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攻略4。勇くん、新生活が始まる。-前編-

【攻略4。勇くん、新生活が始まる。】


目が覚めた次の日、(いさみ)は竜凪神社へ向かった。

昼の時間は太陽の日差しも心地よい。森の中を歩いていると森林浴をしている気分になりながら、神社に続く石階段を上ると、神社の主が鳥居の前で勇に向かって手を振っていた。

「あれ~勇くん。もういいの?」

 いつものしまりのない顔だ。

「勇さま、もう体調はよろしいのですか?」

「トモカヅキをブッ飛ばしたんだってな。やるじゃん」

 (あかり)(あおい)も一緒だった。勇は照れくさそうに笑う。

「うん、大丈夫だ。それより、こんな所に三人でどうしたんだよ」

「んーちょっとね。じゃあ二人とも頼むね」

 それが合図かのように

「承知しましたわ」

「わかった」

 と答えると双子狛犬は二手に分かれて散って行った。

「なんだ? 何かあったのか?」

「それを確認しに行ってもらったんだよ」

「俺も手伝ったほうがいいのかな?」

「いやいや、そこまでしなくてもいいよ。それより、お茶飲んでいってよ。茶菓子が余っているんだ……大量に」

「大量に?なんでだよ。客でも来たのか?」

「うん。来たんだ。でもお客さん、甘いの苦手だったみたいで」

 正確には「嫌い」と言われたのだが。龍聖(りゅうせい)のどこか遠くを見つめる目に、なんだそれと勇は少し呆れた。

「君まで甘いのが苦手とか言わないよね?」

「あ? ああ、別に嫌いじゃないけど」

 君まで? 自分を見る龍聖の目が誰かと重ねているようだった。……まさか。勇は感づく。

「……なあ、まさか姉ちゃんが来たのか?」

「来たよ」

「……いつ?」

「君が記憶を取り戻した日」

 勇はどっと脱力した。やはり姉だったか。

「ほんとかよ……。だからあの朝、いなかったのか」

「莉世ちゃん、あの子すごいね。僕、もう少しで彼女の使役にされる所だったよ」

 龍聖は楽しそうにあはははと笑うが、勇はぎょっとした。神様を使役だと!?

姉ちゃん、何やった!?

「……俺も姉ちゃんに霊力があることを知ったのはその日だったから詳しいことは知らないけど、物心ついた時にはすでに視えていたみたいだから、結構すごい人だとは思うぞ」

「そんな感じだね。他に何か聞いた?」

「え……っと。視るより殴る方が得意みたいなことは言ってたかな」

「……君ら本当におっかない姉弟だねぇ」

 龍聖は腕を組みながら困ったように首を傾げる。

「ここに来ることは姉ちゃんに言ってきたけど、そんなことがあったなんて全然言わなかったぞ」

「僕が話すと思って自分が話す労力は使わなかったとか」

「あーなるほど。そうかもな」

「え~納得されても困るんだけど」

 冗談のつもりが的を得ていたようだ。神はがっくりと肩を落とした。

「会ってわかったと思うけど、あれが姉ちゃんだ。俺は姉ちゃんには勝てない。龍聖も勝とうと思うな。俺からのアドバイスだ」

「僕は諦めないよ~! いつか僕のこと、すごい神様だって言ってもらえるようになるんだ!」

 ざっくりとした目標だな……。まあ、今のままでは無理だなと勇は思った。

「じゃあ、記憶が戻ったのと元気になった快気祝いということで、お茶しよう」

 記憶―――。龍聖が離れに向かおうとしたのを、呼び止めた。

「龍聖」

「ん?」

「あの、さ、海では助けてくれてありがとう」

「なんだい、改まって。気持ち悪い」

 気持ち悪い? 礼を言った者に対して失礼なヤツだな。勇はむっとした。

「俺は礼儀はきちんとするんだ! たとえ胡散臭い相手でも!」

「胡散臭いって、僕神様だよ~」

「おまえが言うと安く聞こえるって言っただろ!」

 ついつい声を荒げてしまう。ああ、ダメだ。この神が相手だとペースが乱される。そうではなく、そうではなくて……。勇は一度大きく深呼吸をした。

「ちょっと聞いてくれ。俺は……その海で、ヒデの記憶ともう一つ、思い出したことがある」

「……思い出したこと?なにかな?」

 少し真顔で聞く龍聖の顔を勇は真っ直ぐ見ると、言った。

「おまえと会ったことだ。6年前、俺は確かにお前に助けてもらった」

 龍聖は黙って聞いている。勇は思い出した記憶の映像を手繰り寄せて一生懸命に話した。

「海の中で見たお前、今よりずっと神様っぽいっていうか、目も金色だったし、髪も長かったし、記憶が戻った時も本当に同一人物なのかと信じられなかった。でもトモカヅキのところで助けてもらった時のお前を見て、ああ、やっぱり同じ神だったんだと分かった」

「……うん」

 龍聖が小さく頷く。

「助けてもらったのに、忘れていてごめん。でももう忘れないから! それから、おまえとの約束、果たしに来たぞ」

 ゆっくりと龍聖の瞳が開かれる。

 あの時、神力を与えた勇に龍聖が言った言葉。それは……。


『―――また、会おう』


「会いに来たぞ、龍聖」


 力強い目で見てくるその瞳に、龍聖は言葉を失った。人でない者を視ることのできる人間など、ごく一部だ。

 これまでにも海で溺れる人間を沢山助けてきた。勇もその一人にすぎない。神力の影響で一時的に自分の姿を視る者は多いが、目が覚めたら夢だった、とすまされることがほとんどだろう。いや、実際それが普通だと龍聖自身も思っていた。

だけど、なぜかあの時は言ってしまった再会の約束の言葉―――。

 ―――そして微睡の意識の中でその子どもは言ったのだ。


『……うん。会おうね。神様』


 その時の子どもが約束を果たしに戻ってきたのだ。今、目の前に。こんなことは初めてだった。

「……は、ははは……」

 笑ってしまう。突然神が笑い出したので、勇は(いぶか)しげに見ている。

「なんだよ、何笑っているんだよ」

「いや。もう、君のバカがつくほどの律義さには笑うしかないよ……」

 そう言って、あははははと笑う。

「約束守ったのに笑うことはないだろう!」

 バカと言われ、勇もむくれる。なぜ笑うのだ。だが、それでも楽しそうに嬉しそうに笑う龍聖を見て、昨日の秀雄(ひでお)とのことを思い出す。

 ―――こういうところは、神様も人間も変わらないんだな。そう思った。


****




 広い森の中を(あおい)は駆け抜けて行く。目的は(あるじ)に命じられた調査。今回の調査対象は妖怪ではない。そう。妖怪ではなく……―――。

 葵はあるものに気づくと足を止めた。それから注意深く周辺を窺う。生き物の気配は……ない。だが「仕掛け」はあった。

 気づいた木には長方形の呪印符が貼られていた。それが円を描くにように他の木にも均等間隔で貼られている。これは…人間の仕掛けた罠だ。

 うっかり円の中に入るものなら呪印が発動し身体は縛られ動けなくなる。

 

 ……随分と手の込んだことをしやがる。

 

 葵は狗火(いぬび)で呪印符を焼いた。うっかり低級妖怪がかかったりでもしたら大変だ。そして、全部を焼くことはしない。あくまで一枚だけ。綻びができれば術の発動も不可能になる。そして、仕掛けた人間の方も一枚だけなら風で飛ばされたのかと思うかもしれない。極力こちらの存在を知れるのは避けたかった。

