第8話「公共権力とPOP」
「ねえしおりん! ハイキングに行かない? 私、山を買ったの」
小学生の頃。2,3ヶ月ぶりに出会った姉は開口一番にこのようなことを言い出した。姉ちゃんの方からどこかへ行こうと誘ってくるのは初めてだったのだが。山を買ったって、そんなダイエット器具を買ったみたいな気軽に言えるものなのだろうか。
その山は住んでいた家から歩いて1時間もかからない場所にあった。ちなみに、姉ちゃんは山を買ったとざっくばらんに言っていたが、山は山でも目に見える山というか、山脈を買ったらしい。スケールが完全におかしい。
「立ち入り禁止とか書いてあるけど無視でいいから。たまに密猟者とか入るかもしれないけど、出会ったらボコってもいいよ」
「すげえ話だな」
なにが凄いって。別になんとも思わないように言うのだから凄い。実際、密猟者には何度も出会ったことがあるが、話し合いの余地なく猟銃で殺されかけたので、姉ちゃんの忠告はあながち間違っていなかったのかもしれない。
「この山に住んでるクマとかイノシシとか。毛皮って高く売れるらしいから。今はどこでも環境環境って言って狩猟には厳しくなってるからね」
「そういうのに出会ったらどうすればいいの?」
「話し合いでもしてみれば。平和的に解決する。あなたそういうの得意でしょ?」
盛大な嫌味を言われたのか。姉ちゃんはニヤニヤ笑っているだけなので、表情から意図を読み取ることは出来ないが。やっぱり嫌味なのだろう。そういう偽善とは縁遠い人だし。
「あっ! あそこ見て見て!!」
「うっ!?」
姉ちゃんが無邪気に指をさした先にはイノシシがいた。そりゃ栞だって知識としてそういう動物がいるのは知っていたし、豚みたいな外見からもっと平和そうな生物だと言う先入観があったが。
目の前で見た本物のイノシシは予想以上にやばそうだった。例えるならば筋肉で出来ているようなプロレスラー。それに巨大な角まで覗かせている。少なくとも襲われて無事でいられるような相手ではなかった。
「じゃあ今からイノシシの捕まえ方を見せるから」
「……え?」
丸腰だよねとは聞けなかった。そんなことを言うよりも早く、イノシシが突っ込んできていたので。
「姉ちゃん!!」
思わず叫んでしまったのも仕方がない。あんなもの、素手でどうにか出来るとは思えない。そりゃ姉が頭のネジ10本ぐらい消失している人間なのは知っているが、いくらなんでも無茶。
「はい」
「えっ!?」
あわや直撃というところで。イノシシは宙を舞っていた。栞の見間違いではなければ、姉が手でほんの少し触れただけで、あの巨体が吹っ飛んだように見える。
「……ね?」
「なにが!?」
「とりあえずイノシシはこんな感じだけど。これの応用でクマとかもいけるから」
「無理だよ!! だってなにが起きたか理解できないもん!!」
「えぇ~。1から? 1から説明しないと駄目なの?」
説明されても出来ないよというツッコミはともかく。それから現在にいたるまで。栞は毎週1日以上は、この山で食料を獲る生活をしていた。
……現在。イノシシどころかクマや鷹なんかとも戦ったことのある栞だが。目の前のポーピーくん? と名乗る謎生物との戦いは始めてだった。見た目からしてこいつは人間じゃない。いや、そういうことじゃなくてこいつは生物なのだ。
(蹴り入れた時の感触が生き物のそれだったしね。いや、あんな頭クソデカイ生物がいるとか、本当にバランスとかどうなってんの)
少なくとも敵がどう動くかわからない現状、こちらも下手に動くわけにはいかなかった。それに未知の生物との戦いは、栞にとって初めてではない。
山で出会う生物はすべてが未知であり、書物などでは得られない不規則な動きをしてくる。それに比べれば……である。クマとかの方が
(それに相手の頭脳が良いなら。迂闊には動けないはずだ。外したけど、最初の一撃の動きは見えてなかったはずだし)
栞の予想は当たっていた。ポーピーくんは最初の一撃が見えていなかった。というよりも、瞬間移動でもされたみたいにいきなり目の前に栞が現れたのだ。その種が見えない限り、近づくのは危ないと思うのは当然である。
(このまま黙って帰ってくれないかな無理だよね本当になんでこんなことしちゃったんだよ)
どうして自分はこう考えなしに動いてしまうのかと、栞は後悔していた。頭を悩ませ考えても最初よりも状況が悪化しているとしか思えない。自分にはこういう”弱点”があるのは知ってるし、それを姉ちゃんから。
『なにその偽善的な行動。ゲロ吐きそう、褒めてあげようか?』
とか言われたことがある。酷い物言いだが納得出来る部分もあるので何も言えなかった。
……後悔はある。出来るだけ平和に生きて死にたいという心狭い願望だって人並みにもっている。だからといって、時間が巻き戻って同じ状況になったとして、じゃあ今度は逃げるのと聞かれれば。
「何度も同じことをするんだろうなぁ。俺馬鹿だから」
持ってきたバッグの中からナイフを取り出す。刃渡り20cm近いサバイバルナイフ。少なくともこんなもの持ち歩いているのを見つかったら間違いなく捕まる。まあ、姉ちゃんから貰った唯一に近い物なので大切なものなのだが。
それ以上に、これで威嚇出来て、警戒してくれれば、なおいいだろう。
「銃刀法違反も追加だ。もう殺すしかないね」
「……ん?」
ポーピーくんは腰にかかっていた拳銃を抜く。いや、拳銃とはいっても玩具っぽい拳銃だ。あれから弾丸が飛んでくるなら、どちらかというと大砲といった方が正しい。
なんかあの姿を見ていると自分がなにか間違っていたような気がしてならない。だって、あんな玩具っぽいのから弾が出るとは思わないし。
ポンッ!!
