猫の恩返し
辻の易者が見た、静かな恩返しの物語。
ある辻に、長いこと易者として座る男がいた。
道ゆく人々の生の機微を読み、時に未来の影を告げるだけの日々。
だが、その男の心の奥には、かつて由緒ある寺でわずかばかり修行した日々の記憶が、静かに息づいていた。
ある日、辻の片隅に、一匹の老いた猫が蹲っていた。
飼い主が死んだのか、それとも捨てられたのか、理由は誰にもわからない。ただ、骨と皮ばかりの体で、餓死の淵にいることだけは明らかだった。
男が餌を差し出すと、猫はちらりと視線を向けたきり、まるで見向きもしない。死を急ぐかのように、静かに時を待っているように見えた。
そんな折、一人の若者が足を止めた。迷いのない手つきで猫を抱き上げ、その足は迷うことなく獣医の診療所へと向かった。
それからひと月以上、若者は毎日、診療所に通い続けた。
ある日、ふとした会話が男の耳に漏れてきた。
「あまりにも衰弱していた時間が長すぎる。点滴すら体を抜け出てしまい、栄養を蓄えられない体になっている…この猫は、たぶん助からないだろう」
それでも若者は通い続けた。
そして、それから数週間後、若者の足がぴたりと途絶えた。数日後、若者は診療所に挨拶に訪れ、その足で、辻の易者の前に立った。
「猫に、毎日あげるお経を教えてくれませんか」
男は、若者が自分を「とむらいのまじないを知る者」とでも思ったのだろうか、と内心で思った。
だが、何も問わず、一つの経を教えた。
「必ず、毎日唱えるように」
その効果は、瞬く間に現れた。
若者の優しさに縋るように取り憑いていた、名もなき悪しき霊どもが、すべて消え失せたのだ。
おそらく、これこそが、猫からの恩返しだったのだろう。
あの老いた猫は、死の淵から救われようとした若者の手の中で、確かに縁を結んだ。
そして今も、まちがいなく、あの若者を守り続けている。
易者の男は、辻の風にふかれながら、静かに目を細めた。
かつて寺で学んだ経文が、こんな形で人を救うこともあるのかと、心の底でわずかに微笑んだ。
読んで頂き有り難う御座います。