 この調子じゃ(あかり)の方も……。反対側の探索に行った灯のことが気になる。早めに合流するべきか……。―――その時、草木をかき分ける足音が聞こえた。葵は素早く音と気配を消し近くの木々に移り様子を覗う。近づいて来たのは二つの人間の影だった……。

「どうだ、引っかかってるか」

「だめね、兄さん。このあたりなら何かしら捕まえられるかと思ったんだけど…」

「あれ、ここ。一枚剥がれてる。ここの呪印符貼ったのおまえだろ?」

「え? 本当? おかしいなあ」

「他の場所でもここみたいに剥がれているってオチは勘弁しろよ」

「しっかり貼ったと思ったんだけど……」

 ……他にもあるのか。森の方々で罠を張っているようだ。葵は息を潜めながら人間を観察する。若い人間だ。男と女。兄と呼んでいたので兄妹なのだろう。口調から、一般人ではない。どこぞの祓い屋の者か? 兄妹の動く気配がした。葵はその動向を静かに見送る。そしてその時、葵はまだ知らなかった。兄妹の妹が、


「行くぞ、巴菜(はな)


 勇の同級生、鈴木巴菜だったことを……―――。


**


 葵が鈴木兄妹を目撃していた頃、(あかり)もまた、仕掛けられた罠を見つけていた。

 龍聖が森がざわついていると言っていたのは本当だ。自然の中に、人間による異質な力が混ざっていたのだから……―――。陰陽師か祓い屋かは分からないが、妖怪狩りを仕掛けてきている人間がいることは間違いない。

 とりあえず、この呪印符をどうにかしなければ。手に狗火を発火させ、燃やそうとしたところ……―――。

 ぴょこぴょこ、と。離れたところで動く小さな影が見えた。灯がはっと目を見張った。それは、子鬼たち。どうやらまた脱走したようだ。「あの子たちまた!」灯は急いで子鬼の所へ向かう。

 子鬼の一匹が今まさに呪印符の中に入ろうとしていた。灯の鋭い声が響く―――。


「だめえぇぇぇーっ!!」





 ふと、何かを感じたように龍聖が顔をあげた。

 食べても食べてもなくならない大量の茶菓子に、いい加減うんざりしていた勇もその様子に気づく。

「龍聖、どうした?」

「……勇くん、僕ちょっと出てくるから、ここで待っててくれる?」

「何かあったのか?」

 落ち着いてはいるが、いつもより早い身のこなしで出て行こうとする龍聖に、これはただことではないと感じた勇も立ち上がった。

「子鬼がまた何人か抜け出したみたいだ。今の外は少し危険だから連れ戻してくるよ」

「危ないってなんだよ? 早く見つけないといけないなら、俺も探す」

「ダメだよ。君に何かあったら大変だ」

 真顔で制する龍聖に勇は少しどきりとした。

「……俺の心配なら大丈夫だよ」

「ちがうよ。君に何かあったら、僕が莉世ちゃんに殺されるってことだよ」

 自分の心配かよ! 身を案じてくれたのかとちょっと感動したと思ったら、案じていたのは神自身の安全だった。俺の感動を返せ!

「殺されるなら殺されろ。一回死ねば、そのめでたい頭の中も少しは改善されるだろ」

「勇くん! なんてこと言うの!」

 情けない声を出す龍聖。

「うるさい。とにかく俺も行く」

 (かたく)なに譲らない勇に龍聖はうーんと一声唸った。そして、

「ダメ。やっぱり出ないで」

 答えは却下だった。そう言われても勇も引かない。

「まだ言ってるのかよ!」

「そうじゃないよ。他の子鬼がいるから、その子たちの傍にいてあげて。これ以上脱走されても困るから」

「……」

 冷静に状況を言う龍聖に、確かに一理ある。子鬼は集団行動が好きだと聞いた。つられて出て行かれては終わらない鬼ごっこだ。勇は渋々納得した。

「……わかった。待ってる。子鬼たちはどこにいるんだ?」

「今日は保育所休みだから、地下の部屋で遊んでるよ」

「子鬼が出て行くのを察知することはできないのか?」

 神様なのに―――。そう言いたげだ。龍聖は苦笑した。

「神様だって万能じゃないよ。それに邪心のない者の動きは読めないよ。その必要がないからね」

「でも、無邪気に脱走されたら世話ないよな」

「だよねー」

 痛い所を突かれたと龍聖は眉を下げる。子鬼が脱走するのは大人たちを困らせたいからではない。外の世界で遊びたい、ただの好奇心だ。

 龍聖が玄関を出てその姿を消すと、勇は言われた通りに地下に降りる階段から子鬼たちがいるところへと向かう。階段はそこまで深くはなく、数十段降りればすぐに到着した。

 地下なので薄暗いのかと思っていたのだが、廊下の端には数メートルおきにガラスに入った火がこうこうと光を発しているので歩くのには全く困らなかった。きっと灯と葵の力によるものだろう。

「……イサミー?」

 名前を呼ばれ、声がした前方の扉を見る。少し開いた扉からは小さな子鬼たちが顔をのぞかせていた。 こういう姿は可愛らしいのだ。ほんとに。脱走さえしなければ。勇は子鬼たちに笑顔を向けた。

「今日はお留守番の練習するぞ」

 部屋に子鬼を戻し、勇も中に入るとその扉を閉めた。



**


 狛犬は基本二匹で一対の存在。片割れになにかあれば、もう片割れがそれを察知できる能力があった。

 今の葵がまさにそれだった。灯に何かあった。ざわつく心の臓を服の上から握りしめ、彼女の気配を必死に追う。彼女の僅かな気配が近づき、もうすぐだと思ったところで見えたのは見慣れた狩衣姿の青年だった。

「龍聖!!」

 葵の声に龍聖は顔だけ向けた。そしてまた目の前に視線を戻す。葵は龍聖の横に降り立つと、同じく目の前の光景を凝視した。

 ……黒く焦げた草……と、僅かな血痕。これは……。

「呪印符の仕掛けが解かれているね」

 周りの木には円陣のように呪印符が貼られていたが、それらは全て横一線に破られていた。

 それが意味するのは―――妖怪の捕獲完了。つまりこの焼けた草は戦闘によるもの。そして血痕はその時に負った……。

 ザワリ。状況を悟り、葵の中でどす黒いものが生まれようとした。全身の血が沸騰しそうなほどの怒りが込み上げてくる。

 ―――よく、も、よくも! よくもよくもよくも人間めーっ!!