弾を発射する時も間抜けな音だった。しかも、出てきた弾は赤く発光して目立つ上に、そんなに速くない。これなら目を瞑っていても避けられる――
ドゴォオオオオオオオオオオオ!!
「……へ?」
思わず自分が間抜けな声を上げてしまった。ゆっくりと自分の脇を越えた弾は、奥にあったビルに直撃して爆発した。弾が遅いのはいいのだが、少なくとも直撃したらビルを丸々解体出来るぐらいには強いらしい。
「なにそれ!? どこで売ってるのさ!!」
「さあねえ」
「げっ!?」
あの威力の弾丸。まさか連射は出来ないだろうと思っていたが、まさかの連射をしてきた。確かに威力はあるが、速度は遅い。驚きはしたが、山でクマやイノシシ相手に戦ってきた栞に油断も動揺もない。
「くそっ!」
予想外なことがあったとすれば、それは未知の敵に対して後手に回ってしまったことだろう。あの威力の弾丸相手に建物の影に隠れても無駄で。逆に遠距離の武器相手に距離を取り過ぎるのもマズイ。なによりマズイのは……
「逃げ場所がない。建物の影なんかも瓦礫に巻き込まれそうだから無理だし……」
そう。運がなかったとしかいいようがないが、既に逃げられそうな場所が殆どなかった。一か八か建物の隙間から遠くに逃げるという手もあるが、もう多分無理だ。
「だったらこれしかないよなぁ……」
ナイフをズボンに突っ込んで弾丸の正面に立つ。ポーピーくんの目にも栞が諦めたように写っていただろう。ただ、諦めが悪いのと馬鹿なことに敢えて身を投じるのは、彼の得意分野である。
「”時間泥棒”!!」
ガチリと。前面に栞を守るように巨大な時計の針が現れた。少なくとも栞はこんな自分の背丈ほどの巨大な物を持ち歩いてはいなかったし、栞から目を離していなかったポーピーくんには、それが突如として現れたように見える。
「くそっ! 使っちゃったよこれ。山の主相手にだって使ったことなかったのに」
当の本人はこれを使ったのを後悔していた。姉から借りたものであるが、栞にだってこれがなんなのかは良く分かっていない。自分が望めば腕から生えてくる武器。その時点で現代科学を完全に無視している。
それを人前で見せることなんてこれが初めてだ。
それ以上に、これを恐れてもう少し時間が稼げるとありがたい……
「あはっあはははははははは!!」
「壊れた?」
「いやいや。まさか”人器”じゃなくて”心器”の持ち主とはね。やっぱり君は本官が逮捕する」
ポーピーくんが銃から警棒に武器を持ち変える。少なくともさっきのトンデモ大砲は使わないらしい。接近戦に持ち込めるなら、自分にもまだチャンスが……
ドゴォ!?
