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第十九話 手のひらの上の饗宴

 

 集まった魔物たちは歓声と共に立ち上がり、翼を広げ、咆哮を上げる。

 

 ルシウスが勢いよく指を鳴らすと、蜘蛛は黒い煙を吐いてドレスを着込んだ婦人に姿を変え、僕の眼前にずらりと並んだ魔将軍たちと共に跪く。


「魔軍七将第ニ席、グララ・ベララ。ここに」

「同じく第四席、エヴァローズ・グロリア・ローゼンブルク。ここに」

「第五席、ガーランド・バール。ここに!」

「……第六席、デューレス・ダラチュラス……ここに」

「第七席、アスカトレス。ここに」


 跪いた魔将軍たちが順番に名乗りを上げ、その列の一歩前にルシウスが跪いた。


「魔軍統括ルシウス・ヴィルヘルム・ローゼンブルク。我が名に於いて、これより、竜王再誕の儀を執り行う! さぁ、ベラよ。例の物を出せ」

「はぁい。こちらに」


 母上と同じ顔と姿。母上と同じ声と口調。しかし母上ではないそいつが、指先で描いた魔法陣から細身の剣を取り出して頭上に掲げる。鞘に微かな血の汚れが染み付いた剣。あれは、僕が屋敷を出るときに持たされた父上の剣だ。


 ルシウスは剣を手に取ると勢いよくその刃を抜いて鞘を捨て、うっすらと透き通る刀身を一振りして不敵に笑う。


「ほう。これが我が君の……『氷皇の牙』か。噂に違わぬ美しさだ」


 それほど明るくない室内で、きらりと光を放つ刃。

 輝くその刃はまるで、氷から直接削り出した芸術品の如く。父上の剣は、あんなにも美しい剣だったのか。屋敷を出てから一度も抜くことのなかったあの刃を、まさかこういう形で見ることになるとは。


「さて」


 刃を手にしたルシウスは僕に背を向け、跪く母上(グララ・ベララ)の首筋に刃を添える。白い肌がぷつりと裂け、透き通る刃の先端を微かに紅く染めた。この男、ルシウスは一体、何をしようというのだろう。


「何をするつもりかと言いたげな顔だな。少年。王の器よ。なぁに、すぐわかるさ」


 そういうと、ルシウスは手にした刃で僕を縛る縄のようなものを切り裂いた。同時に頬にピリっとした痛みが走る。顔を上げると、美しい刃の先端から少しづつ黒く濁り始めていた。


「痛……」

「おぉ、いい色だ。これならば問題ない。我が子らよ、魔力をここにッ!!」


 ルシウスが叫び、高く掲げたその刃。

 その切っ先に向かって、跪いた魔将軍たちが魔力を注ぎ込んでゆく。赤や黒、紫などの色を含んだ魔力が渦巻き、轟と唸りを上げて刃に吸い込まれる。周囲の魔物たちも興奮した様子で禍々しい魔力の渦巻く様を見ている。やがて美しかった刃は黒く染まり、ピシと音を立てて亀裂が走った。


「さぁ、仕上げだ」


 ルシウスは剣を右手に掲げたまま、左手の指に齧り付く。その指から血が溢れると同時に、端正な顔立ちが醜く凶悪な面構えへと変わった。何倍にも膨れ上がる肌は青白く、額には湾曲した一対の角。巨大な翼が大きく広がる。豹変したその姿はまさしく、悪魔であった。


「オオオオオオォォォォッッ!!」


 咆哮と共に、膨大な量の魔力が父上の剣に注がれてゆく。

 気を抜けば飲み込まれてしまいそうなほどに強く、混沌とした魔力の渦。轟々と唸りを上げるそれを前に、僕はただ椅子の背にしがみつくことしか出来ない。鋼鉄の床が音を立てて凹み、巻き込まれた小悪魔の断末魔が渦に消えた。

 

