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第十二話 輝く水の都

「さて、と。そろそろかしら」


 その声に、ふと顔を上げる。

 荷車を覆う障壁がぱっと弾けると、広い平地を縫うように伸びる街道の果てに関所が設けられているのが見えた。


 レイニス領の紋章が描かれた大きな門と小ぶりな灯台。

 その全体がはっきり見えてくると同時に鐘が鳴らされ、見張りの兵士であろう男が数名出てきたかと思うと、そのうちの一人が緑色の光を天高く打ち上げた。道を塞ぐように立って小さな旗を降る兵士の指示に従ってぺトラさんがその足を止めると、青いローブに身を包んだ男が歩み寄ってくる。レイニス領管轄の衛兵だ。


「何か、身分を証明できるものをお持ちですか?」


 衛兵の問いに、ぺトラさんは黙って懐中時計を見せつけた。

 僕を含めた使用人全員が持っているあの懐中時計の蓋には、竜の翼を象ったフローレンベルク家の紋章が彫り込まれている。


 フローレンベルク家は仮にも首都ベルガに館を構える魔法貴族。それほど権力のある家ではないが歴史はそれなりに長く、歴代の当主には戦場で名を挙げた武芸者も多い。僕がフローレンベルク家に迎えられる前に命を落としたという先代当主の父上も、立派な剣士だったという話を聞いたことがある。


「フローレンベルク家の……失礼致しました。ご協力に感謝します」


 衛兵は軽く一礼し、他の衛兵に合図を送る。


「周囲敵影無し。西門、開きます」


 青い光が打ち上げられ、四人掛りで大きな門が開け放たれる。開かれたその門の先は、鮮やかな光が渦巻いている。門と門を繋ぐ転移魔法の一種だ。輝く空間の歪みに感嘆の声を上げる間もなく、ぺトラさんが再び荷車を引いて歩き出す。


「お勤めご苦労様です」

「お気をつけて」


 荷車の上から会釈すると、隊長格であろう衛兵が手を振ってくれた。そんな一瞬のやりとりを最後に、僕の体は空間の歪みに飲み込まれる。


「……っ」


 空間そのものが揺らぐような違和感に、僕は思わずよろけて倒れ込む。光が渦巻く視界が晴れると同時に、七色に輝く空が僕を出迎えた。遥か視界の先には巨大な水の壁が佇み、街を囲っている。


 ベスティア主要都市の一つ、魔法都市レイニスである。


「おぉ……」


 光り輝く魔力と溢れる水の力に満ちた街の様子に、思わずため息をつく。道を行き交う大勢の人々や、談笑に勤しむ魔術師たち。広々とした水路には人魚が泳ぎ、透き通る体を持つ妖精たちが水遊びに興じている。転移した門の先は、街の中に設けられた美しい広場であった。


「綺麗な街、ですね。あんな大きな水壁、初めて見ました」

「この辺りは、純度の高い魔力が溜まりやすい場所なの。だから、この街に生まれた魔術師は皆優秀なのよ。あんな大規模な魔法、他所じゃ見られないんだから」

「知らなかったのですか、ソウジロウ。あの水壁はこの街の名物ですよ。貴重な水資源はもちろんですが、この美しい眺めやここでしか味わえない特産品などなど、この街が観光地たる理由はそこらじゅうに溢れているのです」

「仮にも観光地だものねぇ」

「そ、そうなんですか……」


 水路に掛けられた橋の上を進みながら、僕は美しい街の風景にため息をつく。浮遊要塞ヴェントも中々美しい街ではあったが、流石に規模が違う。


 立ち並ぶ露店に並ぶ商品も見慣れないものばかりだ。クレウルの町とはまた違う。洗練された形状に磨きぬかれた優秀な付与魔力。小さな町では露店の目玉として飾られるほどの品が、この街では一般的に扱われている。優秀な人材と豊富な資源が魔法技術の発展を齎しているのがよくわかる。


