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#1 平和な時代

「……無念だ」


 世界を恐怖で満たした魔王、黒竜帝エンリルは、最期の言葉を呟いた。その肉体は塵となり、風の中へ消えてゆく。


 膝をつく勇者カリオス。長年の敵を打ち破った安堵で、傷だらけの肉体が痛みを思い出したのだ。


 でも、もう良い。もう休んだって良いんだ。


 俯き、目を閉じる。


 なんたって、これで世界は平和に───



       ◇



 世界は、平和にならなかった。


 俺、ジョフル・ヴィエールは300年前の勇者の伝記を閉じ、自分の座るベンチに置かれた新聞へと視線を移す。


 どこか遠くの国々が戦争を始めたと、そこでは報じられている。どちらも小国だし、ひと月もしないうちに終戦するだろう。よくあることだ。


 新聞を裏返してみる。社会面に、センセーショナルな見出しが躍っていた。


”魔術師免許保持者 失業率15%へ”


 魔導産業革命によって、工業の機械化と魔導具の普及が進み、魔術師の雇用が脅かされている。そんな聞き飽きた言説が書かれていた。

 冷たい風が、古びたコートに吹きつける。


 俺はそのまま視線を持ち上げて周囲を見た。レンガ造りの建物とガス灯が立ち並び、人々がせわしなく歩き回っている。ベンチに座った俺になど、目もくれない。

 アルバロス王国首都ニューリアは、今日も活気に溢れているらしい。


 遠くに見える煙突群が、街の異物として存在感を放っていた。


 隣の時計を見上げる。午後5時ちょうど。立ち上がって通りを歩き出した。

 

 そろそろ仕事の時間だ。


 ふと、隣のショーウインドウに自分の姿が映った。刈り上げた金髪に、少しのあご髭。丸眼鏡の奥の下瞼に、クマがある気がした。

 

 この間35になったばかりなんだが、いつの間にこんなくたびれた見た目になったのだろうかと、自分を嘲笑する。


 灰色の雲が空を覆っている。


 じめじめして重量のある空気をかき分ける様にして、俺はゆっくりと前へ進んだ。



       ◇

 


 銃声が聞こえる。杖を振り、顔面へと迫っていた弾丸を弾き飛ばした。


「ばっ、化け物!化け物が……こっちへ来るな!」

  

 壁に寄りかかって崩れ落ちた男は、もう一度引き金を引いた。しかし弾が発射されない。


「リボルバーの残弾数ぐらいは、覚えておく事だな」


 そう呟き、杖を男の方に向けて電撃を放つ。男は身体を少し跳ねさせ、動かなくなった。


 部屋の中、周囲には何人もの男たちが倒れている。

 どうやらこれで、全員倒し終わったようだ。


 人が大勢倒れている、こんな光景を見ていると、そこに無い筈の血の匂いが漂ってくる。


 気絶しているだけの筈の男たちの肌が、みるみるうちに浅黒くなっていって、まるで屍の様に見えてくるのだ。


 大気にうっすらと残った硝煙の臭いが、俺に過去を想起させる。


 俺の鼻孔の奥で焦げ付いた、屍の臭いを。


「あのう、ヴィエール1等執行官?」


 隣から若い警官に話しかけられると同時に、俺の意識は現実へと引き戻された。

 どうやらぼうっとしていたらしい。


「任務ご苦労様です。こちらで、魔導具密造業者は全員確保致しました。いやあ、流石は五次戦争の英雄、見事な腕前でいらっしゃいますな」


「いえ、それほどでも……もう引退した身ですし」


 俺は謙遜すると同時に葉巻を取り出し、魔術で火を点けた。


「警察と魔術省は持ちつもたれつです。今後ともよろしくお願いします」


 俺はそう言いながら会釈をし、落ちていた帽子を拾い上げて部屋の外へ出た。

 魔術省職員寮舎への帰路へ着くのだ。


 俺がいたのはアパートの一室だ。階段で地上に降り、レンガで舗装された道を踏みしめる。


 月光が町を照らす。

 明日は満月だ。


 今日も相変わらず、ちんけな犯罪者を捕まえるだけの簡単な任務。街の治安を守っているという自覚はあるものの、やりがいには欠ける。

 明日こそは刺激的な一日だと良い。そう思いながら葉巻を咥えた。


 すると突然、背後から声をかけられた。


「もし……あなた……」

 

