#32 ここではないどこか
私はいつもと同じ様に、フェイの屋敷へと徒歩で向かっていた。
フェイと出会ってから3か月。ずっと親しく交流を続けている。
空は晴れ渡り、最も快適な点を幾ばくか上回った気温が、私の心へ熱をもたらしていた。
今日はどんな話をしようか。
今月の”魔術界”はフェイも読んだのだろうか。
こっそり練習した補助魔術は、フェイに褒めて貰えるだろうか。
あらゆる期待に胸を膨らませて、私は駆け足気味に初夏の道を駆けた。
◇
「実は、近々結婚するんです」
突然フェイがそんな事を言った。
いつもと同じ机で、いつもと同じ様に紅茶を飲み交わしていた時だった。
心臓が凍り付く。机1つ分しか離れていないフェイが、急に遠くへ行ってしまった様だ。
「え」
その1音を発するのに、膨大な時間を費やした。
「誰と、でしょうか」
既に敬語を用いない事も増えてきた間柄だったのに、元に戻ってしまう。
「ウェスタ―子爵家という、ずっと東の方に住まわれる名門魔術貴族家の方です。確か次男の方だったと思います」
「確か、って……」
「フフフ。実は、まだお会いした事もないんですよ」
フェイは口元だけを笑わせた。
「変ですよね。父が、私に何も話さないで決めてしまったんです。それが私の”幸せ”につながるって。”幸せ”って、何なんでしょうね」
声を上げて笑うフェイ。その音は途切れ途切れで、痛々しかった。
「それじゃ、もう暫く会えないんですか」
自分の声が震えている事に気が付いた。
「そう、なるでしょうね」
フェイは静かに答える。
そんな、と言おうとした。しかし声にならなかった。
「ずっとこんな人生でした。わたしは魔術がしたかったのに、父に、”詩を読め”、”絵画を描け”、”ピアノを弾け”と命じられて、ずっとそれに従ってきたんです。全部好きにはなれませんでした。魔術への情熱を募らせるばかりで……」
震えながら、少しずつ鼻声に変わってゆく。
「だから、ベル。あなたが羨ましかった。誰の目もはばからずズボンを履いて、”自分は魔術しか興味が無い”と言い切るあなたが。その強さが、好きでした」
揺れる様にして立ち上がる。
私はフェイが倒れるのではないかと不安になってフェイの隣へ駆け寄った。
私の胸にもたれかかるフェイ。
「ベル。わたし、行きたくない。ずっとここであなたと過ごしていたいんです」
フェイは泣いていた。涙こそ流れていなかったが、確かに泣いていた。
なんと答えればいいのかはすぐに分かった。
そして、その答えを決して選択してはならない事も。
「私になど、近づかれない方がいい」
私はフェイの身体を自分から引きはがした。
「ずっと話さなければならないと思っていました。私の出自について」
いつもよりずっと固い言葉で話す。
「前に、今の父には親戚から拾ってもらったのだと言いましたね。あれは、半分は嘘なのです」
フェイの肩を持って、その透明な瞳を見つめる。
潤んでいるせいか、いつもより輝いて見えた。
「私は、奴隷出身です」
フェイの目が、一気に見開いた。
そうだ、それでいい。
「父には、奴隷市場で拾われたのです。勿論奴隷として。今は市民権を得ていますが、元が奴隷であった事実は変わりません」
フェイは私が何を言わんとしているか理解した様に、首を横向きに振った。
「だとして、わたしたちの間でそれに何の意味があるんですか!」
ああ。貴女は素晴らしい人だ。
私は、ようやくフェイの瞼から零れ落ちた雫を見つめた。
私の為に、泣いてくれる。ありがとう。もう、それだけで十分だから。
「貴女にとって問題なくとも、私には大問題だ。貴女の様な素晴らしい才能を持った人が、私の様な人間と共にいてはならないのです。あなたの”幸せ”は、ここにない。ならばせめて、探しに出るべきだ」
フェイの目が更に見開く。
「嘘!嘘よ!あなたは嘘を言ってるわ!自分に嘘を吐いてるのよ!」
わたしはゆっくりと瞼を閉じた。
「ならば、なおさらだ。こんな嘘つきと一緒に居たくはないでしょう」
瞬間、頬に鮮烈な刺激が走った。