「む」


 荷車を引くぺトラさんが立ち止まる。

 ふと、道の先に目を向けると、曲がり角の先で人だかりがざわついているのが見えた。住民たちの視線は一点に向けられ、歓声を上げる者や顔を見合わせる者、手を振る者などもいる。何事かと荷車の上で立ち上がり、人だかりの向こう側に目を凝らすと同時に、僕はハッと息を飲んだ。


「あれは……」


 溢れ渦巻く水の魔力を纏い、大通りの真ん中を悠々と泳ぐ巨大な龍。輝く鱗に覆われたその巨体に、一人の魔女が腰掛けている。


 青色に染まりゆく銀の髪をさらりと流し、龍の頭を象った杖を手に、大きな帽子で顔を隠しながら遠慮がちに手を振る女性。『蒼銀の龍魔女』ピピル様だ。天使族と同じく、神格として崇められる龍族の寵愛を受けた魔女。生きる伝説として今尚語り継がれる英傑の一人である。


「あらあら、あの子ってば相変わらず大人気ね」

「通行の邪魔ですね。衛兵に言いつけてやりましょう」

「まぁまぁ、いいじゃない。向こうの道を通りましょ」


 ぺトラさんはふんとため息をつき、大通りから逸れた脇道へ入ってゆく。僕としてはもう少し近くで見てみたい気もするが、僕たちは観光に来たわけではない。あまり余計なことに気を回している暇はないのだろう。


「ねぇぺトラ。せっかくレイニスに来たんだし、ちょっとあちこち見て回りましょうよぅ」

「そんな暇はありません。このまま、この道をずっと行った先にある門を通って『腐れ谷』へ向かいます。当然ながら宿に寄る余裕はないので、今夜も野宿ですね。野営の用意はありますので問題ありません」


 この街は通過点であって、目的地ではない。

 ぺトラさんが道すがら確保したらしい地図を受け取って覗き込むと、この道の先にある門はグレル山脈を抜ける山道のうち一つへ繋がる転送門。その先に、腐れ谷ことガルゼア渓谷がある。


 ガルゼア渓谷はグレル山脈に点在する裂け目のうち一つであり、時間を掛けずにグレル山脈を超えるという目的に限定すれば、候補に挙がるであろう一本道だ。枯れた大河に沿って道が続くため迷う心配もなく、なだらかであるため移動に苦労することもない。


 それでも、ガルゼア渓谷はパルガ湿地帯と並ぶ危険地帯だ。


 死神の住処、呪われた地と恐れられるガルゼア渓谷は猛毒を含んだ瘴気の溜まり場であり、谷底に降りようものならたちまち全身が腐り果ててしまうという。腐れ谷たる所以である。そんな場所ゆえに、自殺の名所としても有名だ。そんな場所にこれから向かうのかと思うと、昂ぶった心が音を立てて萎んでゆく。


「あんな場所にソウジロウを連れて行くつもり? 危険すぎるわ。落っこちたらどうするつもりなのよぅ」

「魔族は馬鹿ですが、少なくとも一般的な道くらいは確実に潰してくるでしょう。それほど時間もないわけですし、選ぶ道は自ずと決まってくると思いますが」

「うぅ~ん、確かにそうだけどぉ~……」


 母上が僕の身を案じてくれるのは嬉しいが、ぺトラさんの言う事にも一理ある。魔族が多く生息するグレル山脈といえど、整備された道は確かに存在する。しかしリーズベルクに向かっているであろう英傑たちは数多く、魔将軍はそのうち一人でも多くを捕らえ始末するべく動いているはずだ。


 奴らは魔族だが、考える力を持っている。一対一で適わぬならば、正攻法で勝てぬならば、それなりの策を練ってくるはず。戦う力を持たない一般人も通るような、人通りの多い道は絶対に避けなければならないのだ。