「葵、気持ちは分かるけど、怒りを静めて」

 龍聖が制止の声をかける。かっとなり葵は怒鳴った。

「できるわけねぇだろ! 灯が傷つけられたんだぞ!!」

 葵の怒りを受けとめながらも、龍聖はもう一度、静かに言った。

「静めるんだ。子鬼たちが怯えている」

 ―――子鬼? 言われて初めて数匹の子鬼が龍聖にしがみついているのが分かった。

「……おまえら、なんで……」

 怒声をあげた葵に、子鬼たちは小さく震えながら「ごめんなさい」「ごめんなさい」と謝っていた。

「葵。自分より小さい者には優しくと、いつも言ってるよね」

 諭すように言われ、葵は「くっそ!」と荒々しく自分の頭をかきむしる。そして大きな息を一つ、吐いた。龍聖はその様子を見守っている。

「……、で、どうすりゃいいんだよ」

 まだ少々ふてくしているが、怒りを収めた葵に龍聖は一度にこりと笑った。そして状況の把握を始める。

「灯が人間―――捕獲に式神を使ってはいないようだから、陰陽師でなく多分祓い屋の方かな。その祓い屋に連れて行かれたのはわかるね」

「ああ。その祓い屋の居場所を探すんだろ。でも灯の気配は結界の中に閉じ込められたら俺でも追えないぜ」

 そしてその可能性は極めて高い。葵はすでに神経を集中させているが、灯の気配を感じることはできなかった。暗い影を落とす葵に龍聖は和らいだ表情を向けた。

「だけど、僕たちにはこの子たちがいる」

 龍聖はそう言って手のひらにいる子鬼たちを見せた。

「…!」

 意図を理解した葵は目を見開いた。子鬼。こおに。こき。呼気―――。

 呼吸から生者が持つ名前を読み取る力を持つ鬼。子鬼たちが一斉に歌い出した。

「スーズーキー。スーズーキー」

「セーイージー」

「スースームー」

「ハーナー」

 祓い屋と思われる名前を何度も歌いあげる。……これなら見つけられそうだ。

「龍聖。神社に戻ろうぜ」

「うん。勇くんも待っているしね。……それに」

 そこで龍聖は言葉を切る。

「龍聖?」

「いや、とにかく戻ろう」

 龍聖はかぶりを振る。灯と一緒に連れていかれた子鬼のことが気になったのだ。一番最悪なことが頭の中を巡る。その前に何とかしなければ……。


 快晴の青空はいつしか夕空へと変わろうとしていた―――……。




**



 ……ピチャン。ピチャン。どこかで水が漏れているのか。コンクリートに跳ね返る水の音が聞こえる。(あかり)はゆっくりと瞳を開けた。

 冷たい床から体を起こす。……地下牢だろうか?両腕には札が貼られた拘束具。右足は鎖に繋がれ、もう片方の足は負傷していた。だがそこは包帯が巻かれて手当されていた。

 ……ここは一体……?

 着物の重ね着の隙間からぴょこと子鬼が顔を出した。

「アカリー?」

「し。あなたはそのまま隠れていなさい。危ないですから」

 灯に言われた子鬼は慌ててまた隠れた。

「あ、起きた?」

 その時、鉄格子の外から少女の声が聞こえた。拘束された腕を胸元に寄せながら灯はゆっくり振り向く。そこにいたのは中高生くらいの女の子。

「足、大丈夫? 辛くない?」

「……あなたは、森にいた……」

「うん。初めまして。わたしは巴菜(はな)。あなた強いのね。わたし達三兄弟が束になってやっと抑えられたんだもの」

「祓い屋、ですわね」

「そう。裏稼業で祓い屋をやっているの」

 巴菜は言いながらも視線は灯の足へと向いていた。その表情は曇っていた。

「ごめんね。痛い思いさせて。どうしても手加減できなかったから」

 謝罪する巴菜に灯が警戒を解くことはなかった。固い声で尋ねる。

「……あなたがたは妖怪を捕まえて何をなさるつもりですの……?」

 灯の問いに巴菜は自嘲気味に笑った。

「祓い屋にそれを聞くの? お掃除をする掃除屋さんになんの仕事をしているんですか?って聞いているのと同じだよ」

 ……掃除。その物言いに灯は眉を(ひそ)める。巴菜は続ける。

「陰陽師は自分の使役を持つために妖怪を捕まえる。または駆除する。祓い屋は、その場で駆除。またはより強い妖怪をおびき出すために、生贄用の妖怪を捕まえて、駆除する」

 妖怪はまるで虫のような扱いだ。灯の中で憎悪心が生まれてくる。何か言ってやろうとしたところ、でも、と巴菜が言葉を紡いだ。

「でも、祓い屋も時には使役することもある」

「……?」

「あなた、わたしの使役にならない?」

 灯は耳を疑った。この娘は急に何を言っているのだろう。

「……わたくしを使役に?……何を言っていますの?」

「だってとても綺麗な髪と眼をしているし、何より賢そうだわ。ね、そうしようよ。絶対に大切にするから! ね?」

 巴菜の真意が読めない。だが彼女が本気なのは何となく感じた。しかし。

「生憎、わたくしはすでに使役の身。あなたとの契約はできませんわ」

 巴菜が目を見張った。

「……あなた主人がいるの?」

「っ!」

 しまった。灯は自分の犯した失態に気づくが時すでに遅し。

「あなたがそんなに強いんだったら、きっとすごい人なんだろうね」

「……」

 もう下手に喋らない方がいい。灯は黙るが巴菜は諦めなった。

「ねえ、ならその主人との契約を破棄して、わたしと契約しよう?」

 そう言って柵の外から折に向かって手を伸ばすと灯の髪に触れた。傷つけるためではない。優しく、思いのある手つきだった。

「ね?」

 巴菜の目からは懇願さえもうかがえる。なぜここまで自分に固執するのか。灯には全くわからなかった。……この子は一体……。

「主人がいるなんら契約はできないよなぁ。二重契約になっちまう」

正治(せいじ)兄さんっ」

 男の声が割って入ってきた。灯はその男を知っている。罠の中に入った子鬼を追って一緒に罠にかかった灯を最初に見つけた者だ。このあと、巴菜ともう一人、男が加勢に来て敢え無く捕獲されてしまったのである。灯は男を睨みあげた。正治はそんな灯を冷たく一瞥する。

