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攻略3。勇くん、約束を思い出す。

【攻略3。勇くん、約束を思い出す。】


 宴の翌日。(いさみ)は自分の家のベットの中で目を覚ました。

 

 勇の歓迎の宴は夜中まで続いていたが、勇は家に帰るように姉に言われていたので、そこそこの時間で神社を後にした。抜ける時も妖怪たちは騒ぎはまだまだこれからだという勢いで勇を送り出した。……連中はただバカ騒ぎがしたかっただけなのではないかとさえ思った。

 帰りの道中は躯が送ってくれた。正しくは飛んでくれた。

 躯は鴉の妖怪で、大きな羽を広げて勇を抱えたと思ったらあっという間に飛んで自宅へと到着した。色々な妖怪は見てきたが、自分が空を飛んだのは初めてだった。なんというか……夜の空は少し怖かった。家に入る前に礼を言うと「礼なら龍聖に言え」と一言だけいうと、今度は体を人から鴉に変えると、その姿は瞬く間に闇空へと溶け込みすぐに見えなくなってしまった。


 そして、今朝。勇は眠りから覚めると、テーブルに置いていた携帯電話に目がいった。光っていたのはメールランプ。勇は携帯を開いた。

「ヒデ……」

 メールの発信者は巴菜(はな)の幼馴染であり、仲が良かった友達の高橋秀雄からだった。きっと巴菜から会ったことを聞いたのだろう。内容も短く「会おう」というものだった。勿論断る理由もなかったので、了承の返事を出す。するとすぐに返信がきた。


『今から、家に行っていいか?』

 

 時計を確認する。午前6時過ぎ。ずいぶんと早いな、と思いながらも、着替えを済ませて二階の自室から携帯を持って降りて行く。キッチンにはすでに起きていた姉が沸かしたお湯をドリップコーヒーに注いでいた。

「あら、おはよ。早いじゃない。あんたも飲む?」

「あ、うん、飲む。って、あのさ、姉ちゃん」

 勇の分のカップを戸棚から用意しつつ姉は返事をする。

「なぁに?」

「ヒデこれからウチに来るって言ってるんだけど、いいかな?」

「ヒデ?秀雄(ひでお)?今から?」

 姉も知っている勇の友達。莉世は少し考える素振りをしながら、

「……別にいいけど。こんな早くから来るなんて、よっぽどあんたに会いたかったのかしらね」

「先に巴菜と会ったのがまずかったかな」

「おーモテるわね、色男」

 そんなんじゃないっ、と姉の軽口をメールを返しながらあしらう。そして送信ボタンを押した時、ふと昨日の巴菜に言われたことを思い出し、思いきって聞いてみることにした。

「なぁ、姉ちゃん。俺が海で溺れたこと知ってる?」

 弟の問いに莉世(りせ)は瞳をぱちくりさせた。

「あんた……思い出したの?」

「えっと、その、……思い出してはいない。実は昨日巴菜から言われたんだ……」

 歯切れの悪い答え方をすると、ああ、と納得したように莉世は勇の分のコーヒーカップをテーブルに出し、椅子に座った。つられるように置かれたカップの前に勇も座る。姉は自分のコーヒーを一口飲むと、過去のことをポツリポツリと話始めた。

「あんたが溺れたのは本当。台風の日でね、海もすごく荒れていて、わたしは学校にいる時に警報が出て、下校途中に海辺にいたあんたとヒデを見つけたのよ。小学生のあんた達も同じく帰らされていたはずよ。で、砂浜にいたあんた達に危ないから戻りなさいと注意したら、帽子を飛ばされたって言ってヒデが浪打際まで近づいて海に浮かんでる帽子を取ろうとしていたのよ。あんたは少し離れたところで、おどおどしてたわ」

 おどおど……。今の自分では想像もできないなと思った。

「その時、突然すごい引き波が来て一瞬後には大波がヒデの体を覆いかぶさろうとしたの。でもヒデが呑まれると思った瞬間、あんたが波とヒデの間に入ってヒデを砂浜の方へ突き飛ばしたのよ。で、あんただけが波にさらわれた、というわけ」

 ……あの頃の俺に会えるなら声を大にして言いたい。バカなことをするなと。己の無鉄砲さに胆が冷える。

「そのあと、漁業の人やライフセーバーの人に知らせて捜索をしてもらったんだけど、全然見つからなくてね。もうダメだ、と思った時、急に空の一点だけ晴れたの。一点だけよ?なんていうの?スポットライトみたいに小さく晴れた空から、海に向かってキラキラ光が射してたのよ。なんかもう分けわからなくなってね。そしたらその光を射した海面にあんたが浮いてたの。すごいでしょ?映画を見ているようだったわ」

 思い出せないが、聞いていてなんだか恥ずかしくなってきた。

「で、これ幸いとすぐにあんたを回収したはいいんだけど、今度はなかなか目を覚まさなくてね。精密検査をしても異常はなかったんだけど、とにかく起きない。でも、五日目くらいかな、やっと目を覚ましたのよ。ああよかったって父さんも母さんも喜んでいたけど、あんた、海での出来事をすっかり忘れていたのよ。よっぽど怖い体験だったのね」

 なるほど、こうして恐怖体験をした記憶は忘れ、霊感少年が誕生したのか……。勇は自分のことを客観的に分析する。

「あんた、目を覚ましてもしばらくぼーっとしたり、かと思ったら急にお化けがいると言い出したり……そんな状況だったから学校も休ませて、お父さんの転勤も決まっていたからそのまま引っ越ししちゃったわけ」

 どうやら龍聖(りゅうせい)の言っていたことは間違いないようだ。目が覚めたら霊感少年になってたらそりゃあ怖いよな。助けてくれたとはいえ、やはり逆恨みはしてしまう。

「そういえば、あの頃からよね。あんたが頻繁に変なものを見るって言うようになったの」

 姉に悟られないように勇は平静を装いながら答える。

「後遺症じゃない?今は言ってないだろ」

 まあ、そうね、と莉世はまた一口コーヒーを飲んだ。そうだ。今ではそんなことは言わない。言ってはいけないことだと分かったからだ。

「でも、わたしはいると思うけどね」

 さらりという姉に勇は目を見張った。コーヒーカップを持つ手に力が入る。

「少なくとも、海であんたを見つけた時の状況は、神様が助けてくれたんだって思ったわよ、わたしはね」

 別に信仰心とかないけど。と付け足す。

「神様でも幽霊でも、いたっていいんじゃないの。見えないからいないものとして排除するなんて、ナンセンスよ。……でも、見えない人間にとってはその存在を認めるのも難しいわよね。だってどうしたって見えないんだし」

