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EPISODE-Ⅰ ~機神誕生~



 PROLOGUE


 「神の遺産」



  二〇〇X年 一月二十日


 この国に来て半年が経つ……一向に成果が得られない。私の仮説と文献が正しければ、この地に『神の遺産』が眠っている筈。だが、いくら掘り出しても見つかるのは土器や化石だけ……

 確かに、これだけでも充分だ。しかし、私の探している『神の遺産』とはこんなモノでは無い。


 もし『神の遺産』が発見されれば、今日迄の考古学の常識をひっくり返す大発見となるだろう……




 二〇〇X年 一月二十二日


 とんでもないモノを発見した。

 先日の地震の影響で、発掘現場の地盤の一部が陥没し、そこから地底奥深くへと通じる洞窟が姿を現した。洞窟の先には広大な地下空間があり、そこで調査を進める内に私達は奥深くに巨大な宮殿の様な物を見つけた。

 私はそれを『冥王離宮』と名付けた。




 二〇〇X年 一月二十六日


 『離宮』発見から数日が経った。

 調査の結果、この『離宮』は有史以前に存在した遺跡だと言う事が分かった。それだけでも驚きなのだが、何とここには最近まで何者かが居た様な痕跡まであったのだ!

 此処を発見した時、遺跡に施されていた封印が解かれた形跡は見当たらなかった。そんな場所に何者かが住んでいたなど、あり得ない。

 一体、どう言う事なのだろうか?




 二〇〇X年 二月一日


 『離宮』の最奥部に更に封印された部屋がある事が解った。

 『神の遺産』があるとすれば其処以外に無いだろう。そう思うと胸が高鳴る。現に今、この瞬間も筆を持つ手が震えている。

 次の調査がこんなに待ち遠しく感じるはの、幾年ぶりだろうか?



 二〇〇X年 二月二日


 遂に見つけた! 『神の遺産』はやはり此処にあった! 私の仮説は間違っていなかったのだ!

 それにしても、凄い……

 見ているだけで圧倒されそうだ。あまり保存状態の良く無いモノもあるが、この凄絶さは神の業に拠る物だと言えよう。私自身無神論者のつもりだったが、かつて存在したかもしれない神に祈りたくなる程に、今歓喜している!

 …‥そう言えば、最近子供達と連絡を取っていない。早くに母を亡くし、あの二人には苦労ばかりかけていた。依然、調査は続行されるだろうが、早く帰って元気な顔を見せてやろう。


 待っていろ。愛菜、昴‥…










 CHAPTER-Ⅰ


 ~胎動~



「ここは……?」

 御子神 昴は、闇の中にいた。

 光が射さないどころか、自分の姿さえも解らなくなる程の深き闇の世界。もがけばもがく程、深淵へと沈んで行く。そんな場所に、彼は放り出されていた。



 ――スバル……



 何処か遠い処から、声が響いた。纏わり付く闇にも負けぬ、どこまでも力強く、誇りに満ちた雄々しき声。そして、どこか懐かしい……そんな声。



 ――スバル……俺の声が、聞こえるか?



 声は、あらゆるモノを振り切り、昴の脳内に直接響き渡る。



「君は……一体!?」



 ――スバル。俺と共に……



「答えてくれッ!」



 ――神を……



「君は一体、誰なんだァッ!?」



 ――殺せッ!!






「――ッ!」

 声にならない絶叫を上げて、昴は飛び起きた。

「はぁ……はぁ……ッ!」

 荒れる息を整えながら、昴は辺りを見回した。色褪せた壁、シンプルな家具、年代物の本棚とその中の沢山の書物、そして無意味に巨大な熊のヌイグルミ。

 それは、いつもの――十六年の間、見続けた景色。朝の陽射しに照らされた自室の景色だった。

「夢、か」

 先程の出来事が夢だった事の安堵と同時に、得体の知れぬ不安を昴は感じていた。

 夢の中のあの声……あれは一体?

 あの声は、確かに自分の名を呼んでいた。だが、あんな声など聞いた覚えは無い。

 いや――本当にそうか?

「……昴、起きてるの?」

 扉の向こうから響く澄んだ女性の声が、混沌じみて来た昴の思考を中断させた。

「姉さん……」

「何だか酷くうなされていたみたいだけど……怖い夢でも見たの?」

 扉の向こうの女性が、心配そうに訊ねた。自分の身を案じてくれる優しい声を心配させない様に、昴は出来るだけ平静を装って尋ねた。

「大丈夫。心配しないで」

「そう? なら良いんだけど……」

「愛菜さーん! ちょっとー」

 下の階の方から、別の女性の声が聞こえた。父が雇っている年配の家政婦の声だ。どうやら女性に手伝って欲しい事があるらしい。

「はーい! それじゃ、また後でね。昴」

 扉の向こうの気配が遠ざかり、続く足音が一階へと降りて行くのが聞こえた。

「……さて」

 呟いて昴は、足音が聞こえなくなったのを確認すると、昴は眠気の誘惑を振り切ってベッドから降りた。




 二〇XX年、一二月。

 二一世紀に入って幾度目かの冬。温暖化の影響か、年々気温が上がっていると言われているものの、日本の冬はまだまだ寒い。首都・東京も朝方は気温が低く、道行く人の殆どが厚着をしている。そんな景色の一つである閑静な住宅街に御子神 昴の生家――御子神邸はあった。

 御子神邸は外見だけ見れば、立派なお屋敷の様に見える。が、実際のところ、敷地の半分は研究者である父の研究施設なので居住空間の広さは普通の家庭のそれと大して変わらなかったりする。

「おはよ――父さん!?」

 リビングに足を踏み入れた昴は、最初に目に入ってきた光景に驚き、頭の中に残っていた眠気が完全に吹き飛んだのを自覚した。

「おはよう、昴。……どうした? 父さんがここに居るのがそんなに変か?」

 なぜなら、リビングのソファに腰掛る初老の男性が悪戯っぽい笑みを浮かべていたからだ。ロイド眼鏡の奥で輝く知性的な光が、彼の人物の聡明さを物語っている。

「あ、いや……そうじゃないけど……」

 昴が驚くのも無理は無かった。初老の男性――昴の父、御子神 総一郎は普段は昼夜問わず研究棟に篭りっきりで、こうしてリビングでゆったりとコーヒーを啜っている事自体、かなり珍しいのだ。