 やがて、白く美しい刃が先端から柄まで闇に染まり、そしてついに――



――砕け散った。



 霧散する混沌の魔力と、勢いよく凍りつく悪魔の手。

 凍てつく魔力が堰を切ったように溢れ出して床を凍らせ、周囲で歓声を上げていた魔物たちが逃げるように退がる。悪魔は凍りついてゆく右手を押さえながら膝をつき、額に脂汗を滲ませながらも笑みを浮かべた。


「よくやったぞお前らァ……ハァ、これが、氷皇の力か。我が君の、凍てつく魂の波動か……ク、クク……なるほど、これは素晴らしい……!」


 凍りつき、ひび割れる右手の先。

 冷たい魔力の中心には、透き通る宝玉のようなものが冷気を纏いながら浮いている。

 状況すら完全に把握できていない僕には、それが何なのかすらよく分からなかったが、とても強大な力を秘めた何かであることは分かった。


「さぁ、少年。新たなる王の器よ。口を開けろ」


 輝く水晶を軽く握り、悪魔が振り返る。拘束を解かれたはずの僕の体は、まるで縫い付けられたかのように動かない。口を開けろというその言葉だけが脳裏に焼き付き、気が付けば僕は口を開けてしまっていた。


「よし、いい子だ。これを飲み込め。この力を、この魂を、その身に染み込ませろ……!」


 冷たい宝玉が口の中に押し込まれる。悪魔の囁きに促されるままにそれを飲み込むと、喉まで凍りつくような魔力が溢れ出した。爽やかな清涼感とは明らかに違う、舌の感覚が失われるほどの冷気。堪えきれずに咳き込むと、悪魔の手が僕の顔を掴むようにして口や鼻を塞いだ。


「……ッ」

「吐き出すなッ! その体を委ねるのだ」


 僕は、その悪魔の言葉に逆らえない。無理矢理に吐き出そうとしても、体が言うことを聞かない。口と鼻を塞がれ、口内に溢れる冷気は喉の奥へと流れ込んでゆく。


「そうだ! それでいい! クク、ク、クハハハハハッ!!」

「(何だ? 僕は今何を飲まされた? 父上の剣は、今のは一体……)」


 体がみるみる冷えてゆく。

 体温が下がり、凍えそうになる。



 けれど、『それだけ』だ。



「……」


 数秒の静寂。僕と悪魔の間に張り詰めた空気が満ちる。

 冷えた体は震えを呼ぶのみで、数秒が経過しても特に何も起こらない。むしろ、少しづつ体温を取り戻してゆく。右手を凍らせながらも、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた悪魔は、秒を数える事にその表情を曇らせた。


「……ケホ」

「…………おい」


 醜悪な悪魔の顔が、怒りとも混乱とも言えぬ表情に歪む。


「おい、おいおいおいィッ!!どういうことだァッ!! あぁァッ!?」


 悪魔は僕を掴み上げ、叫ぶ。凍りついた右腕が肩から砕けて床に散らばった。


「……う」

「なァ、どういうことだ!何故だ、何故『何も起こらない』んだァッ!?」


 どうしようもない疑問が、ただ乱暴に叩きつけられる。

 片腕を失ったとは思えないほどの気迫に飲み込まれそうになるが、僕は負けじと睨み返す。そんなことを聞かれても、僕は何も分からない。何も答えられない。何も起こらない理由なんて、むしろ僕が聞きたいくらいだ。


「……っ」

「……ッ」


 僕は、悪魔と睨み合う。互いに同じ疑問を抱えたまま、吐き出す隙を伺い続ける。

 掴み上げられたことにより高くなった僕の視界。そこに写りこむ『それ』に気付いた僕は、思わず目を見開いた。


「くっ……ふふ、ふふふ……っ」


 くすくすと笑う声。その声に、空気が凍りつく。

 楽しげに口元を緩めながら、悪魔の背後に佇む人影。炎のような瞳が揺らめき、艶のある唇に舌が這う。僕を掴み、睨みつけたまま顔面を歪ませる悪魔が、ゆっくりと振り返った。


「…………あァ?」

「その汚い手を離しなさいな」


 音もなく、悪魔の腕が裂ける。手首と、肘と、肩。腕として形を保つために必要な三つの関節が同時に、的確に切り裂かれ、勢いよく吹き出す鮮血と共に手放された僕は尻餅をついた。