 うーん、と腕を組む姉。勇は唖然と莉世を見た。……まるでその物言いだと……。そしておそるおそる聞く。……まさか。

「まさか姉ちゃん……視えてるの……?」

 互いの視線がぶつかる。莉世は答えず―――にんまりと口端をあげた。


「さあ?どうかしらね?」


 視えてる! 絶対に視えてる!! 勇は確信した。姉にも自分と同じような力があったのだ。自分のこの力も家系かもと龍聖は言っていたので、だとしたら姉にもこういう力がある可能性だって十分にあり得る。

 勇の声が大きくなる。

「姉ちゃん、どういうことだ!いつからだよ!」

「いやだ、急に怒ってどうしたのよ」

「俺が苦労していたの知ってただろう!なんで黙ってたんだよ!!」

「わたし、視えるなんて言ってないわよ~」

 まだとぼける姉に勇もむきになって食らいつく。

「ずるいぞ! 俺が父さんに「視える」って何度も言ってたら嘘をつくなって叱られていた時も助けてくれなかっただろ!」

「だってあの時は、本当に視えているのか、それとも後遺症か分からなかったんだもの」

 今の発言で視えると認めたと同じだ。勇がジトリと恨めしく莉世を睨む。

「……やっぱり、視えているじゃないか」

「あらあら、そんなふうに聞こえたかしら」

 そんなふうにしか聞こえなかった。どこまで白を切るつもりなんだ、この姉は。

「姉ちゃん、いい加減認めろよ」

 どんどんむくれる弟に、そうねえ、と姉は余裕の表情を返す。

「じゃあ、とりあえず、昨日の子犬の正体と、あんたがどこに泊まって何をしていたか、吐きなさい」

 全部お見通し。いつだってこの姉には敵わない。白状させられたのは勇の方だった……。



***



 ふふ、と笑う声がした。

 (あかり)が掃いていた箒の手を止め、顔上げる。笑ったのは神社の隅にある小さな池を覗いていた(あるじ)だった。

「龍聖さま、いかがされましたか?」

「うん。勇くんの気が随分乱れているなと思って水鏡を通して覗いてみたら、なかなかの追い込まれた状況だよ」

「まあ大変! わたくし、助けに参りましょうか!」

 慌てる灯に、いやいやと笑いながら止める。

「心配は無用だよ。それより、茶菓子の用意をしてくれるかい? 美味しそうなの」

「どなたかいらっしゃるのですか?」

「うん。すぐに来ると思う」

 ……思う? 断定しない龍聖の言葉に灯は少し疑問をもったが、彼の言うことは絶対だ。ならば主が望む最高の茶菓子を用意するのが自分の役目。

「畏まりました。とびきりのお茶菓子をご用意いたしますわ」

「ありがとう」

 仰々しくお辞儀をする灯に龍聖はにこりと笑った。




 勇の話を黙って聞いていた莉世の反応は、「ふーん。なるほどね」と頷いただけだった。

「……信じてくれるのか?」

 神様と妖怪の住む神社にいた話など。話をしている自身さえもが夢物語を語っている気分だった。普通の人間なら「コイツ頭大丈夫か?」と思われることだろう。でも姉は違った。

「信じるわよ。今話した通りなら、今までのことも繋がるし。……そう、やっぱりあんたは神様に助けてもらったのね」

「……らしいよ。思い出せないけど」

「それで、あんたはその龍神様のところで暫くアルバイトをする代わりに、ヤカラとやらからの身を守る方法を学ぶってわけね」

「うん。俺、ここにいると、龍聖の影響を受けて力が強くなる一方だから。だから自分でできることはやりたいんだ」

「確かに、あんたの霊力が強くなっていたのは気になってたわ。それだけ強い気を発していたら、近づいてくるヤカラも増えるんでしょうね」

 勇も物事の飲み込みは早い方だが、姉はそれ以上に早かった。

「……姉ちゃんはいつから「視える」んだ?」

「わたしはそれこそ物心ついた頃からよ。でも「視る」より、退ける力の方が強いみたい。ぼんやりとしか見えないことも多いから、重い空気を感じた時はその周辺を殴れば「綺麗になってる」感覚がしてそれで、ああなんか良くないものがいたんだなって分かる感じ」

 この弟にしてこの姉あり。佐藤姉弟は取りあえずヤカラは殴る。自分も大概だが、姉も相当なものだ。 だが身内とこうやって話せる日が来るとは思ってもいなかった。それだけでも心が随分と軽くなった。姉のやり方に勇は眉を下げて小さく笑った。

「まあ、暫くはそれでいいんじゃない? 父さんの勤務先がこっちに移るのもまだしばらく先だし」

 父親の次の転勤先は出戻りのこの町だった。だがそれまでにはまだ期間があり、母親は父親と残り、こちらの高校に通うことを決めた勇に大学生の莉世が付き添う形で先に来た。莉世の通う大学も今の家から少しだが近くなった。