「フフフ、なぁに、単に研究が一段落しただけだ」

「研究って、あの『巨神像』?」

 そう尋ねて、昴は総一郎とテーブルを挟んだ反対側の椅子に腰掛けた。

「あぁ、そうだ」

「そっか……」

 総一郎の答えを聞いた昴は、胸中で複雑な感情が僅かに顔を覗かせるのを感じていた。

 十数年前、総一郎が北欧のある国で見つけた巨大な神の像――通称『巨神像』

 当時、幼かった昴は父に連れられて、その国の遺跡で眠る『巨神像』を見た時に言い知れぬ恐怖を感じた。あの夢を見た時の様に。

 総一郎は『神の遺産』だと言っていたが、昴にはそう見えなかった。神と言うより、むしろ悪魔とか、そういう禍々しい存在の手によって作られた物に感じたからである。

 例の夢を見る様になったのは、それからすぐの事だった。

 そんな事もあって、昴はずっと『巨神像』に対して、良い印象が持てなかった。

 そういえば、あの夢の声は……

「どうした? 具合でも悪いのか?」

 父に声を掛けられた事に気付いて、昴はハッと我に返り、慌てて笑顔を取り繕った。

「だ、大丈夫。何でも無いよ……」

 例の夢の事は誰にも話した事は無かった。勿論、父や姉にも。話してもまともに聞いてくれるかどうかわから無かった、と言う事もあるのだが、こんな些事で無用な心配をかけたくなかったという理由の方が大きかった。

 ただ、最近は例の夢をより頻繁に見る様になった。昴には、それがとてつもない何かの前触れの様に思えてならないのだ。

「あら? 昴、もう大丈夫なの?」

 背後から父とは別の声が掛けられ、昴は振り返った。そこに、美しい女性が立っている。よく出来た彫像の様に、整った顔立ちと穏やかさを湛えた黒瞳が印象的に女性だった。

「うん。もう大丈夫だよ。姉さん」

「そう。良かった」

 女性――御子神家長女であり、昴の姉――御子神 愛菜はほっとした様に微笑んだ。滲み出る優しさをそのまま形にした柔らかなその表情は、慈愛の笑みと呼ぶに相応しい。

「ところで愛菜。朝食はまだかな? 一昨日から何も食べてなくてな……」

 総一郎が腹部を摩りながら、バツの悪そうな表情で言った。

「もう……またですか? 父さん」

 愛菜が肩をすくめた。

 御子神 総一郎は、純粋な研究者である。その為なのか、研究に没頭すると周りが見えなくなる事が多々ある。そして、その弊害としてしばしば食事を抜きがちになってしまう。二日三日は当たり前。酷い時は一週間は食べない事もある。

 本当は歳も歳なので、健康には気を使った方が良いのだろうが、当の本人がケロッとしているので、昴達もあまり気にしていない。と言うより、諦めていると言った方が正しいだろう。

「解りました。簡単な物を作っておきます」台所に向かいつつ愛菜は、弟に「もう学校に行く時間でしょう?」と言った。

「何だ? もう学校か。せっかく久しぶりに暇が出来たと言うのに……」

 昴と愛菜の顔を交互に見て、総一郎は子供の様に頬を膨らませてそっぽを向いた。昴達の父は聡明ではあるのだが、歳の割に意外と子供っぽい節が有るのが玉に傷なのだった。

「はいはい。昴とは帰って来てから、ゆっくりとお話すれば良いじゃないですか」

「それもそうだな」

 しかし、長く共に過ごしている愛奈は、そんな父の我が侭を華麗に受け流した。

 彼女の手馴れた説得に、総一郎は渋々納得した。

 御子神姉弟はそんな父を苦笑混じりに見つめ、互い顔を見合わせた後、また笑った。




 御子神家の朝の玄関口は――慌ただしい。

 昴、登校まで残り十秒。

「昴。鞄持った?」

「持ったよ」

 残り八秒。

「ハンカチある?」

「……うん。ある」

 残り六秒。

「ティッシュは?」

「……っと、入ってる」

 残り四秒。

「うん。完璧!」

 愛菜は満面の笑みで言った。それと対照的に、昴は落ち着きのない様子で携帯端末の時計表示をチラチラと見ている。

 この時点で残り二秒。

 お出かけ前の持ち物チェック――御子神家の朝の日課である。例え、時間ギリギリだろう何だろうと、これだけは欠かす事は絶対に無い。

 もっと早く出ればこんな事しなくても良いのだが、そう簡単に生活習慣は変えられないのだ。

悲しい事に。

「そ、それじゃ、行ってきます。姉さん……と、母さん」

 昴は愛菜と、下駄箱の上に置いてある写真に向かって言った。写真には、姉・愛菜によく似た美しい女性が写っている。

「いってらっしゃい。昴」

 愛菜はほんわかと手を振って、勢い良く扉を開く昴を見送った。

 その後、昴が学校までの通学路を全力疾走で駆け抜ける姿は、何時の間にやらご近所の名物になっていた。




 御子神家研究棟。

 御子神家の全体の半分近くを占めるこの研究棟は、使用時以外常に薄暗い闇が漂っている。おまけに御子神 総一郎の職業柄、ワケの解らないシロモノがゴロゴロしている。おそらく、知らない人が見れば幽霊屋敷か何かと思うだろう。

 そんな薄闇の中で一つだけ圧倒的な力を放つ『モノ』があった。

 『神の魂』――十数年前、御子神 総一郎は『巨神像』と共に発見したエネルギー結晶体にそう名付けた。帰国する際、研究用として結晶体を持ち帰った総一郎は、厳重な封印を施して自分以外誰にも触れられない様に保管した。



 ――ゥン……ゥン……



 『神の魂』がその名とは正反対に思える不気味な輝きを発しながら、胎動を繰り返していた。まるで己にとって大事な何かを求めるかの様に……







 CHAPTER-Ⅱ


 ~日常~




 御子神 昴の通う私立天道院学園は、都内でも有数の名門校である。

 小高い丘の上に立つ校舎は明治時代に造られた煉瓦作りの建物で、歴史を感じさせる佇まいとなっている。

 全校生徒の数は小・中・高等部合わせて二千人を越え、その内の半数は留学生・もしくは在日外国人であり、おまけに明らかに経歴が怪しい生徒まで在席していたりする。

 しかし、これほどまでの面子で学校にありがちな深刻な問題などとは不思議と縁が無いとの事。




 高等部二年A組教室にて。

 始業間近という事もあってか、室内は独特の活気に満ちていた。遠くから騒々しい足音が聞こえても、それは変わらない。もう、慣れているからだ。

 直後、小柄な影が教室に飛び込んだ。

「……間に、合った……ッ」

「おーす、昴!」

 全力疾走ミニマラソンでボロボロの昴を出迎えたのは、軽薄そうな雰囲気を纏った長身の男子生徒だった。

「お、おはよう……真吾」

「おう! しっかしまぁ毎朝、よくやるなぁ。

いっその事、陸上部にでも入ったらどうだ? 勿体無いぜ、その脚」

「仕方ないだろ……色々あるんだよ。

それに、家の事で忙しいのに、部活なんか、やって、らんないって」

 息も絶え絶えで吐きそうな昴を見て、青年ーー猪狩 真吾は苦笑した。

 昴より頭一つ分背が高く、後ろで纏めた長髪、彫の深い整った顔立ちがスマートな印象を与える。多分、雑誌のモデルか何かと言えば殆どの人が納得するであろう。

 欠点があるとすれば、締まりの無いニヤケ面と軟派に過ぎる性格か。要は、黙っていれば完璧、というヤツだ。

「ところでさ、昴」無駄に整った貌に軽い笑みを貼り付けた真吾は、思い出した様にボソッ、と囁いた。「お前、告られたんだって?」

 真吾の口からでたとんでもない一言に、昴は机に思いっきり突っ伏してしまった。

「な、何でッ!?」

 すぐさま復活した昴は、先程打ち付けたであろう鼻を押さえながら、鬼気迫る表情で真吾に迫った。誰にも言ってなかったのに、どうして?

