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第十一話 曇り空の下で

「――ロウ、ソウジロウ! 早く起きなさいッ!!」

「ふぁ、は、はいっ!すみませんっ」


 ぺトラさんの怒鳴り声に、熟睡していた僕は反射的に身を起こす。

 いつも枕元に畳んである着替えを手に取ろうとしたその時、手に触れる土の感触にハッと我に返る。そうだ、僕は、母上たちと一緒にここで野宿したんだ。若干の薄暗さが残る空はうっすらとモヤがかかったように白く、彼方から明るい日差しが少しづつ顔を出そうとしていた。夜明け前である。


「こんな朝早くから出発するの~?」


 同じく叩き起こされたらしい母上は寝ぼけ眼を擦っている。

 焚き火の跡はきちんと片付けてあり、荷車にはすでに荷物がまとめられていた。


「当たり前です。奥様は軽く瞑想を、ソウジロウは顔でも洗ってきなさい。さぁさぁ、ぼーっとしている暇はありませんよ」


 ぺトラさんの声を背に、僕は泉の水を掬って顔を洗う。

 青く澄んだ泉の水は冷たく、目を覚ますには十分であった。ついでに軽く喉を潤しておく。魔素が大量に含まれているため飲料に適した水ではないが、腹を壊すようなことはない。朝方の冷えた空気を運ぶ風が濡れた肌に心地よく、僕は聳え連なるグレル山脈を見据えてため息をついた。


「ほら、これで顔を拭いて」

「あ、ありがとうございます……」


 差し出された布で顔を拭く。そんな時、ふと目を向けた木の根元に腰掛ける母上が淡い赤紫の魔力を身に纏っているのが見えた。


「……」


 母上は、目を伏せて微笑むような表情を浮かべ、静かに祈りを捧げている。

 魔力と共に生きる魔術師の生活に欠かせない大切な儀式。瞑想だ。魔法を操る適性を生まれ持つ魔術師は、体内に存在する魔力を元に魔法を具現化することができる。魔力というものは当然使えば減るもので、魔法を使ったあとにはああして大地の魔力を体内に取り込む必要があるらしい。日常生活で魔法を使わない母上の瞑想は新鮮だ。


「邪魔をしてはいけませんよ。ほら、服を着替えて」

「は、はい」


 ぺトラさんから受け取った上着に袖を通しながらも、目線だけは母上の美しく静かな瞑想に釘付けであった。


 どれほどの魔力を体内に取り込めるかで、扱える魔法の規模も威力も大きく変わる。さらに魔力を取り込む速度もまた人によって変わり、膨大な魔力を一瞬で取り込む者もいれば、長い時間を掛けて少しづつ取り込む者もいる。どれもこれも、生まれ持った素質で決まることなのだ。


 母上の静かな祈りに応えるように、大地に眠る魔力が揺らめく。

 空を覆うモヤのように淡く不安定なものではあったが、その魔力は僕にも感じ取ることができる。意識を凝らすまでもない。凡人が触れれば身を焦がすほどに強力な魔力だ。


 大地から立ち上る魔力は光を振りまきながら母上を包み、その体に吸い込まれてゆく。僕はそのまましばらくの間、その美しい輝きが織り成す光景から目を離すことが出来なかった。


「……ふう」


 数分ほど経った頃であろうか。

 相も変わらず目を伏せて微笑んだ柔和な顔つきのまま、母上が小さくため息をつく。それと同時に、立ち込める美しい魔力の全てが母上の体に染み込んだ。瞑想を終えたのだろう。柔らかく波打つ髪は色濃く染まってきらきらと光を振りまくほどに輝き、もとより美しい肌の艶も増している。身に纏う雰囲気はまるで別物だ。


「おまたせ。さ、行きましょ」


 すっと立ち上がり、淡い光を背に微笑むその姿に思わずため息が出る。

 魔力を得た魔術師というのは、こうも美しく光り輝くものなのか。


「出発しますよ。早く乗りなさい、ソウジロウ」

「は、はいっ」


 荷車の上には僕が屋敷を出るときに背負っていた荷物と、その傍らには大きな布を被ったリリィが静かに横たわっていた。結局連れて行くのかと生唾を飲みながら腰掛けると、ふわりと宙を舞った母上が僕の隣に身を寄せてくる。母上が指を鳴らすと、人並みの大きさになったぺトラさんが荷車を引いて地面を蹴った。


