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『魔王、異世界から出社!〜異世界の支配者が日本で学んだこと〜』  作者: 夏目颯真
第2章 現代社会への適応

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第6話「社内政治の渦中で」

NEXUS社との共同プロジェクトが成功裏に完了した翌日、深山厳のデスクは、普段とは異なる賑わいを見せていた。社員たちが代わる代わるやってきては、深山に祝福の言葉をかける。それはまるで、異世界で大規模な討伐を終え、凱旋した魔王を迎え入れる配下たちのようでもあった。深山の周囲には、自然と明るい空気が漂い始めていた。

「部長、昨日は本当にお疲れ様でした!」

新入社員の山田太郎は、深山のデスクの前に立つと、きらきらした目で彼を見上げた。その熱い視線に、深山はわずかに気恥ずかしさを覚えた。かつて、魔王ヴァルガスが配下の労をねぎらうことなど滅多になかった。彼にとって配下は、ただの「駒」であり、命令に従うのは当然のことだったのだ。しかし、現代社会での経験と、三つの魂の統合が進むにつれて、彼は人の努力を素直に称賛するようになっていた。これは、彼の中の深山厳としての共感力、そして戦国武将・深山前としての「家臣を思う心」が、魔王としての傲慢さを上回り始めた証だった。

「いや、山田くんもよくやった。君のデータ入力の迅速さがなければ、松本がアルゴリズムの調整に集中できなかっただろう」

深山は正直な気持ちを伝えた。山田は感動したように目を潤ませた。「部長からそんなお言葉をいただけるとは…!僕、もっと頑張ります!」その純粋な喜びに、深山は微かに微笑んだ。部下のモチベーションを高めることが、いかに組織に活力を与えるか、彼は身をもって体験しつつあった。

次にやってきたのは、IT部門の松本健太だった。彼の顔にはまだ徹夜の疲労の跡が残っていたが、その目には確かな達成感が宿っていた。松本のメガネの奥の瞳は、興奮で輝いているかのようだった。

「部長、本当にありがとうございました!僕のアルゴリズムが、あんな形で役に立つなんて…!」

松本は、まるで子供のように喜びを表現した。普段は社会性よりも技術への情熱を優先する彼が、これほど感情を露わにするのは珍しかった。

「君の才能がなければ、あの危機は乗り越えられなかっただろう」深山は言った。「君はフューチャーテックの宝だ」

松本は照れくさそうに頭を掻いた。「いえいえ、部長のアイデアがなければ、あのアルゴリズムをセキュリティに応用することなんて思いつきませんでしたよ。部長の『異世界理論』って、本当にすごいですね!」

深山は内心で苦笑した。彼が昨晩、酔った勢いで語った「マグナ・インフェルノ」の魔法体系が、まさか現実世界でこれほど役立つとは。しかし、それはもはや単なる偶然ではないことを、彼は薄々感じ始めていた。異世界と日本、そして自身の三つの魂が、複雑に絡み合っているのだ。彼は、自分が語る「ファンタジー小説の知識」が、実は異世界の真実であったこと、そしてそれが松本のような天才の着想に繋がっていることに、奇妙な運命を感じていた。

社内の空気が、NEXUS社プロジェクトの成功によって一変したようだった。深山は、オフィス全体がこれまでになく活気に満ちているのを感じた。フロアを歩く社員たちの顔は明るく、会話のトーンも弾んでいる。業績不振に喘いでいたフューチャーテックに、ようやく光が差し込んだかのようだった。

しかし、その活気の裏で、新たな動きが水面下で始まりつつあることも、深山は敏感に察知していた。それは、この世界における「社内政治」の渦動だった。魔王として幾度となく裏切りや権力争いを経験してきた彼にとって、この種の気配は、肌で感じ取れるものだった。