「さぁな。けど、もう学校中で噂になってるぜ」

 真吾はくっくっ、と楽しそうに笑っている。昴には、それが悪性の魔物の笑みに思えた。

 慎吾曰く、「御子神 昴が三年生男子に告白された」とか「御子神 昴は実は同性愛者だった」等様々であるが、中には「御子神 昴は実は女で家のしきたりで男装して学校に通っている」とか言う全くもって根も葉も無ければ、もう訳が解らないトンデモまである。噂している方は楽しいのだろうが、当の本人にしてみれば、たまったものではない。

「……で、本当のトコは?」

「へ?」

「へ? じゃねえよ。少なくとも、お前に変なちょっかい出す命知らずがココに居る訳ないだろが。それに、アイツが黙って無ぇだろ?」

 遠い目で何処かを見ながら、真吾は肩を竦めた。どうやら、彼は全て承知しているらしい。

 一方の昴は暫くの間、言いにくそうにうんうん、と唸っていたが、やがて意を決した様に重くなっていた口を開いた。

「……ヒロインやってくれ、だって」

「……は!?」

「だからヒロイン! 演劇部の先輩に頼まれたんだよ。今度のコンクールでやる劇のヒロイン役の子が怪我しちゃったから、代わりに出てくれ、って」

 半ばヤケクソになった昴はこれでもか、と言う位に早口でまくし立てた。涙目なのは、己の言ってることがどれだけ情けないかを理解しているからだろう。

 男としてのプライドの問題なのだ。

「……ぷっ……!」

 昴の言葉を黙って聞いていた真吾が、小さく吹き出す。直後、堰を切った様に笑い出した。

 椅子から転げ落ち、床をのたうち回る長駆は、妙に気味が悪い。実際、他の生徒らは遠巻きに真吾を見ている。

「そんなに笑わなくても……」

「わ、ワリぃ……でも、よりによってヒロインかよ……あ~腹イテぇ」

「どうせ、僕は『薄幸のヒロイン』顔だよ」

 ヒーヒー言って悶えている真吾に向かって、昴は半ばヤケクソ気味に吐き捨てた。

 昴の顔立ちは、真吾に負けず劣らず相当整っている方だ。違いがあるとするなら、真吾が美青年、昴は美少年、下手をすれば美少女とも云える。それに、どことなく不幸そうな本人の雰囲気も相まって、付いた渾名が『薄幸のヒロイン男子』である。

 誰に似たのかは知らないが、この顔立ちのおかげで今迄ロクな事が無かった。 

 子供の頃は虐められたり、からかわれる毎日、高校に入ってからはその様な事は無くなったが、代わりに校内の男子・女子の両方から追い掛け回される日々が続いた。そんな事があってか、昴にとって自分の容姿はコンプレックス以外の何者でも無いのである。

「あ~笑った笑った……ところでさ、昴。ちょっとお前に頼みがあるんだけど……」

 そう言って真吾が、昴の首を脇にがっちりと挟み込むと、思い切り引き寄せた。その瞬間、昴は猛烈に嫌予感がした。こういう時は、決まってロクな事が無い。

「頼む、昴! 昨日の宿題、写させてくれ!」

 真吾が、昴にしか聞こえない位の小声で頼み込んで来た。昴は心の中でまたか、と嘆息した。

 猪狩 真吾と言う男は授業中は常に居眠り、テストは毎回赤点ギリギリ、宿題・課題は殆どやらない、要するに筋金入りの怠け者で、追試の常連でもある。

 だが、そんな事ばかりが続くとさすがにマズイらしく、学期末は必死に勉強する「フリ」をする。あくまで「フリ」なので、ノートなどは全部他人――主に昴――の写しである。正に他力本願の鏡と言える存在である。

 流石に、本人も駄目だという自覚はある様で、最近は少なくなったのだが、完全に無くなった訳では無い。あるクラスメイト曰く「アレは一種の病気。一生治らん」との事。

「俺の冬休みがかかってるんだ! 頼む! この通り!」

「はぁ……」

 合掌して頼み込む真吾の必死さに根負けした昴は、鞄から取り出したノートを渡そうとした。その時――

「何やってんのかなぁ、し~んごくん?」

 その時、教室内の大気が一瞬で冷え込んだ。

 その気配は、音も無く真吾の傍らに現れた。痛みすら感じられる程の冷気を纏っていたのは、すらりとした体躯の女子生徒だった。

 彼女は真吾の肩に手を置くと、これまた冷気の籠った声音で囁く。

「コレで何度目だったっけ? 宿題写し」

 ほっそりとした指が、真吾の肩に食い込む。あまりの激痛に美丈夫の(かんばせ)が歪むが、女子生徒への恐怖故か、無様に喚き立てる様な事はしなかった。

「……何度目だったっけ?」

「う、あ……」

「聞こえてるのかなぁ?」

「すいません……許してください」

 それを聞いた女子生徒――涼城 朱梨は、手を離して真吾を解放した。解れば宜しい、と最後に付け加えた彼女の瞳には、嗜虐的な光が灯っている。

 昴と真吾の共通の幼馴染は、人並み以上に可愛いらしい少女であるのだが、少々サディストじみた鉄火肌が玉に傷であった。

「いってぇ……骨イッタんじゃねえか? コレ」

「んな訳無いでしょ。みみっちいわね」

「そういう問題じゃ無ェだろ!」

「いいじゃない。アンタ無駄に丈夫なんだし」

 彼女の言う通り、この猪狩 真吾という男――尋常じゃない位しぶといのだ。以前、巫山戯て校舎三階のベランダで遊んでいた時、うっかり足を滑らせて地上に落ちた時があった。普通だったら骨の一本二本折っていても不思議では無いのだが、なんとこの男は何故か無傷で済んでいたのだ。