 振り向くと、珍妙な恰好の男が立っていた。頭からつま先まで真っ白な礼服をまとって、青髪を生やしている。顔も、服と同じで蒼白であった。


「死相が見えます。明日は外に出られない方がいい」


 よくある詐欺だろう。

 俺は鼻で笑った。


「そういうのは、信じないタチでね」


 男はシルクハットを深々と被り直した。


「左様ですか……。しかし、用心されるに越した事は無い。きっと明日は、アナタにとって()()()()になる。何が起こるか分かりませんよ」


 ご親切にどうも、と呟くと、男は既にその場から去っていた。

 

 一体何だったのだろうか。


 そんな事よりも。と、俺は後で書かねばならない報告書へ思いを馳せた。



      ◇



 暗い。


 その場所の第一印象は、ひたすらな暗闇だった。


 手が何か、粘っこいものに触れる。


 そちらを見ると、血まみれの屍が俺の腕に絡みついていた。


「たすけて」


 言葉と裏腹に、屍は笑っている。

 無様な俺をあざ笑っているのだと、瞬時に理解した。


───離せ!


 俺は腕を思い切り振って屍を弾いた。


「いのちだけは」


 今度は、粘り気が俺の腹部を襲った。振り返れば、俺の胴体に縋りつく様な屍がいる。


 足元を見れば、人骨で埋め尽くされていた。或いは、人骨の山の上に立っているらしい。俺はどういう訳か、その本数を大体予想できた。


───離せ。頼むから、離してくれ。


 しかし、両の脚も別の屍に掴まれてしまった。屍はどれもこれも、血まみれだ。


「ゆるして」


 屍たちが俺の身体を力強く引っ張る。骨の山の中へ、俺の脚が沈んだ。すこしずつ、沈降していっている。


───やめろ、やめろ、やめろ……!


 屍たちは構わず俺を引っ張る。奴らも同時に沈んでいっているのだ。


「ゆるして」


「ゆるして」


「ゆるして」


 死体の声は叫びへと変わりつつあった。しかしどれもこれも笑顔のままだ。

 身体はどんどん沈んでゆく。


 やめてくれ。頼むから、やめてくれ。

 俺を、赦してくれ。


 その叫びは声に成らず、俺の身体は完全に、骨の山の中にうずまった。






 俺はベッドの上で飛び起きた。寒いというのに、全身が汗で濡れている。

 夢か。


 隣の窓から陽光が差し込んでいる。


 立ち上がって広くない部屋を見渡すと、扉の郵便受けから2通の紙束が放り込まれていた。


 拾い上げると、1つは新聞紙だ。”五次戦争開戦より、今日で9年”という見出しが書かれている。

 朝からいきなり気分が悪い。


 1031人。俺が殺した人数。

 今でも脳裏に焼き付いている。


 俺を英雄だと読んでくれる人々が今の俺を見たら、どう思うだろうか。


 嘲笑よりも更に乾いた笑いが喉から漏れる。


 もう1通は任務の指令書だった。昨日渡すタイミングが無かったのだろう。


 開くと、今日の任務が書かれていた。


”ニューリア市××区××通り〇〇番地のアパートの地下で、違法な魔術研究が行われているので、警察と協力し確保せよ”───


 大体そんな感じだ。


 今日も今日で、変わりの無く簡単な任務。

 俺は今日も明日もそれから先も、今日までと同じく僅かなやりがいと共に、乾いてくたびれた日常を送るのだろう。


 机の上に、俺の政府関係者証が置かれていた。そこには国章である勇者の紋章が刻まれている。


 俺はこの紋章に憧れていた筈なんだ。この紋章を掲げた英雄に憧れて、俺は魔術の腕を磨いていた筈なんだ。絵本やおとぎ話みたいな伝記を読み続けて憧れた世界に、飛び込もうとしていた筈なんだ。


 なら、今の俺はなんだ。罪に打ちひしがれ、その陰におびえて寝る事すらままならない。そのくせして単一な日常に飽き飽きしている。


 これが、分不相応なものに憧れた罰か。


 そんな事を考えながら身支度をし、オンボロのコートを羽織って、俺は寮舎の部屋の扉を開いた。

 


       ◇



 そう。つい15時間前まではそんな事を考えていた。


 今、俺は自分の死を覚悟している。圧倒的な強者への畏怖、凄まじい存在感が俺の全身を駆け巡っている。身体が震えて動かない。

 俺が今対峙しているのは、たった1人の、10歳ほどの少女だというのに。


「さて、質問させて貰おう。1つ目。ここはどこだ?」


 暗闇の中で、少女が口を開いた。身長ほどに伸びた髪を持つ端正な顔の中で、赤と青、色の違う2つの瞳が、炎のように揺らめいていた。

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