攻略4。勇くん、新生活が始まる。-後編-
【攻略4。勇くん、新生活が始まる。-後編-】
……パチパチパチ。中庭の祭壇の横に置かれた熾火がオレンジの炎をあげていた。
灯は祭壇の前に座らされていた。手は相変わらず封じられている。足も鎖でつながれたままだ。その鎖の先を進が握っていた。
「随分祭壇が荒れていますのね。こんなので儀式ができますのかしら?」
毅然とした彼女に進はなんとも言えない表情をしている。
「……「命名掌握」の儀式はしない。っていうか、巴菜が文献書を持ち出したからできない」
「……巴菜さんが?」
「一緒に子鬼まで連れて行かれたから、兄貴がブチ切れた。もう俺の手には負えない」
「兄弟なのに止めないのですか?」
「兄弟だからだよ。兄貴が相当追い込まれているのは、近くで見ていた俺が一番知ってる。なら、もう好きにさせたい。それで気が済むなら」
「甘いですわよ」
灯の語気が強くなる。
「……え?」
「あなた、兄の顔、きちんと見ましたか?あれはもう正気の者ではありませんわ」
「……わかってるよ。兄貴は病んでる」
「ちがいます。あなた、勘違いしています」
鋭く否定する。進むが訝しげに灯を見た。
「どういうことだよ…?」
「あなたの兄は病んでいるのではありません。妖怪に心を喰われかけているのです」
「……な」
「早くしませんと、二度とあなたの兄は戻ってきませんよ」
厳しい口調に進の心が揺らぐ。
「……何言ってんだよ。兄貴が妖怪に憑かれてる……?」
動揺しながらも頭を振った。
「どうせそんなのお前の生贄逃れの嘘だろう」
「あなた、まだそんなことを言うのですか。あなたが先ほど言いましたよね。自分が一番近くで兄を見ていたと―――。なら、今の彼がどういうものかわかりますわよね?」
「……っ」
見透かされている。全部。進は苦々しく唇を噛んだ。だが容認することはできない。なぜなら。
「祓い屋が憑かれたなんて、しかも当主が憑かれたとなれば、一気に廃業になる。……認めるわけにはいかないんだよ」
「くだらない」
灯の吐き捨てる物言いに進の怒りが露わになる。
「おまえに何がわかる!! たかだか妖怪風情のお前にっ!! 人間にはな、守らなきゃいけないしきたりや風習があるんだよ!! 兄貴は、何十代と何百年と積み上げていたものを背負っているんだよ!! 何も知らないくせに好き勝手言うなっ!!」
一気に捲くし立てる進に灯はゆっくりとした動作で指先を地につけた。
「失礼いたしました」
「……あ?」
あっさり謝られ興奮していた進の毒気が抜ける。
「確かにあなた方にはあなた方の背負われているものがございましょう。わたくし、軽率でした。申し訳ありません」
「それは……」
進がトーンダウンする。灯は顔を上げた。こちらをみつめる綺麗な強い紅い目とぶつかる。
「ですが、今、その背負ったものを「一番よくないこと」で失おうとしているのも事実」
「……」
「今一度、取り戻しませんか。祓い屋の誇りを」
「……おまえ、一体……」
愕然とする進だが、灯の紅い瞳の意思は揺るがなかった。
「わたくしは祓い屋や陰陽師という類いの人間が大嫌いです。あなた達はいつだってわたくし達の平穏な生活の邪魔をします。きっとこれからも合い入れることはないでしょう。……ですが、」
灯は続ける。
「妖怪も正しい者ばかりではありません。そのような者たちから、か弱き人たちを守るためにあなた達が必要なのもわかります。それに、今回妖怪のわたくしを助け、傷の手当をしてくれた人間がいました。わたくし、そのような方がいらっしゃって本当に嬉しく思っています」
そしてそっと足に巻かれた包帯を撫でる。
「巴菜さんは優しいかたですわ」
「―――」
「彼女は自分の立場が危うくなるのがわかっていながら、わたくしを助けてくれました。彼女のような人間がいるなら、わたくし、「大嫌い」から「嫌い」にまで昇格してもいいような気分です」
「なんだよそれ、結局嫌いなのかよ」
思わず進が笑った。その顔はやるせない表情を浮かべていた。
「……だが、結局巴菜はお前を助け出すまではできなかった。だろ?」
「いいえ。そんなことはありませんわ」
きっぱりと灯が否定した。
「だってわたくし、巴菜さんと女の約束をいたしましたもの」
「え……?は?女の約束?」
言っていることの理解できない進むに、灯の形のいい唇が笑みを見せた。
「絶対に助けにくる、と」
ドーン!!灯が言い終わると同時に扉が壊される音がした。
「灯―っ!!」
「大丈夫かー!?」
破壊した扉から、勇と葵が飛び込んできた。
「葵、勇さま、わたくし待ちくたびれましたわ」
灯が二人に向かって艶やかに声を掛ける。
「な、なんだ、おまえらぁ!」
進は急いで侵入者に向かって式魔札を放つ。式魔が勇たち目がけて襲い掛かっててきた。