 その他にも多くのしぶとさ――及びしょうも無さ――に因んだ逸話を持った猪狩 真吾。そんな彼が『ゴキブリ王子』と呼ばれるのは、至極当然の事であろう。

「テメェが言うか、怪力女め」

 吐き捨てられたその言葉を聞いた朱梨の笑顔が一瞬固まり、周囲の空気が一気に凍りつく。事態を見守っていた生徒達が、ざわめきだす。その顔には、恐怖や困惑の感情が表れている。

 決して言うてはならない事を、真吾は言ってしまったのだ。

 その事に気付いた真吾自身の顔もみるみる蒼褪めていく。己の口の軽さを呪っていたのかもしれないが、時既に遅し。

 今月、否――今年最大級の寒気が教室の一角を占領した。真吾以外の誰もが、関わり合いにならない様に顔を背ける。勿論、昴も同じ行動を取った。裏切者、とか何とか言われた気がしたが、無茶言わないで欲しい。僕だって、まだ死にたくないんだ。

「だぁれが、色気の無いゴリラ女、なのかなぁ?」

 見開かれた少女の眼が爛、と輝いて口からは吐息交じりの冷気が漏れている……様な気がした。蓮っ葉な少女だが、やはりお年頃なのである。

「い、いや……そこまで言って……」

 腰を抜かしたまま、後退る真吾。彼の弁解は、怒りの権化と化した少女に届かなかった。

 もはや、これまで――と覚悟を決めたらしい真吾が目を瞑ったその時、教室のスピーカーから始業のチャイムが響いた。それを聞いて興醒めした野次馬達が、一斉に自分の席に着き始める。

「お~す、全員いるか~」

 その後、教室に戸口から聞こえた担任教師の気怠げな挨拶が、昴達に日常の始まりを告げた。

 この時、誰もがまだ信じていた。



 変わらぬいつもの日常が、何事も無く過ぎて行く事を…







 CHAPTER-Ⅲ


 ~崩壊~



 昴達の住む中苑市は、海に面した地方都市である。

 かつては港町として栄えていた故か、異国情緒溢れる建築物などが数多く立ち並び、人口の何割か外国人が占めている。が、それ以外に関してはどこにでもある様な至って普通の街であった。

 中心街へと続く大通り。昼夜問わず、人々の往来が盛んな中苑市の背骨とも言える目抜き通りが異様な雰囲気に包まれてた。

何故かと言えば……

「あ~~、もうッ!」

 涼城 朱梨は、荒れていた。

 どすどすと地団駄を踏みながら闊歩する少女の異様に気圧されたのか、通行人達がさりげなく避けていき、何時しか一筋の『道』を出来上がっていた。

 昴は、昔何かの本で読んだモーセの十戒を思い出した。アレも、こんな感じだったんだろうか?

「ま、まぁ……少し落ち着こうよ。ね」

 横を歩いていた昴は、朱梨をなだめようとした。が、結局焼け石に水にしかならず、勢い良く燃えている怒りの炎に未だ衰える様子は無い。

「これが落ち着いていられるかっての!」ギロリ、と昴を睨めつける朱梨。「あのバカのおかげでなんでアタシ達がこんな事しなきゃならないのよ!」

「……まぁ、ね」

 朱梨がこれ程までに荒れている原因は、数時間前に遡る――




 それは、放課後の教室での出来事であった。

 教室には、昴、朱梨、そして教師の天野 武以外に人の姿は無い。遠くで聞こえる部活動の喧騒が、物悲しさを際立たせている。

 何やっているのだろうか、と昴は自問した。当然ながら、答えは返ってこない。

「……おい、猪狩はいねぇのか?」

 昴達のクラスの担任教諭である天野が、気怠げに聞いて来た。

Tシャツ、ジーパンで両足を机に乗せ、煙草をくわえたその姿はお世辞にも教師とは言えなかった。

むしろ、そこらへんにいる不良の兄ちゃんと言った方がよっぽど説得力がある。

「あー、いえ……それが……」朱梨が、言い難そうに言葉を濁す。

「いねぇのか?」天野が、さらに問う。

「……はい」

「そうか」

 そう言って、天野は煙草の煙を吐いて考え込んだ。

 煙をもろに顔に浴びる形になった二人は眉を顰め、咳込みそうになるのを堪えた。とても、教師の行動とは思えない。どう見ても、チンピラだ。

「……よし! お前ら二人、今から居残りで校内中のトイレ掃除な」

「はァ?」

 昴と朱梨の声が、見事にハモった。何だ、ソレは? 意味が分からない。

「だから、トイレ掃除。仕方ねぇだろ。あのバカが補習すっぽかして逃げ出しちまったんだからよ」

「納得いきませんッ! なんでアタシ達がそんな事しなきゃならないんですかッ! と言うか、何でトイレ掃除!?」

 昴を押し退けた朱梨、両手で机を叩いて怒鳴った。天道院学園のトイレは数は無いが一つ一つがわりと広い。それをたった二人で掃除するなど、無謀極まりない話である。

 時間が幾つあったって、足りゃしない。

、昔は兎も角、今現在この学校でこんな無茶な罰則を与える教師はまず居ない。そう、目の前の不良を除いては。

「連帯責任って奴だ。お前らよくつるんでるし。それに罰っつったらトイレ掃除。お約束だろ?」

「な……ッ!」

 なんという無茶な話だ。いつもの事とは言え、昴は呆れてモノも言えなかった。ちら、と横目で朱梨の方を見ると、彼女は怒りりに肩を震わせている。表情は窺えないが、その方が幸せかもしれない。

 納得していないらしい朱梨の様子を見た天野、は再び考え込んでから、「わかった。今からお前らであのバカを探して来い。もし見つけてきたら、トイレ掃除はチャラだ」

 天野が二人に向かって、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 それもどうなんだろうなぁ、と昴は思った。




「大ッ体、何であんなバカが教師やってんのかしらね?」

 傍で聞いていた昴は、引き攣った様な不恰好な微笑を浮かべた。

 まがりなりに、あれでも教師なのだ。それを『あんなバカ』呼ばわり出来る朱梨は、何と言うか……

 だが、考えてみれば確かにあの天野 武が教師をやっているのは不思議だと思った。外面、内面共に、教育者とは程遠い彼が仮にも名門校である天道院学園で教鞭を振るっているのが、正直なトコロ今でも信じられない。

「ウラでなんかやってんのかしらね?」

「ハ、ハハ……」

 朱梨の言葉を聞いた昴は、顔の筋肉を不自然に強張らせながら苦笑した。

 確かに色々怪しいが多分、そこまではさすがにやっていないだろう、と思う。と言うか思いたい。

 そんな事を考えながら、昴はふと朱梨の方へ視線を移した。

 こうしてよく見ると、朱梨も結構な美人だ。吊り目がちの大きな瞳とセミロングのポニーテールが活動的な印象を与えている。ただ、気風の強さが、美徳の部分を見事に相殺してしてしまい、真吾曰く、喋らなきゃ完璧、らしい。もっとも幼なじみである昴は以前からずっとそう思っていたのだが、口には出さなかった。もし口に出そうものなら、彼女のことだ。ほぼ確実に今朝の真吾並、もしくはそれ以上の地獄を見るのは確実だ。やはり、気にはしているのだ。

