#27 原点
家を焼いた。
重苦しい灰色で塗り固められた風景の中で、炎は煌々と輝いている。
炎以外の全てが、冷たかった。雪も降っている。
橙色の光から、わたしの幼い身体にも熱が伝わる。
覚えている母の温もりよりも、ほんの少しだけ、温かい。
わたしは静かにそれを眺める。
これからどうしようか。食料もなければ、住処もたった今失った。
凍え死ぬ事はないだろう。しかし、あと2日もすれば飢え死にである。
そんな事よりも今は、全てを燃やしてしまいたい気分だった。
無感動に、ただ、目の前の全てを焼きたい。そんな気分───
そうしているうちに、ふと、この炎の出所へと思いを馳せていた。
昨日の夜遅く、父さんが飢えで動かなくなった後。
わたしは両親が崇めていた木製の人形を殴りつけていた。
それは”えんりる”の像だった。先祖代々崇めている、神様だという話だ。
「嘘つき!」
わたしはそう叫んで、壁に人形を叩きつけた。
「お前は嘘つきだ!何が神様だ、母さんも、父さんも、助けてくれなかったくせに!」
床に落ちた人形に、思い切り掴みかかる。
「どうしてみんなを見殺しにした!?許さない!わたしはお前を、絶対に許さない!」
腕に力を込める。ニタニタ笑ったような顔の人形が異様に腹立たしくて、これを壊してしまいたかった。
わたしの腕力ではとてもではないが、叶わぬ願いだ。
「殺す、殺す、殺してやるっ……!」
それでもこの人形を壊したかった。壊さねばならないと思った。
全存在を、その腕に込める。
ぼっ、と、空気が広がる音がした。
「熱っ」
思わず人形を地面に落とす。
人形は、燃えていた。
美しい橙色の炎に囲まれて、燃えていた。
「きれい」
わたしは何が起こったのか分からなかった。
そこらへんに落ちていた木の枝を拾う。
人形にしたのと同じ様に、力を込めた。
やはり燃えた。
なるほど、そういうものなのだな。
わたしはいやに冷静だった。
わたしは何か、不思議な力を授かったらしい。炎が出せる。
両親はこんな事はできなかった。ひょっとして、おとぎ話で聞いた”魔術”なるものであろうか。
やがて、父さんの死体を焼いた。
煙が臭かった。
祈った。何に対してかは分からないが、父さんの真似をした。
そして必要な物をかき集めた。お気に入りの石や、寝床の藁、水を入れられる桶。
生きる希望が見い出せる物を、全て。
そうして、掌をかざして、家を焼いた。
この家はわたしにとって、思い出の場所である以上に不吉であった。
父と母、そして兄弟を喪った場所だからだ。
全て、一旦無かった事にしたかった。
わたしは幼いが馬鹿ではない。
これからが大変である事は、よく分かっていた。
故に、家が燃え尽きるまでの何時間か、私はぼうっとする事しかできなかった。
他にできる事など、ありはしなかったのだ。
家が燃え尽きてからも、わたしは暫くぼうっとしていた。
「……ベルちゃんかい……?」
そんな時、背後から声がした。
後ろを振り返ると、老人が立っている。彼もまた、酷くやつれて、ぼろぼろの服を1着羽織っていた。
「家が、燃えてしまうとは……吹雪で何日も会えなかったが、父さんは無事かね……?」
わたしはゆっくり首を振った。
「死んじゃった」
老人の顔に驚愕が走る。
「そうかい……すまないね、こんな事を聞いて……」
老人は心底悲しそうにそう呟いた。
「うちにくるかい……?君のお父さんには世話になった。いい引き取り先が見つかるまで、うちで暮らすといい」
老人は底抜けの善人だった。
礼を言いながら深々とお辞儀し、感謝を伝える。
老人の家も、わたしの家と同じく、貧相だった。
この地に住まう者は皆貧しいのだ。
「僅かしかないが……食べなさい」
老人は粟のお粥を差し出した。
「いいんですか」
「いいとも。私は老い先短い。子供が優先だ」
わたしはお粥を啜った。
涙が、自然と零れた。
あたたかい。炎などより、ずっと。
これさえ、これさえあれば、父さんは生き残れたかもしれない。
過去に戻って父さんに分けてやれれば、どれだけ良かっただろう。
「……ごちそうさまでした」
わたしはお粥を食べきり、老人に向けて首を垂れた。
安堵感からか、突然眠気に襲われた。
身体が床に倒れ込む。
「寝るかね。なら、良く寝なさい。良く寝て、疲れを落としなさい……」
老人の声を聴きながら、わたしの意識は闇へと誘われていった。
気づけば、わたしの寝ころんだ床は動いていた。
目を覚ます。
どうやらここは檻の中だ。鉄製の先が、わたしの視界を遮っていた。
後ろを振り向く。ロバが、わたしの入った檻を引いていた。周囲には、わたしと同じぐらいか年上の娘が、同じく囚われている。
「ここは……?」
わたしは目を擦りながらそう訊いた。
「見ての通り、檻だよ。荷台の上のね」
年長者らしき娘がそう言った。
「どこへ行くの?」
「売られに行くのさ。お前も一緒だよ」
わたしはその言葉で全てを理解した。
わたしは、何度か聞いた事がある、”奴隷”になっているのだ。
「……どうして」
わたしは天を仰いだ。悲しい程に晴天だ。
「この子、寝ている間に乗せられたんです」
年長者の隣に座っている娘が、そう言った。
「爺さんが、泣きながら乗せてました」
爺さんというのは、わたしにお粥を恵んでくれた老人に間違いあるまい。
「ははぁ。お前はその爺さんに裏切られたのさ。爺さんが、カネ欲しさにお前を売ったんだよ!」
違う。わたしはそう心の中で叫んだ。
ならば、なぜあの老人はわたしに粥を恵んだのだ。
子供を売る卑劣な者が、これから利用する相手に慈悲をかける筈がない。
「ああ……」
わたしは突然、納得のいく答えを自分で見つけた。
あの老人は、泣いていたという。何に泣いていたのだろうか。きっとそれは、謝罪の涙ではなかっただろうか。
老人はわたしを逃がしてくれたのだ。あの、不毛なる大地から。
あの地にいる限り、わたしの命はそう長くない。例え奴隷であろうと、街まで行けば生き残れる可能性は上がるだろう。
しかしそれは辛い道だ。だから、ごめんね。そういう涙だったのだろう。
ありがとう。
感謝を、心の中で呟く。
わたしは生きる。どんな手を使ってでも、生きてみせる。
久方ぶりに見た太陽へ、鉄格子ごしに誓った。
◇
今でも、時々思う。
もしも、父が生きていたら。
もしも、お粥を飲んだあと寝ずにいたら。
もしも、生きる事を諦めていたら。
私と世界は、どうなっていたのだろうか、と。
答えはいつも分からない。
現実はいつも1つだけ。
エンリルという私だけが、現実だ。
そう。これは、私が最悪の魔王になるまでの物語である。




