紅い蟲たちが一斉に僕の方を向いた。
「何をする気だ小僧。そう焦らずとも、すぐにお前とも遊んでやるさ」
「……ッ」
「それにしても、がっかりだ。楽しめるかと思ったのによぅ、何の抵抗もしねーの。馬車を停めていたジジイもすぐ逃げちまったし、揃いも揃って腰抜けとはな。相手にならんし話にもならん。英雄とかいう三人は見つけ次第殺せと言われてるが、そこの小僧は使えそうだな……」
長い触角を揺らしながらぶつぶつと呟くアスカは唾を吐き捨てて僕の方へ振り返り、巨大な一つ目をぐりんと回してからその口元を歪めた。
「よォし、お前だけは殺さないでおいてやる。お前の体は、役に立ちそうだ。どれ、ちょいと味見でも……」
紡がれたその一言に、僕の意識が凍りつく。
背後から巨大な蟲に押さえつけられ、伸ばされたその手から逃れられるはずもなく。
その刹那。
僕の胸ぐらをつかんだその手が、滑り落ちる。
「……あ?」
ズレた手首から黒い血が噴き出すと同時に、その肩が裂け、ヘルムに覆われたその頭が割れる。その首が、肩が、そしてその体の全てが内側から弾けると同時に、視界が真っ赤に染まった。
生ぬるい液体を全身に浴びた僕はそれを拭うことすら忘れ、ただ呆然としてしまう。切り裂かれた肉片と鎧の破片がばらばらと崩れ落ち、赤黒い炎に包まれる。残骸はやがて紅い羽虫の群れとなって飛び去り、撒き散らされた血の海だけがその場に残された。
「怪我はない?ソウジロウ」
ハッとして顔を上げると、母上がいつもと変わらぬ微笑みを浮かべて立っていた。
「あらあら、こんなに汚してくれちゃって……お洋服が台無しね」
僕の顔をそっと拭きながらため息をつく母上の優しい声。
返事をしようと口を動かすも、声が出ない。その時の僕はきっと、怯えた表情を浮かべていたのだろう。いつだって優しい笑みを絶やさない母上が、ほんの少しだけ悲しげに眉をひそめたその一瞬を、僕の目は見逃さなかった。
「――母上」
「ごめんねソウジロウ。怖かったわね。もう大丈夫よ」
何とか紡いだ僕の声ごと包み込むように、母上が僕を撫で回す。ふわりと漂う甘い香りと共に、沸騰しかけた僕の意識は少しづつ冷まされてゆく。ふと気が付くと、周囲に蠢いていた紅い蟲たちはもうそこにはいなかった。
母上の手を借りて立ち上がった僕は深呼吸し、服についた粘液を払う。結局、何も出来なかった。僕は母上の護衛として武器を預かった身だというのに、切りかかることすら出来なかった。
何だかんだと言いつつ、母上に助けられてばかりだ。情けない。こんなことじゃあ、今は亡き父上にも笑われてしまうな。母上は俯く僕の頭を何も言わずに撫でてくれるが、その優しさが僕の息を詰まらせる。
『――おい、門が閉まってるぞ。誰だ、こんな時間に錠を掛けた奴は』
『誰か鍵持って来い!』
未だ閉ざされたままの扉の向こうでは、街の住民たちがざわつき始めている。無理もない。外側から開かないのだから、内側から開くはずがない。
この門は東西南北の大門の一つ、街と街とを繋ぐ物流の命綱だ。
それが閉ざされているとなれば、街を行き来する行商人がすぐに気づくだろう。
「ここにいたら勘違いされちゃいそうねぇ。行くわよソウジロウ」
「は、はいっ」
ふんふんと鼻歌を歌いながら山道を歩いてゆく母上。僕は道の脇に置きっぱなしだった荷物を背負い、その後を追う。血を浴びてしまったせいで僕の服は色々とひどい有様になっているが、着替えは後だ。
「でも、これからどうするんですか?」
「そうねぇ。とりあえずまずは近くのヴェントまで歩いて、そこから転送陣に乗ってリーズベルクまで飛びましょう。転送陣が使えなければチャーリーに馬車を手配してもらえばいいわ」