 檻の前に屈みこみ、先ほどの巴菜と同じように柵から手を伸ばすと―――乱暴に灯の髪を掴み横に倒した。灯の体が床にぶつかり、小さな悲鳴があがる。巴菜が止めに入る。

「兄さん! 乱暴はやめて!」

「妖怪相手に何言ってるんだ。だいたいお前がこいつを使役したいと言うから任せたのに、すでに契約中ならそれも無理な話だろう」

「……それは」

「コイツは生贄に使う」

「兄さん、待って……っ」

「そういう約束だろ」

 譲歩はした。できなかったのだから従え。巴菜は顔を歪めた。

「これだけ強い妖怪なら、さらに強い妖怪が呼び出せる」

「……っ」

 その時、床の上で小さな影が動いたのが見えた。子鬼だ。倒された拍子に出てきてしまったのだ。

「―――っ!?」

 巴菜も正治も子鬼の姿に驚く。灯が急いで二人から離そうと体を動かそうとしたが、それより先に正治の手が子鬼を掴んだ。子鬼から悲鳴があがる。

「おやめなさい!」

「力を緩めて! 兄さん!!」

 灯と巴菜が同時に叫んだ。

「……子鬼か。初めて視たな」

 正治はじっくりと子鬼を目視する。

「離しなさい。その子はわたしの巻き添えでついてきてしまった脆弱な者。あなた方のやろうとしている事にはなんの足しにもなりませんわ」

 固い声で灯が子鬼の解放を促す。

「……なるほど。確かに。こんなチビじゃあ使えないな」

「なら、」

「でも子鬼って、確か特殊能力があるよな」

 灯の体が強ばる。

「……特殊能力?」

 巴菜は分からないという表情を浮かべる。

「妖怪個体について記した文献を読んだことがある。確か、関わったことのある者の名前を言える……とか」

 ……子鬼の特集能力を知っているとは。この男、ただ嫌味なだけではない。相当な知識を頭に叩きこんでいる。灯に緊張感が走る。

「名乗らなくても名前が分かるの……?」

「そう。名前は生きている者に与えられるもの。そして生きるには呼吸が必要。子鬼は生者の呼気(こき)から、その者の持つ名も知ることができる」

「……すごい。そんな能力をもった妖怪がいるなんて」

「ああ。でもコイツ自身の力が弱いから、強い力を持つ者の名前しか読むことができない。そして、俺たちが狙うのは強い妖怪。うまく使えば強力な武器になる」

「兄さん、その子をどうするの……?」

 不安そうに巴菜が尋ねる。正治は不敵な笑みを浮かべた。

「じゃあ、手始めに、この紅髪妖怪の主人とやらの名前を言ってもらおうか」

「!!」

 恐れていたことが起ころうとしていた。灯は厳しい声を上げる。

「待ちなさい! 知ってどうするつもりです!? あなた方が束になってもどうにかなるお方ではありませんよ!!」

「そんなにすごいのか。それは是非使役してみたいものだ。さぞかし立派な妖怪なんだろうな」

 やはり使役目的か! なんと愚かな人間だ。

「人間がどうにかできる方ではないと言っているのです!!」

 なぜ分からない。神に手を出そうとしているということを。

「大丈夫。名を使った儀式のやり方も文献に載っていた。探せばすぐに見つかるだろう」

「―――だから!!」

「たとえ術が返されても、おまえを代償の生贄にするからこちらに被害がでることもない。……なにより、俺が失敗することはない」

 どこからくる自信なのか。男の目は自信と狂気で満ちていた。―――まさかこの男……。ある可能性が灯の脳裏をよぎるが、正治の行いに一瞬で冷静さを失う。

「さあ、言え。あの妖怪の主の名を」

 掴む手に力を込める。

「きゅー!」

「兄さんやめて! 死んじゃう!!」

「やめなさいと言っているでしょう!! この外道がっっ!!」

 怒号が響いた。灯は腹の底から叫んだ。頭に血が上りズキズキする。この枷さえなければ今すぐ炎で焼き殺してやるのに!! 怒りが頂点に達した灯を正治を薄ら笑いを浮かべて見下ろした。

「じゃあ、おまえが言え」

「―――」

 待っていたと言わんばかりに正治は続ける。

「そもそもおまえが言えばこんなことをする必要もない。そうだろう?」

「……っ」

 もう駄目だ。このまま自分の口から主の名を名乗るくらいなら一層―――。

「だめよ。変なこと考えないで」

 灯を制止したのは巴菜だった。灯は瞳を見開いたまま巴菜を見る。

「そうだ。巴菜よく止めた。大事な生贄だからな。自決でもされたらもったいない」

 褒める正治に返事をすることなく、巴菜は灯に声をかけ続ける。

「名前を言って」

「は……な、さん」

「このままでは子鬼がひどい目に合うわ。お願い」

「……―――」

「言って」

 巴菜の瞳は兄の正治とは違い、曇ってはいなかった。むしろ瞳の奥に強い意思さえ見える。

 ……その瞳の奥に見た光に灯の唇がゆっくりと動いた。


 ―――敬愛してやまない龍神の名を……。





***



 神社に戻った龍聖がおこなったのは灯を攫った者を探し当てる儀式だった。

 勇は灯が人間に連れて行かれたと聞かされた時は驚いた。そんなことをする人間がいるのかと……。

 離れの一室にある儀式の間に勇も呼ばれ、葵と一緒に龍聖が執り行うことを見ていた。

 儀式の間は祭壇以外何もない。だが漂う張りつめた空気に、神聖な場所だということは認識できた。祭壇前には白い布がかけられた机がある。その上には書道で良く使われるサイズの白い紙があった。白と白で同化しそうだ。

「今からあそこに子鬼から聞いた名前を書く」

 隣にいる葵が補足をしてくれた。

「書く……って言ってもペンも筆もないよ?」

 机にあるのは白紙の紙だけ。

「使うのは龍聖の血だ」

「えっ!?」

 驚いて思わず葵を見る。葵は表情を変えずに龍聖を見ていた。

「名前を使った儀式は正しく行えばすぐに対象者を使役できる、一見お手軽の術に見えるが、使うにはそれ相応の能力が必要なんだよ。誰でも扱えるもんじゃねぇ。少しでも対象者より力のない者が行えば、発動した術に負けて自分が滅びる諸刃の術だ」

 以前、龍聖に名前を取られるということは死んだも同じだと聞かされた時は恐い術もあるもんだと思ったけど……。本当に恐い術なんだと改めて実感した。

『名前って強力な護符なんだよ』

 龍聖は確かそうも言っていた。

「葵はできないのか?」

「できねえし、やりたくねえ。リスクがでかすぎる」

 葵が即答する。なるほど。確かに彼の言うとおりだ。

「でも龍聖はできるのか」

「あいつは腐っても神だ。お釣りがくるくらいだよ」

 口は悪いが龍聖なら大丈夫なようだ。

「……そういえば、龍聖って神様だったんだよなぁ。忘れてたよ」

「気にすんな。俺もよく忘れる」

「二人とも聞こえているよ」

 最早悪口だ。仕様がない子たちだと龍聖は肩をすくめた。だがお喋りもここまでだ。龍聖は眼鏡を引き抜くと、テーブルの上へと置く。途端に龍聖の纏う空気が変わったのがわかった。綺麗で冷たい、容易に近づく事など許されない高貴さを纏う空気。勇も葵もそれを察し静かになる。

「それじゃあ、始めるよ」

 現れた黄金の瞳と共に、龍神が儀式の開始を告げた。

 龍聖は自らの左親指を噛む。そこから流れるのは鮮血。その血を見て勇は身震いした。地味に痛そうだ。だが龍聖は顔色一つ変えない。それどころか人形のように冷たく美しいその顔はまさに神そのもので……。彼から放たれる空気とここの清浄な空気が共鳴しているようにキンと耳に入ってきて痛くなる。勇は無意識に片耳を抑えた。

 溢れた血をそのまま人差し指と中指に擦りつけると白紙に向かって血文字を記す。

 鈴木正治。

 鈴木進。

 鈴木巴菜。

 書かれた血の名前を手に取ると、龍聖は祭壇の前へと移動すると、その紙を立てて精霊棚に置いた。

 ……あれ?正面に置かれて見えた血文字の名の中に見覚えのある名前があった。

「……巴菜?」

 誰に聞こえるわけでもな勇は呟く。なんで巴菜の名が?勇の中ではじわりじわりと鼓動が強くなるのを感じる。まさか。まさか……?

 勇の動揺に反し儀式は淡々と進んでいく。龍聖の冷めた表情が告げた。

「我の血をもって命ずる。記された彼の者たちを、血の契約の元に我の使役とする。―――『命名掌握』」

 龍聖の声に呼応し、ふわりと紙が浮かびあがった。―――が、浮かび上がった紙を見た龍聖の瞳が鋭く細められた。紙は自動的に巻かれると龍聖の手元へゆっくりと降りてきた。手に収まった紙を見ながら龍聖は何か思案をしている表情だったが、やがて最後の血の印を施した。

「終わった」

 葵が儀式の終了を告げる。

「終わった……?」

 でも、なんだか龍聖の様子がおかしいような…。

「ああ、これで名前を書かれた奴らは龍聖の使役だ」

「……使役」

 いまいちピンとこない。

「龍聖が命じれば死ぬ」

「!」

 瞳を見開く勇に葵はただ事実だけをいう。

「使役ってそういうもんだぜ」

「……葵だって龍聖の使役だろ」

「ああ、でも俺は自分の意思であいつの使役になっている」

 強い瞳が返ってきた。揺るぎない深い、藍の目。

「だが名前を獲られると強制的に使役になる。そこに意思なんてない」

「ひどい術だ……」

「そうだな。ひどくて怖い術だ。龍聖のやつ、三人いっぺんに使役しやがった。やっぱ神だな」

「いや、一人失敗したかもしれないかな」

 龍聖の声が入ってきた。そこにいたのは眼鏡をかけたいつもの彼だった。

「失敗?」

 おまえが? と葵が疑り深い顔をする。

「龍聖、最後なんか納得してない感じだったけど、そういうことなのか?」

 勇が見ていて思ったことを言うと、龍聖は「よく見ていたね」と肩を竦めた。

「一人の血文字が完了の直前に薄くなったんだよね。もしかしたら術が反映されていないかも」

「ふーん。でも一人知るだけで良かったんだから成果としては十分だろ」

 葵は主の失敗を認めたくないように強がる。龍聖は眉を下げて笑う。

「そうだけど、もし三人がバラバラに動いていることを考えるとね。それに何かあった時、全員使役していた方が守りやすいし……」

「え?」

 勇は耳を疑った。守る?