「そんな小者が俺届くかー!」
葵が狗火で応戦する。爆音とも呼べる衝撃音があちこちで起こった。
勇も自分に近づく式魔を殴りながらも灯のところまで近づく。もう少し、というところで進が立ちふさがった。
「……おまえ人間か?」
正体を探るように見てくる進の視線に不快さを感じながら勇は声をあげた。
「巴菜の友達だ!」
「友達? お前みたいな友達あいつに……」
「ヒデといつも一緒にいた、勇だ!!」
堂々と名乗る勇に進の過去の記憶を辿る。
「ヒデと……。―――思い出した! 佐藤勇! おまえ、事故のあと引っ越したんじゃなかったのか!」
「うるさい! 今はそんなのどうでもいいんだよ!! おまえ、兄貴のくせに妹に怪我させようとするなんて、何考えてんだ!!」
「それは俺じゃなくて……」
「止めなかったら同罪なんだよ!!」
一喝し、進を黙らせる。そして胸倉を掴み睨みあげる。
「巴菜に言われた。助けてほしいって。だから俺は助ける。灯もあんたの兄貴も!」
胸倉掴む手が震える。―――怒りと悲しさと悔しさが混ざった震えだった。掠れた低い声で勇は続けた。
「……だけどな、ほんとなら、あんたがそれをやらなきゃいけないんじゃないのか?」
「―――……」
進は完全に声を失った。勇は突き飛ばすように手を離すと、灯の前に片膝をついた。
「灯、遅くなってごめん。巴菜も子鬼も無事だから」
「よかったですわ。二人とも無事で」
安堵したように灯が笑顔を見せる。
「手、出せ。外すから」
灯の腕は大量な札が貼られた拘束具で縛られていた。
「何重にも封印されていて解除できないのですが……」
触れるとバチリとはねられた。なるほど。人間が触っても拒まれるのか。
「龍聖! どうしたらいいんだ?」
勇が後方にいる龍聖に声を投げた。
「りゅ、龍聖様!?」
灯が声をあげる。まさか主まで来ていたとは。龍聖は葵と式魔の交戦する爆撃音を背に歩いて来ていた。
「勇くんも葵も元気に走って行っちゃうから僕、出遅れたよ~」
「おまえがのんびりしすぎなんだろう。歩くな! 走れ!」
「龍聖様……、ああ、わたくしはなんてことを。主をこのようなところまで足を運ばせるなんて使役失格ですわ」
「何言ってんだ。使役の危機を助けるのは主の義務だろ」
勇が灯の言葉に理解できないという表情をする。灯は絶句した。勇は使役を理解していないようだ。
「勇さま、使役は主人の使い魔ですよ? いうなれば駒です。駒は主人のために動きますが、主が駒の為に動くことはありませんわ」
そう教えるが、勇はますます理解できないと首を傾げる。
「なんでそうなるんだ? 大将を名乗るにはそう言ってくれる者たちが必要なわけだろう。一人で勝手に名乗るだけなら、それはただの裸の王様だ。自分を心から主と認めてくれる者たちを大切にしなきゃ龍聖に王を名乗る資格はない」
灯は勇の見識に唖然とした。……このような考えをする人間がいるとは……。
「灯、迎えに来たよ」
ようやく龍聖がたどり着いた。慌てて灯は頭を下げる。
「龍聖さま……! 迎えに来ていただいただけでもおこがましいのに、申し訳ございません! わたくし、恩を仇で返すようなことをしてしまいました。……わたくし、龍聖様の名を人間に言ってしまいました」
「大丈夫だよ~。名前くらい」
主はいつも通りの緩い口調で手を振る。
「ですがっ!」
「僕は名前を知られたくらいでどうにかできる神様じゃないからね」
なんてことない。龍聖はにこりと笑う。
「ですが、龍聖様……」
それでも何か言いたそうな灯だったが、龍聖が灯の腕の拘束具にその手を添えた。
触れる事を拒絶する火花があがる。
「龍聖様、おやめください! お怪我をなさいます!」
「……ひどいことをするね」
真顔で龍聖が呟いた。勇が解除の仕方を尋ねる。
「龍聖、これどうしたら取れるんだ?」
「勇くん、外せそう?」
逆に問われ、一瞬戸惑うが拘束具をじっと見つめながら感じたままのことを言った。
「うーん。触った感じだと、たぶん外せそう。でも、力を入れすぎて灯まで傷つけそうなんだ。もう少し緩まってくれればなぁ」
それを聞いた龍聖は今度は進に声をかけた。
「これをやったのは君?」
進は突っ立ったまま呆けていた。
「ああ、そういえば巴菜も兄貴二人によるものだって言ってたな」
思い出し、勇も進を促した。
「解除してくれ、あんたならできるだろう」
そこでやっと進は小さな声で答えた。
「……無理だ。これは兄貴と二人で施した術だ。俺一人では解けない」
できない、という男に龍聖の纏う空気に冷たさが加わる。
「でも、半分は受け持ったんだよね。『外してくれる?』」
「―――!?」
急に体が固まり、進は驚愕する。なんだ? 何がおこったんだ?