「っと」


 勢いに負けて倒れる僕の体は、すぐそばにいた母上に抱きつくような姿勢を取ってしまう。

 慌てて体制を立て直そうとするも、僕の肩を抱く腕がそれを許さない。魔力を纏い、いつも以上に美しい姿となった母上は、いつもと変わらぬ柔和な微笑みを浮かべて僕を見つめていた。その姿はまさしく、絶世のと呼ぶにふさわしい。


「なぁに? そんなに見つめられると恥ずかしいわ」

「す、すみません……その、あんまり綺麗なもので。あ、いえ、母上はいつもとてもお綺麗ではありますが、何というか、その」

「うふふ、ありがと」


 大地を駆ける荷車の上で、優しく僕の頭を抱き寄せるその手に言葉を詰まらせる。母上はそのまま僕を抱き込むようにして頭を撫で回しながらくすりと微笑んだ。


「ぺトラ。どの道を通っていくか決まっているの?」

「はい、奥様。クレウルの町を経由するのが最短ではありますが、迂回して北東のパルガ湿地帯に向かいます。ひとまずはその先のレイニスを目指しましょう」

「何かあったの? わざわざ迂回しようだなんて」

「今朝早く、通りかかった野良妖精に話を聞いたのです。クレウルの町には現在、二体もの魔将軍が息を潜めていると。恐らくは山を越えようとする者を始末すべく待ち構えているのでしょう。既に何人か犠牲になっていてもおかしくありません」


 荷車を引きながら、ぺトラさんは静かにため息をつく。その言葉を聞いた僕の脳裏に、黒い茨が蘇る。そんな僕の様子を見てか、母上は苦しいほどに抱きしめてくれた。


「は、母上。パルガ湿地帯……って、大丈夫なんですか? あそこは確か」

「大丈夫よぅ。あんな場所でも観光地なんだから、きちんと整備されてるわよ」

 

――パルガ湿地帯。


 魔力を含んだ雨が大地を濡らす彼の地は、水属性を有する魔族の天国。大陸有数の危険地帯であると共に、潤沢な水資源が絶えず湧き出す魔法の土地である。


 そんなパルガ湿地帯の中にあるレイニスは首都ベルガとヴェントに並ぶベスティア主要都市の一つであり、魔物が多く生息する危険地帯のど真ん中であるにも関わらず、沢山の人間が生活している。古くから水の街として知られる魔法都市レイニスはリーズベルク戦場跡に次いで有名な観光地でもあるのだ。


 それだけ、彼の地に溢れる魔法の力に魅せられる者は多いということなのだろう。

 

 そんな土地柄ゆえに、当然ながら有名人も多い。

 龍に愛された魔女ピピル、伝説の魔物使いにして錬金術師のルシル・ハーレットなどなど、かつての大戦を生き延びた強者が多く名を連ねる激戦区である。


 僕もかつては本に記された彼らの武勇伝に心躍らせ、幾度となく眠れない夜を過ごしたものだ。


「って……二体?」


 ふと、脳裏に残るその言葉が胸の奥に引っかかる。確かに、あの街には魔将軍エヴァローズが人間に紛れて身を潜めていたが、まさかもう一体いたのか。


「ぺトラさん、野良妖精から聞いた話についてもう少し……」

「私も詳しく聞いたわけではありません。彼女はひどく怯えていて、私を見るや否や口早に情報を託して逃げるように去って行きました。恐らく彼女は探知魔法の使い手……直接見たか、あるいはその力を感じ取ってしまったのでしょう」

「でも、エヴァローズはぺトラさんが倒したはずじゃ」

「恐らくはまだ生きています。あの程度で殺せるような相手ならば、そもそも魔将軍などと呼ばれてはいません」


 僕に背を向けたまま、ぺトラさんは言葉を紡ぐ。確かに、ぺトラさんは強い。しかし相手は大陸全土の実力者が束になっても仕留めきれなかった怪物、魔将軍なのだ。そう簡単に倒せるはずがない。


「やっぱり、ソウジロウは魔将軍に捕まってたのね。怪我がなくて本当に良かったわ」

「奥様。奴らはどうやら、ソウジロウを人質にしようなどと浅はかな策を練っているわけでは無いようです。ソウジロウの捕縛に失敗した以上、奴らは本格的に動き出すでしょう。くれぐれもお気をつけください」