「なるべく迷惑かけないようにするから」

 神妙な顔をする弟に莉世は払うように手をヒラヒラさせた。

「余計な心配は無用よ。わたしは自分の身くらいは自分で守れるわ」

 嘘ではないと思う。姉は強そうだ。理屈抜きで。

「だから約束よ。わたしに神様や妖怪に関して嘘や隠し事をしない。わかった?」

「……うん」

「約束したわよ。破ったらひどいわよ?」

「わ、わかった」

 姉の凄みに恐怖を覚える。昔から姉という絶対存在には逆らってはいけない。そう刷り込まれて育ってきた。灯や(あおい)の神が龍聖なら、勇にとっての神はこの姉だ。

「そろそろ、ヒデも来るんじゃない?」

 莉世が話題をここに向かっている友達に変えた。勇はその秀雄のことで少し気になっていることを尋ねた。

「あのさ……」

「なに?」

「ヒデのことだけど……」

「ヒデがなに?」

 少し口ごもりながら、勇は続けた。

「ヒデのこと怒ってる……?」

「……」

 姉は黙った。さっき秀雄が来ることを伝えた時、少し考えた反応が気になってたのだ。だが話を聞いて納得した。弟を、家族を危険な目に合わせたのだ。莉世は勇を溺愛しているわけではない、どちらかというと、こき使うタイプだ。だが愛情がないわけではない。それは勇にもわかる。その弟の命の危険を招いた者を姉は許していないかもしれない。

 沈黙。そして重い空気。たまらず勇が先に口を開いた。

「……あの、もしもだよ。もし怒ってるなら、許してほしい。俺は全然、気にしていないから」

 思いを伝える勇を莉世はじっと見ている。そして、一度瞳閉じて、それから開けると言った。

「弟が怒っていない人を怒れるわけないでしょ」

 勇はこの日ほど姉の偉大さを感じたことはなかった。

「姉ちゃん、ありがとう」

「なによ、気持ち悪い」

 素直な弟に姉がうざいように眉を寄せた。その時、訪問を知らせるチャイムの音がした。

 高橋秀雄と6年ぶりの再会だ。



「ヒデ!」

 玄関の扉を開けた勇は門の前に立つ少年の姿に驚いた。

 そこに立つのは野球帽をかぶりいつも元気に走り回っていた腕白少年…ではなく。

「勇」

 声が低く、勇よりずっと高い背とがっしりとした体格の青年だった。巴菜といい、こいつといい、人はこんなにも変わるものなのかと驚く。

「ヒデ……でかくなったな……」

「ああ、180超えている」

 少し照れくさそうに言う秀雄に心底羨ましいと勇は思った。

「まだ関節が痛いから、もう少し伸びそうだ」

 くそ! 未だ170センチの壁も越えられない勇にとってはただの嫌味にしか聞こえなかった。

「まあ、とにかく上がれ。新しい家、よく迷わなかったな」

「巴菜から聞いた」

 やっぱり。家の中に招き入れながら、やはり先に秀雄には連絡を入れておいた方がよかったかなと思った。

 二階に上がる前にキッチンから莉世が顔を出した。姉も秀雄の変貌に少し驚いたようだ。ずっと見下ろしていた少年が今では見上げるまでに成長していたのだから無理もない。

「莉世、さ……ん」

 あれ?秀雄は姉のことをそう呼んでたっけ?と勇は首を傾げた。

「俺、あの時は本当に…」

 そこまで言ってがばっと腰を曲げて頭を下げた。

「勇を危険な目にあわせて、本当にすみませんでした!!」

 ズシンと響く声に勇は体が竦んでしまった。莉世はというと表情を変えずに見ている。でも大丈夫だぞ、ヒデ!姉ちゃんはもう怒っていないからな!痺れを体に感じながらも心の中で友達を励ます。そう怒ってなど……―――瞬間、ぼかっと頭を殴る音がした。―――え?

 殴ったのはもちろん姉。

「よし! すっきりした!! もうこの話は終わりよ!!」

 意気揚々と宣言を下す姉に、勇は偉大と思ったことを前言撤回した。……姉さん、あなたはひどい人だ。

 秀雄も驚いたように莉世を見ている。

「莉世さ……ん」

「なによ、他人行儀ね。昔の呼び名で呼びなさい、ヒデ」

「莉世姉ちゃん……」

「そうそう。大きくなったね、ヒデ!」

 そう言って嬉しそうに秀雄の頭をワシャワシにした。「わぁ、姉ちゃんやめて~」と秀雄が子どもの頃のように情けない声を出した。それを見て、ああ……昔のヒデだあ、と勇も嬉しくなった。

 そして、あれ? と思う。

 秀雄が非を詫びるのは当事者である自分であり、秀雄の非を許すのも姉ではなく自分ではないのか? なぜ一番の被害者が蚊帳の外なのだ? いや、そもそも俺はヒデに対して怒ってないので、別にいいのだが……。いいのだが、どうも納得がいかない。勇は一人悶々としたまま、秀雄を自分の部屋へと通した。

「適当に座って」

 勇がそういうと、秀雄はテーブルの近くに腰を下ろして座った。長い脚を窮屈そうに曲げる。

 ……どうしたらこんなにもでかくなるんだ? 勇はついまじまじと見てしまう。秀雄はその視線に戸惑い少し体を引いた。

「なんだよ、勇」

「あ、すまん。何食べたらそんなにでかくなるのかなって思って」

「別に。特に何も意識してない。野球やってたらこうなった」

「ああ、そういえば年賀状やメールでも野球部の話してたな。高校も続けるのか」

「そのつもりだ」

「そっか」

 秀雄は小学校の頃から少年野球に所属していた根っからの野球少年だ。一つのことをずっと続けている秀雄を勇は素直にすごいと思う。

「連絡遅くなって悪かったな。ちょっとバタバタしてた」

「いや、俺の方こそ急かしたみたいですまん。どうせ高校一緒なんだから慌てなくても良かったんだけどな。でもなるべく早くに顔見たいと思って」

「なんだよ。メールでそっちに戻るって伝えた時は素っ気なかったくせに」

 勇がからかうように笑うと、秀雄はそりゃあ、と言いながら伏し目がちになる。

「あの事故の後一回も会えないまま、おまえ引っ越したし。……ずっと気になってたんだ。でも年賀状をくれた時は嬉しかった」

 ほっとしたように笑う秀雄に勇はズキンと胸が痛んだ。それは俺がその時記憶がないから……。いやそれは違う。自分の心に僅かに芽生えた思いを否定する。記憶があっても俺は秀雄を許していた。秀雄は友達だから。だからこそ本当のことを告げることにした。