かと思えば意思に反し、灯の前へと両膝をつき拘束具の前に自らの両手をかざした。
「な、なんだ、これっ。体が勝手に……っ!? ま、待ってくれ!俺は本当に解けないんだ……!」
突然体の自由を奪われた進は混乱しながら請う。龍聖は淡々と命令を下した。
「完全に解けないのはわかっているよ。だから君が請け負った『半分だけを外してくれたらいい』」
「や、……やめ―――っ」
懇願と共に強制的に自身の霊力が解放される。封印を解こうとする力とそれを拒む力がぶつかり、さきほどよりも大きな火花があがった。進の手と腕は強い封印の効力で引き裂かれ、いたるところから血が溢れていた。
「ぐぅっ!ぁああぁぁああー!!」
苦痛で悲鳴があがる。だがそれに反し、体は術の封印を止めようとしない。灯は思わず目を瞑った。勇は龍聖に止めるようかと声をかけようとしたがその表情を見て黙った。龍聖は、冷たく表情のない顏をしていた。そこで勇が取った行動は―――。
龍聖が勇の動きに目を見張った。勇は自分の手を進の手に乗せたのだ。
「もういい」
一言そういうと、進の力の解放がピタリと止まった。進は荒い呼吸を繰り返しながら力なく地面に尻餅をついた。勇は進を一瞥した。
「実際に術を受けて、おまえらがしたことの酷さがわかっただろう」
勇は灯に貼られて大量の札を一気に剥がした。その時、まだ力が残っている拘束具に手と腕の数か所がを切られたが、外し終わるまでその手を止めることはなかった。
「よし、外れた!」
「勇さま……」
「今ので怪我してないよな?」
「どこもしていませんわ。ありがとうございます」
「怪我をしているのは君のほうだろう」
ぐいっと腕を掴まれた。ってぇ!と勇は声をあげた。
「龍聖! なんだよ! 痛いだろっ」
「どうして勝手に手を出したの。こんな怪我まで作って」
珍しく龍聖は怒っているようだった。
「おまえがこいつの命令を解かないからだろ」
「あれは戒めも込めてやっていたの」
「それはわかったけど、やりすぎだ。それにそういうことをやっている時のおまえの顔、俺あんまり好きじゃない」
「―――」
「なんか悲しそうだから」
ほら、俺はたいしたことないから離せ、と龍聖の手を解くと進の方に歩み寄って行く。
龍聖は……動けずにいた。こわい。ひどい。否定の言葉を言われると思っていたのに。
勇は「悲しそう」と言った。神に。人間の子どもが。
「……不思議な方ですわね」
灯は足枷の鎖を狗火で溶かすと、龍聖の元へと寄り、龍聖は苦笑する。
「ほんとうにね」
「灯ー」
式魔を一掃した葵が勇たちの所まで飛んできた。
「葵、お疲れさまでした」
「んだよ! おまえ、足怪我してるじゃねぇか!」
「これは巴菜さんが手当をしてくださったので、もう痛くありませんわ」
「おぶってやろうか?」
「痛くないと言ってるでしょう。本当に心配性な弟ですね」
灯が呆れる。少し離れてところでその様子を勇が見ていた。シスコンが垣間見えた。あのぶっきらぼうの葵が……。でも。
「でも兄弟ってああいうもんだよなぁ」
双子のやり取りをを嬉しそうに見る勇の隣で座りこんでいる進が痛みを感じながらも呟いた。
「……おまえも姉がいたよな」
「姉ちゃんを知ってるのか」
「中学の時の俺の二つ下の後輩だ」
「へえ、そうか」
どこかでだれかが繋がっている。世間は狭いものだ。
「それにしてもあんた派手にやられたぁ。止血ってどうやるんだ?ハンカチで巻いたらいいのか?」
「いい。出血の割にどれも浅い。ほっといてもその内止まる」
勇が処置をしようとするが進は拒んだ。
「……兄貴に気をつけろ」
「え?」
「兄貴は……もう人じゃない」
「それってどういう……」
勇が聞き返そうとしたその時―――とても禍々しい気配を感じた。そして「それ」は一瞬で勇の前に現れた。
「―――っ!?」
現れたのは日本刀を持った長男正治。不意打ちに誰も動けない。狂った目をした正治が日本刀を勇に向かって振り下ろした。思わず勇は瞳を閉じた。
―――肉が切れる音がした。
……振り下ろされた刀は見えた。切られたとも思った。だがいつまでたっても次に来るはずの痛みがない。勇はゆっくりと目を開ける。……見えたのは進の苦しそうな顔。
「……っがはっ」
進が血を吐いた。そして地面に崩れ落ちた。
進は勇をかばったのだ。そう状況を把握しても勇は動けなかった。刀傷を受けた進の背中は真っ赤に染まり、服に吸いきれなくなった血が地面へと広がっていく―――。
「灯、葵」
龍聖が使役を呼ぶ。双子は言わんとすること察するとすぐに正治から勇たちを離すため、正治に切りかかった。正治は後ろへと跳躍し刀でそれを応戦する。
「勇くん」
龍聖が声をかける。立ち尽くしている勇の体は小刻みに震えていた。
