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第十六話 赤い空

 黄色と黒の模様が付いたその扉を開け放つと、何本もの鎖で吊り下げられた鉄の籠が出迎える。


 まるで小さな檻のようなそれをぴったり囲むようにして、頑丈に組まれた鉄筋が遥か天井まで伸びていた。恐らくは相当古い物なのだろう。全体的に赤錆に覆われ、今にも壊れてしまいそうだ。


「……何ですか、これ」

「ボクもよく分かんないけど、とりあえず移動用の機械だよ」


 思わず立ち尽くす僕を尻目に、鉄籠の傍の機械へ歩み寄ってゆくルシル様が手馴れた様子でボタンを押し、赤いレバーを起こすと、同時に錆び付いた鉄の籠が勢いよく大きな口を開いた。


「さぁ入って入って。ちょっとボロっちいけどちゃんと動くから」

「本当に動くんですか、これ」

「面白そうじゃない。乗ってみましょうよ」

「これは……上層と下層を行き来するための機械ですね。実際に使われていたのなら、安全性は確保されているはずですが……」


 眠りに就いたリリィを背負うぺトラさんと、そもそも物怖じしない母上は驚く様子もなく鉄の籠に足を踏み入れてゆくが、僕はどうしても二人のように一歩を踏み出すことが出来ない。危険なものではないと分かってはいても、僕の足は動かない。


「なぁにビビってんだよぅ。ほらほら、ママと一緒なら怖くないでしょ。リーズベルクまでは行かないにしても様子くらいは見てきなよ。すっごいことになってるんだから」

「いや、そういう問題では無くて……」


 いいからいいから、と背中を押され、半ば無理やり籠の中へと押し込まれる。

 そのままドンと突き飛ばされた勢いのままに、ぺトラさんの胸に飛び込んでしまった。


「ルシルは来ないの~?」

「悪いけど、ボクはこれからやることがあるんだ」


 ガシャンと音を立てて、鉄の格子戸が閉められる。

 そのまま身を翻したルシル様が機械のボタンを押すと、重く響き渡る駆動音と共に鉄の籠が天井に向かって動き始めた。離れてゆく床の上で飛び跳ねるノームたちと、鉄の箱を背負って部屋を出て行くルシル様の姿。やがてそんな部屋の様子も壁に阻まれて見えなくなり、天井に付いたランプの明かりだけが静かに僕らを照らした。





 やがて鉄の籠が動きを止め、同時に格子戸が開かれる。



 たどり着いたその場所は、山の頂上に設けられた展望台。

 しかし、僕の視界に飛び込んできたその景色は、明らかに普通ではなかった。


 風景を一望できるよう設けられた窓の外は、紅く濁った霧が一面を塗り潰し、広い空や周囲に連なる山々はもちろん、その向こうに聳えているであろうリーズベルクの『壁』すらも、はっきりと目視することが出来ない。言葉にするまでもない、明らかな異変であった。


「これは……」

「赤黒い霧、確かにこれでは何も見えませんね」


 僕は窓に張り付くようにして霧の向こうに目を凝らすが、うっすらと巨大な壁の影が見える程度でほとんど何も見えない。この霧は結界の類か、それとも瘴気の渦か、どちらにせよ何か良くないことが起きているのは間違いない。


 リーズベルク帝国は、東大陸全域に及ぶ広大な国土を囲む『壁』と、リーズベルク王都にして大陸最大の武装都市『ヘイヴ』、そしてそれを守る無数の要塞から成る巨大な帝国。生身の人間ではなく、意思を持たぬ鋼の兵隊が昼夜を問わず壁を守っているはずだ。


 ぺトラさんはガントレットを打ち合わせて火花を散らし、広々とした窓を壁ごと打ち砕く。そのまま外の足場に降り立つと、周囲を見渡して振り返った。


「如何なさいますか。奥様」

「行ってみないことには、何とも言えないけど……地上を歩いていくのはちょっぴり危ないかもしれないわ。私とぺトラが飛んで様子を見てくるから、ソウジロウはリリィちゃんとお留守番しててくれる?」

「母上……」

「大丈夫。あの機械で地下に戻れば、きっと女王様とノームたちが――」

「奥様。何か来ます」


 虚空を睨むぺトラさんの声に、はっと顔を上げる。



「――――マリア殿ッ!!」


 赤い霧の彼方から飛来する影。

 聞き覚えのある声。見覚えのある顔。目を合わせると同時に、僕はあっと声を漏らした。


 全身に機械を組み込んだ竜に跨り、銃を手にしたその男は、数日前にリーズベルクからの手紙を屋敷に届けたあの男。名は確か、ガルヴァといったか。肩書きまでは覚えていないが、それなりに位の高い騎士様だったはず。しかしその服は真っ赤な血に染まり、その表情には確かな疲労の色が見て取れる。


「マリア殿。お待ちしておりました」


 大きな機竜が展望台の外に設けられた足場に着地し、飛び降りたガルヴァさんが敬礼する。その機竜は、数日前に屋敷に乗ってきていた機竜とは違い、複数人が乗れる座席を備えた大型の機竜であった。