「あのな、ヒデ」

「なんだ?」

「俺、あの時の記憶がないんだよ。目が覚めた時には事故の記憶が消えていた」

 勇の語られた真実に、秀雄の表情が固まる。

「覚えていない……?」

「うん。でもな、」

「……じゃあ、おまえは俺を許したわけじゃ……」

 勇の声を遮り、秀雄は声を表情を強ばらせる。勇は強く言った。

「聞けって! ヒデ!! 許す許さないじゃなく、俺は元からお前を責めてなんていない!」

「だけど、それは勇の記憶がないからで…」

「違う! 記憶があるかないかなんて関係ない。俺はお前を責めない。一部始終を見ていた姉ちゃんから聞いた。俺は自分からお前を突き飛ばしてお前を波から遠ざけたって。俺の意思でお前を助けたいと思ったんだ。なのになんでその相手を責めるんだよ」

「……勇」

「おまえは何にも後ろめたさを感じることはないんだ」

「勇……っ」

 絞り出すようにただひたすら勇の名前を呼ぶことしかできない秀雄に勇は笑顔を向ける。

「俺たち、友達だろ」

 伝えた瞬間、秀雄の表情が凍りついたかのように見えた。あれ? と勇の中でも違和感を感じる。だが、秀雄はすぐにかぶりを振りながら力なく笑った。

「……そうだな。俺たち友達だもんな」

「うん……」

 そうだ。友達だ。でも……なぜだろう。心のひっかかりが取れない。

「……なあ、勇、外に出ないか?」

 秀雄の申し出に、違和感を拭えない勇の反応がやや遅れる。

「あ、ああ、いいけど? どこに行く?」

 秀雄は短く答えた。

「海」


**



 佐藤莉世は竜凪神社の離れの客間にいた。そして今、神様と対面している。

眼鏡をかけ、頼りない雰囲気さえも漂わせている竜の神。だが本心が見えない瞳の奥からは一癖も二癖もあるように感じた。

「始めまして。佐藤莉世です。弟の勇が「色々」とお世話になってるようなんで挨拶にきました」

 わざと「色々」の言葉を強調させる。神相手にも高圧的な態度を崩さない莉世に、あはははと龍聖は笑う。

「いえいえ。よく来てくれたね。思った通り、美人なお姉さんだ。さ、お茶でも飲んでゆっくりして行ってください」

 そう言って、灯に用意させたお茶と菓子をすすめる。莉世は「いただきます」と言ってお茶を一口飲むと湯呑を置いた。

「勇からあなたが認めた者でないとこの神社には来られないと聞いていたので、わたしがここに通されたということは認められた、と思っていいのかしら?」

「そういうことになるね」

 のんびりと龍聖が応える。

「よかったら莉世ちゃんも、ここで働いてほしいよ。丁度巫女さんをやってくれる人を探していたんだ」

「お断りします」

 莉世は即答する。龍聖は力なく笑った。

「返事早いなあ。もう少し考えてよ」

「ないです。わたしはもうここに来るつもりもありません」

「どうしてまた。そんな寂しいことを言わずに遊びに来てほしいな」

 ナンパされている気分だ。莉世はとっとと本題に入る。

「弟の命を助けていただいたことには、本当に感謝しています。ですが、そのせいで弟の霊力が目覚めてしまったのも事実。このことを龍神さまはどのようにお考えですか」

「勇くんに聞いたと思うけど、僕の神力が混ざっているから、近くにいるとどうしても同調して力が増してしまうんだ。これはもう本人が上手に向き合うしかないかな。その為の手助けはするつもりだよ。僕にも責任があるし」

 龍聖の言葉に莉世が鋭く反応した。

「責任、とってくださるのですね」

 きらりと目が光る。

「え?あ、うん」

「よかったです。龍神さまがそう言ってくださり安心しました。ではここに、契約のサインを」

 ニコニコと笑顔で鞄から取り出し畳の上に広げたのは、何やら細かい呪詛が書かれた紙だった。龍聖が珍しくその表情を引きつらせた。

「り、莉世ちゃん……これって……」

 引きつる龍聖に莉世はうふふふと綺麗な顔で笑う。

「いやだ、龍神さま、そんなに身構えちゃって。ただの紙の契約書ですわ。ないとは思いますが、万が一、まずあり得ないことだとは思いますが、それでも万っが一、龍神さまが約束を破るようなことになった時の保険です。ええ。ただの保険です。普通は使用されることはありません。ですから安心してサインしてください」

「……ねえ、これ、契約相手を強制使役する呪詛式契約書だよね。なんで君みたいな女の子がこの書き方を知っているの……?」

「秘密です」

 莉世は答えず、そして笑顔で「早くしろや」と威圧をかける。神をなぐる弟と神を脅す姉。恐ろしい佐藤姉弟。

「なりません~!」

飛び込んできたのは外に控えていた灯だった。急いで紙を奪い取ると狗火で燃やしてしまった。紅い炎に「あら、綺麗ね」と感心する姉はどこまでも図太い。

「莉世さま、竜の神であられる龍聖様を使役する契約など、わたくし絶対に、絶対に認めませんことよっ!!」

 顔を真っ赤にして怒る灯。莉世はにこにこ笑う。

「いやだ、灯ちゃん、冗談よ、冗談」

「冗談も過ぎますと、全く笑えませんわ~!!」

 未だプリプリ怒る狛犬に「ごめんごめん」と謝る。しかしあれは本気だったと龍聖にはわかった。苦笑し降参のポーズをみせる。弟を守る姉の本気をしかと見せてもらった。

「まいった。僕の負けだよ。君の弟くんは誠心誠意守らせてもらうよ。約束する」

「いいわ。信じましょう」

 艶やかに笑うそれは、美しい妖女のようだ。彼女は本当は妖怪なのではないかと一瞬錯覚してしまうほどだ。

 佐藤莉世。恐ろしい女だ。二人の中で話があっさり終わってしまい、残された灯はぱちくりとしている。莉世はそんな彼女の頭を撫でた。そして茶菓子の一つを灯の口に持っていって食べさせる。灯も驚きながらも大人しくモグモグ食べた。「美味しい?」と聞かれると灯は素直にこくんと頷いた。……まずい。このままでは手なずけられる。