フェイの掌が、私めがけて振り抜かれたのだ。
「どうして」
震えた声が聞こえる。
「どうして、分かってくれないの」
分かってる。分かってるよ、フェイ。
でも、貴女は行かなければ。私と共にいるよりかは、幸せを望める道へ。
「……それでいい」
私は自分の頬を抑えた。
そのまま踵を返し、静かに部屋の扉へと向かった。
後ろで何かが倒れた音と、叫び声が聞こえた。
慟哭である。
私は全てを無視した。
扉の取っ手に手を掛け、それを引いた。
◇
雨が、降っていた。
止む様子のない豪雨だ。
私は、自室でその音を聞いていた。
ベッドの上に寝転がり、ピクリとも動かない。
これで、よかったんだ。
自分の行動に対して、少なくとも後悔は無かった。
奴隷出身の私より、立派な魔術貴族の中にいた方が、彼女にとって幸せである事は明白だった。
そう。これでよかったんだ。
魔術貴族家で、魔術の天才たる彼女が大切にされるのは目に見えている。
これでよいのだ。
これでよかったんだ。
これで、よかったんだ。
私は、自分の瞳が濡れている事に気が付いた。
それでも、最良の決断は覆らない。
私は彼女から離れ、彼女も私から離れる。
これだけが、最適な解決法なんだ。
大脳も、心臓も、私の全身全ての臓腑はそう歌っていた。
まるで何かを諫める様に。
しかし魂は叫ぶ。
否。
◇
外では雨が止みそうにない。
フェイ・ギネヴィア、この白髪の少女は、ずっと泣いていた。
自らの全てに向けて、泣いていた。
小机の上に置かれた小瓶を手に取る。
死を呼ぶ薬だった。
嗚呼。なんと下らない人生か。
自由意志などというものはなく、全てが保護者の管理下。心の底から好きな筈の魔術ですらきっかけは父であり、その気持ちが本当であるのか分からない。
そんな何も見えぬ闇の中でようやく見つけた光、たった1つだけの本当の自分の気持ちだったのに。
もう何も見えない。
もう意味を見いだせない。
少女はゆっくりと小瓶を開き、中の錠剤を手に取った。
腕を震わせながらそれを口に運ぼうとする。
その瞬間、カーテンの向こうの窓を叩く音がした。
動きを止めたものの、始めは気のせいだと思った。
しかし再び音は鳴った。
しかも先ほどよりも強く。
少女は薬を小瓶にしまうと、立ち上がって窓へ近づいた。
カーテンを開く。
バルコニーの手すりの上に、黒い”何か”が座っていた。
雨でびしょ濡れになったそれは、黒い髪を垂らし、細く長い四肢を畳んで、こちらを見つめていた。
少女は迷わずに窓を開ける。
「どうして」
身を乗り出しながら、勢いのままその言葉を飛び出させた。
黒い”何か”、雨のせいか怪物の如く見える”何か”は、微笑まずに答えた。
「逢いたくて」
バルコニーの手すりから降りて、少女の顎に手を当てる。
「口づけしても?」
力強い、しかし静かな声だった。
「ええ」
少女は目を閉じた。
唇が濡れる。雨の匂いがした。
黒に染まったベル・モルガンスは力強く少女の肩を掴んだ。
「愛しています。きっと、魔術よりも」
静かな告白であった。
フェイは笑う。今度は、目元も一緒に。
「私も」
ベルは、ひたすらにフェイの目を見ていた。
今夜も美しい。
本当はあの時、言うべきだった言葉───
「行こう、フェイ。ここではないどこかへ。私たちが、私たちのまま生きていられる場所へ」
フェイは頷いた。
その顔は濡れていたが、雨のせいかは分からない。
「ええ……!」
◇
次の日の朝、名家の娘2人が行方不明になったとして、町中大騒ぎになった。
どれだけ探しても見つからないのだと言う。
「死んではいないさ。心配ない」
しかしその1方の父親、エクター・モルガンスは至って冷静だった。
「私の娘だぞ」
第2部 過去・愛憎篇 完
第3部 煉獄篇へ続く
幾万点の作品群より本作を見つけて下さった上、ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます!
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