 葵が舌打ちした。

「敵にまで情けをかけやがって……。おまえは本当にどうしようもないバカだ。バカ神」

「葵、冷たいよ~」

 情けない声をあげる。二人のやり取りの中、龍聖の言葉の意味を勇は理解する。それはつまり……。

「……龍聖は、巴菜を傷つけない……?」

「勇くん?」

 勇が龍聖の狩衣の袖を強く握った。

「鈴木巴菜は俺の友達だ!」

 ええ? と龍聖と葵が驚く。

「龍聖が失敗したのは巴菜か?巴菜なのかっ!?」

 ものすごい勢いで喰いついてくる勇に龍聖は気圧される。

「い、いや、その子ではないけど…」

「違うのか!? なら、巴菜の居場所分かるよな! 教えてくれ!! 俺が行って灯を連れ戻すっ!!」

「ちょっと、勇くん落ち着いて」

 今にも飛び出しそうな勇をどうどうと宥めるが勇の勢いは止まらない。

「なんで巴菜がこんなことに関わっているか知らないけど、あいつ悪いやつじゃないんだ!! ヒデのこともずっと心配してて!! 俺が会って話をするから! なあっ、あいつ今どこにいるんだ!? 家か!? 家にいるのか!?」

 興奮する勇を葵が遮るように切った。

「勇、おまえはいろ。俺が行く」

「葵が行ったら今度はおまえを捕まえようとするかもしれないだろ!俺が行く」

「おまえが行っても連中が聞き入れるとは到底思えないぜ。ああいう人間はそのへんの妖怪よりよっぽど性質(たち)が悪い。それこそヤカラと一緒だ」

「―――っ」

 ヤカラと一緒…。


『危害を加えることが目的って……妖怪は何を考えているか分かんないな』

『それは人間だって同じだと思うけど』


 龍聖との会話が頭の中で響く。まさに今、人間が妖怪に危害を加えているのだ。

 今まで人間をそんな目で見たことはなかった。いつでも被害を受けるのは人間側だと思ってた。でも、そうじゃない。……―――そうじゃなかったんだ。

「……なら、俺が止める」

 龍聖の狩衣を掴む力がより強くなる。

「勇くん?」

「人間が過ちを犯したというなら、同じ人間の俺が止める!! 絶対に止めるっ!!」

 ―――瞬間、勇の強い意思の声に部屋全体がシンクロしたかのように地響きが鳴った。

「……マジかよ」

 葵が驚愕の声をあげる。まさか、たかだが人間の子どもにこんな力が……。

 龍聖はというと必死に見つめてくる勇を黙って受け止めた。そして、

「わかったよ」

「っ龍聖!!」

 諌める葵に手をあげる。

「君の気持ち、受け取った。勇くんにも助けてもらおう」

「龍聖……」

 ほっとしたように勇が握りしめていた袖を離した。

「おい、龍聖、勇になにかあっても知らねえぞ」

「何言ってるんだい。そのために君がいるんでしょ、葵。君が勇くんを守るんだよ」

「あぁ!? なんだよ! それ!!」

「……いいよ。葵は灯を助けることだけ考えろ」

「おまえも龍聖と同じバカか? 相手は生身の人間だぜ。おまえの破魔の力も人間相手じゃ効かねえんだぞ」

「なら殴ってでも止める」

 至って真面目に勇は答えた。その瞳に迷いはない。言葉で言っても分からないなら力技だ。そこに人間も妖怪も関係ない。

 しかし、意気込む勇とは対照に神と狛犬は少々呆れていた。

「勇くん、人とケンカしたことあるの?」

「こんな細い体じゃ返り討ちに合うのが目に見えるぜ」

 こいつら人が気持ちを高めている時に…っ! 水を差され勇は顔を赤くして怒鳴った。

「いいから早く場所を言えーっ!!」


 勇の大きな声が部屋をこだました。



**



 ここに連れて来られてから、どのくらいの時間がたったのだろうか。地下牢の中ではそれを知ることもできなかった。

 現在地下牢にいるのは(あかり)巴菜(はな)だけだった。子鬼は正治に連れていかれた。今頃はきっと儀式の準備に取り掛かっているのだろう。重い空気の中、巴菜が口を開いた。

「……わたしのせいなの」

「……え?」

「わたしが兄さんたちに、森の中に何かあるかもと言ってしまったから」

「なぜそのようなことを……」

「久しぶりに会った友達の男の子に「竜凪(たつなぎ)神社を知っているか」と聞かれたの」

 巴菜の告白に灯が紅い瞳を開く。……その男の子とは。

「でも聞いたことなくて、だけど気になったから家の書斎室でこの町の昔の地図を調べてみたの。……そしたら、あったの。竜凪神社」

 ―――それは今よりずっとずっと遥か昔。まだ人間と妖怪の区別が薄かった頃。竜凪神社は人の目にも見える神社だった。いつから見えなくなったのかは定かではない。灯もよく知らない。

「それでね、地図を手掛かりに神社を探してみたんだけど、見つからなくて。ものすごく昔の地図だから誤記入の可能性もあったんだけど、それを兄さん達に言ったら、なら罠を張ってみようってなって……」

 そして灯と子鬼が捕まったわけだ。

「あなたみたいな強い子と珍しい子鬼が捕まったものだから、兄さん、これからもっと妖怪を捕まえる気よ」

「愚かな……」

「うん。本当にそう思う。でもウチみたいに小さな祓い屋は大きな成果をあげないと、どんどんつま弾きにされていくから。兄さん達が必死になるのも分かるの。だけど、最近の正治(せいじ)兄さんの行動はおかしいわ。こんなのあまりにひどい」

 巴菜の言葉に灯は先ほどの正治の狂気な目を思い出す。やはりあの男……。灯は巴菜を見る。

「……あなたは、どうなのです?」

「え?」

「あなたご自身はどうなさりたいのですか?」

「わたしは……」

 巴菜は少し考えると(うつむ)いていた顔をあげた。

「わたしは、あなたと子鬼を元いた森に帰したい。だから、今からもう一度森に行ってくるわ」

「巴菜さん?」

「あなたのご主人様にお願いしてくる。必ずあなたも子鬼も助けるから、少しだけ待ってて」

 先ほど巴菜から感じた意思はこれだったのかと灯は納得した。その瞳に、思いに、迷いはなかった。巴菜は本気だ。だが、もしばれれば巴菜だってただではすまないだろう。あの兄は……すでに狂っている。灯は巴菜と視線を合わせた。

「わかりました。わたくしの命、巴菜さんに預けましょう」

「……え?」

「正しくは、巴菜さんと神社のことを話したお友達の男の子に預けましょう」

「え? ……勇くん……?」

 容量が飲み込めない巴菜はぽかんとする。なぜ勇の名が?

