嫁攫い
何がどうしてこうなったんだろう…。
唯織の胸中にあるのはその想いだった。
まじまじと唯織を見てくるのは、楕円形の眼鏡をかけた唯織より年嵩の少女だ。
既婚であることを示す赤珊瑚の耳飾りをつけていることから、この家の長男の嫁であろうことは理解できる。
「美人さんねぇ~。悠真君ったら面食い~」
ふふふ、と楽しそうに笑う少女に、腕を組んで沈黙していたこの家の長男である青年がため息をついた。
「海花」
「はいはい」
腹に響く低い声で少女の名を呼び、青年はひたと唯織の緋色の瞳を見つめる。
それに視線を泳がせてわずかに唯織が俯いた時、くすくすと小さな笑みをこぼしながら、女性が天幕の入り口から入って来た。
「そんな風に見てたら怖がるよ。悠慈兄さん」
「悠凜」
悠慈と同じ栗色の髪を緩く一つにまとめ、腹部がわずかに膨らんでいる悠凜は、よいしょ、と呟きながら海花の隣に座る。
首を傾けて唯織の顔を覗き込むと、悠凜は瞳を細めて微笑んだ。
「大丈夫。誰も苛めないから。お名前は?」
「…唯織、と申します」
「良いお名前ね。わたしは悠凛。そこの強面の人はうちの長兄で悠慈。さっきの眼鏡の子は、悠慈兄さんの奥さんの海花。突然でびっくりしたでしょう?わたし達もびっくりしたんだよ。異性に興味がなくて戦う事に熱中してた末っ子が、いきなりお嫁さんを連れて来たんだもの」
「およっ…!?」
悠凜の『お嫁さん』発言に驚いた唯織は思わず顔を上げる。
そこで、かちあった悠凛の瞳に息を呑む。
優美な美貌を持つ悠凛の切れ長の双眸は、唯織と同じく鮮やかな緋色だった。
「『玉兎』の中でも、わたしだけだったんだよね。『緋炎眼』。ふふ、嬉しいな」
悠凛の楽しげな声音に、強張っていた唯織の表情がわずかに緩む。
それを見た悠凛はじっとりとした視線を悠慈に向け、少しばかり気まずそうに眉を寄せた悠慈が視線を逸らす。
妹の視線に責めるような色合いを正確に感じ取ったらしい。
末っ子が唐突につれてきた嫁の存在に、戦闘部族の男も平静では居られなかったらしい。
「あの・・・」
「なぁに?」
殊更柔らかい声音に、気を使われていることを察して唯織は腹をくくった。
「ここは、『玉兎』の居留地で良いんでしょうか?」
唯織にとって真っ先に聞きたかった基本的な質問だが、悠凛と悠慈はすっと真顔になって沈黙してしまった。悠慈は元から真顔だが。
それに、気分を害してしまったと思った唯織だが、自身の肩をつかむ悠凛に、瞳を瞬く。
「もしかして、悠真は何も言ってないの?」
「先程からおっしゃっている悠真、と言う方が私をつれてきた方であるなら、何も・・・」
「待って、ちょっと待って。そこから? あの子、名前すら名乗ってないの?」
「え、あ、はい。何も・・・」
同じ言葉で区切った唯織に、兄妹は目元を覆って同時に天を仰いだ。
髪色以外に似かよったところのない二人だが、仕草は瓜二つで血の繋がりを感じられて唯織は妙に感心した。
「ごめん。本当にごめん。あの子はもう・・・っ」
「すまない。こちらの教育不足で・・・」
深々と頭を下げる二人に、慌てる唯織だが現状、唯織は完全な被害者である。二人は加害者家族だ。
唯織は、『玉兎』の居留地である木閠の部族長一家の天幕にいるのだが、それをこの時初めて知った。
入る時に、随分立派だとは思ったがまさか部族長の物だとは思わなかった。
その一角、長子である悠慈の持ち物の天幕にいる理由は、悠真がまだ15になるまで半年ほどあり独立の前であることだ。嫁取りの時期ではあるが、自身の天幕をまだ持たない身である。
独立前の悠真が唯織の故郷である山間の村にいたのは、『玉兎』と同盟関係にある技巧と商業で財をなす部族『玖嵐』(ちなみに悠凛が嫁いだのは『玖嵐』族長の跡取り息子である)の行商の護衛として同行していたからだ。到着すれば、護衛は暇になる。暇をもて余した悠真は村の中を散策して、喪中を示す黒の垂れ幕がかかったこじんまりとした天幕を見つけ、そこから水汲みに出てきた唯織を見つけて一目惚れしたらしい。翌日、行商の出発時に唯織の元に出向き、「一目惚れした。嫁に来い」と一方的に告げて拉致まがいにつれてきたのが、昨日の夕方のこと。
以上、悠凛が悠真から聞いた唯織をつれてくるまでの過程である。悠真の台詞からは唯織が告げたことである。
連れてくるまでの間に、名前や部族などの説明は済ませていると思っていたが、一切告げていなかったことを知った悠慈は一発殴ろうと心に決める。悠凛は行商の責任者でありながら知らなかったらしい夫を一発殴ろうと決める。思考回路までそっくりである。
「・・・私も、突然のことで驚いてしまって言われるがままに馬に乗ってしまったのも悪いんです」
