#10 シュヴァルツシルト兄妹
ルアンキを出発し、ニューリアに着いた日の昼。
「折角ですから、ニューリアに着いたら、兄の所に行きませんか?」
帰りの蒸気機関車の中でクリスタがそう提案したので、俺たちはクリスタの兄、ニコラスの家に向かっていた。
馬車に揺られながら、クリスタに尋ねる。
「それで、どうだ。ニコラスの脚の具合は」
ニコラスは俺と共に五次戦争で戦ったのだが、戦争の終盤に脚を失って退役した。
今は俺と彼の母校、ニューリア大学で講師をしている、とても優秀な男だ。
「そこまで悪くないみたいです。仕事もちゃんとしてますし」
「そうか、いい事だ」
この兄妹はひどい苦労もしていて、まだクリスタが幼い頃に両親が無くなり、ニコラスは彼女の親代わりとして奔走していたのだ。それだけに兄妹仲は至極良い。
◇
「ジョフルさん!お久しぶりです!」
ニコラスの暮らすアパートの一室。ニコラスは痩せた身体を揺らし、金属製の義足の音を立てながら俺の方へと歩み寄った。
「ニコラス。変わり無さそうで何よりだ!どうだ、大学の仕事は?」
「僕らの学生時代を思い出す連中がゴロゴロいますよ。まぁ、先輩ほどぶっ飛んだ奴はいませんが」
抱擁を交わす。クリスタが口を開いた。
「今日ね、わたしたち、たまたま任務中に会ったんだ」
「ああ。それで、クリスタに助けて貰ったのさ」
「何と!腕を落としましたか、ジョフルさん」
「いやあ、クリスタが強くなったんだよ。なっ」
クリスタは少し照れくさそうに笑った。
「今夜どうですか、一杯」
「すまん。この子の世話をしなくちゃいけなくてな。日が沈む前には帰りたいんだ」
エンリルの頭を撫でた。少し不満げな様子が伝わって来たが、すぐにお辞儀をするエンリル。
「しんせきの、”リル”です。よろしく、おねがいします」
一瞬笑いそうになったがなんとかこらえる。頭をなでるニコラス。
「こんな可愛い子がいては、夜更かしはさせられないでしょう。酒はまたのお楽しみですね」
俺の方へ向き直る。
「少し2人きりで話したい事が……。クリスタ、この子の相手をしてやってくれ」
「わかった。ほーらリルちゃん、こっちおいで~」
アパートの奥の方の部屋、書斎に案内された。
「どうした。こんなところに案内して。昔話でもするか?」
「いえ……それもいいですが、大事な話が。あの子が2等に上がった時から、ずっと、話さねばと思っていた事があるのです」
先ほどまでに比べ露骨に声を低くし、椅子に腰を掛けた。
俺も勧められ、もう一方の椅子に座る。
ニコラスは大きく息を吸って、意を決したように口を開けた。
「先輩はまだ、独身ですよね?」
その言葉の表すところを、俺は瞬時に理解した。
「バカな事を抜かすなよ。俺は生涯独身だ」
「そう答えると思っていました。寧ろ、だからこそですね」
俺は露骨に動揺していた。この男は何を言うつもりだ。
「先輩、クリスタを娶られませんか」
冗談だと思った。そう訊いた。
「いいえ。大まじめです。あの子ももう21歳。年頃の娘ですよ」
「なら良い感じの男だっているんじゃないか。俺みたいなおっさんじゃなくて」
ニコラスは首を振った。
「自分を3秒で殺せる女の子と付き合おうって男はあまりいません。ここだけの話、あの子は大学で孤立してたんです。そもそも周囲に他の女子生徒はいないし。
あなたに憧れて、女子魔術院ではなく、男ばかりのニューリア大学に入ったのがいけなかったんだ……」
ニコラスはため息を吐いた後、俺の瞳を見つめて話した。
「あの子には慢心しないよう先輩の方が凄いと言い聞かせていますが、実際はどちらが上か怪しいレベルです。あの子は間違いなく、100年に1度の大天才なんですよ」
「それなら引く手あまたじゃないのか。もっと”いい男”の魔術師たちに」
「先輩は一般家庭出身だから馴染みが薄いかもしれませんが、魔術界は超保守的です。女魔術師の総数は少なくないのに、権威ある立場にはほぼいない。誰も自分より強い女、自分より才能のある女は娶りたがりません」
ニコラスの視線は真剣そのものだった。
「だとしても無理に結婚させる必要はないんじゃないか。お前だって独身だろう」
「ええ。普通の人間ならしなくとも良い」
扉の向こうからかすかに、エンリルと遊ぶクリスタの声が聞こえた。
「俺は確信してるんです。あの子はきっと歴史に名を刻む英雄になるって。先輩と同じ様に」
静かな声だった。
「もしそうなったらどうなりますか?あの子の隣には、誰が立ってやれますか?世界のてっぺんで、誰があの子を支えてやれるんでしょうか?」