「でも、えっと……」

「灯、ですわ」

「あか、り?」

「はい。わたくしの名前です」

 名を名乗ったのは心を許した証―――。巴菜の目にじわりと涙がたまる。

「……髪と眼と同じ。綺麗な名前」

「ありがとうございます、ですわ」

 そう言って笑う灯は本当に綺麗だった。つられて巴菜も笑って目元を拭うとすぐに気を引き締めた。時間はない。

「灯、何か考えがあるなら言って。わたしはどうしたらいいの?勇くんも関わっているんでしょ?」

 切り替えが早い。聡い子だ。灯はにこりと笑った。



 地下牢の外では儀式の準備が進められていた。

 中庭では長兄正治が文献書を手に弟に指示を出し、弟の(すすむ)が祭壇を作っていた。

 ここは鈴木家が裏稼業を行うために用意していた屋敷である。日々の日常生活を送る町からは山一つほど離れた山奥にある大きな屋敷だった。

 鈴木家は少し前までは力を持った祓い屋だっだ。だが父親の死後、当主が長男正治に移ってからは徐々に傾き始めた。なかなか思うように成果があげられない。正治の心は焦りと苛立ちで満ち溢れていた。この大きな屋敷も父が残した最後の栄華の象徴だ。

 追い込まれた兄の様子を弟の進は見ていた。そして、その目に宿る異常性も。妹の巴菜が怯えるのもわかる。兄にはもう、…だれの声も届いていない。進自身どうすればいいのか分からなくなっていた。

「……兄貴、子鬼はどうしたの?」

「逃げられないように封印箱に入れて俺の部屋に置いてある。子鬼の処遇はあの紅髪妖怪の親玉を使役してからだ」

「なあ、本当にやるのか?この術失敗したらやばいんだろ」

「その為に生贄を使うんだろうが」

「って言ってもなあ」

「いいからお前は俺の言う通りにすればいいんだ。失敗はない」

「失敗はないって……」

 なぜそんな大口が叩けるのか。しかし、進は途中まで出た言葉の先を飲み込んだ。どうせ自分の言うことなど兄が耳を傾けるとは思えない。

 ……その時、中庭の柱の影から二人の様子を覗う影があった。巴菜だ。その巴菜の手には小さな箱。中で飛び跳ねる音がする。

「しー。ちょっとだけ我慢だよ」

 そう話しかけると、巴菜は大きく息を吸った。外に行くには中庭を越えるしかない。―――狙うは奇襲攻撃!

「いくよ! 札式魔ふだしきま!」

 そして無数の札を取り出すと放つ。放たれた札からは妖怪が姿を現した。それらは一斉に祭壇めがけて飛んで行く。

「!?」

 正治と進は外からでなく中からの奇襲に意表をつかれて動きが止まった。―――今だ。巴菜が出入り口めがけて駆けだした。

 襲ってくる式魔に二人の兄は身動きが取れなくなっていた。走る妹の姿を捉え、正治の怒り声が響く。

「巴菜ぁああ!!なんのつもりだぁぁああー!!」

 兄の怒声に巴菜の体が竦む。だが止まるわけにはいかない。振り切るように扉を目指す。

「っ! あのバカっ」

 式魔を振り払い、進が正治より先に巴菜を捕まえようと自分の札式魔を放った。追撃してきた次兄の式魔に巴菜は自らの札式魔を使って応戦する。

「ちっ」

 式魔だけでは間に合わないと、進も駆け出す。巴菜はすでに扉へと辿りついていた。そして、勢いよく扉は開かれた。

「―――っ!!」

 開けられた瞬間、真正面から予測していなかった衝撃を受け巴菜は吹き飛ばされた。

「……っう……」

 地面に投げ出された体に痛みが走る。扉からは大量の式魔が入ってきたのだ。操っていたのは勿論―――……。

「巴菜ぁ……」

 ドスの効いた声と近づいてくる足音が聞こえた。体を起こすと視界に入ったのは仁王立ちに立つ長兄の姿。巴菜が必死に声を絞り出す。

「……正治兄さん、もうやめよう」

「……何を言っている」

「こんなことしても稼業はうまくいかないよ」

「おまえに何が分かる……。俺がどんな気持ちで……」

「わかるわ! わたしだって祓い屋の娘だもの! でもこんなこと間違ってる!」

「―――巴菜あぁぁああ!!」

 正治が再び巴菜に向かって式魔を放とうとした、その時、巴菜が取り出した箱を見せた。動きを躊躇させるには十分なものだった。巴菜は肩で呼吸をしながら立ち上がる。

「……わたしにこれ以上何かしたらこの子も一緒にお陀仏だからね。それでもいいの?」

 それは子鬼が入れられた箱。ギリリと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。

「進、巴菜を捕まえろ」

「兄貴……」

「早くしろ!」

 進は兄の叱責に眉をひそめながらも、妹の方へと近づく。巴菜は一歩後ろへ退く。

「近づかないで……」

「んなこと言っても仕方ないだろ。状況をみろ」

 拒む妹に進が苦言を呈する。巴菜はそんな進を睨みあげながら、言った。

「……わたしは進兄さんとは違う。絶対に、絶対にあきらめないからね!!」

 巴菜は素早く持っていた箱を力いっぱい祭壇の方に向かって力いっぱいに投げた。

「―――!?」

 進は反応できない。

「くそぉう!」

 正治が全力で走りジャンプをして箱をキャッチした。着地が受け身になり、体を地面にぶつける。子鬼は見るからに脆弱な生き物だった。傷ついて死にでもしたらこれからの目的が遂げられない。正治は急いで箱を開け確認した。

「!?」

 ―――中はカラだった。偽物。ギっと巴菜を睨むがすでに巴菜の姿はそこにはなかった。扉から逃げたのだ。勇の怒りが膨れあがる。

「……あいつ舐めた真似を……っ」

「兄貴、もうやめようぜ。どっちにしろ、儀式はできない」

「……なんでだ?」

「気づかなかったのか? あいつ、最初の奇襲で兄貴が持っていた文献書も奪っている。見てみろよ。どこにも落ちていない」

「!」

 弟に言われて周辺を見渡すと、本はおろか紙切れ一枚落ちていなかった。体力がなく沢山の式魔を出すのは苦手だが、操る能力に長けていた妹ならではの力の使い方だった。

 巴菜は見事に文献書と子鬼の回収をやってのけたのだ。たいしたもんだと進は感心した。―――が、それも束の間、ゾクリとした気配を感じ恐々とそちらを見る。メリメリメリ、と木箱を手で潰す音。無残な形となった箱が地面へと投げつけられた。