「……このひと、俺を、かばって……」
「しっかりして。君はどこも切られていないね?」
勇は力なく何度も頷いた。勇の無事を確認すると龍聖は眼鏡を外した。黄金の瞳が出現すると両手で印を結ぶ。そして最後、結んだ印にふっと息を吹いた。すると進の体に黄金の膜が覆いそれが吸収されるように体の中へと入っていく―――。……すると血の流れが止まった。力なく勇が聞く。
「…龍聖、どうなったんだ?」
「血もいってしまえば「水」だから、龍神の力で強制的に体の外へ流れるのを止めたんだよ。でも長くはもたない。早めに治癒しないと」
急がなければならない。……そうだ! 急がないといけない! 勇はショックで鈍っていた思考を振り払い声をあげた。
「龍聖! 早くあの兄貴を止めてくれ! 今あいつ、おまえの使役なんだろ!!」
そうだ。鈴木兄妹は全員龍聖の使役だ。龍聖の「命令」には従うはず。
「それがね、さっきからやっているんだけど、効かないんだ」
「……え?」
「彼、すでに誰かに使役されているんじゃないかな」
そういえば、儀式が終わった時に龍聖は「失敗したかも」と言っていた。それはこのことだったのか。
「そうです! 龍聖様! この長兄は、ヤカラに憑かれています!!」
「……ヤカラ?」
遠くから灯の通る声が聞こえた。だが龍聖は少し納得していない顔だった。それから自分に言い聞かせるように呟く。
「なんにせよ、正体を引きずり出さないといけないね」
「どうするんだ?」
「動きを止めて、剥離術をかけるんだよ。勇くんはここで待ってて―――」
「わかった。動きを止めたらいいんだな!」
勇は龍聖の言葉を最後まで聞かずに進が使用している札式魔を拾う。使ったことはない。見たのも先ほどの一度だけ。でもきっと―――できる!
「勇くん!」
「いっけぇええー!!」
勇の「命令」に札の式魔が反応した。札から大きな妖怪の姿へと変身した妖怪たちが正治に向かって次々に突進していった。
「小賢しいぃいいいーっ!!」
正治はそれらを刀で切り捨てていく。勇は攻撃の手を緩めない。がむしゃらに正治めがけて式魔を飛ばし続けた。灯が叫んだ。
「葵!」
「わかってる!」
勇が隙を作ってくれたおかげで双子に術発動の準備をする時間ができた。灯と葵は正治をはさむように立つと、右の人差し指と中指を立てそのまま腕をあげる。左腕は正治を静止するように手のひらをかざす。
「神通力剥離、発動!!」
二人の声が重なった瞬間、大きな波動が正治を呑み込んだ―――。
**
双子の狛犬の力に勇は息を飲んだ。体は慣れない術を使ったせいでくたくただが、なんとか踏ん張って立っていた。それにしても双子の能力のすごさには言葉も出ない。さっきまで暴れていた正治の体は全く動かず、耳障りな奇声だけをあげている。これが龍神の使役の力……。
「おかしいね。引きずり出せていない」
龍聖が神通力を見ながら呟いた。え? と勇は龍聖を見上げる。龍聖は正治の「中」にいるモノを見定めるように、その黄金の瞳を細めていた。
「動きを止めているだけだ。手ごたえがない。狛犬の神通力でも引きずり出せないとなるとただのヤカラではないね」
龍聖は落ち着いている。むしろ想定内だった様子だ。対して勇は戸惑っていた。
「ヤカラじゃない……?」
「勇くん、今度こそ動かずにここにいてね」
「でも!」
「いいね」
重なった神の瞳に勇は何も言えなくなる。龍聖は返事を聞く前にその身を灯と葵の所へと翻した。それはとてつもない速さだった。
「灯っ、葵っ、入るよ!」
鋭く告げると龍聖の手から巨大な三叉の鉾が出現した。龍聖は鉾を片手で掴むと正治の体を下から上へ振り上げられた。―――悲鳴。
正治の悲鳴と共に、その体から何かが離れるように見えた。どす黒い人型の影。だが、それは一瞬のことで、影はすぐに体の中へと戻った。
「龍聖!!今のなんだ!?」
勇が叫ぶ。龍聖は正治から目を離さずに言った。
「九十九神」
「つくもしん……?」
「別名、付喪神。神だよ」
正治に憑いているのは神だったのだ。なぜ神が人間に……。
苦しそうに地面に這いつくばり正治は動けずにいた。龍聖は手をあげて双子に術発動を止めさせた。龍聖の力が効かない理由がやっとわかった。先に使役されていたとはいえ、力に圧倒的な差があれば強制的に乗っ取ることもできたはずだ。それができなかったのは同じ神格の位を持つものが使役していたから。
「……九十九神ってそんなに悪い神なのか?」
乾いた声で尋ねる勇に、龍聖は首を振る。
「九十九神自身に実体はなくて、憑くものの心によって良くも悪くもなる神なんだよ。今見えたドロドロした影も宿主の心を具現化したものにすぎない。邪な心で呼べば九十九神は邪神になるんだ」
「……そんな神様もいるのか」
勇が戸惑っている中、双子の狛犬は龍聖からの指示を急かす。