年頃の、しかも結婚適齢期の娘(明確には違う)が男との接触を軽々しくしてはならないし、それに関しては唯織に責任があるかもしれない。だが、悠真と初めて会ったのは拉致される直前であることを考えれば、悠真が十割悪い。
申し分けなさげな唯織に、逆に悠慈と悠凛の罪悪感が募っていく。
何故なら、すでに既成事実が出来上がってしまっているからだ。
体の関係がなくとも、男の家で一晩を過ごした時点で純潔が守られているとは誰も思わないし、傷物と称される状態になってしまった唯織は新たな縁談は望めない。死別ならまだしも、離縁されたり婚約破棄された女は、悪質と見なされるためだ。
さらに言えば、大抵は10を過ぎた辺りで許嫁がいるため、それを寝とったもしくは浮気したととらえられ、その人物評を最悪なものにしてしまう。
村八分にされてもおかしくない。というより、地域からの追放ぐらいはされる。
貞淑さ、というのは男よりも女に厳しく求められるものだ。
嫁にも婿にもなれる『緋炎眼』には、さらに厳しく求められる。
同じ『緋炎眼』である悠凛には、それが良く分かった。
「それに、連れてきてもらって、よかったと思いますし・・・」
諦めたような声音で紡がれた唯織の言葉に、悠慈と悠凛はいぶかしげに眉を寄せる。
苦笑した唯織は、自分の村での状況を述べる。
幼少の頃、山で狩りをしている最中に両親が事故死し、唯織は父方の祖母に引き取られた。母は村長の従姉妹だったが、父の家に入った身であるため祖母の方が引き取り手として優先された。
老いた祖母との生活は豊かではなく、村長の家からの支援があって何とかなっていた。その見返り、といってはなんであるが唯織は村長の息子と婚約するに至った。
村では『緋炎眼』は吉祥の証とされているため、村長にしてみれば手元に置きたかったのだろう。憐れみもあったのだろうが。
再従兄弟にあたる村長の息子とは、仲が良いわけでも悪いわけでもなかったから、唯織は嫁ぐことに否やはなかった。持参金も望めないであろう自分を、求める人がいるとも思えなかったから。
だが、一週間前に祖母が風邪をこじらせて亡くなってから状況が一変した。村長の係累に起こった不幸であり、唯織が嫁ぐまで二月を切ったときだった為、女衆はことのほか哀れんで色々と世話を焼いてくれた。身内に不幸があった場合、一年は喪に服して祝い事を避けなくてはならないからだ。男衆も田舎の山間にある村では久々の慶事であったため、やや落胆した雰囲気が漂っていた。
葬儀が一通り終わり、二日後、祝い事の延期、と言う残念な空気を吹き飛ばす事件が起こった。
唯織の許嫁である村長の跡取り息子が、「渡り戦士になる」という書き置きをして村を出奔したのだ。
渡り戦士、は『玉兎』が行う事業の傭兵とは違い、個人で放浪して各地で仕事を得る流れ者だ。その立場から、地域によっては犯罪者として扱われることもある。
唯織の許嫁は剣に傾倒し、『玉兎』の傭兵に憧れていた。さもありなん、と納得するのは若い世代や独立前の子供ばかり。独立して仕事を持っていたり、婚姻している者は、許嫁である唯織のことも置き去りになる家族のことも考えない身勝手な言い分と行動に眉を潜めるものばかり。
しかし、事情がどうであれ、唯織は許嫁に逃げられたという事実は変わらず、もはや婚姻は望めなくなった。吉祥の証とされていても、傷物同様に不名誉な傷がついている以上誰も嫁にも婿にもほしいとは思わない。しかも、相手は村の最高権力者の息子だ。唯織に非がなくとも、相手を責めるわけにはいかない。自分の立場をかけてでも、味方になってくれる身内も知人も唯織にはいなかった。
結果として、唯織は周囲から無視されて孤立していたのだ。
聞き終えた悠慈と悠凛は、静かに怒りをたぎらせていた。
唯織とは昨日の夕暮れに初めて会い、言葉を交わしたのはこのときが初めてであるのだが性質が善良であることは良く分かった。そんな子供を一人きりにして責めて、村八分にするとは何事か、と憤るのは悠慈も悠凛も僻地の集団生活を知らないせいだろう。道徳的に、子供にたいして何をしているんだ、と思われても致し方ないことではあるが。
「悠慈さん、義父様と悠真君が戻ってきたよ。こっちに来るみたい」
「分かった」
唸るような声でうなずいた悠慈に、唯織は戸惑ったように視線をさ迷わせる。
その頭を悠凛が優しく撫でる。笑みを浮かべているが、瞳は一切笑っていない。
その後、疲れた表情ながら怒りをにじませた無精髭の男性と、唯織をつれてきた張本人
が顔を見せたが、ひとまず、悠慈と悠凛の二人がかりで張本人は説教されることになった。
話を再開できたのは、一刻後である。