「……進、地下牢の妖怪を連れて来い」

 その声に感情はなく無機質だった。進は息を飲む。

「だが、兄貴」

「言う通りにしろ。おまえも生贄にするぞ」

 冷酷に告げる正治の目はもう人の目ではなかった……。



「見えた」

 神社の池を水鏡にして鈴木兄妹の姿を追っていた龍聖が声をあげた。

「結界の中にいたら契約していても追えないけど、一人外に出てきた」

「どこだ?」

 葵が聞く。

「……森の中だけど、でも、こことは違うね。走ってる。女の子だよ」

「巴菜だ!」

 勇が叫ぶ。

『勇くん!』

「!」

『勇くん!! お願い!! 助けて!!』

「巴菜!!」

 巴菜の助けを求める声に勇が水鏡に向かって叫ぶ。

 水鏡に映る姿と声は使役の主である龍聖にしか見えないし、聞こえないはずなのだが……。葵には何が起こっているか分からない。だが勇には巴菜の姿と声が認識できた。

「龍聖! まだか! まだ場所が分からないのか!!」

「勇くん、巴菜ちゃんの声と姿わかるの?」

「何言ってんだよ! 必死な顔で助けてって言ってるだろう!!」

「……俺、何にもわからねえぞ」

 葵は目を凝らすが、やはり見ることも聞くこともできなかった。龍聖が手短に指示を出す。

「勇くん、水鏡の前に立って。一人なら僕が中継になって送れるから」

「は? 何言って……?」

「いいから早く」

 龍聖に促され、勇は言われた通り池の前に立つ。ん? まさか―――? 勇は龍聖に向かって何か言おうとしたが、

「じゃあ先にいってらっしゃい」

 そして、どん! と背中を思いっきり押された。

「っ!?」

 勇は水しぶきと共にその姿を消した。水面には波紋だけが残る。

「便利だな。俺にはできねぇのか?」

「灯の姿が見えるならできるよ~」

 生真面目に尋ねる葵に龍聖は緩く答えた。



 夜の森の中を全力で駆けていた巴菜は、もう心臓は止まりそうなくらい辛かった。いつ兄の式魔が追ってくるか分からない。辛くて苦しいけど、少しでも離れて少しでも早く竜凪神社に行かなくては。

 だが地面のぬかるみに足を取られ転んでしまった。起き上がるが、呼吸が整わず体に力が入らない。早く立ち上がらないといけないのに、分かっているのに体がいうこと聞かない。巴菜はもうボロボロだった。

「……勇くん」

 無意識に町に戻ってきた少年の名前が出る。灯に言われた。外に出たら彼の名を叫べと。

「勇くん……っ!」

 灯の(あるじ)がきっと巴菜たちの動きを追ってくれているから。勇と関わりのあるあなたを見つけてくれる。必ず、必ず見つけてくれるから。だから叫べ――――と。涙がこぼれる。縋るように叫んだ。それしかできなかった。

「勇くん、助けてーっ!!」

「ぅわぁあああぁぁぁ~!!」

 すぐ近くから悲鳴と共に何かが落ちてきた。

 何事かと草むらの上に落ちた「それ」に巴菜は身構える。そして、のそりと起き上がった影に目を見開いた。

「いって~。龍聖のヤツ、なんてことするんだ……」

「……あ。勇、くん……?」

「ん?」

 勇が腰をさすりながら顔をあげた。目の前には座り込んでいる巴菜の姿。

「巴菜!!」

 勇は起き上がると小走りで駆け寄った。

「大丈夫か!? 怪我してるのか!?」

「……ううん。大丈夫。ちょっと転んだ、だけ……」

「でもおまえボロボロじゃないか!」

「ほんと、に……大丈夫だか、ら……」

 そう言って泣きだした巴菜に勇は慌てる。

「どうした! 巴菜!なにが合ったんだ!?」

「ごめんなさい。……ごめんなさいっ、勇くん」

「巴菜?」

「わたしが言えた義理じゃないことは分かっている! でもお願い! 灯を助けて!」

「灯っ!」

「兄が、灯を生贄にしようと……。でもわたしには止められなかった……」

 そしてまたポロポロと涙を流す。勇はゆっくり言い聞かせるように声をかけた。

「巴菜、わかったからもう泣くな。灯の場所まで俺を案内してくれ。……できるな?」

 責めるわけでもなく、勇は静かに巴菜を促す。巴菜は「うん」と何度も頷きながらも、一瞬誰と話しているか分からなくなった。6年前の小学生の彼はもういなかった。今、目の前にいるのは大人の顔をした少年だった。

「勇くん……変わったね」

 思ったことを口にしたが、言われた勇は首を傾げた。

「ん?それを言ったら巴菜だってそうだろ。ヒデだってでかくなってて驚いたよ」

「ヒデちゃんと会ったんだ」

「ああ、おまえが帰ってきたことをヒデに伝えてくれたおかげで色々なことがうまくいった。ありがとな」

 と、お礼を言われても巴菜はなんのことか分からずにきょとんとする。まあ、細かいことは気にするなと勇は笑った。巴菜もつられて笑みをこぼしたが、すぐにはっと大事なことを思い出した。

「あのね、勇くん。戻る前に子鬼をどこかに隠してあげて。あと、この文献書の処分も」

 そう言って箱と文献書を見せる巴菜に勇は感心した。

「おまえ……すごいな。一人でこれだけのことをやったのか」

「ううん。こんなことしかできなかったの。本当は灯の腕の拘束呪印も解除したかったんだけど、兄二人で作ったものだったからわたしには解けなかった」

 そしてまた、ごめんなさいと呟く。話を聞いていた勇は眉を(ひそ)めた。

「なあ、おまえがそんなにボロボロなの、兄貴のせいなのか?」

「……兄さん、もうわたしのこと見えてないの。助けたいけど…わたしには止められなかった」

 巴菜はまた涙目になり俯く。勇は瞳を細めた。

 その時、ガサリ、と草をかき分ける音がした。姿を見せたのは追ってきた式魔だった。

「……なんだ、おまえら」

 勇は無数の式魔を一瞥した。巴菜が慌てる。

「勇くん下がって! 兄さんの式魔よ! ここはわたしが…」

 そう言って札を取り出そうとした巴菜に向かって式魔が襲ってきた。―――と思いきや、式魔たちは一斉に吹っ飛ばされ消滅した。やったのはもちろん、勇。巴菜はポカンとする。勇は巴菜の前に立ち握っていた拳に力を込めたまま、低い声で言った。

「……妖怪だけじゃなく、自分の妹までも傷つけるとは、いい度胸じゃねぇか」

 ……あれ? 彼はこんな喋り方をする人だっただろうか? 巴菜は違う意味でもポカンとする。

「その腐った根性、ぶん殴って目ぇ覚まさしてやらぁ!!」

 この人だれ~!?巴菜は震えあがった。怒った勇の本性を彼女は初めて見た。

「勇くん勇くん! わたしなら大丈夫だから! それより子鬼と文献書だよ!」

 巴菜は目先の目的を見てもらうように文献書と箱を見せる。ああ、そうか、と勇も我に返ると箱を受け取ると中身を開けた。開ける時にパキっと音がした。

「あ」

 巴菜の声をあげたので勇は慌てた。

「え? あっご、ごめん。これ鍵かけていたのか? 俺、気がつかなくて壊しちゃった」

「いいの。わたしが封印を掛けていただけだから。あっさり壊されちゃってびっくりしたけど」

「そうなのか? ごめんな」

「ううん。すごいね、勇くん」

「イーサーミー」

 蓋を開けると子鬼が顔を見せた。

「迎えにきたぞ」

 勇が手を出すと子鬼はぴょんと勇に手のひらに乗りそのまま肩に飛び乗る。巴菜もほっとした顔を見せた。

「よかった、元気そうで」

「こいつを守ってくれてありがとな」

 礼をいう勇に巴菜は首を横に振った。

「段取りを考えてくれたのは灯よ。わたしはあの子の言った通りに動いただけ」

「そっか。でも実行したのはおまえなんだから、やっぱありがとう」

 再度、礼を言われ巴菜もはにかんで笑った。そして文献書を見せる。

「勇くん、これどうしよう。どこかに埋めた方がいいかな?」

「俺、よく分からないんだけど、古い文献書って価値があるものなんだろ?処分していいものなのか?」

 躊躇する勇に巴菜はきっぱりと言った。

「いいの。必要ない。いらない。灯も言ってた。この術はとても危険だって。それにもし灯の主、……えっと龍聖様、を使役に考えるなら灯だけの生贄だけでは全く足りないって……」

