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第十八話 終わりの始まり

「ん……」


 暗闇に揺蕩う意識の中、顔に触れる滑らかな布の感触。

 さらさらとした布のような肌触りと、柔らかく鼻腔を擽る薔薇の香り。まるで、高級なベッドに身を横たえているような感触に思わず頬を寄せる。


 僕は確か、リーズベルクで……そうだ。寝てる場合じゃない!

 ぼんやりとした眠気を振り払い、ハッと顔を上げる。その瞬間、僕は凍りついた。


「あら、起きたのね」


 キラリと冷たく輝く宝石の瞳。不気味なほどに整った愛らしい顔。

 僕の頬を撫でる硬い指先は、人のそれとは似て非なる物。僕は思わず、息を呑む。


「……エヴァ、ローズ……どうして…………」

「可愛くない子ね。この私が膝を貸してあげてるんだから、もっと嬉しそうにしなさいよ」

「は、離せッ!!ここはどこだ!僕に何をする気だッ!?」

「騒がないで」


 硬くて冷たい指先が僕の頬をつねる。


「い、いててて……ていうか、お前、母上にやられたはずじゃ」

「あれはただの器よ。何回壊されたって、替えの器はいくらでもあるの。いつ壊されてもいいように、予備の体はいつでも出せる状態で準備してある……はずよね? スペクター」

「勿論でございます。お嬢様の予備のお体は、この私めが所有する亜空間にて千体ほど、拘りと責任を持って生産及び管理しております。えぇ、それはもう、全てのお体を毎日のように上から下までじっくりと。ちなみに体型は私の趣味でございます」

「もういいわ黙って」


 ため息と共に目を伏せるエヴァローズ。その背後から包み込むように、異常な程に強靭な腕を持つ悪魔がその右手の爪を光らせる。同時に、僕はその左手の上に身を横たえていたことに気がついた。


 影がそのまま形を成したかのような、底知れぬ漆黒。

 その不明瞭な体躯の半分以上を占める巨大な腕は物々しく、鋭いその指は空間さえ握り潰すのではと思うほどに力強い。何せ、小柄とはいえ人並みのサイズがあるエヴァローズを手のひらに座らせるほどだ。こうして見るとやはりでかい。僕の顔など、小指の先で潰せるのではないだろうか。


「母上、ぺトラさん……リリィも…………」


 蘇る記憶。脳裏に渦巻く感情が堰を切ったように溢れ、涙となって頬を伝う。

 僕は、何もできなかったんだ。最後の最後まで、僕は、何も。


 父上の剣も無い。母上も、ぺトラさんも、リリィもいない。僕を守るものは、もう何もない。


 その時、轟音と共に折れ曲がった鉄の扉が宙を舞う。

 ベスティアでは滅多に見ることの無い、金属製の扉だ。あれは、リーズベルクが培ってきた金属加工技術の賜物である。スペクターの右手が宙を舞う扉を受け止め、握り潰すと同時に、僕とエヴァローズは顔を上げる。


「エヴァローズ!!何をしておるのだ!時間はとうに過ぎておるのだぞッ!!?」

「あぁ、うるさいのが来たわね」


 部屋に響く男の声。扉を吹き飛ばし現れたそいつは、筋骨隆々の大男。

 無数の弾痕と切り傷が刻まれた肌は赤く、額には立派な一本角が光っている。あれは、巨体と怪力を誇る鬼族だ。僕はぎょっとして身を強ばらせる。鬼族の男はドスドスと豪快な足音を立てながら部屋に踏み込み、巨体を折り曲げて僕の顔を覗き込んだ。


「体の調子は如何かなソウジロウ君!痛いところとか無いか!?無さそうだな。宜しいッ!」

「静かにして」

「俺の名はバール。ガーランド・バールだ。ほんの十数分の付き合いだろうが、挨拶くらいはしておかんとな!」


 バールと名乗った男はいかつい顔に白い歯を覗かせ、にっと笑った。


――魔騎士バール。


 あの『蒼の武神』と並ぶほどの武勇に秀でた巨漢の騎士であったとされ、彼と正面からまともに剣を交わした数少ない存在だ。三十年前には単身で人類の陣営深くまで切り込み、グリフォード様率いる殲滅兵器群に大打撃を与えたことでも有名な魔将軍である。