 封印されていた魔将軍が復活したとはいえ、かつて戦い、傷つき、封じられた際に、その魔力のほとんどを失っているはず。眷属たる魔物の多くは大戦時に駆除され、失った魔力の回復には長い時を有するだろう。対する人類は激戦を生き延びた英傑たちの他、ここ三十年で新たに生まれた天才たちもいる。


 総力的に見れば圧倒的に魔族が不利。

 目立つような真似をすれば、いくら魔将軍といえどただでは済まない。それは奴らだってきちんと理解している。


 だから奴らは人間に紛れ、身を潜めて機会を伺っているのだ。魔王グランベルゼは完全に復活したわけじゃない。今はまだ、封印が破られつつあるに過ぎない。きっとまだ何かが足りないのだ。時間か、魔力か、あるいは……。


「ソウジロウ。大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」

「ぇあっ、いえ、大丈夫です! その、少し考え事をしていただけで」

「ほらぁーもぉーソウジロウが怯えちゃってるじゃない。ペトラが腐れ谷に行くなんて言うからよ。やっぱり別の道を探ったほうが――」

「他に、選択肢があるとでも?」


 ぴしゃりと、ぺトラさんが払いのける。

 母上はうっと小さく呻くように息を呑み、しおしおと項垂れた。


 ぺトラさんは僕と違って優秀だ。危険な場所であるということは、ぺトラさんだって分かっているはず。それでも、他に道などないのだろう。ぺトラさんが示す道は、考えうる全てを考慮した上で導き出された答えなのだ。母上はため息をついて肩を落とし、慰めるように僕を抱きしめる。


「ごめんねぇ。怖いわよねぇ。でも大丈夫よソウジロウ。何が来たって、私がしっかり守ってあげる」

「危険地帯だろうが地獄だろうが、奥様がいる限り安全は保証されたも同然。微力ながら私も力を尽くしますし、何も心配する事はありません。今朝も言いましたが、何があっても私たちの傍を離れないでください」


 そんな二人の言葉に、僕は改めて自分の無力さを思い知る。

 母上は救世の英雄、伝説の魔女であり、ぺトラさんは怪力と機動力を併せ持つ大妖精。僕は魔術師としての適性もなければ、これといって特筆すべき才能もない一般人だ。こんな状況では、僕はただのお荷物である。荷物持ちが荷物になってどうしようというのか。情けない。しかし、いくら恥じたところで何かが変わるわけでもない。


「それよりぺトラ、私ちょっと小腹が空いちゃったかなぁって」

「……わかりました。では、近くの露店で適当な物を買ってきます。ここで待っていてください」


 そう言ったぺトラさんは荷車を路肩に寄せると、輝く翅を広げて飛び上がる。そして道の彼方に視線を向けたかと思うと、次の瞬間には光の軌跡だけがそこに残っていた。流石は妖精、大地を穿つ怪力と風の如き疾さを併せ持つというだけはある。


「ぺトラは確か、シルフだったかしら。ほんとに足早いわよねぇ。かけっこしたら負けちゃうかも」

「シルフというと、森に住む風の妖精ですよね。この街には、亜種のウンディーネが居ましたけど……人類の味方で良かったです」

「うふふ。妖精族はどちらかといえば天使族や龍族なんかと同じ神族類だから、主として認めた相手にのみ従うわ。本来は敵でも味方でもないの。同じ妖精族でも野良の子に気安く接しちゃダメよ?」

「……はい」


 くすくすと微笑む母上の言葉に、僕はただ頷くことしかできない。


(そうか……妖精は神族類……道理で)


 元来、人類に味方することはなく、敵対することもなく、かといって魔族ともまた異なる存在。神族類に分類される人ならざるものたちは、それぞれが高い知性と魔力を併せ持ち、その種族ごとに別の文明を持っている。