「えっ!? なにそれどこの動物園から逃げ出したゴリラさん!?」
「侮辱罪も追加だよぉ」
「か、勘弁してよ!!」
警棒というか、もはや鬼が持ってる金棒みたいなあれは、どうやら岩すら粉々に出来る威力らしい。そしてわかったことだが、生け捕りとはいっても、こっちが8割ぐらい死んでてもあちらとしては問題ないということも。
栞は腕からもう1本の”短針”を取り出す。チャンスは一度しかない。
(今、あいつはこちらを殺すって意識から捕獲に意識が回ったばかりだ)
ずっと姉を見てきて学んだことだが。人も動物もなんでも。意識を切り替える前後は隙が多い。そうやって何度も泣かされた経験がここで生きているわけだ。そしてこれも……
「お前ら伏せろ!!」
それは一瞬、ポーピーくんが足を止めてしまうほどの力強い声だった。一瞬。ほんの一瞬だけそちらに注意が向けばいい。
「うっ!? なんだこれは!?」
いつの間に放たれたのか。栞の手にあった短針がポーピーくんの腕に突き刺さっていた。確かに一瞬だけ意識が背後に向いたが、そんな1秒にも満たない時間で針を命中させることなど不可能だ……普通なら。
「瞬間移動? とにかくまず――」
「今度は逃げられないだろ」
「くっ……ぐぇっ!?」
風を切るような鋭い蹴りがポーピーくんの大きい頭の顎に命中していた。感じたのは確かな手応え。それが熊であろうと人間であろうと。脳を揺らされるのは弱いはずだ。頭が大きい目の前の敵ならばなおさらだろう。
1つ誤算があったとすれば……
「なっ!?」
それが世間的な常識に当てはまる生物であった場合のみである。
ぐしゃりと。栞は警棒で打たれてぶっ飛んでいた。厳密にいえばポーピーくんの目を見て、咄嗟に身体を合わせることが出来たので直撃はしていない。痛いことに変わりはないが。
「げほっ! ぐぅううううう……マジか」
「痛いなぁ。さっきの動きも今の動きも。明らかに人間の動きじゃないね。瞬間移動じゃなくて肉体強化タイプか。君の頼みの”心器”も離れちゃったしね」
「全然堪えてないとか」
それ以上に身体が全く動かせなかった。別に今の攻撃を受けたからというわけではない。確かにそれもあるが、今の一撃で決めるつもりだったし、流石に3連続は辛い。それに動けたとしても、今の一撃が駄目ならもう多分、自分の攻撃ではどうにもならないだろう。
「待って! 痛いのとか本当に勘弁だから!! その振りかぶった警棒を下ろしてよ!!」
「駄目だ。君みたいな反抗的な奴は教育をしないとね」
「くそっ! そんな女の子から言われたら嬉しいようなセリフを吐きやがって!! いや、ホントマジで駄目だって……うん。そこでいい」
「なに――」
何を言っているんだと答えようとして。それは最後まで続かなかった。栞にとっては割りとトラウマというか、謎のゆるキャラっぽいなにかが目の前で破裂するという事態になっていたわけだし。
「危なかったぁ。上手くいってよかったよ」
恐らくポーピーくんにはなにが起こったかわからないまま死んだのだろう。ただし、捕まっていた連中は一部始終を見ていた。ポーピーくんを背後から襲ったのは彼自身が使っていた弾丸だ。それがどういう経緯で奴の背後から現れたかはわからなかったが。
「大丈夫ですか? 手錠は……もうなくなってるね。どういう原理だ」
彼らを縛っていた手錠は既に消えていた。ポーピーくんと戦っている時はあったので、あれが死んで消えたのか。だったら不思議な話だが、自分が持っている”時間泥棒”もそういった類のものなので大して不思議には思わない。
「ありがとう。君は命の恩人だよ」
「あぁ。そうですか。それで聞きたいことがあるんですけど、ここは一体――ぐぇ!?」
「本当に感謝しているよ」
5人いた男女の1人。筋肉質な男が自分を押し倒して組み付いてきた。完全に油断したと後悔するよりも早く、なんとか助けた人間たちを見上げて気付いた。自分を見る目が、家畜を見るように冷たいことに。
「勘違いしてもらっては困るんだが。助けてもらったことには感謝しているんだ。君たちの国ではなんと言うんだっけ?」
「恩を仇で返す」
「そうそうそれだ。君が”心器”を持っているのが悪いんだよ。どうせ使途共の回し者だろうが。君のあれを出してもらおう」
「こんなやり方で出すわけないじゃん。それとてめえみたいな顔面リア充が糞気に入らな――ぐっ!?」
”クル”と分かっていたから悲鳴はあげなかった。顔面にサッカーボールキックを食らったが、こんな失態晒しておいて悲鳴をあげて命乞いをするほど、自分の芯は曲がってない。
まあ身体も動かないのでこれ以上はどうにもならないのだが。
「仕方ない。腕を切っていこう」
「ひゃひゃっ。んな脅しに乗るとで……まってまって!! そのナイフをどうするつもり……イタイイタイ!!」
「脅しじゃないんだなこれが」
どこの世界に助けた人間の腕を切り落とす奴がいるのか。いや、本当に脅し程度だと思って挑発したのが悪かったのか。ナイフを腕に突き刺してきた。当然だが、骨があるのでナイフで切り落とそうと思ったら相当の時間がかかる。
それをやろうと言うのだ。少なくとも、この連中が本気だということはわかった。
「我らが正義のために執行するのだ。悪くおも――」
ズドッ!!
始めは隕石が落ちてきたと思った。自分がピンチの際に目の前でドヤ顔してる糞野郎の頭上に隕石が落ちてきた。本当にそうだとしたら、自分の運の良さは漫画の主人公すら凌駕しているのだろうが。
土煙が晴れると、そこにいたのは冗談抜きに顔面が地面に埋まっている顔面リア充と、鬼の面……
「ぱ、パーフェクトおっぱいだ……」
をしたおっぱい的ななにかが立っていた。
前回の半分以下の文章量ですが その気になれば1話を1日で書けるのにこの体たらくは……
ちなみにタイトルのPOPはパーフェクトおっぱいの略です ポップとかそんなじゃんじゃありませんから!!