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緋炎の婚姻  作者:
4/6

友人

 タンッ。


 風きり音の後に響いた軽い衝突音に、音の発生主である唯織は表情を輝かせて悠真を振り返り、悠真は満足げに頷く。

 唯織の手にあるのは初心者用の簡素な弓だ。

それから放たれた矢が、数間先の的に命中している。

『玉兎』は狩猟部族でもあるので、何かしらの武器、特に弓は使えておいた方が良いと言う悠凛の助言で、唯織は使い古した弓でもあれば、と悠真に声をかけたのだが、しばらく待て、と言われて一両日後、渡されたのは今手に持っている真新しい弓だった。ちゃんとしたので練習して、狩に行けるようになれば自分に合ったものを作ってもらえば良い、と言われて恐縮した唯織だが、『玉兎』は皆そうだと言われて、納得した。

郷に入っては郷に従え、だ。


 ちなみに、『玉兎』が扱う武具類は全て『玖嵐』製である。さらに、助言した悠凛が最も得意とする武器は投擲短刀で、弓はさほどではなく夫の方がよほど名手である。


「唯織は筋が良い。剣はダメだったけど、獲物を捌ける程度に使えれば問題ないし、やっぱり弓が一番あってるな」


 唯織が木閠に来て六日。

 跡取り息子の嫁が唐突にやって来たにも関わらず、女衆は優しく気さくに話しかけて『玉兎』の習慣などを教え、一緒に料理をしたりしていた。

 家事に関して、唯織に不足はない。逆にできすぎるくらいで、家畜の世話すら戸惑うこともなかった。

 木閠という居留地を持ちながら、『玉兎』は留まることはない。木閠を中心とした土地を周回しては不定期にとどまる、を繰り返している。その理由は、まだ正式な嫁ではない唯織には教えられないらしく、婚儀が終わったら、と悠真が約束した。余談である。

 移動している『玉兎』が飼っている家畜は、山間の村で飼育される家畜よりも野生に近く見慣れない種類も多い。と言うか、まず、広域で生息していない珍しい種類ばかりだ。馬ですら、角を持ち三目である。

 最初は驚いていたものの、三角ミヅノ(馬の種名)は普通の馬と違って豪胆で人懐っこい。その代わり、感情の機微に敏感で、悪意や害意を持って接近した者には、容赦なく蹴りを食らわせる。骨の一本や二本ですめば御の字の威力がある。しつこい上に分を知らない愚か者には、角を向けて突貫する。突き刺して血が流れることも辞さない行動である。豪胆、というよりも攻撃的、といった方が良いかもしれない。

 友好的なものには人懐っこいので、一概にそうと言い切れないのが、難しいところである。


閑話休題。


 日常生活に支障のない能力が唯織には備わっていると判明し、やることが限定されるようになった。基本、勉強である。

 定住する村にはまずない常識や、大陸共通言語以外の言葉の理解力を養う必要があった。基本、言語は統一されているのだが、悠真の次兄が行っている南方等の極端な地方になると、方言では済ませられないほど言語が違ってくる。

 そういった勉強は幼い頃の方が覚えやすいため、交流の浅い部族から嫁いできた者はかなり苦労する。実際、未だに片言しか話せない女もいるのだ。唯織も苦労すると思い、皆が気遣っていたのだが、これに関しても唯織は出来が良かった。

 わずか三日で、特に交流のある地域の言葉を覚えたのだ。正確には、文字の読み書きは完璧になったので、後は対人練習をして実戦力を高めるだけ、という段階なのだ。

 本人は自覚していないようだが、学習能力と理解力が高いことから、知能が高いことが伺えた。実際、辺境では必要としない算術も瞬く間に覚えてしまった。

 ここまで来ると、教えることはもはやない。傭兵事業に女が出向くことはまずないので、護身術と狩りの技術くらいしか残らない。

 結果、家事などを終えたあと、手の空いた者が唯織に武術の手解きをするのがこの数日のうちに日常となった。

 一番多いのはやはり悠真だが、『玖嵐』には弓の名手がいたため、そちらが付き添っていることも多い。何より、女だてらに『玖嵐』随一と称される速打ちの名人である彼女は、唯織と同年代で立場も同じだった。婚約者との婚儀を再来月に控えている。