 まあ、あれでも一応神様だからな。妖怪や人間が束になっても簡単には無理だろう。勇は本を受け取ると最後にもう一度確認した。

「じゃあ、これはいらないんだな?」

「うん」

「わかった。でも埋めるのもなあ、かといってシュレッダーもないから破くわけにもいかないし…。一番いいのは燃やすことだけど……」

 生憎火は持ち合わせていない。巴菜だってそうだ。


「よこせ。俺が灰にしてやる」

 頭上から声が聞こえ見上げると木の上には葵がいた。

「葵! 早いな!もう追いついたのか!」

 葵が勇たちの所へ降り立つ。

「龍聖がお前をこっちに送って水鏡の風景が見えやすくなったらしくて、場所が特定できたからすぐに追ってきた。遠いところでなくて助かったぜ」

「ここの山は一帯が霊場になっているから、もともと力の介入がしにくい作りなんだよね。通りで視るのに苦労したわけだよ」

 やれやれとぼやきながら龍聖も姿を現した。勇は神に詰め寄る。

「龍聖! おまえ、さっきはよくも俺を突き落したな!!」

「だって勇くん、僕が視るのを邪魔して、巴菜ちゃんの名前をずーっと大声で叫んでうるさいから」

「ずっとじゃないだろ! 適当なこと言うなよ!!」

 勇の顔が真っ赤になる。

「え~勇ちゃん、こんな小娘ちゃんが好きなのぅ?」

 ……面倒なのがもう一人ついてきたようだ。勇は顔をひきつらせた。

「……吹雪、なんであんたまでいるんだ?」

「だぁってぇ、今神社にあの女が来てるんだもん! 絶対一緒にいたくないじゃない!?」

「あの女?」

「勇の姉貴」

 葵が答える。

「……っ!!」

 勇が悲鳴を飲み込んだ。なんだと!?

「莉世さん?」

 巴菜は断片的に理解できるものだけに反応し、龍聖が補足していく。

「君を送ったあと、帰りが遅いって莉世ちゃんが乗り込んで……じゃなくて迎えにきてね。今、神社で待ってるよ。危ないことに足を突っ込んだから、戻ったらお説教コースかな~」

 冗談じゃない!! なんでそうなるんだ!!

「しょうがないだろ! ほっとけなかったんだから!!」

 素直に思ったことを叫んだ。周りがシーンとなる。……なぜだ。自分は何か変なことを言ったか?

「勇ちゃん、それ愛の告白?」

「っ!? なんでそうなるんだよ!?」

「うん。そうにしか聞こえないね」

「勇ちゃんも男の子なのねぇ~」

「俺どっちでもいい」

 ……巴菜は黙って俯いていた。神も妖怪も好き勝手言いやがって……。勇の拳に力がみなぎる。破魔の力が圧縮されて肉眼でも十分見られるくらいまでになっていた。

「……殴られたいヤツから前へ出ろ……」

 目が座っていた。本気だ。途端に連中は慌てだす。

「や、やだわぁ~、勇ちゃん。そんな物騒なものはしまってしまって~。そんなに怒ったらせっかくの可愛い顔が台無しようぅ~」

「そ、そうだよー。落ち着いて、巴菜ちゃんもこわがるよー。ねー僕痛いのやだよー」

「すげえな、勇。おまえ本当に人間か?」

 全く…。勇は一つ大きな息を吐くと脅しの拳を収めた。

「葵」

 そして一言呼んで、本を放り投げる。

「頼む」

「簡単」

 受け取る前に碧い炎が本を包み込む。あっという間に本は燃えてしまった。燃えたの見届けると勇は巴菜へ向き直った。

「巴菜、ここから灯がいるところは遠いか?」

「ううん。そんなに遠くはないけど。ほとんど一本道だし……」

「じゃあ、巴菜はここで待っててくれ」

「っ! どうして!? わたしも一緒に行く!!」

「こいつを見ててほしいんだ」

 そう言って肩に乗っている子鬼を指差す。何があるか分からないから連れて行くわけにはいかない。

「でも……!」

「巴菜ちゃん」

 納得がいかない巴菜を龍聖が呼ぶ。巴菜が龍聖を見上げた。

「龍聖様、灯の主ですね?……ちょっと灯から聞いたのとはずいぶんと雰囲気が違う感じですが……。でもあなたが龍聖様ですね」

 どうもひっかかる言い方だが、巴菜はいたって真面目だ。ははは、と龍聖は笑い、勇と葵は冷ややかにそれを見ていた。

「うん。僕が龍聖。それでね、巴菜ちゃん、君は今僕の使役なんだ」

「え?」

「それでね、君のお兄さんたちも僕の使役なんだ」

「?……?」

「で、僕はちょっとお兄さん達におしおきをしようと思うんだけど、お兄さんたちにペンペンすると連鎖して、君も痛い思いをするかもしれないんだよね」

「龍聖様……?」

「それを避ける方法は、意識を手放すことなんだ」

「一体何を言って……」

「だから少しの間、『眠っていてね』」

 龍聖の一人語りに全くついていけない巴菜が龍聖の最後の言葉を聞いた途端、足元から崩れ落ちた。その体を龍聖が受け止める。

「巴菜!?」

 驚いた勇に龍聖は「慌てないで」と落ち着いて制止する。

「勇くん、大丈夫だよ。ちょっと眠ってもらっただけだから」

「今のが使役を操る力なのか…?」

「そうだよ。近くにいると一番効力が発揮できるんだ」

 実際に力を見て、その恐さを認識する。こんなにも簡単に……。

「イヤな術だな」

「そうだね」

 使用している龍聖自身もすんなり認める。嫌な術だと。龍聖は巴菜を木にもたれさせると吹雪に言った。

「吹雪、巴菜ちゃんと子鬼を見てて」

「えぇええ? なんでわたしが子守なのぅ~?」

 龍聖の指名に吹雪が不満の声をあげると、すかさず勇が頼みこんだ。

「頼むよ、吹雪。もしかしたら巴菜の兄貴が放った式魔の残りがまだ近くにいるかもしれないし。こいつ、自分の兄貴の式魔に襲われそうになったんだ。それってさ、すごい辛いことだと思うんだ。……もうそういう目に合わせたくないんだ」

 真摯に訴える勇に、吹雪は胸が熱くなった。

「……勇ちゃん、あなたなんていい子なのっ!! やっぱりわたしが認めただけの男ではあるわ! お姉さん、感動しちゃった!! 任せて!! 責任もって子守をするわよぅ!」

「吹雪、ありがとう」

 勇がほっとしたように笑うと吹雪はクネクネさせて「可愛い! 最高よ! 勇ちゃん!! いってらっしゃ~い」とラブコールで送り出す。うるさいと思いながらも勇は龍聖、葵と共に目的の屋敷まで小走りに走り出した。

 道中、勇はふとあることを思い出し龍聖に聞いた。

「ところで、神社に残った姉ちゃんはどうしてるんだ?」

「他の子鬼を見てもらっているよ。あと、鴉を話相手に置いてきた」

「鴉を?」

 唯我独尊の姉と、無口でクールな躯。果たして二人の中で会話は成立するのだろうか。

 シュールすぎる絵に勇の顔がひきつらせた。


 空では浮かぶ月が、屋敷へ向かう三人を明るく照らしていた――――……。


長いので前編後編に分けました。次で本当のラストです。

登場人物が増えると大変ですが書くのはとても楽しいです。

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