 多くの戦士や魔術師、兵器群を相手にたった一人で暴れ続け、最期は蒼の武神との一騎打ちに敗れて潔く散ったというが……。


「ちょっと、汗臭いから近寄らないで」

「何ィ!?そういうお前こそ香水がきついぞ。汗を流せ汗を!!」

「出ないわ」

「そういえばそうだったな!ハハ」


 僕を挟んで言葉を投げ合う二人の様子に戸惑うと同時に、僕はこの状況を理解した。

 僕は、生かされているのだ。僕は魔族の手によってこの場所へ連れて来られ、エヴァローズは、こいつらは僕が目を覚ますのを待っていたのだろう。


「それよりバール。もう集まったの?」

「あぁ。ファフニール様に、ギヴル様、リンドヴルム様にエリュジーヌ様まで……魔界に名を馳せる覇竜一族が勢ぞろいしておる。錚々(そうそう)たる面子だ!あとは主役を待つばかりよ!!」

「……そう。待ってましたと言わんばかりね。ベラがついさっき報せを出したばかりなのに……ほんと、向こうの連中はこんな時ばっかり反応が早くて嫌になるわ」

「何せ二千と七百年ぶりの再誕(・・)だ。思えば、前の器は優秀だった……嗚呼、思い出すだけで奴の薄ら笑いが脳裏に浮かびやがるッ!!奴さえ、奴さえ居なければァアアアッッ!!」

「行くわよスペクター」

「畏まりました」


 叫びながらドア枠ごと壁を蹴破るバールに続き、スペクターが巨大な右手で僕を軽く握って持ち上げる。思わず声を上げそうになったが、手つきは力強くもどこか優しい。どうやら握り潰そうというわけではなさそうだ。


「だがもう何も恐れることはないッ!!邪魔者は消し去った!そうだろう!?」

「半分は私の手柄みたいなものよ」

「おぉ、そうか!手も足も出なかったと聞いたがな」

「戦いというのは、相手を傷つけるだけが全てじゃないのよ。まぁ、あなたには分からないでしょうけど」

「分からんな。だが、小馬鹿にされているのは分かるぞ!」


 エヴァローズはスペクターの左手の上で悠々と服の乱れを整え、その足元から喚くバールの声を軽く聞き流してふうとため息をつく。何なんだこいつらは。


「ソウジロウ。あなたはそのまま大人しくしてなさい。じっとしていれば、痛くはしないわ」

「……僕に何をする気なんだ。殺すならいっそ一息に殺してくれ」

「ハハ!殺してくれとは、面白いことを言うな」

「殺したりなんかしないわ。あなた、本当に何も分かってないのね」

「一体、何のこと……むぐ」


 スペクターの腕から伸びた縄のようなものが僕の体を簀巻きにし、口をも塞ぐ。


「んー! んんー!」

「エヴァローズよ。お前まさか主役(・・)に何も教えとらんのか?」

「教えなくとも、すぐにわかるわ」

「それもそうだな!ハハハ」


 口を塞がれ、身動きを封じられた僕は、大人しくせざるを得なくなってしまう。脱出はまず無理として、状況確認くらいは出来るか。主役とはどういう意味だろうか。ひとまず僕はある程度自由な首だけを動かして長い廊下の壁や天井、床の様子に目を向けてみる。


「(これは……)」


 無駄な装飾の一切が省かれた、どこか無機質な鉄製の通路。

 壁には無数の銃器を納めていたらしい窪みが並び、床には激しい戦闘の痕跡。パイプと鉄筋に覆われた天井からは切れた配線がいくつも垂れ下がっている。明らかに、ベスティアの建物じゃない。となると、リーズベルクの基地か。いや、ただの基地に魔将軍たちがわざわざ集まっているとは考えにくい。となると、ここは……。


「ここが何処なのか、そろそろ気付いた頃かしら」


 通路を滑るように進むスペクターの左手。その手のひらに悠々と腰掛けるエヴァローズがくすりと笑う。一定の間隔を刻むように通路を走る光は、やがて通路の先の一点に集まる。見えてきた立派な階段を上がると、ボロボロになった鋼の扉が見えてきた。


「リーズベルク城塞最下層、帝国総司令本部改め――」




「――『新生魔王城』よ」  




 開け放たれた扉の先。一面に張り巡らされた鏡のような板と、見たこともない機械に埋め尽くされたその場所は、リーズベルク帝国の心臓部。その向こうに見える広大な空間には、山をも喰らうほどに巨大なアギトが光に照らされている。


「!」


 ざわ、と周囲で声が上がり、周囲に佇んでいた無数の人影が一斉に振り返って道を開ける。

 こいつらは、恐らく人間ではない。魔物だ。見渡す限りの暗闇に数え切れぬ程の眼が光り、その全ての視線が僕に突き刺さった。


 振り返った魔物の中には、全身傷だらけのアスカや、こちらに手を振る母上の姿もある。見慣れた姿に一瞬ハッとするが、すぐにあれが母上でないことを思い出す。あれは、母上の皮を被ったスライムだ。