「うふふ」


 立ち尽くす悪魔の背後。

 そこに佇むその人が、何よりも見慣れたその顔が、優しくも歪な微笑みを浮かべる。


 ふわりと揺れる桃色の髪と、割れた顔に揺らめく炎眼。剣に魔力を吸い取られ、倒れ伏した魔将軍たちの中で、唯一平然とその場に立つそれに、僕は息を呑む。


 その指先で弄ばれる黒い球体。その体を冒す魔の根源が、握り潰されて砕け散る。



――――母上が、くすりと笑った。

 



「ッ……ガアアアアアアアアァァッッ!!?」


 両腕を失い、よろめいた悪魔が吠える。

 歪みきったその表情から溢れる感情は混乱と怒り。そして、ほんの僅かな恐怖。そこに追い打ちをかけるかのように、強靭な両足が音もなく切り落とされる。両手両足を失って地面に伏せる悪魔の巨体を、虚空から現れた巨大な刃が貫き縫い付けた。


「ッ……ゲホッ……あァ、クソが……やってくれるじゃあねェか……」

「そぉれ」


 母上は足元から黒く巨大なものを拾い上げ、叩きつけるように振り下ろす。肉を裂く音と共に、悪魔の首が床に転がった。勢いよく振り下ろされたそれは、死して尚も闇を纏う悪魔の指先。スペクターの爪であった。


「あぁ、ァアアアアアアッ!! クソ……ッ! クソ、クソクソァッ!!」


 首だけになりながらも、悪魔は吼える。

 鮮血を散らしながら転げた悪魔の顔が、鋭いその眼が、ギロリと母上を睨む。


「さっすが、しぶといわねぇ」

「どういうことだァッ!? 貴様、いつから――――!」

「『いつから』……? ふふ、面白いことを聞くのね」


 スペクターの爪をぽいと放り投げ、母上は巨剣に貫かれた悪魔の巨体に腰掛ける。


 僕が言葉にならない声を漏らしながらその足元に縋り付くと、母上は優しく頬を撫でてくれた。その時僕はきっと、涙やら何やらで酷い顔をしていただろう。自分でも、何が何やらよく分からなかった。


「強いて言うなら、そうねぇ……」


 母上がくすりと笑う。



「――――『はじめから』よ」



 さらりと出てきたその言葉に、僕は思わず目を見開いた。


 驚いたのは僕だけではない。

 首だけになった悪魔もまた、驚きと混乱に醜い顔を歪ませていた。


「んだとォ……ッ!? ふざけるなァッ!!」

「やーねぇ。ふざけてなんかないわよぅ」


 叫ぶ頭をぐりと踏みつけ、母上はころころと笑ってみせる。


「そうだ、あいつらは何をしているッ!? 我が子らよ、覇竜たちよ!こいつを殺せェッ!!」


 怒りと混乱と焦りの入り混じる叫びが部屋に響く。

 母上の脚に踏み付けられる悪魔の眼には、映っていない。その頭の裏に広がる光景は、我が子と呼ぶ魔物たちの姿は、悪魔の眼には映らない。返ってくるはずの返事も、返ってこない。返ってくるはずがない。

 

 不気味なほどに愛らしかった人形は引き裂かれ、

 喉を裂かれた屈強な肉体には焦げた風穴が空き、

 全ての脚を折られた蜘蛛が毒と体液の海に沈み、

 粉々に砕け散った紅色の殻は炎に包まれている。


 返事を返せる者など、ただの一人もいなかった。


「クスクス」

「クスクス」


 周囲にひしめいていた魔物たちは総じて口元を歪め、顔を見合わせて静かに笑っていた。


 目の前で起きた惨状の意味を理解していながらも、慌てる素振りもなく笑っている。逃げ出そうとする者もいなければ、武器を取り、牙を剥き、戦おうとする者もいない。不気味なその様はまるで、楽しい愉しい観劇を眺めているかのようであった。