「龍聖どうすんだ? お前でも無理だったんだ。引き離すなんて無理だぞ」
「九十九神と宿主との癒着が強すぎますわ」
龍聖は考えていた。このままでは正治は確実に九十九神に体を獲られる。獲られた先にあるのは―――邪神の誕生。勿論、それを許してはならないことだ。そんなものが生まれれば、下手をしたら人間と妖怪の生態系まで崩れてしまう。―――……ならば一層。龍聖が鉾を握り直した。灯も葵も龍聖の出そうとした答えに異論はなかった。それが一番ベストな選択だ。今ここで、正治ごと――――……。
「だめだっ!!龍聖!!」
すぐ近くで勇の声がした。龍聖が振り返る。勇が走って駆け寄ってきたのだ。
「勇くん、危ない。さがって」
「おい、龍聖っ! おまえ今、何しようとした!!」
勇は怒っていた。龍聖が言い聞かせる。
「今すぐ九十九神を止めないと大変なことになるんだ。だから、」
「だから、コイツごと切るのか!?ふざけるなよ!!そんなことしたら巴菜や弟はどうなるんだよっ!!」
二人とも兄の心配をしていた。心から。もし目覚めてもう兄がいないと知ったら……。感情的になっている勇をなんとか分かってもらおうと双子たちも各々叫ぶ。
「勇! こうするしかないんだ! 九十九神を呼び寄せたコイツにも責任がある!」
「勇さま、邪神になれば本当に大変なことになってしまいます! 龍聖様のお力でも無理だったのです!ご理解くださいませ!!」
「勇くん、時間がない。君は離れて…」
「―――ごちゃごちゃうるせえぇぇぇーっっ!!」
勇が一喝した。
「九十九神も邪神も関係ねぇ!! コイツはまだ、兄妹に謝ってねぇんだよ!! 自分の過ちを謝らずに終わらせるなんて、俺は絶対に認めねえからなっ!!」
本気で怒った勇の剣幕はすごかった。霊圧も増幅され、それにあてられた灯と葵は体が竦み動けなくなってしまった。
一息に怒鳴り終わると勇は何度も肩で呼吸をした。無我夢中で叫び肺が痛い。だが、頭の中はすっきりとしていた。
「……勇、こえー」
「こわいですわ……」
固まっている二人にそんなことを言われ勇はショックを受ける。
「なっ! なんだよっ! 二人とも」
「勇くん、このままいくと妖怪の親玉にもなりそうだよね」
「物騒なことを言うな! おまえまでなんだっ! 俺は人として、あのバカ兄貴には絶対に謝らせたいだけだ!」
……ああ、そうか。と、龍聖はやっとわかった。勇には神も妖怪も生態も理も関係ない。自分は人間だから、人間の基準で、人間として曲がっていることが許せないのだ。ただそれだけなのだ。自分たちと違う目線で彼は世界を見ている。それが分かり、―――龍聖は嬉しそうに金色の瞳を細めた。
「単純だねー」
「……おまえは俺をバカにしてるのか」
ジトリと睨むが神は笑っていた。
「ううん。おかげで目が覚めた」
「なにがだよ?」
急になんだ? と首を傾げる。龍聖は口元に笑みを残したまま、鉾を握り直す。
「さて、じゃあ始めようか」
「っ龍聖!」
「大丈夫。もう下がれとは言わないよ。勇くんには責任を取ってもらうからね」
「え?」
目を見開く。
「責任って……?」
「もちろん、宿主と九十九神を引き剥がしてもらう、君に」
「―――は?」
「龍聖!?」
「龍聖様!?」
勇より早く、双子が先に驚きの声をあげた。勇は口を開けてぽかんとしている。龍聖は先を続ける。
「チャンスを勇くんにあげる。失敗した時は―――遠慮なく僕が切らせてもらう」
龍聖の目は本気だった。勇は息を吞む。何をさせるつもりだ。自分に。
「灯と葵と僕でもう一度引き剥がすから、最後の後押しを君にお願いするよ」
方法を言われて絶句した。
「なっ! 後押しって…俺、そんな方法知らないぞ!?」
なんてことを言いだすんだ! このバカ神!! 勇は無理だと首を横に振る。龍聖は小さく笑った。
「方法はあるじゃない。君のもっとも得意なこと」
「得意なこと……?」
俺が得意なこと。得意なこと……。妖怪関係で得意なこと。……それは、幼少期から自然と身に着けた……。
……。―――やがて勇の顔に笑みが浮かぶ。あまりいい笑みではなかった。理解した勇の顔に龍聖も満足そうに頷く。
「……うん。なるほど。っていうか、俺にはそれしかないもんな」
「そういうこと。期待してるよ」
「ああ。全力でやる」
やることは分かった。あとは実行に移すのみだ。
**
正治はまだ悶絶の中にいた。呻き声をあげたまま、横たわっている。もう一度苦痛を味わうことになると思うと少し同情した。
「二人とも、いいね」
「はい、龍聖様。勇さまにお任せしますわ」
「勇ならやってくれると思う」
……なんだか狛犬の自分を見る目が変わったような気がする。複雑だ。