「……何よ。さっきから人の顔をじろじろ見て……気持ち悪いわね」

「あ、ご、ごめん」

 視線に気付いた朱梨は、じとっとした目つきで昴を睨んだ。睨まれた昴は、慌てて謝った。

「ま、いいけど。ってか、今はアイツを探し出すのが先決。どうせ、どっかのゲーセンに居座ってるに違いないわ。大っ体、あのバカは……」

 真吾に対し悪態をつきまくる朱梨の姿を見て、昴は何となく可笑しくなった。

 なんだかんだ言っても、朱梨は面倒見がいいのだ。幼い頃から、いつも自分を色々なモノから守ってくれていた彼女は昴にとって、姉とは違った意味で頼れる存在である。

 あの頃の彼にとって、涼城 朱梨は憧れだった。

「――る!」

 だけど、成長した今では自分の方が大きく、彼女の方が小さくか弱い存在に見えてしまう。

「――ばる!」

 ココロは、あの頃と変わっていない筈なのに……

「昴! 聞いてんの!?」

 思考の底から意識を強引に引き戻された昴は、はっと我に返って振り返った。

「え!? な、何?」

「ったく、ぼーっとしてんじゃないわよ。いい? このまま探してても埒があかないわ。だから、二手に分かれて探しましょ。いいわね?」

「そうだね……わかった」

「よろしい! それじゃ五時に駅前広場に集合って事で」

 そう言って、朱梨は駆け出していった。小柄な背中は、は雑踏に飲まれてすぐに見えなくなった。

「……よし!」

 朱梨を見送っていた昴も、踵を返して駆け出そうとした刹那――



 ――ド、オォォォォォォン!