定例の朝礼が終わると、深山のデスクに佐藤美咲がやってきた。彼女の表情はいつもの冷静さを保っていたが、その目にはかすかな緊張の色が浮かんでいた。

「部長、お疲れ様でした。NEXUS社の成功、本当におめでとうございます」

佐藤の声は、まるで朝の清流のように澄んでいた。彼女は深山の変化を最も敏感に感じ取っている人物の一人だ。

「ああ、君のおかげだ、佐藤さん」深山は彼女に心からの感謝を伝えた。「君の冷静な判断と的確な指示がなければ、とても乗り越えられなかった」

佐藤は少し頬を染めたが、すぐにビジネスライクな表情に戻り、本題に入った。「実は、今朝一番で社長秘書から連絡がありました。志村社長が部長にお会いしたいと。至急、社長室まで来てほしいとのことです」

深山は眉をひそめた。志村社長の呼び出し。それは、単なる労いではないだろう。彼は社長の持つ謎めいた一面と、異世界との繋がりを知っているらしき言動を思い出していた。社長が異世界と日本の繋がりを知る鍵を握る人物であること、そして異世界と日本の行き来を研究していた科学者であることは、彼の中で確信に変わりつつあった。

「わかった。すぐに行くと伝えろ」

深山が立ち上がろうとした時、高橋剛が営業二部のフロアから、営業一部のデスクへとまっすぐに歩いてくるのが見えた。彼の顔には、どこか複雑な表情が浮かんでいる。彼の背後には、彼に付いてくる部下の姿はなく、一人で来たことに深山は微かな違和感を覚えた。

「深山部長、おめでとう」高橋は深山の前で立ち止まり、やや硬い声で言った。「NEXUS社、見事だったよ」

その声には、以前のような露骨な敵意は感じられなかった。むしろ、僅かながら尊敬のようなものが混じっているかのようだった。

「ありがとう、高橋部長」深山は静かに応じた。「君の協力がなければ、あのアルゴリズムの調整は間に合わなかっただろう」

高橋は一瞬、眉をひそめた。深山から素直な感謝の言葉が出たことに、彼は戸惑っているようだった。高橋にとって、深山は常に競争相手であり、出し抜くべき存在だったのだ。

「…そうか」高橋は小さく頷いた。「正直なところ、共同プロジェクトには反対意見も多かった。特に我が二部にはね。君に協力すること自体が、彼らのプライドを傷つけることだった」

深山の胸の左側が、微かに温かくなった。それは以前のような痛みを伴う「呪縛」ではなく、彼が正しい方向へと進んでいることを示す「導き」のような感覚だった。それは、高橋の言葉に嘘偽りがないこと、そして、彼が自身の立場を顧みずに協力してくれたことへの感謝の念が、深山の心に響いたからかもしれない。

「だが、結果として成功した」深山は言った。「高橋部長の決断がなければ、この成功はなかっただろう」

高橋は深山をまっすぐに見つめた。彼の目には、かつての「光の勇者」としての因縁の光と、現代のビジネスマンとしての複雑な感情が入り混じっていた。それは、勝利の喜びと、同時に深山に協力したことへの周囲からの圧力、そして彼自身の誇りが交錯する複雑な感情だった。

「君も変わったな、深山」高橋は静かに言った。「以前の君なら、俺の助言など一蹴して、全て自分の手柄にする男だったのに」

深山は苦笑した。確かに魔王ヴァルガスならそう言っただろう。しかし今の彼は、単なる魔王でも深山厳でもない、何か新しいものへと変わりつつあった。深山厳もまた、ヴァルガスと似たパワハラ気質だったことが以前の言動から示唆されているため、この変化は彼自身にとっても新鮮な驚きだった。

「人は皆、変わり、成長するものだ。君もそうだろう?」

高橋の表情が僅かに揺らいだ。彼は自身の内面で起こりつつある変化――「光の勇者」としての記憶の覚醒に、まだ戸惑っているようだった。

「…確かに」高橋は小さく頷いた。彼はそれ以上何も言わず、軽く会釈すると、自分のフロアへと戻っていった。彼の背中には、どこか寂しさのようなものが漂っているように見えた。それは、かつての宿敵が変化していくことへの戸惑いか、あるいは、彼自身が今後直面するであろう「社内政治」の困難を予感しているからなのか。