三人は正治を囲うように三角形の陣をとった。灯も葵も龍聖の動きを注視している。龍聖は鉾をしっかり両手で持つ。
「勇くん、僕たちの力が君に攻撃することはないから、臆さないようにね」
「わかった」
緊張した顔で勇は頷く。
「灯、葵!いくよっ!!」
龍聖は一気に鉾を地面に突き立てた。狛犬たちは龍聖に合わせて神通力を発動させる。
「神通力剥離っ!!」
―――ドン。一気に放たれた神通力が正治の体を三角形に獲り込んだ。
「…ぁああぁぁひぐぃううぐあぁぁ~!!」
再び引き離しの術を受け、正治は絶叫をあげた。耳を塞ぎたくなる声だ。本当ならこれで離れれば一番いいのだが。だが先ほどと同じで一瞬九十九神の影が見えるがすぐに正治の中に戻ってしまう。その度に苦痛の悲鳴が強くなる。
……こんなにもすごい術なのに。
龍聖は自分のことを傷つけないと言っていたが、あの神通力の中に入ると思うと体が強ばる。正治はほとんど白目を剥いていた。悲痛の呻き声。それでも離れない九十九神。
最初は気の毒だと思っていたが、勇は段々腹が立ってきた。見ていて気づいた。九十九神は離れないんじゃない。正治が離さないんだ。
「おい」
届くかわからない正治に声を掛ける。
「苦しいなら、そいつを離せ。今すぐに」
返事はない。それでも勇は諦めない。
「そんなものに頼るな。あんたが何を考えているか知らないが、九十九神はあんたの望みを叶えたりはしない」
少し様子を見る。しかし反応はない。やはり駄目かと思ったその時―――。
「……ぅぅぁ、な、こと……な、い」
呻き声と一緒に微かな言葉が聞こえてきた。聞き取ろうと勇はギリギリまで正治に近づく。
「こ……の、ちか、らがあれ……ば、うまく、いく」
「いくわけないだろ。おまえ、このままだと九十九神に呑まれるぞ」
勇の声に力が入る。なんでわからないんだ。
「かまわ、ない……。おれ、が喰われても……家が……再興する、なら」
正治は涙を流していた。
「死んでも……いい」
―――この一言で勇が切れた。
「―――っこの馬鹿野郎がーっ!!」
渾身の一撃が正治の頬に入った。―――同時に正治の体から大きな影が飛び出した。灯と葵が歓声を上げた。
「出た!」
「やりましたわ!」
飛ばされた正治は地面に倒れて完全に気絶していた。飛び出た影の方は少しずつ色が薄くなっていく……。
「龍聖、これ、どうなってるんだ?」
葵が龍聖に尋ねる。
「邪な思念から解放されて、もとの九十九神に戻ったんだよ。九十九神は実態を持たない神だから、その内消えてまた自然に還る」
龍聖が言っている間に九十九神はどんどん色があせてきて……やがて淡い光となって空気に溶け込んで消えた。
……そこに残ったのは祓い屋の当主。勇は悔しそうに彼を見ていた。
「……死ぬことに逃げやがって。ばかやろう……」
気絶して届いていなくても、勇は思いをぶつけた。
「そんなんで終わらせるなんて、俺は絶対に認めないからな!」
ポンと肩を叩かれた。龍聖だ。
「お疲れさま。見事な一発だったね~」
肩を叩かれようやく体の力を抜くことができた。握っていた拳を解くと二、三度振る。今更ながら痛くなってきた。そして気づいたことを呟く。
「今まで腕だけで殴ってたけど、足と腰に力を入れると踏ん張りが効いて、重いパンチが出せるってわかったよ」
「君、何を目指しているの?」
どこぞのボクサーみたいな発言をする勇に龍聖は呆れたように笑った。そんな彼を見て勇は目を細める。
「……ああ、龍聖。おまえはやっぱそっちの顔の方がいいな。金色の目の時はどこか近寄りがたいけど、そうやって笑うといつも通りだ」
龍聖は瞳を見開いた。意表を突かれた顔だった。
「……ん? なんだ? 急に黙って」
勇が不思議そうに見てくる。……この少年はいつもこちらの予想を超えたことを言う。だが、イヤではない。むしろ……―――。口元に笑みがこぼれる。
「でも、あんまり長く見ていると何でだろ?チカチカしてくる」
目をこする勇。龍聖は少し目線をそらし伏し目にする。眼鏡を取ってきた灯が龍聖に渡した。龍聖はゆっくり目を閉じるとその瞳に掛けた。
「あれ? やっぱり掛けるのか」
「掛けるよ。だって眼鏡は僕のトレードマークだからね」
「はー? まっ別にどっちでもいいけど」
おどけてみせるが、勇は眼鏡を掛けても掛けなくても興味ないようだった。それがまた龍聖には心地よかった。
「で、このバカどうしたらいい? 取りあえず救急車?」
「そうだね、弟さんもいるし」
「そうだった! 早く運ばないと!!」
「呼吸は落ち着いてるぜ~」
弟の様子を見ていた葵から無事の声が届く。勇は胸を撫で下ろした。よかった。生きてた。
もうここに長居は無用だ。龍聖が全員に号令をかける。
「それじゃあ、諸々の後処理をして帰ろうか」