「!?」

 激しい轟音と閃光の奔流が、昴の体を嬲り、弄んだ。

「……っ!」

 音と光の嵐は、暫くの間辺りを蹂躙し、瞼と鼓膜をすり抜けて昴の意識の中にも侵入してきた。

 殆ど本能じみた所作で、身を屈めた少年の体の上を衝撃が通り抜ける。

 やがて、破滅じみた狂騒が去って行くを悟った昴は、固く閉じていた瞼をゆっくりと開いた。

「……ッ!?」

 昴は、眼前の光景に愕然となった。

 次々と崩れるビル、裂け目から焔が吹き上がる大地、引き裂かれて散乱する屍……それはまさに、現世に現れた地獄の様相を呈していた。

「あ、ああ……」

 昴は何が何だかわからず、混乱していた。

 辺りは悲鳴と怒声と爆音がこだまして、混沌と化している。

「う、うわあああっ!」

 突然、辺りが薄暗くなった。不思議に思った群衆の何人かが天を仰いだ。昴もつられる様に顔を上げた。

 見上げた群衆の瞳に信じられないモノが映った。 狂乱寸前の人々の群れの中で、昴は『ソレ』を表す言の葉を、途切れ途切れに呟いた。



「巨人……?」



 昴達の眼前――ビル街の向こうに、天を衝く程の巨躯を持った異形の巨人が佇んでいた。

 よく見ると、全身に無数の鱗を備え、虚空を見据える顔面は爬虫類染みている。言うなれば――トカゲの巨人か。

「シャアアアアッ!」

 トカゲの巨人は手にした巨大な剣と楯を振るい、建ち並ぶビルを瓦礫へと変えて行く。

 その様は、まさに地獄そのものだった。

「うわああっ!」

「きゃああっ!」

 逃げ遅れた人々は、怒号と悲鳴ごと降り注ぐ瓦礫に飲み込まれ、後には噴煙と血溜り、そして無残に引き千切られた肉片だけが残った。

「昴ーーーーッ!」

「――真吾!?」

 災厄の巨人から必死に逃げる昴の耳朶を、良く知った声が叩く。咄嗟に振り向いた先――瓦礫と焔に隔てられた大通りの向こう側。

 そこに、猪狩 真吾が居た。

「お前……どうしてこんな所に!?」

「どうしてって……天野先生に頼まれて真吾を探しに!」

「何ィ? あンの、クソヤンキーめ」

「今はそれどころじゃないよ! 朱梨が……」

「!? ――朱梨がどうした!」

「朱梨が一人で――」

 昴は、朱梨が一人で真吾を探しに行った事を伝えようするも……

「キィシャアァァッ!」

 トカゲの巨人が、雄叫びと共に口から深紅の火炎弾を吐き出したのだ。

 火炎弾は熱波を放ちながら一直線に飛び、着弾、そして大地を灼いた。その場所は、あろうことか昴の家――御子神邸のすぐ近くだった。

 背中にひやり、としたモノが走るのを昴は知覚した。

「……ッ!」

「――昴」

 彼方にて燃え盛る焔を見た真吾が、普段の彼からは想像も出来ない位重く低い声で昴に話しかけた。

「朱梨の事は俺にまかせてくれ――だから、お前は家族の所に行けッ!」

「で、でも」

 なんとか持ち直した昴は、真吾の提案に反論しようとした。親友をむざむざ死地に飛び込ませる様な真似は出来なかったのだ。

「いいからッ!」

 だが真吾はそんな昴の気遣いの言葉を封じ込めるかの如く、強い口調で叫んだ。

 彼は知っているのだ。こうでもしなければ、昴は一緒に行くと言い出しかねない。家族の下へと行きたい気持ちを抑えてまで――

 そんな親友の想いを、直感として悟った昴は、何も言わず首肯した。

「……分かった。朱梨の事、頼んだよ!」

「任せろ」

 二人は互いに了解し合うと、それぞれが目指す場所へに向かって走り出した。

 トカゲの巨人は依然その猛威を振るい、街を地獄へと塗り替えていた。




 御子神邸は、酷い有様だった。

 火炎弾の余波は凄まじく、研究棟は完全に崩壊し、居住棟の方もあちこちから焔が吹き出している。

「父さーんッ! 姉さーんッ!」

 燃え盛る焔の中で、昴は声を張り上げて必死に呼びかけた。しかし、返事は帰って来ず、あちこちで火が爆ぜる音が彼の鼓膜を叩くだけだった。

「くっ……ゲホッ! ゴホッ!」

 昴はむせて咳込んだ拍子に、その場に膝をついた。辺りには黒煙が充満している。そのせいで視界が悪いうえに、下手をすれば昴自身にも命の危険が及び兼ねない状況だ。

 それでも捜索を諦める訳にはいかない昴は、気力を振り絞って立ち上がろうとした――その時だった。

「キャアアアアッ!」

 女性の悲鳴が響いたのは。

 姉の声ではない。住み込みの女中の声だった。嫌な予感がした昴は、悲鳴がした方へと走った。




 ──バルドルめ。無茶な真似を……

覚醒した『彼女』は、忌々しげにそう呟いた。

 ──でも、まぁいいわ。後はオーディン様のコアを……

「姉さん!」

 『彼女』は、声がした方へと振り向いた。昏い瞳に、一人の少年が駆けて来る姿が映る。少女と見紛う位、繊細で整った顔立ちの少年だ。

 ──あら……

 嗜虐心を擽られた『彼女』は、愉しそうに哂った。




「姉さァーんッ!」

 半壊した廊下の向こうに姉の愛菜の姿を見つけた昴は、力の限り叫んだ。

 それに気付いたのか、愛菜も振り返って笑いかけてきた。身に付けている白いワンピースは血で汚れていたが、彼女自身には何の外傷も無い様だ。

「良かった……」

 愛菜の無事を確認した昴は安堵し、ホッとため息をついた。

 後は、父さんと家政婦さんだけだ。

 一方、愛菜は微笑を浮かべたまま、ゆったりとした動きで右手を昴の側にかざした。



「──消えなさい」



「!?」

 形の良い唇が、滑らかに言葉を紡ぐ。同時に愛菜の右手から「何か」が昴目掛けて放たれた。

「うわあッ!」

 昴はすんでのところでかわしたものの、その拍子にバランスを崩して床に倒れ込んでしまった。

 床に突っ伏したまま頭だけ巡らせて姉を見た昴は、胸中で何故?

と、問うた。

 何か馴染ませるかの様に右手を振った愛菜が、感心した様に鼻を鳴らす。

「姉、さん?」

「姉さん? ああ、この身体の事」

「身体……?」

 何とか身を起こした昴だったが、愛菜の口から零れ落ちる言葉の数々を理解出来なかった。

 そんな彼の様子を愉快そうに眺めながら、血塗れの美女は唇の端を吊り上げた。



「私は、フレイヤ――

ヴァルハラの神が一柱、フレイヤ」



 死の朱に染まりし女神が、妖しく謳った。

「フレ――イヤ?」

 昴には、何が何だか分からなかった。目の前に居るのは、間違い無く姉の愛菜だ。しかし、何かが決定的に違う。そう、なにかが……

「人間、か」

 フレイヤは、冷たく昴を見下ろした。

 本来の御子神 愛菜はそんな冷たい眼をした人間では無かった。やはり、目の前に居るのは姉の姿をした別人、いや別のモノなのだろうか。

「私達が眠っていた間に、よくもまあ増えてくれたものね」

「……ッ」

「だけど」フレイヤが視線を落とした。「脆いのは今も昔も変わらないのね」

 女神は言い終わると同時に、足下にある何かを蹴飛ばした。

「!?」

 一瞬、それが何か分からなかった。が、理解した時、昴は猛烈な吐き気とおぞましさに襲われた。

「――ッ!?」

 フレイヤが蹴飛ばしたのは、人間の生首だった。

 ごろり、と昴の方を向いた首。

 その唇は大きく裂け、眼球は抉られ、肉は削がれ、骨が露出し、目を覆いたくなる程の無惨な有様だ。

 よく見ると、その生首は昴のよく知る人物――先程の悲鳴の主である御子神家の家事手伝いの家政婦――の変わり果てた姿であった。

「次は、貴方の番」

 フレイヤが、再び右手を前方に向けた。掌の中で、真空が渦となって蠢いている。

「切り裂け……」

 刃と化した衝撃波が、昴目掛けて放たれた。

「うわあああああッ!」

 床と壁面を抉って驀進する衝撃刃を前に、昴は思わず目を閉じた。だが、それは気休めにもならず、無情なる不可視の刃が死を運んで来るのが肌で感じ取れる。

 これまでか、と昴は観念しかけた。が――

「――――?」

 いつになっても、その瞬間は訪れ無かった。不思議に思った昴は、恐る恐る目を開けた。

「あ……」

 その時、目の前で繰り広げられた光景は、昴の理解を超えていた。

 呆然と立ち尽くす少年の眼前で、二つの力がせめぎ合っている。一つは、先程フレイヤの放った衝撃の刃。そして、もう一つは……

「闇の障壁ダーク・ウォール!? おのれ……」

 女神が、忌々しげに吼えた。

 真空の刃から昴を護っていたのは、『闇』だった。半球状の『闇』が彼の身体をすっぽりと覆っているのだ。

 ――昴ッ!

「!」

 何処からとも無く、声が聞こえる。

 それが纏わり付く『闇』から発せられた事に気付いた時には、昴の脳裏にある確信が頭を擡げていた。

 この声を――僕は、知っている。

 『闇』より語りかけてくるその声は、あの夢で聞いた声と全く同じモノだった。

「君は……?」

 ――説明している暇は無い! 行くぞ!

「へ……ええっ!?」



 ――マキシマ……アァップ!!




 その瞬間、『闇』が昴の知る世界を包み込んだ。 昴は訳の解らぬまま、己の全てが得体の知れないモノに侵食されていくのを知覚した。

「くぅ……ッ!」

 世界を塗りつぶさんと拡がる闇を前に、フレイヤは己の迂闊さを心底呪った。

 想定していない訳では無かった。無かったのだか、可能性は限りなくゼロに近かったのだ。

 奴の――『ロキ』の出現は。

 奴はの巨神戦争ラグナロクの時に、自らの肉体と命を引き替えに我等を冥府の底へ封印した。

 だが、奴は――『邪神ロキ』は生きていた!