「高橋部長も、複雑な立場ですね」佐藤が深山の隣で呟いた。「今回の成功で、営業二部からの反発も少なからずあるでしょう。特に彼が私利私欲ではなく、会社の利益を優先して協力したとなると…」

「そうだろうな」深山は頷いた。社内政治とは、単純な善悪では割り切れないものだと、彼は理解し始めていた。異世界で力によって支配する立場にあった魔王にとって、この現代社会の複雑な人間関係は、新たな学びの場となっていた。


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社長室のドアをノックし、深山は中へ入った。志村社長は、広大な窓から東京の街並みを眺めていた。五十代半ばでありながら、引き締まった体躯と鋭い目つきは、彼がただの経営者ではないことを物語っていた。その背中は、どこか現実離れした威厳を放っている。

「よく来たな、深山君」

志村が振り向くと、その鋭い目が深山を射抜いた。深山は、社長が彼の正体を知っていることを改めて思い知らされた。社長は以前、深山の痛みを「契約の呪縛」と呼び、彼のことを「ダークロード・ヴァルガス」と呼んだことがあったのだ。

「NEXUS社の件、見事だった」志村の声は穏やかだが、その言葉には深い洞察が込められているようだった。「君の判断力と、チームをまとめる力が、会社を危機から救った。感謝する」

「もったいないお言葉です」深山は頭を下げた。魔王としての傲慢さは薄れ、深山厳としての謙虚さが自然と表れるようになっていた。

「座りたまえ」志村は窓際のソファを指し示した。

二人が向かい合って座ると、志村は深山をじっと見つめた。「君は変わりつつあるな、ヴァルガス」

深山は息を飲んだ。志村は躊躇なく異世界の名前を口にした。

「はい…そうかもしれません」深山は正直に答えた。「この世界での経験が、私に多くのものを教えてくれました」

「良いことだ」志村は頷いた。「君の中の三つの魂が、ようやく調和し始めている。魔王の力と、武将の勇気、そして現代人の知恵と共感…それらが一つになった時、君は真の力を発揮するだろう」

その言葉に、深山は胸の奥で何かが脈打つような感覚を覚えた。それは、彼自身の存在が、より高次元なものへと進化しつつある予感だった。

「社長は…なぜそこまで私のことをご存知なのですか?」深山は問いかけた。疑問を抱きながらも、彼の声には以前のような反発の色はなかった。

志村はゆっくりと視線を上げ、窓の外の空を見つめた。その瞳の奥には、深い知識と、遥か古からの歴史を見つめてきたかのような老獪さが宿っていた。

「私は…この二つの世界を繋ぐ者の一人だからだ」

深山は驚いて目を見開いた。志村が異世界と日本を繋ぐ存在だというのか。それは、彼の想像をはるかに超える答えだった。

「我が社、フューチャーテック株式会社は…単なるIT企業ではない」志村は続けた。「古代より、二つの世界の境界に存在する特異点だったのだ。そして、その特異点を通じて、異世界からの『影響』が、この日本にも及ぶことがある」

深山の脳裏に、NEXUS社のシステムダウンが蘇った。あれは単なるシステムトラブルではなかったのだ。

「影響…NEXUS社のシステム欠陥は、それだったのですか?」

志村は頷いた。「その通りだ。あのセキュリティホールは、異世界からの『干渉』によって引き起こされたものだ。正確には、異世界の邪悪な存在が、この世界に影響を与えようとした最初の試みだった」

深山は背筋が凍るのを感じた。会社の危機が、異世界の脅威と直結していたとは。それは、単なるビジネス上の問題ではなく、世界存続に関わる危機だ。

「なぜ私にそれを隠していたのですか?」

「時期を待っていた」志村は静かに言った。「君が、真に覚醒する時を。そして、君がその『契約』を理解し、受け入れる時を。過去に何度か試みたが、君はまだその器ではなかった」