「そうだな。姉ちゃん待ってるし。はぁー怒られるだろうな」
「怒られるだろうね」
「サラッと言うな。おまえも一緒だからな」
「えぇ~」
「莉世様には、わたくしからきちんとご説明させていただきますわ!」
「いやいや、俺が自分の意思でやったことだから、いいよ」
「じゃあ、勇くん怒られるといいよ。灯、僕のフォローお願いね」
「……おまえってヤツは~っ!!」
「おまえら、喋ってないで動けよ~!」
離れたところから葵の怒った声が響く。終わってしまえば呆気ないが、勇には長い長い一日だった。早く神社に帰りたいと思った。―――空気が澄んだ心地よいあの神社に。少しでも早く帰りたかった。
真夜中の月は変わることなく静かに輝いていた……―――。
**
鈴木家長男ご乱心事件から二日が経った。
勇は相変わらず竜凪神社にいた。寝込むかと思っていたら海の時ほど重症ではなく。腕と足に筋肉痛が出たくらいだった。
「若いねぇ」
眼鏡神様はのほほんと本堂の前の階段に腰掛けていた。勇は鼻で笑う。
「そうか、おまえはすごい爺さんだもんな」
「ちょっと、そういう言い方やめてくれる?僕のどこがおじいさんなの?こんなに若くてかっこいいのに」
そう言ってむくれる。自分で言うな。
「俺、明日から学校だから、そんなに頻繁には来れなくなるからな」
「ああ、高校か。いいねぇ。僕も行こうかな」
「は? 子どもにでも化けるのか?」
その姿で制服をきたらただのコスプレだ。いや、神が神主の恰好をしているのもコスプレといえばコスプレなのだが……。
「それもいいけど、先生も捨てがたいね~」
「……やめてくれ」
学校生活まで一緒にいたくはない。第一なにを教えるつもりだ。
「俺は日常生活を大事にしたいの!」
「こっちは非日常ってこと?」
「そりゃあな。姉ちゃんと違って龍聖に助けてもらわなかったら、一生視えなかったかもしれないし」
それはないな、と龍聖は思った。遅かれ勇の能力は開花していただろう。
「莉世ちゃんといい、君といい、本当一度家の家系図を見てみたほうがいいよ」
「まーそのうちな」
あまり乗り気でないように、勇は大きく伸びをした。空気をたくさん体に取り込む。やはりここの空気はいい。
「子鬼たちは大人しくしているのか?」
「してるよ。莉世ちゃんのおかげだよ」
脱走癖がある子鬼たちが神社に戻って来ると大人しく中で遊ぶようになっていた。佐藤莉世にばっちり躾されていたのだ。一体どうやったのか。子鬼たちは莉世にとても従順になっていた。灯の次は子鬼か。どこまでも恐ろしい女だ。
「莉世ちゃん、何か強力な神が憑いてるんじゃないかな」
「見えるのか?」
「それが見えないんだよね~。だから不思議なんだよ」
「俺は地で強いと思うんだけど。姉ちゃんの弱い所なんて見たことないし」
「ふーん?」
龍聖が興味深げな顔をする。
「ま、それもこれから少しずつ、ね」
含みを残す龍聖を勇はジロリと見る。
「あまり姉ちゃんを怒らせることはするなよ。俺までとばっちり受けるのはごめんだからな」
勇は釘を刺すと、龍聖は「あー。はいはい」と軽く返事した。本当に分かっているのだろうか。
……桜の花びらがふわりと飛んできた。境内の中にある数本の桜の木は見事に満開だった。
「それはそうと、巴菜ちゃんはどうなの? 連絡来てる?」
「来た。昨日電話で話もした。上の兄貴、目が覚めたけど心ここに在らず状態で、暫くは病院で療養するって。下の兄貴は絶対安静だけど意識ははっきりしてるから大丈夫だって言ってた。龍聖のおかげだな」
龍聖がすぐに神力を使って応急処置をしてくれたからだ。少し目を伏せただけで龍聖は特に何も言わなかった。それから今回の一件のあと、龍聖は鈴木兄妹の使役の解除もした。理由は「必要ないから」の一言。本人がそういうならきっとそうなんだろうと勇も納得した。
勇は巴菜との話しの先を続けた。
「祓い屋は廃業するって。それが一番みんなにとって幸せだからって。家を守ることも大切だけど、一番大事なのは家族の幸せだから……巴菜はそう言ってた。俺は稼業や祓い屋の世界は知らないし、どうすることが良いのかも分からない。でも、巴菜の声からは強い意志を感じた。だから俺はそれでいいと思う」
「巴菜ちゃんはしっかりした子だね」
「ああ、ヒデのことも気にかけてくれてたしな。またこれから三人とも同じ高校だ」
「それは楽しみだね~」
「そうだな。楽しみだ」
勇は素直に頷いた。そしてそういえば、と思い出す。
「巴菜が一度この神社を探したけど見つからなかったって言ってたな。なんでだ?」
「僕が認めてなかったからだよ。君が神社に初めて来た時に言ったよね?この神社は僕が認めた者しか入ることを許されない。巴菜ちゃんも次からは入れるよ」
……ああ、そういえばそんなことを言っていたな。と勇はなんとなく思い出す。