「わかってるわよぅ」

「ソウジロウも、ちゃんと旦那様の剣を持ち歩くのですよ。こうなってしまったからには私も力を尽くしますが、守りきれるとは限りません。奴らはきっと、どんな手段を使ってでもあなたを手中に収めようとするはずです。近寄ってくる魔族は全て敵だと思いなさい。決して奥様や私から離れぬよう――」

「わ、わかりました。気をつけます」


 大地を駆けながらこんこんと言葉を紡ぐぺトラさんの背を見つめながら、僕は肩を落とす。

 ただの荷物持ちだったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。


「それより母上、ひと晩明けてから聞くのも妙な話ですけど、本当にお怪我はありませんか? あのヴェントを堕とすほどの相手と戦って、無傷だなんて……」

「大丈夫よ。これでも私、とっても強いんだからぁ」


 えっへんと胸を張る母上の微笑み。確かな自信に裏付けされた自慢げな表情に、僕はそれ以上何も言えなくなってしまう。だけどその事実は、紛れもないその現実は、直視するにはあまりに眩しすぎた。


 



「この辺りは、晴れそうにないわねぇ」


 ぽつりと、母上が呟く。

 心地よく揺れ動く荷車の上でうとうとしていた僕の意識が、ハッと目を覚ます。


 懐中時計を開けば、細い針はいつの間にやら昼頃を指していた。にも関わらず、見上げた空は薄暗いままだ。如何にも雨が降り出しそうな、と考えたちょうどその時、僕の頬にぽたりと雨粒が跳ねた。それを皮切りに、散らばるような雨粒が荷車を濡らし始める。


「……降ってきましたね」

「あらあら、大変。風邪ひいちゃうわ」


 空を仰ぐようにしてそう呟いた母上は、虚空にしなやかな指を振るう。その指先から淡い紫の光が放たれたかと思うと、ぱっと弾けて薄い水の膜となり、荷車をすっぽりと包み込む。初歩的な障壁である。それも、恐らくは雨を弾く程度の強度しかないであろう最低限のものだ。


「ぺトラも――」

「結構です。それ以前に奥様。新しい杖を用意するまでは魔法の使用を控えてください。杖も持たずに魔法を放っているのを誰かに見られでもしたら……それに、雨具なら荷物の中に用意してありますから」

「誰も見てないわよぅ。ぺトラってば、ほんとに心配症なんだから~……」


 ぺトラさんが言うように、母上は杖を持っていない。すっかりくたびれた帽子を被ってはいるが、その手元には当然のごとく何もないのだ。どこにでもいるような魔術師がこれを見れば、驚いて腰を抜かす程度では済まないだろう。是非とも弟子にと詰め寄ってくるかもしれない。それほどまでにすごいことなのだ。


 素手で魔法を構築できる魔術師など、風の噂にも聞いたことがない。

 それもそのはず、本来出来るはずのない芸当なのだから。


 魔力というものを一本の丸太に例えるならば、丸太を木材に変えたり、さらに加工したりと、作業を楽にするのが魔道具の役目。その種類や用途は多岐に渡り、人それぞれ愛用する物は異なる。


 そして生み出された木材を素材とし、新しいものを作り出す行為が魔法。こちらもまた素材の用途は数え切れないほど存在しており、それを用いた全てが魔法だ。建材として使うも良し、薪にして火を起こすも良し、はたまた武器として振り回すも良し、発想の数だけ魔法は存在している。


 一度にどれほどの木材を扱えるかが器の大きさで決まり、魔力適性が高ければ高いほど、それらの木材を持て余すことなく活用することが出来る。そして、具体的に何を作り出すかは、人それぞれ異なる。似たものはあれど、全く同じものは存在しない。


 これが大まかな魔法の仕組みだ。


 どれか一つでも欠けては、強力な魔法は成り立たない。それが常識である。

 魔道具を使わずに強力な魔法を放つということは、いわば素手で立派な家を建てるようなものなのだ。


(……本当にこの人は、何者なんだろう)


 計り知れないことは分かっている。それでも、仰ぎ見ずにはいられない。

 真っ暗だった路地裏に光が差したあの日から、何も変わらない微笑みがそこにはあった。


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