「契約…」深山は呟いた。「神崎さんもそのことを…」

「律子もまた、契約の守護者の末裔だ」志村は頷いた。「彼女の家系は、古くから二つの世界の均衡を見守ってきた。そして、君の胸に刻まれた『契約の呪縛』は、その均衡を保つための最終手段だったのだ。それは君が、その大いなる契約を違えないための導きであり、また守りでもあった」

深山は自分の胸に手を当てた。もはや痛みは伴わないが、確かにそこには見えない紋様が刻まれている。それは、彼が正しい道を歩むにつれて、「束縛」から「導き」へとその性質を変えていったのだ。

「では、私は…何をすれば?」

「君には新たな使命がある」志村は深山をまっすぐに見つめた。その瞳には、未来を見据えるような強い光が宿っていた。「フューチャーテックの、そして二つの世界の未来を賭けたプロジェクトだ」

志村はデスクに戻り、一枚の資料を深山に差し出した。そこには「異界技術応用研究プロジェクト」と書かれている。

「これは…」深山は資料に目を通し、驚きを隠せない。「異世界の魔法を、現代技術に応用する…?」

「その通りだ」志村は言った。「我が社は長年、密かに異世界の法則を研究し、それを現代に応用する技術を開発してきた。しかし、この研究は危険を伴う。下手をすれば、異世界の混沌がこの世界に流れ込む可能性もある。故に、極秘裏に進めてきたのだ」

「だから、私に…?」

「そうだ。君は異世界の知識と力を持ち、かつこの世界の理を理解し始めている。君こそが、このプロジェクトを指揮するにふさわしい」志村は続けた。「このプロジェクトは、社内の既存の部署とは独立して動く。君には、直接私に報告してもらう」

それは、深山に対する絶大な信頼と権限の付与だった。しかし同時に、社内の既存の権力構造から彼を切り離すことを意味する。それはまさに、社内政治の渦中への投下だった。志村の言葉からは、このプロジェクトが成功すれば、彼の会社における地位が揺るぎないものになるという暗示も含まれていた。

「このプロジェクトには、社内にも反対意見が多いだろう」志村は警告した。「特に、営業二部の高橋君は、君への協力を後悔しているかもしれない。彼は保守的な性質があるからな。彼は、過去にこのプロジェクトが社内で引き起こした混乱を、深く憂いているはずだ」

深山は高橋の顔を思い浮かべた。彼の変化を敏感に感じ取り、協力の申し出をしてきた高橋。彼が保守的であることは理解できるが、協力関係を築き始めたばかりで対立するのか。

「しかし、このプロジェクトが成功すれば、我が社は新たな時代を迎えることができる。そして、二つの世界の未来を切り開くことができるのだ」

志村の言葉は、深山の胸に響いた。単なる会社の利益だけでなく、「世界」という壮大な目標が提示されたのだ。それは、魔王ヴァルガスが抱いていた世界征服の野望とは異なる、しかし魂を揺さぶるものだった。

「承知いたしました」深山は決意を固めた。「このプロジェクト、私が引き受けます」

志村は満足げに頷いた。「期待しているよ、深山ヴァルガス」

社長室を出た深山の心は、高揚と重圧がないまぜになっていた。異世界の脅威、二つの世界の未来、そして社内政治。彼に課せられた使命は、想像以上に壮大で複雑だった。彼の額の左側にある戦国武将・深山前の傷跡が、彼の新たな決意を示すかのように、微かに熱を帯びているように感じられた。


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午後、深山は自身の営業部に戻り、佐藤美咲、山田太郎、松本健太を会議室に集めた。室内の空気は、朝とは異なり、張り詰めた緊張感に包まれていた。

「皆、話がある」深山は切り出した。彼の声には、いつになく真剣な響きがあった。「志村社長から、新たなプロジェクトの指揮を命じられた」

三人の表情が緊張に包まれる。深山は「異界技術応用研究プロジェクト」の概要を説明した。異世界の法則を現代技術に応用し、新たな価値を創造するという、その壮大な構想を。彼は、このプロジェクトが単なるビジネスではなく、二つの世界の運命を左右する可能性を秘めていることも、言葉を選びながら伝えた。