 直後、闇の中心から強大な力が溢れ出した。女神は、それを忌々しげに睨みつけた。




 体中に、力が漲ってくる。

 それだけでは無い。身体中の全ての感覚が研ぎ澄まされ、新たなる感覚が内奥より顕現してゆく。それは、恍惚にも等しい感覚だった。

「……」

 頭が冴える。

「…………」

 心が昂る。

「――ゥゥオオオオオオ!」

 暗い闇の底から、何かが囁きかけてくる。



 神を……滅せよ、と。







「――ゥゥオオオオオオ!」

「!!」

 闇の中心より出でた影が、フレイヤに飛び掛かった。

「ハアアアッ!」

 影はフレイヤ目掛け、に拳打を放った。が、不可視の壁に阻まれて女神の肢体には僅かに届かない。

神の障壁(ゴッド・フィールド)――貴方だけと思って?」

 影は、両腕に精神を集中させて次なる手に打って出た。

 肘部が複雑に展開し、そこから紅い光が溢れ出す。一瞬で収束した光は、真紅の輝きを放つ刃となった。

 影は左右の腕に顕れた光刃を振るって神の障壁を突き破り、フレイヤの体を貫かんとその刀身を更に伸ばした。

「チィッ!」

 フレイヤは、迫り来るそれを間一髪の所でかわした……ハズだった。

 一筋の鮮血が、女神の頬を伝った。ライトブレードが彼女の頬の皮膚を切り裂いていたのだ。その瞬間、フレイヤの美しい貌(かんばせ)に醜悪な形相が張り付く。

「ロキ……貴様ぁッ!」

「――違う」

「何?」

 訝しむ女神に、影は高らかに宣言した。


「我が名は――ヴェルズ! 神を滅する者だッ!」



 影――ヴェルズの宣言は衝撃となって世界を覆う闇を消し去り、鋭角的な黒い鎧に包まれた神闘士たるその姿を露わにした。

「……フフ……アハハハハハハハハハッ!」

 神闘士を前にしたフレイヤは、身体を折り曲げて狂った様に笑い出した

 敵手に晒す態度としては、些か異様だった。

「笑わせるわね! 神を滅する? あの時に出来なかった事を、力を失った今の貴方がやると言うの!?」

 ヴェルズは答えない。が、その沈黙と正面に突き出した光刃こそが有無を言わせぬ程に力強い答えだった。

「……いいわ。せいぜい楽しみにしてるわね。ロキ――いえ、邪神ヴェルズ」

 どこか愉しげに囀るフレイヤの姿が、陽炎の様に滲み、そして揺らいだ。

「!? ──待てっ!」

 女神の意図に気付いたヴェルズの身体が動いた時には、フレイヤの姿は大気に溶けて、この世界から完全に消え去っていた。

「逃がしたか……ッ」

 恨めしそうに、ヴェルズが呟く。

 その直後、燃え盛る焔に包まれていた壁や天井が一斉に崩落した。




「ハァ……ハァ……」

 猪狩 真吾は、走っていた。

 昴との約束通り、何とか朱梨を探し出した彼は、身を隠せる場所を求めて走り回っていたのだ。

 だが、見えるのは瓦礫の山ばかりで安全な場所など見当たらない。

「キシャアアアッ!」

「ちっ……」

 頭上では、忌まわしい蜥蜴の巨人が四肢を振り回して暴れ回っている。奴が何かを破壊する度にあちこちから悲鳴が聞こえてくるが、朱梨だけで手一杯の真吾にはどうする事も出来なかった。

 ――昴。無事で居ろよ……

 せめて、真吾は友の無事を祈った。

「きゃッ!」

 真吾に手を引かれて走っていた朱梨が、瓦礫に足を取られて躓いた。その拍子に、脚首を捻挫してしまったようだ。

「朱梨ッ!」

 真吾は慌てて朱梨を抱き起こそうとした。が、それに気がついたのか、蜥蜴の巨人が二人に向けて火炎弾を放たんとその巨大な顎を開いた。

「ちいっ!」

 焔が渦巻く巨大な口腔も睨みつけるも、真吾の心はその圧倒的な熱量を前にして萎え掛けていた。

 もうダメか、と口中で呟いたその時──

「GEマシンバスター!」

 断続的な轟音と共に殺到した何かがトカゲの巨人に当たり、その巨体の動きを一時だけ止めた。

「そこの二人!」

 呼び掛けられた真吾と朱梨は、声の主を探して辺りを見回した。すると、近くのビルの屋上で黒い鎧を着た何者かが肘に仕込まれた機関砲らしきモノでトカゲの巨人に銃撃しているのが見えた。

「この先に避難所がある! 死にたくなかったら、早く逃げろ!」

 黒い鎧の言葉に急かされた二人は、示された場所を目指して走りだした。

 考えている余裕は、無かった。

 死にたくない。それだけを胸に、二人は崩壊した街を駆け抜けた。




 燃え崩れてゆく御子神邸から辛くも脱出したヴェルズだったが、巨人に追いつくまで予想以上に時間を食ってしまった。そのせいで、要らぬ犠牲を生む所だった。

「ライトブレード!」

 間一髪のトコロで助け出す事が出来た二人を見送ったヴェルズは、ビルから跳躍してトカゲの巨人の体を紅光の刃で斬り付けた。

「シャアアアアッ!」

 しかし、そんなものは蜥蜴の巨人にとって蚊が刺した程度でしかなく、羽虫を厭うが如く、ヴェルズを片手で払い落とした。

「――ッ!」

 落下状態から何とか体勢を立て直したヴェルズは、肘の機関砲を起動させた。が、その銃弾も全て巨人の分厚い鱗に弾かれてしまう。

「ちっ……!」

 着地したヴェルズは咆哮するトカゲの巨人を睨み付けた。

 今のままでは――勝てないッ!

「シャアアアアッ!」

 蜥蜴の巨人が、火炎弾を吐く。それは大気を燃やし、ヴェルズごとアスファルトの大地を噛み砕いた。

「ッ!」

 地獄の業火の如き紅蓮の爆風が、ヴェルズの体を飲み込んだ。

「キシャアアアッ!」

 勝利を確信したのか、トカゲの巨人は天に向かって吠えた。まるで、遥か彼方に居る何者かに己の勝利を知らしめるかの様に。

 が、次の瞬間、勝利の喜びは驚愕に変わった。

 黒煙が晴れ、視界が開ける。炎が全てを無に帰し、灼熱を帯びた焦土が露になる。あらゆる生命が存在できない筈の場所に、『居てはならないモノ』が――居た。

 黒鎧の闘士――ヴェルズが、佇んでいた。

 焦熱を耐え抜いた闘士は、揺らめく暗灰色のオーラを纏いながら己が精神を研ぎ澄ませていた。

 ただ鋭く、ただ堅く、ただ熱くッ!

 そして、精神の高揚が極限の領域に踏み込んだ時、天を睨み、高らかに詩った!



 ――我、ルーンの力を借り神の躯を解放せん。


 ――我、ニブルヘイムの深淵より出でし鎧をその身に纏わん。


 ――我、邪神となりて聖なる悪を討ち滅ぼさん!



「マキシマ・ラァァァイズッ!!」





.


 CHAPTERーⅣ


 ~邪神覚醒~



 ──フム。ロキが目覚めたとな?