 必然、唯織と二人になればその話に花が咲き、今では最も親しい人間、友人になっていた。ともすれば、悠真よりも打ち解けている。


「ありがとうございます。悠真さんや千聡(チサト)が教えてくださったお陰です」


 唯織は、周囲から敬語じゃなくて良いと言われてもそれを崩さない。名前に敬称をつけることも。

 皆、癖なのだろうと諦めているのだが、夫となる立場の悠真はいささか不満であるらしい。根気よく待っているのだが、今、ちょっと看過できない言葉を聞いて動揺した。


「唯織、今、千聡の事を呼び捨てにしなかったか?」


「あ、はい。千聡に呼び捨てにしてほしいと言われて」


「オレも何度も言ってるんだけど」


「悠真さんは、あの、だ、旦那様ですから・・・」


 淡く頬を染めて、そんな失礼はできません、と言う唯織は可愛らしいのだが、悠真にはいまいち納得できない発言だった。

 何故、夫婦間でのタメ口と敬称略が失礼なことに値するのか。逆に、他人行儀な方が距離をおいているようで失礼なのではないのか。

 そんな悠真の心境など知らない唯織は、むっつりと黙りこんでしまった悠真を下から覗き混む(二人の身長差は、悠真が長身な分頭一つ分ほどある)。


「悠真さん?」


「唯織、夫のことを呼び捨ててはいけない、と誰かに言われたのか?」


 唯織自身が礼儀と思ったのなら頼まれたから、友人だから、という理由で敬称を外すことはしないだろう。なら、誰か、村の大人とかにそう教えられたか、村ではそういう常識だった、と考えるべきだろう。

 そう思った問いかけだった。


「はい。村長が、家格が釣り合わない身で格上の家に嫁ぐのだから尽くすべき夫に敬意を示し最高の礼儀を示さなくてはならない、と」


「そうか」


 頷いた悠真だが、一見かわりなく見える表情の下で怒りが渦巻いていた。

 行商に同行することが多くなり、培われた表情操作に、悠真は心の底から感謝した。


「唯織」


「はい」


「村ではそうだったかもしれないが、『玉兎』は家がどうこう関係なく、夫婦は対等だ。部族によってはまた違った関係があるが、『玉兎』は違う。だから、呼び捨てで構わない」


 冷静に言い募るが、内心では怒りと共に少々の焦りがある。説き伏せられるとしたら、今しかない。悠真はそう直感した。


「そう、ですか・・・?」


「ああ。それに、千聡は孤児で、婚約者は佳准兄さんの側近を勤める高家の跡取りだが、タメ口に呼び捨てだ。『玖嵐』も同じように夫婦の立場に上下をつけない」


 ただし、商品となる工芸品を生み出すのは女性達を中心とした職人なので、『玖嵐』では女性がいささか強い。ちなみに、千聡はそっち方面に才能が無かったのか、子供や家畜の世話をしていることが多く、もしくは狩りに出ている。