「リーズベルクの機竜騎士さんね。もしかして、私を迎えに?」

「は。自分は、リーズベルク帝国機竜騎士団団長ガルヴァ・クロンバルドであります。我が王、シャルロッテ陛下の命により、お迎えに上がった所存でございます。さ、私の機竜にお乗りください。そちらの皆様もどうぞご一緒に」

「い、いえ、僕は」

「魔族の大群が接近しております。お急ぎください」

「確かに、強い気配を感じます。ソウジロウ、その荷物はここに置いて行きなさい」

「は、はい」


 僕は父上の剣以外の荷物を展望台の室内に残し、リリィを抱いたぺトラさんと母上に続いて機竜の背に乗り込む。先頭の操縦席に乗り込んだガルヴァさんがいくつかのレバーを倒すと、機竜の翼や胴体に組み込まれた機械が勢いよく煙を吹いた。


「しっかりお掴まりください」


 その声と共に、機竜が空へと舞い上がる。

 流石に大型というだけあって、羽ばたく翼は力強い。すぐに展望台は小さくなり、やがて山に隠れて見えなくなった。





◆◆◆




 リーズベルクの壁を越えてから、どれほどの時間が経ったことだろう。


 赤黒い霧の中に入ってからというもの、やたらと空気が重い。ぺトラさん曰く、この霧自体はそれほど害のある空気ではなく、元々存在する魔力が魔物の力に反応して活性化しているだけというが、どうにも不安だ。壁の付近は濃い霧に覆われていたが、壁の内側はそれほどでもない。ぼんやりとだが、あちこちに要塞と思わしき影も見えている。


 母上やぺトラさんが傍にいるという安心感よりも、あの赤黒い空から急に何かが襲いかかってくるのではないかと、そんなことばかりを考えてしまう。僕は落ち着いていることが出来ず、そわそわと周囲の澱んだ景色を見渡していた。


「……随分と、静かですね」


 周囲の静けさに溶け込むように黙り込んでいたぺトラさんがぽつりと呟く。


「この辺りにはもう何もいないんじゃないですか?」

「それはそれで変だと思うけど~……」

「気配を探ろうにも、空気中の魔力が濃すぎて判別できません。一同に身を潜めているのか、どこかへ移動した後か、何にせよ魔物の咆哮はとてもよく響きます。それすらも全く聞こえないというのは妙と言わざるを得ません」


 確かに、言われてみれば不自然なほどに静かだ。

 リーズベルクの大地は、その大部分が起伏の少ない平地である。ぺトラさんの言うように魔物の咆哮は遠くまで響くはずだし、リーズベルクの銃は攻撃時に大きな音を鳴らすはずだ。当然その音もよく響くだろう。それなのに、それらしき音が聞こえないというのは妙だ。



「見えましたぞ」


 先頭に座るガルヴァさんの声に、ハッと顔を上げる。

 赤い霧が立ち込める大地の遥か向こうに、巨大な影が見えてきた。薄い霧に遮られて全体までは見えないものの、真っ黒な大地の中にそびえ立つ建造物の形がぼんやりと確認できる。


「……あれは」

「我らが王の懐にしてこの国の心臓、リーズベルク城塞と首都ヘイヴです」


 心の隅で思い浮かべた通りの返答。僕はごくりとつばを飲む。

 あれが東大陸最大の武装都市ヘイヴと、王城たるリーズベルク城塞か。距離はまだ大分離れているようだが、まるで霧の向こうに巨大な山を見据えているかのような迫力だ。一体どれほどの大きさを誇る城塞なのだろう。流石にリーズベルク帝国の象徴というだけはある。


「あらあら。すごいことになってるわね」

「大きさに驚いている場合ではありませんよ。ソウジロウ」

「どうぞ、これを」


 ガルヴァさんから母上を伝って渡されたそれは、遠くを見るための道具。受け取った筒状のそれを覗き込み、じっと彼方に目を凝らす。


 周りに何があるというのか。黒々とした大地にはこれといって目を見張るようなものは何も、と考えたところで僕はハッとした。状況を理解すると同時に、声にならない悲鳴が漏れた。


――魔物だ。


 何の変哲もないように見えた黒い大地。その地表を黒く染めるそれは全て、魔物の影。

 幾千とも幾万とも言えぬ、数え切れぬ程の大群が、リーズベルク城塞と首都ヘイヴを取り囲んで蠢いている。


「……っ!!」

「落ち着きなさい。あれが突然こちらに向かってくることはありません」


 思わず飛び退きそうになった僕の背を片手で支え、ぺトラさんは慌てる素振りもなくため息をつくが、慌てたくもなる。いや、これが慌てずにいられようか。


「機竜騎士さん。この状況について聞かせて頂いても?」

「は。ご覧のとおり、既にリーズベルクは壊滅的な被害を受けております。報告によりますと、昨夜、原因不明の停電と共に基地に潜り込んだ魔獣が武器庫と弾薬庫に火を放ち、雪崩込んだ小動物が機器類の配線を切断。さらに、混乱を見透かしたように押し寄せた魔族の大群により『壁』が破られ、そのまま混戦状態に……いくつもの基地および要塞がほぼ同時に、同様の手段で壊滅へと追い込まれたようです」