「すごいね。君のことをもっと知りたいよ」

 素直にそう思った。

「それ、口説いているつもり?」

 挑むような彼女に神は面白そうに両目を細めた。

「そうだったら、望みはある?」

「ないわね。わたし、普通の人間として生きたいから」

 呪詛式契約書なんてものを忍ばせている女子大学生が普通の人間として生きたいなど、もう笑うしかない。軽くあしらわれたものだ。龍聖は勇とは違った興味をこの姉に対して持った。

 ……人間は本当におもしろい。

「まあまあ、大事な話も終わったことだし、お菓子でも食べて。美味しいよ」

 人気の茶菓子をすすめる。しかしまたも莉世はきっぱりと断った。

「あら、ごめんなさい。わたし甘いものキライなの」

 女がみんな好きと思わないでね、とも言われているようにも聞こえた。「え~」と龍聖は眉をさげる。

 これは相当に手ごわい。

「あの、お茶を入れ直してまいりますわ。莉世さまは……コーヒーの方がよろしいでしょうか。ブラックで」

「灯ちゃんは人の話をよく聞いていていい子ね。そういう子は好きよ。ええ、お願いね」

 そういって褒めると灯は嬉し恥ずかしそうに、そそくさと部屋を退出した。

 遅かった。すでに手なずけられたか……。やれやれと力なく笑う神を莉世は姿勢を正し見据えた。

「いつまでもそんなナヨナヨした態度をしていると、この神社を乗っ取るわよ」

「それは困るなあ」

「わたしに見せかけはいらない。サシになったんだから、本性見せなさい。龍神様」

 そうだ。外には灯も控えていない。今ここにいるのは龍神と人間の娘だけだ。

 龍聖の表情は笑みを浮かべたままだが、今までにないほど控えめな笑みになっていた。

「「これも」僕だよ、莉世ちゃん」

「そう?わたしには必要以上に人間っぽくしているように見えるけど」

「緩いくらいがいいんだよ。いつもツンツンしていたら誰も寄ってきてくれなくなるでしょ」

「さびしがり屋さんなの?」

「ついでに甘えん坊さんだよ」

「神様なのに?」

「神様だからだよ」

 ……崇め奉られるのはもういい。そんなものを自分は望んでなどいない。妖怪も。人も。生き物全て。自分は同じ距離で同じ目線で彼らと触れていたいのだ。ただ、それだけだ。なのに…。

「神様というだけで、みな離れて行く」

「離れて行かない者もいるわよ」

「そうだね。でもできれば関わった者たちはみんな離れてほしくないよ」

「なに、そのわがまま」

 思わず笑ってしまう。そして正座から立ち上がると龍聖の方へと歩いて行く。

「だって僕、神様だから」

「今度は矛盾?」

 自分が神のせいで皆が離れて行く。自分は神だからこそ全部ほしい。矛盾もいいところだ。

 龍聖の前に立ち彼を見下ろす。龍聖は黙ったまま見上げていた。

 莉世の両手が動いた。そして龍聖の眼鏡のふちに手をかける。龍聖は止めることなく目を瞑りその行為を甘んじる。ゆっくりと眼鏡が引き抜かれた。そして閉じた瞼が開けられる。

 ―――その眼は……金色の美しい光を帯びていた。莉世は今までのような挑発さが嘘だったかのようにふわりと笑うと、名前を呼んだ。

「龍聖の()、綺麗ね。神様みたい」

「神様だよ」

「そうだったわね」

「こわくない?」

「こわい? 綺麗な目よ。でも長い間は見てられないわね。吸い込まれそう」

「そうだね。長くは見ない方がいい。僕の目は人間には強すぎるから」

 そう言って、やんわりと莉世の手から眼鏡を取り、掛け直す。再び眼鏡青年に戻った龍聖に「またナヨナヨさんなっちゃったわね」とこぼした。

「僕はこれでいいんだよ」

「一度勇にも見せるといいわ。あの子もきっとあなたの胡散臭さを感じていると思うから」

「まあ、その内ね」

「あっそう。じゃあ、神さまの目も拝めたし、帰るわ」

 あっさり去ろうとする莉世を龍聖は止めた。

「え~。帰っちゃうの? 僕だけ身ぐるみ剥がされた感じでズルいよ」

「わたしの目的は勇のことと、あなたを自分の目で見極めることだったから、それが終われば長いは無用よ」

 莉世の考えはどこまでもドライだ。

「僕だって莉世ちゃんのこと知りたいよ~」

「情けない声出すんじゃないわよ。本当に子どもなんだから」

「じゃあ、また来てくれる?」

「もう来ないって言ったでしょ」

「え~~」

「え~じゃない!もっとしゃんとしなさい!」

 でかい弟ができた気分だ。

「じゃあ、いいよ。僕が莉世ちゃんの家に行くから」

「え?」

「それならいいでしょう?」

 これはまずい。どうやら懐かれてしまったようだ。

「うちに来る……?」

「うん。どうせ勇くんとは長い付き合いになるだろうし。問題ないでしょ?」

 ……それは困る。こんなナリをした男に頻繁に来られて近所の目に触れられると後々面倒なことにもなりそうだ。不本意だが仕方がない。渋々莉世は折れた。

「……。わたしが暇な時に来るわよ」

「わーやったあ」

 喜んだ龍聖は莉世を抱きしめた。莉世が慌てる。

「ちょっと! 離しなさい! セクハラよ!」

「どうして? 君だって僕の眼鏡取ったでしょう。あれ、僕にとっては恥ずかしいことだよ」

「男と女じゃ違うのよ!」

「なにそれ」

 笑う龍聖だが、抱きしめる力を緩めることはない。やはり男だ。力では敵わない。その時、襖がガラっと開けられた。「ナイスタイミング!」と莉世が思ったところ、

「龍聖ちゃん、大変! 大変よ!! …って、ちょっとぅ! なに小娘なんかといちゃいちゃしているの!?」

吹雪(ふぶき)?」

 入って来たのは長身の美女。吹雪の慌てように、龍聖の腕の力を緩む。その隙をついて振りほどくと、莉世は近くにあった座布団を掴むと吹雪めがけて投げた。見事に顔面に直撃する。本来、莉世は女性に対して乱暴なことはしない。だが吹雪にいたっては、直観で先に体が動いた。「こいつは大丈夫だ」と。そしてその直観は正しかった。

「いちゃいちゃなんかしてないわよ。訂正しなさい」

 仁王立ちの莉世の顔はそれはそれは恐かった。

「な、なにすんのよぅー小娘!! 顔は女の命なのよー!!」

「何が女よ。あんた男でしょ」

 一発で見抜かれて吹雪はショックを受ける。恐ろしい子っ!!