「それは…!」松本は目を輝かせた。「僕の夢です!魔法と科学の融合!」彼の天才的な頭脳は、既に新たな可能性に思いを馳せているようだった。

「しかし…」佐藤は冷静な視点で言った。彼女の瞳は、未来を見据える賢者の末裔の血を引く者らしく、鋭く光っていた。「そのような機密性の高いプロジェクトは、社内の反発も大きいのではないでしょうか。特に既存の部署から独立して動くとなると…既存の利権や組織構造を脅かすことにもなります」

「その通りだ、佐藤さん」深山は頷いた。「社長もその点を懸念している。しかし、このプロジェクトが成功すれば、会社の未来を大きく変えることができる。そして、二つの世界の混沌を防ぐことにも繋がる」

山田は深山をまっすぐ見つめた。彼の純粋な忠誠心は、深山が最も信頼する資質の一つだった。「部長、僕たちも、そのプロジェクトに協力させてください!どんな困難があっても、部長を支えます!」

「私もです!」松本も興奮した様子で言った。「僕のアルゴリズムなら、きっと異界技術の解析に役立つはずです!僕の技術を、人類の、そして異世界の未来のために使いたいです!」

深山は三人の熱意を感じ、胸が温かくなった。彼らは単なる部下ではなく、共に戦う仲間なのだ。魔王時代には感じられなかった、心からの「絆」という感覚が深山を満たした。

「ありがとう、皆」深山は微笑んだ。「このプロジェクトを成功させるには、君たちの力が必要だ。そして、私は君たちを信頼している」

「承知いたしました!」三人は力強く頷いた。その声には、単なる業務命令に対する返答以上の、深い忠誠と決意が込められていた。

しかし、その夜遅く、深山が残業していると、高橋剛が彼のデスクに近づいてきた。営業二部のフロアは既に明かりが消え、高橋の姿は闇の中に沈んでいるかのようだった。彼の顔は、普段の自信に満ちた表情とは異なり、どこか険しい。

「深山部長、一つ聞きたい」高橋は声を潜めた。その声には、僅かながらの焦燥と、隠しきれない懸念が混じっていた。「『異界技術応用研究プロジェクト』について、君は知っているのか?」

深山は警戒心を抱いた。この情報はまだ社内には公開されていないはずだ。志村社長は「極秘」と述べていたのだ。

「なぜそんなことを?」

「社長の動きは、社内で常に注目されている」高橋は皮肉めいた笑みを浮かべた。「特に君が社長室に呼び出された後、尋常ではない部署間の情報共有があったらしいからね。そして、一部の役員たちの間で、過去の『失敗例』が囁かれている」

「それで?」

「あのプロジェクトは、我が社の『タブー』だ」高橋は真剣な表情になった。彼の目は、まるで遠い過去の惨劇を目撃したかのように揺れていた。「過去にも、同じような研究が試みられ、社内で大きな混乱を引き起こしたことがある。危険すぎる。多くの犠牲者を出したんだ」

深山の胸の奥が、僅かに締め付けられるような感覚を覚えた。それは、かつて魔王として危険な知識を追求し、世界を混沌に陥れた自身の記憶と重なるようだった。魔王としての彼も、力への飽くなき探求心から、数々の禁忌に触れてきた。その結果が、異世界の荒廃を招いたのかもしれないという思いが、彼の脳裏をよぎる。

「社長は…君にあのプロジェクトを任せるつもりなのか?」

深山は頷いた。「そうだ」

高橋は深くため息をついた。その表情には、絶望にも似た諦めが浮かんでいた。「やはりな…。君なら、そうするだろうと思った」

「君は反対するのか?」深山は問うた。

「これは…個人的な感情ではない」高橋は言った。彼の声は、社内の人間関係のしがらみを乗り越えようとする、強い意志を感じさせた。「君と俺はライバルだが、会社の未来を考えれば、あのプロジェクトは危険だ。君も巻き込まれる。巻き込まれるだけでは済まないかもしれない。あの時と同じように…」

