「狼と少年のはじまり」
遠くで雷が鳴っていた。
森の奥、血のにじむような足で駆けた少年――**狼人族**の少年は、後ろを振り返ることなく妹たちを抱きかかえていた。
「――早く逃げなきゃ」
必死だった。
ただそれだけだった。
しなやかで、けれど傷だらけの狼耳がピクリと震える。
鋭い嗅覚が、遠くにうごめく魔獣の匂いを捉えていた。
目の前で両親が命を落とし、妹たちが泣き叫ぶ声がまだ耳に残っている。
命からがら逃げ続けて、空腹と寒さに震えながら、それでも兄であり続けようと、レレヤヒは歯を食いしばった。
――助けて、なんて。
そんなこと、言えなかった。
だが、追い詰められたその瞬間。
「……何をしている?」
その声は、雷よりも静かに、しかし何よりも強く響いた。
振り向けば、そこにいたのは一人の男――魔王だった。
その姿は威圧的で、そして、どこか温かかった。
「お前たち、ここで何をしている」
「…………」
「……助けてほしいか?」
レレヤヒは、息を荒くしたまま、ただ首を振った。
助けてなんて――言えない。
もう、誰にも頼らない。そう決めたはずだった。
だが、魔王は言葉を選ばず、ただ静かに告げた。
「ならば、私が勝手に助ける。……許せ」
瞬間、温かな光が少年たちを包んだ。
――あれから二年。
レレヤヒは、魔王の国で生活しながら、雑用の仕事をこなしていた。
生活は保障されている。働かなくてもいい。そう、何度も言われた。
けれど、彼はどうしても止まれなかった。
「俺は……助けてもらったままで、終わりたくない」
魔王は、そんなレレヤヒを咎めなかった。
「……勝手にしろ」と、微笑んだだけだった。
十二歳だった少年は、気づけば十四歳になっていた。
妹たちは元気に暮らしていた。
レレヤヒも、少しずつだが笑えるようになっていた。
ただ――彼は知らなかった。
自分の中で、確かに何かが育っていることを。
狼人の血の奥底で、まだ名もない力が、ゆっくりと目を覚まし始めていることを。
その日、魔王に呼ばれた。
「お前に、一つ頼みがある」
「……俺でいいなら」
「ある男のところに行け。……お前と同じ、どこかで独りで生きようとしている奴だ」
「……」
「今度は、お前が……誰かを助けてやれ」
レレヤヒは、その言葉の意味を深く考えないまま、魔王の言葉に従って旅に出た。
辿り着いたのは、不思議な扉の先――岩山に囲まれた広い野原だった。
静かな空気が流れていた。
「……ここで、いいのか?」
扉の向こうにいたのは、一人の少年。
黒い髪に、どこか遠くを見つめるような冷静な瞳。
その少年は、ゆっくりとこちらを見た。
「……誰?」
「俺は、レレヤヒ。……魔王に、ここに来いって言われた」
「……ふうん」
少年――カゲナは、淡々とした声で続けた。
「勝手に入ってくる奴、珍しいね」
「……そっちが呼んだんだろ」
「呼んでないよ。魔王が勝手に送っただけでしょ」
「……なんだよ、それ」
互いにどこか似た者同士。
だけど、どこかで相手に興味を持ち始めていた。
少しの静寂。
レレヤヒが、ふっと息をついて言った。
「まあ、ここで……少しの間だけでも、世話になる。妹たちも連れてくる予定だし」
「妹がいるんだ」
「ああ。三人。俺が守るって、決めてる」
「……ふうん」
カゲナは、どこかでその言葉に、何かを感じていた。
「守りたいものがあるって、いいね」
「お前は?」
「……守れるもの、探してるところ」
そんな、始まりだった。
二人が並んで歩き出したその日から――
互いに、強くなろうと、ゆっくりと絆を結び始めた。
レレヤヒはまだ知らない。
自分が背負ってきたものが、いつかカゲナの力になる日が来ることを。
そしてカゲナも――
この出会いが、自分の静かな世界を、大きく変えていくことになることを。
――これは、二人の出会いの物語。
はじめまして、あるいはいつもありがとうございます。
今回の短い物語は、**レレヤヒとカゲナの「はじまりの出会い」**を描かせていただきました。
レレヤヒは「助けを求められない少年」です。
強がりで、不器用で、でも誰よりも優しい。
そんな彼が、これからどう生きるのか。
カゲナと出会い、どんな絆を結んでいくのか――。
きっとこの出会いは、カゲナにとっても、レレヤヒにとっても、お互いを支えるかけがえのないものになっていくと思います。
レレヤヒはまだ、自分の力のすべてを知りません。
彼の中に眠る「何か」が目を覚ます日は、もう少し先の物語。
けれど、その力が何であろうと、彼はきっと――
誰かを守りたいと思い続けるはずです。
この先の彼の歩みに、もしも少しでも興味を持ってもらえたなら、とても嬉しいです。
読んでくださって、本当にありがとうございました。