 少女漫画よろしく、打ちひしがれている吹雪に龍聖が声をかけた。

「吹雪。大変なことって? 一体何があったんだい?」

 吹雪は、はっと我に返る。

「そ、そうだったわ! (むくろ)が勇ちゃんが海で危ない目に合ってるから、龍聖ちゃんに知らせてこいって……」

 そこまで言ったところで、莉世が吹雪の服の首襟を掴んだ。

「勇が何?詳しく説明しなさい」

「な……な、絞まってる!絞まってるわ……っ!」

「言いなさい! 勇がどうしたの!」

 ドスを効かせた声にひぃ~と吹雪の悲鳴がもれる。

「もう! あんたさっきからなんなの!? 何様なの!? 勇ちゃんのなんなのよぅ!!」

「お姉様よ!!」

 高らかに言ってのける莉世。

「かっこいいー。やっぱり、君、いいよ」

 龍聖がクスクス笑う。バカにしているのかと莉世が睨もうとしたら、冷静な眼鏡の奥の瞳とぶつかった。その眼に莉世の中の怒りが鎮められる。龍聖は落ち着いた態度のままスっと莉世に向けて片手を差し出した。

「一緒に来るかい?」

 弟の元へ。

「もちろんよ」

 愚問だ。―――莉世は龍聖の大きな手のひらに自分の手を乗せた。


**


 こうも連日海を訪れるとは思っていなかった。

 家を出る時、姉に声を掛けようとしたらいなかった。こんなに朝早くからどこへ行ったんだ? またパンでも買いに行ったのだろうか。そんなことを考えながら、浜辺を歩く秀雄の後ろを勇はついて行く。

「風が冷たいな。ヒデ、野球やってんだろ。肩冷やして大丈夫なのか?」

「……大丈夫だ」

 さっきから秀雄の反応が薄い。いや……冷たい? 勇は努めて話題を振る。

「そういえば巴菜とは昨日ここであったんだよ。あんまり話せなかったんだけど、あいつも同じ高校か?」

「ああ」

 ボソリと答えておしまい。勇も少しムッとなる。

「なんだよ。何か言いたいことがあるなら言えよ」

「……おまえが溺れたこの海、これを見てもやっぱり思い出せないのか」

 秀雄は海を見ながら固い声で聞いてきた。勇は首を横に振った。

「……悪い。思い出せない。でも言ったろ。おまえは何も気にしなくていいって」

「そうじゃない!」

 急に大きな声を出され、勇は少し驚く。秀雄は必死な顔だった。

「いやっ、俺のせいだから、そうじゃないことはないけど……。事故は本当に悪かったと思ってる! だけど俺が今言いたいのは事故の前の……っ」

「事故の前?」

 勇は復唱するがどうしても思い出せない。秀雄は勇の反応など見ておらず喋り続ける。

「なあ、勇、俺とお前、すげえ仲が良かったよな。いつも一緒に遊んで、帰りが遅くなると莉世姉ちゃんに怒られたりして……。だから、おまえが転校するって聞いた時は本当に悲しかったんだぜ」

「……うん。それは俺も」

 悲しかった。それは覚えている。友達と離れることが。―――そしてまた、心に違和感を感じた。……さっきからこの感覚はなんだ?

「子どもの頃の約束だから、たいしたことないと言われるかもしれないけど……それでも俺にとっては大事だったんだよ!」

 ん? なんだ? 急に話が飛躍したぞ。それに……約束? 勇は分からないことが増えて首を傾げるしかできなかった。

「ヒデ、約束ってなんだ?」

「本当はお前、許してくれてないんだろう? 俺のことも恨んでて……だからそんなこと言うんだろう?」

 もはや支離滅裂だ。勇は秀雄の肩に手を置く。

「ヒデ! しっかりしろ! お前、何言ってんだ!? 約束ってなんだよ!?」

 語気を強めた瞬間、勇は言いようのないざわついた気配を感じた。反射的に海原へと顔を向ける。

 ―――空が海が……灰色に染まっていた。……これは……。

「……、勇に謝らないと……」

 呟く秀雄を見ると、彼は海の方を見ていた。その眼に生気はなかった。そして、またポツリと呟く。

「勇に謝らないと……」

「ヒデ! 俺はここにいる! こっちを見ろ!」

 勇は怒鳴るが秀雄が見ることはなった。秀雄は海の一点を見つめている。いったい何を?勇もその方向を見て、そして息を飲んだ。

 ……海上の上を立っていたのは……幼い……、自分? 幼い姿の自分が笑ってこちらを見みていた。ぞっとする光景だった。

「トモカヅキ!」

 人の姿をし喰うヤカラ。昨日は黒いただの影だったのに。

「海から離れろ! 危ない!!」

 勇は秀雄を遠ざけようと腕を掴むが、秀雄は海上の勇の幻影に向かって進もうとした。

「っ待てっ!! 行ったらダメだ!!」

 必死に止めるが、体の大きな秀雄を止めるのは至難だった。引きずられ勇も海に向かって進んで行く。 その時、

「勇!」

 上空から声が聞こえた。必死に秀雄を制止しつつ見上げる。鴉の姿の(むくろ)だった。

「躯!!」

「今、吹雪に龍聖を呼ぶように知らせた。俺が上からトモカヅキを抑えるからその隙に海から離れろ!」

「わかった!!」

 全身に力をこめて踏ん張る。躯は一度上空高く飛び上がると、トモカヅキの頭上めがけ翼を振り下ろした。数えきれないほどのメスと化した羽根がトモカヅキに襲い掛かかる。水面にも無数に突き刺さり湧き起こる大きな水しぶき。

 ―――やったか!?