「…………ッ」


 返ってこない返事が、母上の微笑みが全ての答え。悪魔は、その全てを察したのだろう。歯を噛み潰すほどに食いしばったかと思うと、ゆっくりと目を伏せて深く息を吐く。


「……そうか。あの剣は偽物……やりやがったな。貴様ァッ!!」

「やぁっと気付いたのね。あなたがソウジロウに食べさせたのは、ただの冷たい魔力の塊。何も起こるはずないのよ」


 悪魔は僕に何を食べさせようとしていたのか。父上の剣は、一体なんだったのか。氷皇の牙という名前はどこかで聞いた覚えがあるが、思い出せない。未だ落ち着きを取り戻さない僕の脳裏に渦巻く記憶は、何も答えてはくれない。


 そんな僕を横目に、二人の会話が繋がってゆく。


「なら本物はどこだ。氷皇の牙は、グランベルゼ様の魂を封じた刃は今どこにあるッ!?」

「もうないわよ」


 再び、空気が凍りつく。


「……ふざけるなよ。貴様」

「ふざけているように見えるかしら」

「……ッ」


 悪魔は「見える」と、そう叫ぼうとしたのだろう。飄々とした母上の物言いは冗談に聞こえないこともない。しかし、悪魔の頭を足蹴にする母上の顔にいつもの笑みはなく、脈打つ炎眼は氷のように冷ややかであった。


「そうねぇ……でも、この鞘は本物よ」


 静かに立ち上がった母上は、床に転がっていた鞘を拾い上げて微笑む。


「本物……だと?」

「そう。この鞘は紛れもなく、あなたが求める刃を納めていた物。『牙』の所有者は、十五年前に死んだフローレンベルク家当主リュウザ・フローレンベルク。またの名をリュウザキ・ソウイチロウ……あなたも、よく知っているはずよ」


「!」


 リュウザ・フローレンベルク。

 僕は、その名を知っている。今は亡き、父上の名だ。

 

「ソウイチロウ……その名、覚えているぞ。我が君の、グランベルゼ様の首を刎ねた男かッ!!」


 ハッと、振り返る。

 部屋の向こうに広がる吹き抜けの広い空間に固定され、光に照らされている巨大なアギトが、淡い黄色の光に輪郭を浮かび上がらせる。やはりあれは、グランベルゼの頭骨。三十年前、青い尾を引く青龍と呼ばれた男が挙げた人類史上最大の戦果。


「(……そうか)」


 それと同時に、僕の脳裏でずっと不確かであった事実が繋がる。


 かつてグランベルゼを討ち取った英雄。青い尾を引く青龍と呼ばれた男は、まさか。


 

「そうか。あの男は死んだか。それはいい報せだ。それなら牙はどこだ!!」

「もう一度言ってあげる。もうないわ。なくなったのよ。十五年前、リュウザが死んだあの日あの場所で、折れてしまったの。根元からぽっきりと、ね」

「な……」


 悪魔が言葉を失い、僕もまた呆然としてしまう。


「折れた、だと……? ならば、ならばグランベルゼ様の魂は……どこへ行ったというのだ」

「……リュウザは粗暴だったけれど、とても優しい人だったの。あの時リュウザは、魔物の群れに襲われていた赤子連れの若い夫婦を庇って死んだと聞いたわ。怪我を負っていた夫婦は結局、助からなかったみたいだけど……」

「……何が言いたい」

「うふふ」


 母上はくすりと微笑むと、ぼうっとしていた僕を抱きしめて頬を寄せた。



「――――まだ、分からないの?」



 悪魔の眼が、驚いたように見開かれる。

 僕を撫でてから再び立ち上がった母上は身を翻し、巨体を貫く『爪』をするりと引き抜いた。


「ふふ。お土産はもう十分かしら? 最期に、とびっきりの贈り物をあげるわ」

「ま……待ってくれェッ! 馬鹿な……まさか、まさか! そのガキは――――ッ!!」


 叫ぶような悪魔の声が、全てに気付いた男の声が、かき消される。


 獄炎を纏うその刃が振り下ろされる瞬間、僕の目に写ったそれは、絶望に染まる悪魔の顔。鋼鉄の床を食い破る焔が全てを飲み込む龍となり、高い天井をも貫いて轟と吼える。何枚もの床板を貫き破ったその遥か先に、青い空が顔を覗かせた。


