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怖い話

作者: 夢野かなめ
掲載日:2026/06/01

 その日、七宮(しちみや)は、家の近くにある公園を訪れていた。


 公園とはいっても、幾つかベンチが置かれているだけで、遊具などはひとつもない。眺望が良いかと言われると、周囲を見回すことは出来るが、特に写真映えするでも夜景が綺麗だとかそのような特筆するべきものがある訳でもない。


 小さな看板に、掠れた字で公園名が書かれているだけの、若干均された広場のようなもの、というのがこの公園の実態だった。


 到達するにも、ややきつい小山を登って来なければならないので、人が居ることは殆どない。


 そんな所が、七宮は気に入っていた。


 何かがあった時に。自然の中に季節を感じたい時に。過ぎ行く時間の流れをゆっくりとしたものに引き戻したい時に。


 今日の七宮は、自然の中に季節を感じる為に訪れていた。


 旬の素材を使った弁当を用意し、念入りに保冷剤を巻いてリュックサックに詰めて来た。


 それに時折意識を向けながら、緩く上がる道の先を見る。


 程よく息が上がった所で、開けた場所に出た。


 この程よい達成感が心地よい。


 特別感動するという訳でもないが、気持ちの良い景色を眺めながら、いそいそと弁当を取り出し、七宮は食べ始めた。


 スマートフォンを確認すれば、丁度昼を回った頃。


 暑さはまだこれから強くなるが、吹き抜ける風が心地よい。


 そうしてスナップエンドウを齧り、七宮は暫くぼんやりと過ごした。


「よし……運動でもするか」


 誰に伝えるでもないが、そう呟き立ち上がった七宮は、膝の上から転がり落ちた水筒の蓋に手を伸ばした。


 それは指先にすら触れることなく地面をコロコロと転がり、茂みの中へ消えた。


「なんでだよ……」


 思わずそう呟き、七宮は茂みを覗き込んだ。


 見れば、下生えの先に小さな穴が開いている。小さな、といっても、バスケットボールくらいはあるか。


 その中に、水筒の蓋がキラリと光って落ちているのが判る。


 周囲を見回して、手頃な枝を取り上げた七宮は、しかし穴を前にして考え込んだ。


 程よいサイズの穴は、もしかしたら野生動物の巣かもしれない。


 こんな人が訪れる可能性のある場所に、とは考えにくいが、恐る恐る穴の中を覗いた。


 少し行った所で、突き当たっている。


 その壁の前に、蓋は落ちていた。


 ひとまずスマートフォンのライトで照らし見てみたが、何かがいるという様子はない。


 地面に膝を突き、手にした棒で穴の中を探る。


 カツッ、カツッ。


 蓋を弾く音はするが、再び覗いても僅かにズレたように見えるだけだった。


 少しだけ迷った七宮は、一度辺りを見回し、スマートフォンで今一度中を照らし見てから、上半身を穴の中に突っ込んだ。


 途端、むわっと香る土の匂いにむせそうになるが、無理やり体をねじ込むようにして這い入る。


 パラパラと顔に掛かる土を、緩く首を振って払った。


 ──これは、帰ったら即風呂だな。


 差し入れていた右手を、伸ばす。


 蓋の端に指先が掛かり、コロンと転がった。それを掴み、一安心した七宮は、嫌な予感が胸に湧くのを感じた。


 ──動けない。


 無理やり這い入った穴は、丁度七宮をすっぽりと包み込んでいた。


 加えて、膝を突いたまま手を伸ばしたせいか、踏ん張りが利かなかった。


「うぅ……」


 小さく呻き、体に力を入れる。


 動けない。


 無理に力を入れようとすると、背中や膝や体の何処かが痛みに悲鳴を上げる。


 ──マズイ。


 冷や汗が流れる。


 一度深く息をした七宮は、頭が動く限りで周囲を見回した。


 行き止まりの壁に、手にした水筒の蓋。それが微かな光に煌めいている。


 微かな、光……。


 顔を横向けた七宮は、穴の天井にほんの小さな穴が開き、そこから光が差し込んでいることに気が付いた。


 助かった。


 光の具合から考えるに、そう土が多い訳でもなさそうだ。


 ぐっ、と背中で土を押す。


 しかし、踏ん張りが利かないせいか、土や絡み合った根っこで出来た天井はびくともしなかった。


 七宮の脳裏に、砂浜で埋められている人の様子が浮かんだ。あのように埋まっている訳ではないが、思っているより土とは重いものなのだ。


 ならば、と水筒の蓋を置き、頭の後ろに向かって小さな穴に手を伸ばす。


 パタパタと土が零れ落ちるが、気にしている余裕はない。


 少しでも穴を広げ、そこから無理にでも外に出なければ。


 左手は壁と自分の間に挟まって動かすことが出来ない。当然、ポケットの中のスマートフォンを取り出すことなど不可能だ。


 手を動かし、穴を抉る。


 しかしいくら手を動かそうと、パラパラと土は落ちてくるものの、それで状況が好転したという訳でもなかった。


 どちらかといえば、零れた土が首元に被って気持ちが悪い。


 七宮は突然怖気を覚えて、小さく震えた。


 このまま中途半端に掘ったとしても、ただ土が顔の周辺に散らばるだけで、息が苦しくなるのではないか。


 それを想像し、恐怖に呑まれそうになるのを、七宮は唇を噛んで堪えた。


 口の中は土の味がした。


 無理に差し込んだ手は、指先だけを外に出し、動かせなくなっていた。そのせいで肩回りが酷く痛む。


 ──どうしよう、此処ままじゃ……。


 公園とはいえ、人通りはないに等しい。


 幾度も訪れている七宮も、数える程しか見掛けたことはない。


 助け出される可能性が低いなら、自力で抜け出さねばならない。だが──。


 その時、明らかに意図的な音がカサカサと聞こえてきた。


 七宮の全身に期待が駆け巡った。


 ──これで、助かる!