答えを求める問いではない。
「俺には無理な事だけは分かります」
語気を強めるニコラス。
「もしあの子が先輩と同じように、世界のてっぺんに立ってから絶望した時、その背中をさすって慰めてあげられるのは、同じ苦しみを知る者だけだ。どんな形であれ、あの子へ吹く逆風の強さを踏まえると、いずれそんな時が来るでしょう。先輩だけが、頼りなんです」
そこまで言い切ると、勢いよく頭を下げる。
「お前の気持ちは分かった。しかし、あの子は了承するのか?10歳以上年上の、こんなおっさんが夫なんてのは、嫌だろうに」
「あの子は先輩に憧れて魔術師になったんです。戦闘訓練で俺を負かし、学校を襲ったワイバーンを倒し、凱旋パレードで手を振るあなたに。パレードで吐いた話は、軍部が握りつぶしたから知りませんが……」
「なら教えろ。俺は大した男じゃないって。ただのくたびれたおっさんだって」
「それでも変わらんと思いますよ。人の憧れは、夢は、止まらない。先輩だってそうだったでしょう」
「……」
俺は顎に手を当て、何と返すべきか考えた。
なんとか言葉を絞り出す。
「憧れと愛は、違うぞ」
「その通りです。しかし憧れを愛への入口にはできる」
この妹の親代わりの男は、俺と結ばれる事が、妹の幸せにつながると固く信じているらしかった。
「……分かった。考えておくよ。まずはあの子が一人前に、1等執行官になるのを待とうじゃないか」
「ふふ。2等執行官だって上位20%ですよ。それでもまだ半人前ですか?」
「本当に俺と同じ才能があるなら、まだまだ発展途上さ」
2人で少し笑って、椅子から立ち上がる。
「もう少し残ってくれませんか。クリスタも先輩の話が聞きたいはずです」
「ああ……」
俺たちは居間へ戻り、他愛のない世間話や、昔話に花を咲かせた。その間、俺はずっとクリスタの方が気になっていた。どうやら後輩の計略の内に嵌ったらしい。
やがて、帰るべき時間がやって来た。
「この子は良い娘です。魔術省の先輩として目を掛けてやって下さい」
そういう暗号めいた言葉を俺に投げかけ、ニコラスは俺を見送った。
外はすっかり日が暮れ、立ち並ぶガス灯が温かい光を掲げている。
人が沢山歩いている。
子連れの親子が、何か買い物でもしていたらしい様子で、手を繋いだまま、笑顔で通り過ぎた。
自分の握るエンリルの掌が、やけに暖かく感じた。
「ジョフルさん」
隣からクリスタに声を掛けられた。目の前には俺の帰るべき寮舎がある。彼女もここで寝起きしているのだろう。
「わたし、夢があるんです」
クリスタの笑顔には自信が満ち溢れていた。
「英雄になりたいんですよ」
彼女の後ろで煌めくガス灯の光が、いつもよりずっと眩しく感じた。
「いつかジョフルさんみたいな、英雄になりたいんです」
ごめんね。そう心の中で謝った。
俺は、君が思っているほど立派な人間じゃないんだよ。
弱くて、自分ひとりで罪を背負えない、ちっぽけな人間なんだよ。
君の笑顔は、俺には眩しすぎるんだよ。
エンリルが、俺の手を強く握った。言葉が想起される。
───”英雄”を背負い続ける覚悟
そんなもの、ある訳ないだろう。
自分で背負うのは良い。他人から背負わされるのは、ごめんだ。
それでも、この子にとって、俺はまだ英雄なんだ。
俺はこの子のために、英雄でいなくちゃならないんだ。
英雄ってなんだ?
俺は何を演じれば良いんだ?
今、何をすれば良いんだ?
俺が憧れたものは、俺の英雄は……
寮舎に掲げられた”勇者の紋章”が視界に入った。
「君ならできる」
気づけば、クリスタの肩を叩いていた。
「鍛錬を怠るな。自分の信じる正しさを信じろ。周りにどうこう言われる事もあるだろうが、お兄さんと俺は、いつだって君の味方だ」
クリスタはやはり笑った。頬が若干紅潮している。
ありがとうございます。そう言ったと思う。
俺の目指すものとは違う寮舎の入口へと、去って行ってしまった。
魔王が、それでいい、という風に首を振った。
◇
「これで、良いのだな」
暗闇の中、男は呟いた。問いの様であって、自分に向けた言葉なのだろう。
「やるには明日しかあるまい。なんと言ってもあのお方の命日だ……」
同じく、暗闇の中から答えが返る。
窓が開けられた。どうやらここは部屋である。
月光が部屋の中を照らす。
ローブを身にまとった4人が認められる。
顔こそ見えないが、驚くほど背格好が違っていて、同じ人間とは思えない。
「決行だ」
4人の間に大きな方陣が浮き上がる。
「クルガル大帝国と黒竜大帝エンリルの遺志を、我々が継ぐのだ……!」