「……ぁ」


 へたりと、力が抜ける。すると、周りに居た魔物たちが手を叩き始めた。


「面白かったぞ。ディア」

「いやぁ、お見事」

「ふふ。皆、来てくれてありがとう。おかげで助かったわ」

「ウチら何もしてないよ~」

「そうそう。俺たちは見てただけだ」


 人型ではあるが、明らかに人間ではないものたちと手を合わせ、笑顔を交わす母上。訳もわからぬままに歩み寄ると、魔物たちは笑って僕の背を叩いた。


「あの、母上っ、この人たちは……」

「あぁ、そうね……まだ、話してなかったわね。んっと、この子たちは……」


 僕が尋ねると、母上は少し困ったような微笑みを浮かべて頬に指を添える。


「えっと……あのね、ソウジロウ」

「はい」


 母上はそのまま言いづらそうに言葉を濁らせ、どこか真面目な表情を浮かべてじっと僕を見つめてくる。母上は、魔物と交流があったというのか。それもただの顔見知りという雰囲気ではない。まるで、久しぶりに会った親戚であるかのような。


「……私は、ずっとあなたに黙っていたことがあるの。落ち着いて、聞いてね」

「……はい」


 母上の目配せに周りの魔物たちが頷き、真の姿を現してゆく。

 轟音と共に膨れ上がる巨体。それぞれが強靭な脚や腕に鋼鉄の床を抉る爪を備え、そのしなやかな巨体は総じて艶のある鱗に覆われている。広々とした部屋を埋め尽くすほどの巨体がひしめき、広げられた巨大な翼の皮膜が天井を覆う。やがていくつもの鋭い眼が僕を覗き込み、そのアギトに並ぶ鋭い牙が光った。


――――竜だ。


 覇竜族。かつて大地を闊歩していた、古の覇者。


 視界の全てを伝説の生物に埋め尽くされ、僕は腰を抜かす。

 その中に佇む母上は深く息を吐き、痛々しく焦げ付いたままの左手を伸ばしてみせる。そして、ボウと音を立てて炎に包まれたかと思うと、その左手には赤黒い鱗と鋭い爪が生え揃っていた。


「!」


 血のような色をした怪しくも美しい色の鱗と、その合間に脈打つ炎。熱せられた鉱石のように淡い光を放つその爪は鋭く、溢れ出す熱気はそれだけで火傷してしまいそうだ。力強く、荒々しくも、どこか美しい腕を目の当たりにした僕は、ほうと息を吐く。

 

 やはり、そうか。そうだったのか。それならば、全てに納得がいく。


 心のどこかで、そんな気はしていた。


 頭の悪い僕でも、気づいていた。

 けれど、無意識に考えないようにしていた。

 僕の目の前にいるこの人は。この女性は。


 十年前のあの日から僕を息子として愛してくれた、僕の母は――


「ずっと、ずっと黙っていてごめんなさい。私……私は――」

「母上」


 思わず、言葉を遮ってしまう。

 僕を愛してくれていた母上が、十年間隠し続けた正体を、誤魔化すことの出来ない現実を必死に語ろうとするその姿を、強者たる母上が『恐怖』に怯えるその様を、とても見ていられない。僕は一度目を伏せてから深呼吸をし、母上をまっすぐに見つめる。


「僕は、貴女の息子です。たとえ母上が人間じゃなくても、母上は僕の母上ですよ」


「……ソウジロウぅ」


 いつになく真面目なその顔が、ふにゃと崩れて泣き顔に変わる。

 人ならざる力を秘めた腕が伸ばされ、僕よりも一回り大きな体が飛び込んできた。


 いつも抱き寄せられている僕は母上の体を支えきれず、押し倒されるような形で一緒に倒れる。



 いつもよりも熱く、力強く、そして熱烈なそのハグは、僕をしばらく離さなかった。

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