 ──はい。全ては、私めの責任でございます……申し訳ありません、ミーミル老。


 ──いや、そなたはよくやった、バルドル。フレイヤ嬢の目覚めと、オーディン様のコアの在り処がわかっただけでも十分じゃわい。

ロキなどは放っておけ。


 ──ですが……


 ――なぁに。慌てずとも、力を失ったあやつなど、その気になれば簡単に潰せるわ。おぬしは、地上侵攻作戦に専念していれば良い。


 ――……御意。




 本能的な恐怖。

 トカゲの巨人は今、嫌と言う程にそれを感じ取っている。何故なら、自らよりも遥かにちっぽけであるハズの眼前の存在から、視認できる程に強大な闘気が発せられていたからだった。

 恐怖に耐えきれなった巨人は、その根源である黒鎧の闘士──ヴェルズに必殺の剛剣を振るった。

 だが──



「マテリアッ・ラァァァイズッ!!」



 その一撃が、ヴェルズに届く事は無かった。

 ヴェルズの『詩』に呼び起こされる様に、地中より出でた灰色の機械仕掛けの腕が巨人の大剣を受け止めていたのだ。

 腕が剣を押し返すにつれ、顔、胴体、脚、と同じく機械で出来た人形ひとがたが地を割って出で、異形の巨人を突き飛ばした時には、その雄々しき姿を地獄と化した街に現していた。

「ハアッ!」

 ヴェルズは灰色の機械巨人に向き直ると、気合と共に跳躍した。

 それに呼応する様に機械巨人の胸部のクリスタルが紅く輝き、発せられた光がヴェルズを包み込んで、そのまま内部へと取り込んだ。

「…………」

 それから暫く、機械巨人は微動だにしなかった。が、鋼鉄の巨体から放たれる邪気にも近い覇気は、トカゲの巨人を戦慄させるには充分過ぎた。

 恐れ慄いたトカゲの巨人は、再び右手の剣を機械巨人目掛けて振りかぶった。

 刹那、機械巨人の瞳に鮮烈な紅い光が灯った。

「ゥンッ!」

 動き出した灰色の機械巨人が、トカゲのあぎとにカウンターの拳撃を見舞った。それにより怯んだ巨人の斬撃は空を切り、不発のままに終わった。

「デェヤアアッ!」

 続けざまに放った回し蹴りがトカゲの巨人の脇腹に突き刺さり、勢いのまま吹っ飛んで行った。

 幾棟ものビルを巻き込みながら吹き飛んでいったトカゲの巨人が、力無く呻いて起き上がろうとする。

 あれだけ猛威を振るっていた筈の異形の巨人が、たった一体の機械巨人に為す術も無く圧倒されている。

 遠くで隠れていた人々は、皆唖然としてその光景を眺めていた。

 敵手を冷たく見据えた機械巨人は、右手首のスリットから剣の柄の様なモノを取り出した。

 続けて、それを左手首のスリットに勢い良く差し込む。



 ――神剣ッ! ミストソォォォドッ!



 機械巨人が、気合と共に差し込んだ柄を引き抜いた。すると、先程まで何も無かった筈の柄の先から白銀に輝く刃が顕れていた。

 灰色の機械巨人はミストソードを両手で構え、白銀の刃に己が内に眠る闇の力を込めた。

 機械巨人から溢れ出る激しい闘気に圧倒され、トカゲの巨人は金縛りにあったかの様に固まっていた。四肢はおろか、指一本動かせない。

 やがてミストソードに籠められた力が臨界状態に達して刀身に暗闇色のオーラが発現した時、機械巨人の背中が焔を噴き、鋼の巨体を一気に異形の巨人目掛けて加速した。

 闘気の呪縛の中でもがいていた蜥蜴の巨人は、持てる力の全てを振り絞って火炎弾を吐き出そうとした。が、それよりも一瞬早く機械巨人が懐に飛び込み、そして──



 ――ミスト・ソード・スラアッシュ!



 異形の巨人に、強烈な袈裟掛けを浴びせた!

 まともに喰らったトカゲの巨人は断末魔を上げながらその場に倒れ込み、爆散した。爆炎は周囲の物を際限なく飲み込み、蹂躙した。機械巨人も、無機質なその躯を緋色に染め上げられた。

 そして、その異形の残り火の中背負った巨人はミストソードを天に掲げた。



「見ているか? 次は……貴様らだ!」



 機械巨人は、ミストソードの指し示す先を見つめ、呟いた。灰色の鋼の躯を紅──熱く燃える魂の紅に染めながら。




 ──馬鹿なッ、ギガザードが……


 ──フゥム……力の大半を失っているあやつには、アレで充分かと思ったんだが……見込みが、違うたかのゥ?


 ──何を悠長な……一刻も早くあの逆賊ロキめを――


 ──『ヴェルズ』よ。


 ──ッ!? 何じゃ、フレイヤか。驚かすな。


 ──フレイヤ、ヴェルズとは?


 ──奴自身がそう名乗ったのよ。神を滅する者、ヴェルズってね。


 ──神を滅する、とな? ホホ、こりゃ大きく出たモノよの!


 ──ミーミル老!


 ──ククク……すまんすまん。して、フレイヤ。コアの方は?


 ──ハッ。ただ今、降誕の儀の準備に取り掛かっております。ですが……かなりの時を擁するかと。


 ──それも止む無しかの……バルドル。


 ──ハッ!


 ──お主は、引き続き地上浄化の指揮に当たってくれ。


 ──御衣!


 ──フレイヤは、暫くオーディン様について居てくれんかの?


 ──承知致しました。


 ──では、一寸の間ここを空けるんでの、二人共留守は頼むぞ。


 ──なっ、何ですと!?


 ──一体、何処へ……?


 ──ムフフフ、そいつはヒミツ、じゃて。



 EPILOGUE


 ~ロキ~



 夕暮れの紅と、死の臭いに蹂躙された廃墟の群れ。誰も居なくなったその無人の街を、一人彷徨う者がいた。

「ハァ……ハァ……クッ!」

 彷徨う者──昴はバランスを崩して両膝をつき、そのまま灼けた地面に倒れた。

「何だったんだ、一体?」

 鉛を流し込まれたかの様に重い身体を何とか仰向けにさせた昴は、瞳を閉じて今日の事を思い返した。


 異形の巨人。


 変貌した姉。


 闇の中の声。


 黒い鎧を纏った自分。


 灰色の機械巨人。


 どれも、訳がわからなすぎる。一体、自分はどうなってしまったと言うのか?

 そんな事を考えながら、昴は先程から妙な違和感を覚えて、己の手を見た。そこには、血の塊の様な紅い宝玉を戴く黒い手甲の様なモノが嵌められている。反対側の手にも、同じモノがあった。

 ――昴。

 頭の中で響いた声。夢の中で幾度も聞いた声。その声に、昴は耳を傾ける事にした。自らの身体と、この世界に起こった事を知る為に。

 ――俺の声が聞こえるな、昴。

「……教えてくれ。一体何が起こったんだ? それに君は……」

 ――我が名はロキ。人は邪神ロキと呼ぶ。

「ロ……キ?」

 邪神と少年。その出会いは、後に世界を命運を賭けた戦いの始まりである事を……



 今はまだ、誰も知らない。






 EPISODE-Ⅱヘト続ク……






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