 魔族も群れを成すことはあるが、神族類のそれとはまた別のものだ。神とされるだけあって、一部では神格化されている彼ら神族類は、その生態のほぼ全てが謎に包まれているものばかり。人には決して計り知れぬ、文字通り神格の存在であり、特別な才能を生まれ持つごく一部の人間以外は触れ合うことも許されないほどの存在である。


 小さいとは言え、人とよく似た姿をしている妖精族は獣人などと同じ亜人類だと思っていたが、どうやら違うらしい。彼らが神族類であるならば、小さな体に秘められた計り知れぬ力にも頷ける。


「ぺトラはねぇ。あんな性格だからいつも忙しく飛び回ってるけど、セバスチャンの前だと途端に大人しくなるのよ。ほら、セバスチャンはあれでいてお人形さんとか好きだから――」

「……私が、何か?」


 嫌気に満ちた声にハッと顔を上げると、小さなカップを両手に持ったぺトラさんが頭上からひらりと舞い降りてくる。


「あぁ、おかえりなさい。相変わらず早いわね」

「食事処ばかりで少々手間取りましたが、荷車の上で食べられそうなものを買ってきました。どうぞ、お召し上がりください。ほら、ソウジロウの分も買ってきましたから」

「あ、ありがとうございます」


 荷車の下からスプーンと共に差し出されたそれを受け取る。

 カップの中には、蜜に彩られたゼリー状の物体が詰まっていた。ぷるりと揺れ動き、光を反射して輝くその美しさに、僕は思わずため息をつく。綺麗な水をそのまま固めたようなそれは、レイニスドロップと呼ばれるこの街の特産品の一つだ。


 柔らかいそれをスプーンで掬って口に運ぶと、ひやりと喉を潤す独特の食感と蜜の甘さが口の中で蕩ける。これは美味い。


 噛み締める間もなく蕩けてしまうその感触は何とも形容しがたい心地よさがあり、ちょうど小腹の空いていた僕はあっという間にそれを食べきってしまった。ほうとため息をつくと、ひんやりとした余韻がまた心地よい。人気の理由がよくわかった。


「さ、出発しますよ。美しい街ではありますが、長居する余裕はありません」

「えぇ~、もう行くの~?」

「ちょっと残念ですけど、仕方ありませんね。というより、本当に間に合うんですか? もし間に合わなかったら……えぇと、その場合はどうなるんでしたっけ」

「召集に応じるからには、遅刻など絶対に許されません。間に合わなければそれ相応の対応をされるだけです。そもそも作戦に参加する意思がないと見なされるやもしれません。もしそんな情けないことになれば、仮にも名家たるフローレンベルクの名に泥を塗ることになります」

「ほんと、面倒よねぇ~……私が行かなくたってどうとでもなるでしょうに」

「そういう問題ではありません。参加する意思を見せることに意味があるのです」

「そういうものなのかしら」

「そういうものなのです」


 再び動き始める荷車の上で、母上はふうとため息をつきながらスプーンを口に運ぶ。確かに、リーズベルクは東大陸一の国力を誇る大帝国。そのリーズベルクを統べる皇帝に恩を売る好機なのだ。


 魔王グランベルゼが封じられて以降、魔族による被害はめっきり減った。魔族を完全に駆逐することは出来ずとも、世界は平和になったといえよう。そんな世界で、力を持て余す者たちがこの機会を見逃すはずがない。リーズベルクに恩を売るということよりも、人ならざるものとの戦いの予感に錆びていた武器を磨いた者も少なからずいるはずだ。


 そんなことをぼんやりと考えていると、七色の空がすすり泣き始める。


「また雨が降ってきましたね」


 荷物から雨具の上着を取り出して羽織り、光が煌々と渦巻く空を見上げてため息をつく。

 柔らかな微笑みを浮かべたまま空を仰ぐ母上の体に触れた雨粒は、ゆったりとしたその服に染み込むことなく滑り落ちてゆく。



 遥か道の先に佇む門を目指し、ぺトラさんは再び荷車を引いて歩き始めた。



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