 七宮はすぐに声を張り上げて、その音を立てた主に呼び掛けた。


「助けて下さい! 助けて! 此処です! 穴にハマってます!」


「大丈夫ですかー?」


 声が応える。


 七宮は逸る気持ちを抑え、繰り返し声を上げ続けた。


「此処です! 茂みの奥の穴です! 助けて! 此処です! 此処です!」


「大丈夫ですかー?」


 そこで、七宮はふとした違和感に捉われた。


 「助けて下さい」と声が聞こえた時、果たしてこのような間延びした声で応えるだろうか。


「大丈夫ですかー?」


 再び声が言った。


 七宮は思わず声を呑み込み、じっと気配を探った。


 カサカサ、カサカサ……。


 よく聞けば、足音だと思っていた音も、何処か可笑しい。


 重みがなかった。


 だが「大丈夫ですか」と言葉が発せる以上、人間で間違いない筈だ。


 ……本当に?


 穴から出ている下半身から、ぞわりと寒気が駆け上る。


 七宮は、思わずビクリと体を揺らした。


 誰かが、すぐ側で佇んでいる気配がする。


「大丈夫ですかー?」


 先程より近付いた声が言う。


 可笑しい。この反応は、可笑しい。


 それを決定づけるように、七宮の指先に、何か冷たくて湿ったものが絡みついた。


 息を呑んだ七宮は手を穴から抜き取ろうとしたが、変に曲げていたせいで痺れて上手く動かせなかった。


 ──何だ、これは……! 助けろ、助けろよ!


 不安と怒りと、様々な気持ちがごちゃまぜになって、七宮は無理やりに暴れ回った。


 土が降り掛かり、体が軋む。


「大丈夫ですかー?」


 もうすぐそこで、声が言う。


 あまりの恐怖に涙が流れ落ちる。呼吸が苦しくなる。


 それでも手を振るい、引き抜こうと力を込める。


 ズボリ。


 腕が外れ、穴の中に光が差した。


 肩が酷く痛むが、そのようなことを気にしていられなかった。


 ズシリ、と壁が重くなった感覚があった。


 穴の中にある上半身が押さえつけられ、苦しさが増す。


 何者かが、穴の上に乗ったのだ。


 穴の中に差していた光がふいに薄らいだ。


 シン、とした気配に、息苦しさだけが残る。


 七宮は、ゆっくりと顔を横向けた。


 果たして、穴の外には──目玉があった。


 目玉が、穴の中を覗いていた。


 顔の中にある目ではない。そこに収まっている眼球が、じっと見つめていた。


 七宮は声にならない悲鳴を上げた。


「おい、アンタ、何やってるんだ⁉」


 悲鳴を上げ、暴れ回った七宮は、唐突にそこが穴の外であることに気が付いた。


 険しい顔をして腕を掴んでいる目の前の男に、目を留める。


 途端に強い震えに襲われ、思わずその場に屈み込んだ。


「アンタ、遭ったのか」


 その言葉に、顔を上げる。


「……会う?」


「ミマモリ様だよ。目ん玉の……何かだ」


「ミマモリ、様……?」


 男は、七宮の服についた土を払ってから、ベンチまで腕を引いて移動した。


 呆然とする七宮を置いて自動販売機まで行くと、水のボトルを持って戻って来る。


 無言で差し出されたそれを、七宮は奪い取るようにして、その中身を口に流し込んだ。


 しかし、口いっぱいに広がる土の味に、それを吐き出し、荒い息をする。


 何度か口をゆすいでから、ゆっくりと水を飲み下した。


 それを待っていたように、男は語り出した。


 よく見れば、男は制服のようなものを着ていて、この公園の清掃員なのだと判った。離れた所に掃除道具一式が置かれている。


「たまによ、アンタみたいに土に埋まってるのが居るんだよな。それでパニックになっててさ。此処に出入りする奴等の間では『ミマモリ様』って呼ばれてる。何でも、昔はこの辺りを見守る神様だったとか、なんだとか。でも、そういう祠の跡もなんもないし、そういう伝承も残されてない。『ミマモリ様』って話だけが残ってんだな。名前だけで言えば、良さそうな神様だとは思うんだが、どうにもその神様に遭ったら、アンタみたいなことになる。──神様自らが困難に突き落とし、それを見守るんだと。ちょっと、迷惑なもんだよなぁ……」


 そう言って、清掃員の男は胸ポケットから煙草を取り出すと、口に咥えた。


 箱を差し出されるが、七宮は緩く首を横に振った。


 ──では、神に遭い、見守られたというのか……?


 ゆっくりと、穴があった茂みを振り返る。そこには、見慣れた景色が広がっていた。


 トントン。


 と軽く肩を叩かれて、意識をそちらに向ける。


「あんまりあっちを向かない方がいい。アンタはまだこの辺りと繋がっちまってる。掃除が終わったら送ってやるから、じっと向こうの景色を見てな」


 清掃員の男は煙草を携帯灰皿に入れ、掃除を始めた。


 ぼんやりと言われるままに景色を眺めていた七宮は、すっかり陽が落ち、辺りが夕陽に染まっていることに気が付いた。


 此処を訪れたのは昼頃。知らぬ間に、随分と時が過ぎていた。


 その後、清掃員の男が運転する車で自宅まで送り届けられた七宮は、暫くしてから、清掃員の男に水の代金どころか、礼もしていなかったことに気が付いた。水筒や弁当箱まで失っていた。

 

 あの小山は、いつでも窓の外に見えている。


 しかし、もう一度あの公園を訪れようとは、思えなかった。


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