「転送陣って、あれ一回動かすのにいくら掛かると思って……」
「うふふ、聞こえない聞こえな~い。さ、早く行きましょ」
首都ベルガの東に位置する要塞都市ヴェントは、多重結界と自立起動術式に守られた浮遊要塞だ。攻撃より防御に関する魔術に秀でた者が多く住んでおり、長い歴史の中でも幾度となく魔族の侵攻を防いできた由緒ある要塞である。
現在のヴェント領主チャーリー・ハドレットは歴代領主の中でも類を見ないほど優秀な防衛魔術の使い手だ。人当たりもよく誠実で、住民たちからの人望も厚いと聞く。母上はさらりと凄いことを言ったが、相手は仮にもヴェント領主だ。失礼の無いようにしないと……。
「……セバスチャンは、大丈夫でしょうか」
「大丈夫よぅ。あの子は昔からとっても逃げ足が早かったんだから」
アスカは逃げられてしまったと言っていたし、ひとまず無事ではあるようだが、だとすればセバスチャンは一体どこへ逃げたというのだろう。老いを感じさせない運動神経の良さを活かして左右の森へ逃げ込んだか、広くて平坦なこの山道を抜けて魔導要塞ヴェントへ向かったか、はたまた首都ベルガへと舞い戻ったか。
いずれにせよそのうち合流できるといいのだが。それにしてもセバスチャンは年齢で言えば七十をとうに超えているはずだが、それでもなお魔族を振り切れるほどの機敏性を持ち合わせているのか。一体若い頃はどれほどの男だったのだろう。
「それより、さっきの奴は一体……」
「あの子、アスカっていったかしら。あの子はまだ生きてるわ。ちょっぴり賢くなって、また襲って来るかも。気をつけたほうが良さそうねぇ」
いつもと変わらぬ笑顔ではあったが、その言葉は柔らかくも鋭い。僕はただ黙って頷くことしか出来なかった。
「そういえばあいつ、魔将軍とか何とか言ってたような」
「伝承なんかでも聞いたことはあるでしょう。魔王の側近、魔界の英傑たちよ。私も何匹か相手にしたことがあるんだけど、どの子もとっても強くて、一匹づつ封印するのがやっとだったんだから。でも確かに、あのとき封じ損ねて逃がしちゃったのがいたはずだけど……あんな子じゃなかった気がするのよねぇ」
そういえば、聞いたことがある。
大戦の中で、魔将軍と恐れられた怪物たちの存在を。
三十年前、それ以前に確認されていた魔族の力を大きく上回る力を持つ規格外の怪物が、魔族との戦いにおいて確認された。
各地の戦場で確認されたそれらの怪物は魔将軍と呼ばれ、恐れられていたという。
あいつはどこから母上の情報を掴んだのか。母上の身元についての情報は伏せられていたはずだし、義理とは言え息子である僕でさえ知らなかったというのに。どうしてあいつは今日この場所に母上が来ると知っていたのだろう。
「ふんふん、ふ~ん」
鼻歌を歌いながら山道を歩いてゆく母上の後ろ姿を見ていると、そんなこともどうでもよくなってしまう。きっと魔族には魔族の連絡網があるのだ。人間には計り知れぬ何かが、あるのだろう。きっとそうだ。そういうことにしておこう。そうして僕は無理やり納得することにした。
「ヴェントはねぇ、とっても美味しい葡萄酒が有名なのよ~」
「そ、そうですか」
「そうそう、麦酒も美味しくってねぇ」
相も変わらず緊張感の欠片もないな。この人は。ちなみにヴェントの特産は酒ではなく魚だったはずだ。僕はやれやれと肩を落とし、下り坂に差し掛かった山道を歩いてゆく。
柔らかな風が吹き抜ける道の先には、幾重にも重なり合う巨大な球状結界の輝きが見えていた。