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#21 或る男爵

 或る男爵が、目を覚ました。

 窓の無い部屋の中、伸びをすると同時に、鏡へと近づく。


 長い髭を整えながら、寝室を抜け出し、居間へ向かった。


「またか。もういいと言っているだろう」


 男爵は、台所で調理する妻を見つけた。

 小柄で、皺だらけの老婆だ。


「家事など、召使いを雇えばいい……おまえ1人では、相当に疲れてしまうぞ」


 老婆はゆっくりと振り返り、笑みを浮かべた。


「それでも、わたしがあなたに出来る事は、これが精いっぱいですから」


 老婆は、トーストと目玉焼きを皿にのせて、差し出した。


 それを受け取り、静かに食卓へ着く男爵。


「うむ。うまい」


 トーストを齧り、毎日言う言葉を口にした。


 テーブルに置かれた新聞を手に取り、見出しを眺める。

 そこには、”魔術協会 属州南部の武力再侵攻を不支持 平和的解決を求める声明を発表”、という見出しが飾られていた。


「あなた、どうしたの」


 老婆が自分の分の朝食を持ち、食卓に着いた。


「どうしたとは、どういう意味だ」


「だって、笑っていらっしゃるもの」


 男爵は、そう言われて初めて、自分の笑みに気づいた。


「良い仕事をしてくれた者がいるのだ」


「あら、そう。良い事ね」


 男爵は朝食を食べ終えると、早速朝の支度にとりかかった。


 スーツに身を包み、毛髪を整える。


「あなた、これ」


 老婆が椅子の上に立ち、老婆と対照的に長身な男爵の胸に蝶ネクタイを結んだ。


「ありがとう」


 男爵は、静かに、住まいの外へ繋がる扉へ手を掛けた。


 ふと、ドアノブを握る手が止まる。


「ロジーヌ」


 老婆の方へと振り返る。


「言わなければならない事がある」


 ただ事でないと察した老婆は、身体の動きを硬直させる。


「私の次の仕事は、とても危険な仕事なんだ。命を落とすかもしれない。君と、息子と、娘と、孫に、もう何度も会えないかもしれない」


 淡々とした語り口だった。


「どうしても、お行きになるの?」


 老婆の声は、少し震えている。


「行かねばならん。我が祖国の為に」


 毅然とそう答える男爵。


「いつも、そうおっしゃるのね」


 諦めと、寂しさと、悲しみがこもった声だ。


「でもいいですわ。それがあなたですから。お行き下さいまし。あなたの愛する祖国の為に、必要な事を、成して下さいまし」


 男爵は、一歩、老婆へ向けて歩みを進めた。


「ロジーヌ。君を、愛している。国家よりも、民族よりも、だ」


 胴をかがませ、接吻する。


「もしも私が帰らなければ、子どもたちと孫に、同じ事を伝えておくれ」


 立ち上がり、しっかりとシルクハットをかぶり直した。


「いつまでも、お帰りをお待ちしております」


 男爵は、静かに住まいの扉を開けた。



       ◇



 或る少年がいた。彼は男爵家に生まれた。


 男爵とは名ばかりで、恐ろしく貧乏な家だった。


 追い打ちと言わんばかりに、家の主人が病気で死に、その医療費も家計にのしかかった。少年の家の債務はみるみる膨れ上がり、破産寸前にまでなってしまった。

 

 それはそうと、少年は素晴らしく頭が良かった。

 中学校で、名門の高校へ進学しないかとの打診を受けた。


 学費がそれを許さない事を、少年はよく知っていた。

 少年は未亡人の母を安心させようと、中学校を卒業したら働く、と誓った。


 母はそれを許さなかった。


 母は家名を売った。下品な成金に、金で、男爵位を売った。


 少年は泣いて頼んだ。それだけはやめてくれ、と。

 貧しようとも、せめて誇りだけは捨てずに生きよう、と。


 母は少年を殴った。生まれて初めて、少年は母より暴力を受けた。


 母は説いた。これだけが、誇りある生き方であると。家名そのものは失われていない。あなたがその名を受け継ぎ、高める事こそ、亡き父への手向けとなるのだ、と。


 少年は、そうやって手にした金で学校に入った。

 

 猛烈に、勉強をした。

 周囲は、彼が狂ったと思っていた。

 ただ1人、母のみはそうでないと知っていた。


 や少年は、高校、大学の両方を素晴らしい成績で卒業し、会社に勤める様になった。青年となった少年は、凄まじい勢いで金を稼いだ。

 少し金ができると自分でも会社を持った。そちらも大成功した。


 青年は金持ちになった。


 やがて、父の男爵位を買った男を見つけると、元の値段の3倍でそれを買い戻した。


 これだけの金があれば、子爵位だって買える。どうしてそこまでして男爵位を欲しがるのですか?


 成金はそう訊いた。

 青年、否、男爵は、この男爵位は私の命よりも重いのです、と、答えた。


 男爵は政界に進出した。

 政党の中で地道にキャリアを積み重ね、やがて宰相になった。


 彼の”努力した元平民”という側面は民衆や左派に好印象をもたらし、”落ちぶれた貴族家を再興した”という側面は貴族や右派からの支持を得た。


 彼は数々の改革を断行した。自分の様に没落した貴族を救う政策を行う一方で、人権宣言の採択など、民衆の権利拡大に尽力した。


 彼の支持率は、在任6年目にして、未だ圧倒的である。


 彼はその過程で、様々な貴族位を与えられそうになったが、その全てを拒絶した。彼はただ”男爵”であろうとした。


 そんな一途な彼を、人々は敬意を込めて”男爵宰相”と呼ぶのだ───



       ◇



「閣下、閣下~」


 宰相、オリバー・フロイデンは目を覚ました。


「男爵閣下、お客様がいらっしゃいました」


 どうやらソファーでうたた寝してしまっていた様だ。


「うむ、そうか……通してくれ」


 目頭を押さえ、起き上がらせる。


───私は、帰らねばならぬ。


 フロイデンは心の中でそう唱えた。


───祖国の為に。民族の為に。そしてなにより、最愛の妻と家族の為に。


 目の前の巨大な扉が、ゆっくりと開けられた。


───その為に、君たちの力が必要なのだ。


 扉の向こうには、ジョフル・ヴィエール1等執行官と、魔王、黒竜帝エンリルが立っていた。


「座り給え…………。話を、しよう」

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