#25 旅立ち
潮風が吹いている。
俺は腕組みをして、眼前の巨大な船を見上げた。
「心配したんですよ、本当!」
俺の隣で、黒いスーツ姿のクリスタが、そう愚痴をこぼす。
「出発3日前に大怪我するなんて!骨が折れてなかったから良かったけど……」
「そう言うクリスタだって、怪我は大丈夫なのか。まだ入院してから1週間半しか経ってないだろう」
宰相の護衛官として、最低限の身だしなみを確保しようと新調した純黒のスーツは、思いのほか俺の身体に合っていた。
陽光が心地いい。旅立ちの日には、丁度いい日だ。
「久しいな、ヴィエール殿。再び君と共に立てる事を、光栄に思おう」
背後から、魔術省で俺と1、2を争う防御力の持ち主、ブルーノ・マルタイユが声をかけて来た。50歳を超えた、壮年の魔術師だ。
「マルタイユさん!とんでもない、こちらこそ光栄です」
「魔術師による首相の身辺警護は、4人体制で行うそうだ。私と、君と、クリスタ嬢と、そしてもう1人。どこにいるか、分かるかね?」
「名前も聞いた事がない奴でした。確か、ベルシラックとか……?出自に関する情報も書類の中で黒塗りにされ、全く分からんのです」
「宰相閣下も妙な事をなさる。そんな奴に頼らずとも、我々だけで十分お守りできるというのに」
マルタイユはため息を吐いた。
「クリスタ・シュヴァルツシルト殿。お噂はかねがね。なんでも、21歳にして1等執行官になられたとか。いやはや、素晴らしい才能をお持ちだ」
マルタイユはクリスタとの会話に移った。
人混みをかき分け、何人かの人影が俺たちへと近づいて来た。
「いや、待たせてすまんね。全員揃っているか?」
人だまりの中央に立っているのは、宰相フロイデンだ。
「紹介が遅れたが、彼が4人目の警護官、ベルシラック君だ。少し変わったいでたちだが、よろしく頼む」
フロイデンは、背後に立つ痩身かつ長身の男を指した。
男の身長は2mを確実に超えている。
全身黒染めのスーツを身に纏い、その顔には子どもの落書きの様な”笑顔”が表された仮面をはめていた。
これはどうやら、少し変わった程度ではない。
『初めまして、ベルシラックと申します』
肉声ではない、恐らく機械音声でベルシラックは話し始めた。
仮面の方向が、俺たちのいる方から絶妙にずれていて、不気味だ。
『この様な珍妙な姿で申し訳がありません。戦争で身体のあちこちをやられまして……全身を魔導具で補強しているのです。色々とご不便をおかけしますが、よろしくお願いします』
1人ずつ一言自己紹介をして、握手をする。
「さて、私はいくつか用事が残っているので、まだしばらく外にいるが、君たちは乗船し給え。部屋は私の部屋を囲むように配置して貰った。ボーイに訊くと良い」
フロイデンはそうとだけ言い残すと、颯爽と立ち去った。
◇
「ははは!いいな、このベッド。跳ねる、跳ねるぞ!」
ずっと魔術で姿を消していたエンリルは、その退屈から解放されたのがよほどうれしいらしく、ベッドの上で跳びまわっていた。
ここは船の中の個室。1人で過ごすには広すぎるが、2人だと少し狭い。
「当たり前にベッドは1つ。また俺は床で就寝か?」
「ふむ。私は別に同じ布団で構わないぞ。男に興味は無い」
「そういう問題じゃねえよ」
と、言った後で、別にそういう問題な気がして、もう俺も同じベッドで寝てしまおうかという考えに至った。
「それにしても懐かしい。お前らが属州と呼ぶゲラニア地域は、私の帝国が始まった土地だ。今でもオークやらドワーフやらが住んでいるのだな」
「ああ。リア民族を始めとしてヒューマンも住んでるが、それは全体の2割ぐらいで、殆どがクルガル民族っていう異民族だ」
俺はスーツのジャケットを脱いで、いつも通りのワイシャツ姿に戻った。
「今回、その層の過激派?が蜂起した訳だな?」
「多分な。おまけにそいつらに政府内部からコンタクトを取ってる裏切者がいやがる。面倒な事この上ない」
俺は静かにベッドに座り、エンリルの方を向いた。
「ずっと考えてたんだが、お前を蘇らせたのが”クルガル民族戦線”である可能性はないのか?お前を神輿にして、反乱を成就させようという考えてもおかしくないだろう」
エンリルは少しだけ考え込んだ。
「それなら、もっとなりふり構わず私の身柄を確保しようとする筈だ。少なくとも、あんなに警備が薄い環境で私を復活させようとはしまい」
エンリルの瞳が鋭く光る。
「私は、私とお前の出会いまでが黒幕の思惑通りである可能性を考えている。そうでなければ計画がお粗末すぎるのだ」
「……それ、もっと早くに言ってくんないかなぁ」
俺はため息を吐いた。エンリルの言う事はかなり最もで、それなら俺たちはなるべく動かない方が良い事になる。
「ま、考えても仕方あるまい。信じられるのは、皮肉な事にグールヴァンの予言だけだ。今は宰相殿を守る事と、アマルトへたどり着く事だけを考えていればいい。そんな事よりベルシラックとかいう奴の方が気になるな。あやつ、露骨に透明化した私の方を向いていたぞ。気づかれてるんじゃないか?」
「まさかぁ……」
エンリルはゆっくりとベッドへ倒れ込んだ。
しばらく静寂が部屋を満たす。
「ジョフル」
ふと、エンリルが口を開いた。
「お前が命を懸ける事は、なかったんじゃないか」
少しだけ申し訳なさそうな声だった。
「私が復活した謎については私自身の問題だし、”クルガル民族戦線”だって、お前自身には直接関係ない。全てなりゆきに任せて、事が落ち着いてから動いても良かっただろう。何故、そうしなかった?何故、わざわざ命を懸けた?」
俺は答えに詰まった。
「さぁ……?どうしてだろうな」
天を仰ぎ、答えを求める。
「もしも俺が本当に英雄だったら、どうしただろうかと考えると、やっぱりこうしてたと思う。すぐそこに困ってる人がいるんだ。それすら助けられず、何が英雄だ」
俺は、”クルガル民族戦線”が魔術省を攻撃した時の事を思い出していた。
「魔術省が爆破された日、心のどこかで思ったんだ。ああ、また戦争が始まるって。また、あの地獄が始まるって」
魂にまで入り込んだ、硝煙の臭い。鼻孔の奥で焦げ付いたその臭いは、俺に戦争の記憶を訴え続けていた。
「俺が止めなくちゃと思ったんだ」
今考えてみれば、なんて短慮で、浅はかな理由か。しかし、それを認識した上であの頃に戻ったとしても、俺はきっと同じ選択をするものだろうと思えた。
「やっぱり、お前もそういうタイプか」
エンリルが口角を持ち上げた。
「精神が思考に先行している。しかしただの馬鹿じゃない。精神が思考の結論を出している。信じるものの芯が強い故にだ」
ずっと遠くで、汽笛が鳴った。船が動き出す合図だ。
「そういう奴は、嫌いじゃない」
呟くエンリル。
こうして、遥か西、属州を目指す俺たちの旅は、静かに始まった。