 勇は海上に目を凝らす。トモカヅキの姿は……なかった。ほっとしたところ、躯の厳しい声が響いた。

「勇! まだだ!」

 躯の声が引き金のように、水際まで迫っていたトモカヅキが一気に襲いかかってきた。

「っ!?」

 勇は咄嗟に精一杯の力を込めて秀雄を浜辺に突き飛ばした。―――あの時と同じように。

 その瞬間、過去の映像が勇の頭の中で弾けた。―――そうだ。俺はあの時―――……。

 だが考える余韻もなく、勇は波と一緒にトモカヅキに海の中へと引きずりこまれた。


 荒れ狂った大海原へと……――――。





 ―――海の中はグルグル回った洗濯機のようだった。今、どのあたりまで連れて来られたかもわからない。 トモカヅキはしっかりと勇に抱きついていた。

 この……っ! 引きはがしたいが、海の中では力がうまく入らない。だが諦めるわけにはいかない。喰われてなどやるものか!! 拳を握り気合でトモカヅキの顔を殴った。自分の顔を殴ったので決して気分は良くはないが、効果はあったようだ。トモカヅキの腕が離れた。勇は急いで浮上する。

 海上に顔を出すが近くに浜辺は見えなかった。だいぶ流されたか……。きっとすぐに追いかけてくる。勇は酸素をたくさん肺に取り込みながら周りを見渡すと、小さな洞窟が見えたので、そこを目指して泳ぎだした。

 疲労困憊でなんとか辿りつき洞窟の中へと進むが、あまりの体力消耗に洞窟の岩壁に体を預け動けなくなってしまった。荒い呼吸も治まらない。

(トモカヅキの野郎、よくも俺の姿でヒデを騙しやがってっ! ヒデは俺の大切な……っ)

 本気で怒った勇はとことんガラが悪くなる。つまり現在、彼の怒りはMAXなのだ。

 暫くしてようやく息が整ってきた。全身ずぶ濡れで体力も長くは持ちそうにない。早く躯に見つけてもらわなければ。でもどうやって? 考えろ考えろ。勇は自分に言い聞かせる。なんとかここから出る方法を考えるんだ。

 ―――その時。……ぱしゃん。水が上がる音がした。ペタ……ペタペタ……。次に足音。……来た。勇はゆっくり洞窟の入り口を見る。心臓の鼓動が早くなる。緊張はしているが怒りの感情のほうが今の勇には大きかった。来るなら来い。また殴ってやる。徐々に近づいてくる妖怪を睨みつけた。しかし、現れたのは……―――。


「勇……?」

「……、ヒデ……?」

 そこにいたのは息を切らせた秀雄だった。勇は瞳を見開く。

「よかった、無事で」

「おまえ、なんで、だって……え……?」

 この状況が信じられない勇はうまく言葉が紡げない。秀雄は水滴を飛ばすように頭を振った。

「突き飛ばされた後、おまえが波に呑まれたのが見えて慌てて俺も飛び込んだんだよ。大丈夫か?怪我してないか?」

「……あ、ああ」

 聞かれたまま返事を返してしまう。

「俺、なんかぼうっとしていたみたいで、気づいたらなんか海は荒れてるし、お前は波に呑まれるしで、ほんとに驚いたんだぜ」

 そう言いながら近づいてくる。勇は一歩下がった。

「と、止まれ」

「勇?」

「近づくな」

「何言ってんだよ。どうしたんだ?」

「……」

「帰ろうぜ。ここから入り江まですぐだから。またちょっと泳がなきゃいけないけど……いけるよな?」

 …本物、なのか? 気を使う表情は本人とも思う。自分に化けていたトモカヅキは目が座っていて、もっとずっと危険な顔をしていた。だがこの秀雄は違う。本当に心配しているようだ。……帰れるならいますぐにでも帰りたい。もう、体は限界だ。このまま秀雄について行って……。そして……。

「……―――っ」

 勇は一度思考を遮るように強く目を瞑った。どれが合っていて何が間違っている?だめだ。正常な判断ができない。ふらつく体をまた壁岩にもたれさせる。

「大丈夫か?やっぱりどこか怪我でもしてるんじゃないのか」

 止めていた足を進め、手を出して勇を支えようとした。その手を見ながら勇が尋ねる。

「……そんなに心配か……?」

「あたりまえだ。俺たち友達だろ」

 

 ―――秀雄の言葉が言い終わると同時に、強力な破魔の力が宿った勇の拳が秀雄の顔を吹っ飛ばした。

 

 数メートル飛ばされ、「秀雄」は顔を両手で抱えた。苦痛のうめき声が漏れる。

「ぐぅ……、ぅぅあ、なぜだ……?なぜわかった?」

 破魔の力を受け、「秀雄」の顔は火傷のように赤くただれていた。もはや人間でないことは明白だった。殴った拳にはまだ怒りが残っている。だが、頭は反比例して冷静だった。

「……なんで?決まってんだろ。秀雄は俺のことを友達なんて言わない」

 強い瞳が妖怪を射抜く。


「俺は、秀雄の親友だ」


 勇は記憶の欠片を取り戻していた―――。


 拍手の音がした。

「おめでとう~。思い出したみたいだね」

 手を叩き、緊張感など全く感じられない声が洞窟に響いた。その声はもちろん……。

「一人で倒しちゃうなんて、すごいよ。勇くん」

 姿を見せたのは竜の神、龍聖。勇に新たな怒りがこみ上げる。

「おまえ、遅いぞっ!!」

「いやあ、ごめんごめん。けっこう遠くに流されたね。見つけるのにちょっと時間がかかちゃったよ」

「おまえに足りないのは必死さだー!!」

 危機感とは無縁な態度の龍聖。その髪はおろか、狩衣を含め全身どこも濡れてはいない。……なんなんだ、コイツは。だが、龍神が来たことに勇は今度こそ力が抜けその場にしゃがみこんだ。龍聖は倒れいているトモカヅキの横をすり抜け勇のところへ行くと、片膝をつき頬に手を添えて様子を見る。

「怪我はないね。よかった。何かあったら僕が君のお姉さんに殺されるところだったよ」

「……姉……ちゃん?」

 姉がどうした。それに、お前その眼は……?