「でも昔は普通に誰にでも見えていたんだろ?なんでこうなったんだ?」
「僕が竜凪神社を引き取ったからだよ。それまでは他の神が治めていたんだけどね。譲り受けたんだ。その時に僕が認めた者にしか入れないように神社を隠したんだよ」
勇が意外な顔をした。
「ここ、もとは違う神様のものなのか?」
「まあ、そうだね」
「その神様は?」
龍聖はそれには答えなかった。代わりに見せたのは愁いた微笑。……あ。勇は直観的に分かった。それは龍聖にとって触れて欲しくないこと。そして、その神様はもう……―――。
勇は話を神社のことへと戻す。
「でもさ、おまえの匙加減で入る入れないって決めてたら、ここの神社、ただの保育所と宴会所にしか使われないんじゃないか?」
「なに言ってるの?神社は神様にお願いをしにくる神聖な場所だよ?ちゃんと参拝者は来るんだからね。僕はね、「本当に悩みのある者」は受け入れるんだよ」
勇は首を傾げる。
「でも参拝者なんて見たことないぞ」
「本当に悩みのある者が少ないからだよ」
「……そんなものなのか?」
「そんなものだよ」
どうにも納得し難いのだが、自分自身、神社に来て全身全霊を懸けて願い事をしたことはない。訪れるのもせいぜい初詣でくらいだ。
「だからね、ここに辿り着いた者の願いはとても「重い」んだよ」
想像できないが、神様が言うくらいなのだからきっとそれは相当なものなんだろうな。勇は素直に相槌をした。
「ふーん。大変だな」
「大変だな……って、何他人事のように言ってるの? 君にもこれからは手伝ってもらうからね」
「は? 俺は子守バイトだろ!」
「そんなわけないでしょ。人間の参拝者も来るんだからちゃんと手伝ってよ」
くそ~。一体どれだけ押しつけるつもりだ、と悪態つきながらも胡散臭そうに勇は眉をしかめる。
「……本当に人来るのか? ここの存在なんて人間は知らないだろ?」
巴菜だって古い地図を頼りに訪れたのだ。今の人たちがここの存在を知っているとは思えない。
「「本当に悩みのある者」は、妖怪でも人間でも自然と辿りつけるようになっているから大丈夫だよ」
「なんてアバウトなんだよ!」
なんだそれ!そんな曖昧なものでいいのか?勇の唸りながら苦悩している様子を見る龍聖の瞳は実に楽しそうだ。
「何事も縁だよ、勇くん」
「縁ってな……」
勇がとんでもない神と関わったことを本気で後悔していると、桜の花びらを背に龍聖が笑って言った。
「あなたにご縁がありますように」
最早、皮肉にしか聞こえない。疲れた顔でため息をつくと、「はい」と何か渡された。なんだよと面倒くさそうに見て―――声を失った。
「―――……、これ、」
手渡された物は―――野球帽子。それは昔、秀雄から譲り受けるはずだったもの。
海に流されたと思っていた。まさか戻ってくるなんて。……急激に胸が熱くなる。
「これを見つけたのは君を助けた後だったんだ。返せてよかったよ」
そう言って柔らかく笑う龍聖自身、約束をした子どもとの再会を心のどこかで望んでいたのかもしれない。だからこそ帽子をずっと持ち続けていたのではないだろうか……。
「……やばい。めちゃくちゃ嬉しい」
感動して大事に帽子を持つ勇を見て龍聖は少しおどけたように言った。
「ね?ご縁って繋がってるでしょ」
まだ言うか。勇はちょっと上辺使いに睨むが、こんなものを渡されたら少し……ほんの少しだけだが信じてもいいと思った。
そしてこの神社とこの神に関わることを決めた自分に気合を入れ直す。
「―――ああ、もう! わかったよ!! 手伝うよ! 手伝えばいいんだろー!!」
「あはは、やっと覚悟を決めたね。じゃあ早速今日のお仕事だよ。これから本堂で高齢妖怪のお茶会があるから、そのお手伝いをしてね」
「……また、おまえは……」
保育所だの宴会だの、次は老人会か!? さてはまだあるな! しかし何より勇はこの神に言いたい。
「おまえはもっと、神社を神聖なものとして扱えーっ!!」
竜凪神社には一体いくつの顔があるのか。勇はこれから嫌でも知っていくこととなる。
……花びらが桜吹雪となり空へと舞い上がった―――……。桜も勇を歓迎しているようだった。
佐藤勇、15歳。この度ちょっとしたご縁で神様と再会する。
持ち前の順応力といざという時の破壊力で、あっという間に竜凪神社の一員となるのは間違いなさそうだ―――…………。
――end.――
ラストです。初めて長編の話を書き上げました。きっと加筆・修正が加わるかと思いますが、まずは書けて嬉しいです。
色々続きも考えていますが、機会があれば書いてみたいなと思っています。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。