「では、あの、悠真…?」


「……うん」


 へにゃり、と笑み崩れる悠真に頬を染めて微笑む唯織。


 空気が甘い。

 二人をそっと見守っていた千聡は生暖かい眼差しを向けつつそう思った。


 手に持っている布包に視線を一度落とし、千聡はそっと息をついて二人に近づいた。


「悠真様、唯織」


 抑えながらも呆れていることがまるわかりの声音で二人を呼べば、唯織は羞恥に赤くなり、悠真は不満げに眉を寄せる。それに対しては何も反応せず、千聡は唯織の隣に並ぶ。


「昨日話していた物を持ってきたの。あたしの天幕で一緒に見よう?」


「え、良いんですか?」


「もちろん」


 二人だけで分かり合って声を弾ませている様子に疎外感を覚えた悠真は、どこか寂しげである。

 ちょっとした興奮状態である唯織はそれに気付かず、千聡は気付いていたが内心で舌を出してみて見ぬふりをした。

 千聡は唯織と悠真より2歳上の17歳。年の近い子供達は皆幼馴染として家族同然に過ごしてきた。族長の跡取りと孤児という立場の違いがあっても。

 千聡の人懐っこい性格も相まって、悠真に対して気安く遠慮がない。

 それを穿ってみる大人達がいなかったわけではないが、千聡の恋慕の情が向いている先はあからさまだったから特に問題にはならなかった。

 ちなみに、唯織が悠真と千聡の気安さに不安がらないのは、会って数分で千聡が盛大に惚気たせいである。


「それ、何?」


 疎外されて不満な悠真が、唯織を抱き締めるようにして話に割り込んできたのに、唯織はおたおたと慌て、千聡はあきれ返った視線を向ける。

 唯織の反応に満足げに笑い、千聡の視線を受け流した悠真は、質問を繰り返す。


「それ、何?」


「再来月、あたしが着る花嫁衣装よ」


「私は、これから縫わなくてはならないのですけど、意匠や部族の貴色などを知りませんから、教えていただこうと思って」


 『玉兎』と『玖嵐』は古くからの同盟関係であるため、貴色以外は似通ったものが多い。ちなみに、『玖嵐』の貴色は赤だが、『玉兎』の貴色は青だ。


 唯織は、縫い上げた花嫁衣装があるが、それは出奔した許嫁との婚儀のために縫ったものなので、悠真との婚儀のために縫い直さなくてはならない。本来、数年がかりで布地、糸、宝飾品を決めていくのだが、悠真の成人に合わせるため、1年で仕上げなくてはならない。

 布地や糸は悠凛が手配してくれて、宝飾品は再従兄弟夫妻が持参金がわりに、と渡してくれた貴金属類で賄える。実は、唯織の祖母の持ち物だったものを村長が勝手に懐に入れていたものなので、唯織の所有物なのだが唯織も再従兄弟夫妻もそれを知らなかった。


「というわけで、唯織は連れていくわね」


 花嫁衣装をこんなところで広げられるわけもなければ、婚儀の前に夫以外の男の目に触れさせて良い道理はない。

 致し方ない理由に、悠真は渋々唯織を離した。

 申し訳なさげに眉尻を下げる唯織の頭を撫でて名残を惜しみ、悠真は家の方に帰っていく。仕事がないわけではないのだ。

 それをどこか心細げに見送った唯織に、千聡は苦笑する。

 千聡は唯織の村での生活を、弓の手解きをすることになった時、倫誓から聞かされて知っている。その環境が、良いものではなく、はっきり言って悪いということも理解した。

 そこから連れ出した(というか誘拐)悠真に、感謝するのも頼るのもわからないでもない。けれど、あからさまに落胆されては、なんとも複雑な気持ちになってしまう。なお、厄介なことに、唯織は完全に無自覚だ。

 一つ、息を吐いて千聡は唯織の手を引く。

 孤児である千聡は、成人に合わせて婚家が天幕を用意した。正確には、婚約者の物である。

 未婚の男女が婚約者とはいえ同じ場所で寝起きするのは褒められたことではないのだが、その辺、『玉兎』も『玖嵐』も緩い。これで男が浮気でもしようものなら凄まじい事になるが、千聡の婚約者は一見そうは見えないが千聡にぞっこんなので問題はない。

 そんな二人の家なので、唯織は少々居づらかったのだが、花嫁衣裳の話になれば自然と気分は高揚する。

 日が暮れるまで、唯織と千聡は花嫁衣裳に縫う刺繍の図案で盛り上がった。










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