 龍聖はいつもかけている眼鏡をしていなかった。その瞳は金色をしていた。

 ……―――とても、とても綺麗な瞳だと思った……。

 聞きたいことはたくさんあるのに、もう疲れすぎて声を出す所か瞼を開けるのさえも辛かった。

「眠っていいよ。説明は起きてからね」

 龍聖の声に誘われるように勇は深い安息の眠りへとついた。

 勇が眠ったことを見届けると、龍聖はゆっくりとトモカヅキの方へと向いた。ガタガタと震えあがっている妖怪に一歩、また一歩と近づく。

「りゅ、龍神の連れとは知らなかったんだ……!だ、だからっ」

 命乞いをする妖怪に龍聖は何も答えない。

 彼はただ笑っていた。だがその笑みは壮絶なまでの―――氷の微笑。黄金の瞳とその美しい笑みは、現世から旅立つ者への、文字通り神からの(はなむけ)だった……。




**




 夢を見た。昔の夢。あの日は台風が来ていた。小学校は授業の途中で警報が発令されて急遽下校となった。

 帰り道、浜辺の歩道を歩いていた。海風も重なり、強風が吹いていた。一緒にいたのはもちろん―――。

『勇! 俺たち親友だよな!』

 荒れる海の前で秀雄が聞いてきた。

『うん! 俺たち親友だよ!』

 そうだ。一番仲の良い。一番の、親友。

『転校しても、変わらないよな!』

『変わらない! ヒデとはずっと親友だ!!』

 そう言って笑う幼い自分。……馬鹿だ俺は……。なんでこんな大事なことを忘れていたんだ。この年で親友などいうと気恥ずかしい感じもあるが、当時の自分たちは真剣だった。

『約束だからな!』

『約束だ!』

『じゃあ、この帽子やる!』

 秀雄が帽子に手をやる。

『え? ダメだよ! それはヒデの大事な帽子だろ!』

 慌てて断る。そうだ、その野球帽はヒデの大事な宝物。

『だから、やるんだ。親友のおまえに持っててほしい』

『……いいの?』

『うん! やる!』

『……ありがとう』

 そして秀雄が帽子に手を掛け、脱いだ瞬間、強風が吹き帽子は海へと飛ばされたのだ。……そしてあの後、波に呑まれて……。

 そういえば、あの帽子はどうなったんだろう……と思ったところで目が覚めた。


 視界に映ったのは自分の部屋の天井だった。

「勇?」

 近くで声が聞こえて視線を向けると姉の顔が確認できた。

「……姉ちゃん……」

「よかったわ。目が覚めて。どこか辛くない?」

「ん……。腹が減った……」

 空腹を訴える弟に、笑いがこぼれる。

「二日間、爆睡してたからね。そりゃあお腹も空くでしょう」

 待ってて。お粥作ってくるから。それまで寝てなさいと言って莉世は出ていった。

 二日間も寝ていたのか……。一人になり、ぼんやりしていた意識が少しずつはっきりしとしてくると、ああ、自分は生きているんだと実感がわいてきた。一度ならず二度まで同じ海で死にかけるとは…。しかも同じ神に助けられるなんて……。はぁとため息が出る。

「……礼言わなきゃな」

 不本意だが仕方がない。勇は律儀な少年だった。

 慌ただしいノックの音がした。姉か? 上半身を起こして返事をする。

「なに? 姉ちゃ…」

「勇! 見舞いに来たらお前が目、覚ましたって……!」

 返事を聞かずに勢いよく入って来たのは秀雄だった。勇は秀雄を招き入れる。

「ヒデ! おまえ大丈夫だったか?」

 本物の秀雄の顔を見られて勇は嬉しく思った。対する秀雄はとても心配顔をしていた。

「俺はなんとも……。というか、俺、海に行ってからのこと覚えていなくて。莉世姉ちゃんは俺も勇も二人して貧血で倒れてたって言うし」

 ……姉ちゃん、つくならもうちょっとマシな嘘をついてくれ。勇は乾いた笑いをした。

「あ、ああ、そんなこともあるんだな。ははは……」

「俺はすぐに目が覚めたけど、おまえ今日まで起きなくて、よっぽどひどい貧血だったんだな」

 心配する秀雄に心が痛くなる。もうそこには触れないでくれ。勇は苦笑しながら笑顔を向ける。

「俺も、もう大丈夫だって」

「そっか……」

 秀雄は納得するが、その態度はよそよそしいことに気づく。……ああそうか。秀雄はまだ……。

「なあ、秀雄」

「……ん?」

「あの時の帽子、どうした?」

「……?」

「ほら、飛ばされた帽子だよ。やっぱ見つからなかったか?」

「―――……」

 秀雄は瞳を見開いた。それは勇と彼と共通の大事な大事な記憶。

「あの帽子かっこよかったもんな。俺もらえるはずだったのに、残念だったよ。な、親友」

 ―――親友。今、勇はそう言った?沈んでいた秀雄の表情に明るさが見え始める。

「……勇、ほんとに……?」

「悪いな。待たせた」

 親指を立てて見せる。秀雄は力なくヘナヘナと座り込んでしまった。そして涙目になったのを隠すようにソッポを向く。

「その年で親友とかサラッと言うなよ。恥ずかしいぞ」

「うるさい。もう言わないよ」

 憎まれ口にも笑って答える。

 そうだ。二人の中で分かっていれば口に出す必要はないのだ。

 それからどちらともなく自然と笑い出す。二人の距離はすっかり6年前に戻った……。


 佐藤勇、15歳。このたび、決して無事にとは言えないが、大事な親友との再会を果たした……―――。



 ―――そして、思い出したことはもう一つ。


 それは、龍神に会った時に直接言おうと決めていた……。

龍聖様と莉世お姉様の会話が書いていて楽しかったです。

次で一応ラストです。

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