 ガルヴァさんはため息を付き、母上があらあらと微笑む。


「それはまた、魔族らしからぬ動きだこと」

「我々も奮戦しましたが、絶えず押し寄せてくる魔族の大群をとても抑えきれず……我らが機竜騎士団も戦いの中で散り散りに……情けない限りですが、我々にはどうすることも出来ませんでした」


 悪夢のような惨状が、悲鳴と混沌の渦巻く情景が脳裏に浮かぶ。

 独自の機械技術によって一文明を築き上げた大国、大陸最大の領土と国力を誇るリーズベルク帝国が、たったひと晩のうちに壊滅させられたというのか。


「それで王城に立て篭った、というわけね。賢明だわ」

「陛下は混乱の渦中、真っ先にヘイヴの門を開放して逃げ惑う民衆を受け入れ、将軍様方や配下の機兵隊と共に篭城しております。リーズベルク城は領内のどの要塞よりも堅牢な城塞。魔族にそう易々と落とされる城ではありませぬ」


 そう言ったガルヴァさんの背中からは、現皇帝シャルロッテ陛下の実力に裏付けされた確かな自信と信頼がにじみ出ているようだった。

 


 しかし、この状況は流石に多勢に無勢だ。

 如何にリーズベルクの名だたる強者が居ようと。シャルロッテ陛下が健在であろうと。絶望的状況であることに代わりはない。混乱の中で民の命を最優先し、鉄壁を誇る城塞の中に抱え込んだシャルロッテ陛下の判断は王として正しい判断であったと言えよう。


 だが今回ばかりは相手が悪い。守りの姿勢に入るべきではなかったのだ。

 如何に巨大な街と城塞であっても、食料や水などの備蓄には限りがある。篭城し、外部からの供給が絶たれた以上、時間が経てば経つほど状況は悪化するばかりだろう。


 多くの民衆を受け入れたのなら尚更だ。リーズベルクの兵器は確かに優秀だが、それを動かすための燃料や弾薬も大量に必要であると聞く。こんな状況で、それらを補給することなど出来るはずもない。


 こんな状況であるにも関わらず大地が静まり返っているのは、戦っていないから。いや、魔族が攻め込んでいないからだ。恐らくリーズベルクの将軍たちは多くの民衆を抱えて城塞の門を閉ざし、その内側で武器を握り締めている。壁の外を包囲した魔族はただ静かに、様子を見ているのだろう。

 

 魔族は、理解しているのだ。攻め込む必要などないと。

 放っておいても、いずれ瓦解する。その時を、待っているのだ。


 魔族に持久戦を仕掛けた時点で、こうなることは予想できたはず。

 それでも、守らざるを得ない状況だったというのだろうか。若くして大国を統べるシャルロッテ陛下は、この状況を予測できなかったのか。


「う~ん。見事に囲まれちゃってるわねぇ」

「……はい。恐らく、へイヴはもう……私の部隊はヘイヴが包囲される前に飛び立つことが出来たのですが、部下とは戦闘中に通信が途絶えたきり、安否すら不明です。部下に託したベスティアへの伝令も届いているかどうか……」

「ベスティアの三領主とて無能ではありません。これほど大規模な魔族の動きを察知出来ぬはずが――」


 そう言いかけたぺトラさんは、何かを思い出したように言葉を詰まらせた。


「如何なさいましたかな。妖精様」

「……先日、ベスティアの主要都市の一つ、首都ベルガ防衛の要である浮遊要塞ヴェントが攻撃を受けた末に陥落したばかりなのです。幸いにも犠牲者はそれほど出ていないとのことですが、ベスティア三領主はヴェントの後始末や諸々の対応に追われているかもしれません」

「ベスティアの領主様方は、リーズベルクの状況に気づいていない可能性がある、と……それは困りましたな。優秀な魔術師を多く抱えるベスティアが本格的に動いて下されば、この状況を打破することも出来ましょうに……」


 顎鬚を弄りながら呟くガルヴァさんの言葉に、僕は微かな違和感を覚えた。

 上手く言葉に出来ない、もやもやとした気持ちが喉に突っかかる。やがてそれらは明確な形を成すこともなく、脳裏に消えてゆく。


「それはそうと、どうやってあの中へ? あれじゃあ近寄れなさそうだけど~……」

「は。実は、この近くに主要街道沿いの村がありまして。丁度この辺りに、ベスティア製の転送門が設置してあるのです。普段は村同士を繋いでいるのですが、私の『鍵』があれば、リーズベルク城に直接繋ぐことが出来ます」


 機竜はヘイヴからの距離を一定に保ちながら上空を旋回し、少しづつ高度を下げていく。やがて見えてきた地表には激しい戦闘の爪痕が残されていた。大群に飲み込まれたであろう小さな村の残骸や、乗り捨てられた兵器群。


「!」


 その地表に立つ小さな人影と、その背後に佇む巨大な影。

 あれは何かと目を凝らしたその瞬間、凄まじい衝撃が僕の意識を揺らした。

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