「あれが例の……? 子供だな」

「面白そうじゃないか」


 魔物のざわめきを聞き流しながら、僕はぼんやりと全てを察していた。

 東大陸を制したリーズベルクは、負けたのだ。いや、戦うことさえ出来なかったのだろう。自慢の兵器をロクに動かすことすら出来なかったに違いない。初めから、僕たちの行動は全て『奴』の掌の上で転がされていたに過ぎなかったのだ。


 屋敷に届けられたあの手紙も、ガルヴァさんが話してくれたあの事柄も、全ては母上や僕を捕らえるための罠。


 三十年前のあの日から既に、リーズベルクは腐り始めていたんだ。

 リーズベルクの主力部隊の一角であろう機竜騎士団の団長ともなれば、様々な機密情報を容易に探ることが出来ただろう。


 奇襲によって兵器群を破壊させたのも、指揮系統を混乱させたのも、全て奴の仕業だ。ガルヴァさんのような上層部の人間なら、怪しい行動を疑われることもなかったはず。さぞ、動きやすかったことだろう。


 恐らくは、シャルロッテ陛下を始めとした強者たちも皆、奴の手によって――――。

 


 魔将軍グララ・ベララ。



 中枢に潜り込んだ一匹のスライムが、大国を内側から腐らせたというのか。

 三十年前、勝利を収めたはずの人類を、平和を取り戻したはずの世界を、たった一匹の魔物がひっくり返したというのか。それに気づくと同時に、ぞっとする。あの母上をも貫き、その体を奪ったあいつは、一体どれほどの……。


「さぁ、座って。今日この時だけは、ここがあなたの玉座よ」


 僕は拘束されたまま、いくつもの操作盤と鏡のような板に囲まれた立派な椅子に座らされた。同時に、僕はハッとして首を動かす。見るからに他の物とは違う、上質な素材で作られた椅子。この椅子は、まさか。


「!」


 僕が息を呑むと同時に、ひしめく魔物たちが再びざわつく。


「おっと、少し出遅れてしまったか。まぁいい」

 

 声と共に天井から降りてきたそれは、端正な顔立ちの男を乗せた巨大な蜘蛛。思わずぎょっとする僕をいくつもの眼が見つめ、糸に吊られた巨体が音もなく床に降り立つ。その背に乗っていた男が床に降りると、魔物たちが声を上げた。


「おぉ、父上!!よくご無事で」

「まだ死んでなかったの」

「……フン」

「おぉ、バール。エヴァと、アスカも、無事だったか。っと、そこにいるお前さんは、まさか……」


 母上の姿をしたそいつが、にこりと微笑む。


「あぁ、ベラか。そうかそうか。よくやった。やはり俺の眼に狂いはなかったな」


 その指先に黒い球体を弄び、よく見慣れた顔がちらりと僕を見る。僕はハッとして目を逸らした。


 巨大な蜘蛛を連れ、魔物たちとの再会に朗らかな笑みを浮かべるあの男は、一体何者か。それを考える間もなく、僕はすぐに気付いた。そうだ、こいつは、あの肖像画の中央にいたあの男だ。


 ローゼンブルク城の主。大悪魔ルシウス。

 魔将軍と呼ばれ恐れられる魔物たちをかき集め、育て上げた男。大戦時、エヴァローズを囮に城ごと姿をくらました魔族の司令塔。こいつは各地を転々としながら、人の世に紛れて暗躍するグララ・ベララの手助けなんかをしていたのだろう。


 となれば、あの蜘蛛は闇に棲む伝説の人喰い蜘蛛『ダラチュラス』か。

 かつては霧の森と呼ばれていたマガの森の最奥に潜み、踏み込んだ人間をことごとく捕らえて貪ったという大蜘蛛の化け物。奴もまた、魔将軍と呼ばれ恐れられた魔物のうちの一体である。


「やぁやぁ、君もよく来てくれた。君がのこのこ出てきてくれたおかげで、全ての用意が整ったんだ。君と、君を連れ出してくれたあの魔女には感謝しているよ。まさか、あの剣まで持ち出してくれるとは。いやはや、いい気分だ。最高だよ。ハーッハッハッハ!」


 拘束されたまま椅子に座る僕の顔を覗き込み、ルシウスは笑う。

 何が、よく来てくれただ。この野郎。それも全て計画のうちだったくせに。

 


「役者は揃った。さぁ、始めよう。今こそ、竜王再誕の時ッ!!!」



 両手を広げ、叫ぶ声。

 終わりの始まりを告げるその声に、勝鬨の咆哮が響き渡った。

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