彼の言葉の奥に、何か隠された過去の記憶があることを、深山は感じ取った。「あの時」とは、一体何を指すのか。高橋の中の「光の勇者」の記憶が、彼を突き動かしているのかもしれない。

「危険を承知で引き受けた」深山は毅然とした態度で言った。彼の瞳には、魔王としての揺るぎない決意と、現代のビジネスマンとしての責任感が宿っていた。「このプロジェクトは、会社の、そして…世界の未来を変える可能性があると、私は信じている」

高橋は深山をじっと見つめ、その瞳の奥に宿る揺るぎない決意を感じ取った。彼の表情は、一瞬にして複雑な感情で歪んだ。それは、深山の覚悟への驚きと、彼の変化を目の当たりにしたことへの動揺、そして自身の過去のトラウマが蘇る苦痛がないまぜになったものだった。

「…そうか」高橋はそれ以上何も言わなかった。彼は軽く会釈すると、くるりと背を向け、静かに去っていった。その背中には、彼自身の過去の因縁と、深山を案じるような複雑な感情が入り混じっているように見えた。それは、かつての宿敵が、今、同じ道を歩もうとしていることへの、高橋なりの葛藤の表れだったのかもしれない。

「社内政治の渦中…か」深山は小声で呟いた。彼の胸の左側が、微かに疼いた。それは、危険への警告と、同時に正しい選択への導きでもあった。

内ポケットからシャドウが顔を覗かせた。「魔王様、高橋はあなたを心配しているのですね」

「そうかもしれんな」深山は返した。「だが、彼の忠告は的を射ている。この世界も、異世界と同じくらい権力闘争が激しいものだ。そして、過去の経験が、彼を警戒させているのだろう」

深山は、高橋が去った後、改めて「異界技術応用研究プロジェクト」の資料に目を通した。資料に記された専門用語や図表の奥底に、異世界からこの世界へと繋がる、見えない亀裂が隠されているように感じられた。それは、単なるビジネス上のプロジェクトではなく、二つの世界を結びつける、壮大な「契約」の始まりなのだと。

翌日、深山が社内に出ると、早くも社内での噂が広まっていることに気づいた。彼の新しいプロジェクトについて、様々な憶測が飛び交っていた。NEXUS社の成功は深山への期待を高めたが、この新たなプロジェクトは、それ以上の「不穏な影」を伴っているようだった。期待と、そして警戒。フロアの至る所から、深山を値踏みするような視線が向けられているのを、彼は肌で感じた。

朝礼で、深山は営業部長として、NEXUS社プロジェクトの成功を改めて報告した。その報告は、社内の士気を高めるには十分だった。そして、彼の口から、新プロジェクトについての簡単な発表が行われた。もちろん、詳細は伏せられたが、営業部の社員たちは、その言葉にざわめいた。彼らの間には、期待と不安が入り混じった空気が流れた。

深山が自席に戻ると、早速いくつかの部署から「異界技術応用研究プロジェクト」について問い合わせがあった。その中には、深山と距離を置いていた法務部の主任、神崎律子からの連絡も含まれていた。

「深山部長、この件で少しお話ししたいことがございます」

神崎の声は冷静だったが、その背後には隠しきれない緊張感が漂っていた。彼女は、深山が最も信頼する「契約」の専門家であり、彼の「呪縛」の謎を解き明かす鍵を握る人物だ。

深山は彼女のオフィスを訪れた。シンプルながら洗練された雰囲気の法務部オフィスで、神崎はデスクに座り、深山を促した。

「部長、この『異界技術応用研究プロジェクト』は、社内でも極秘中の極秘です。しかし、これが公になった場合、大きな波紋を呼ぶでしょう。特に、過去の経緯を知る者たちからは」

「社長からの直々の命令だ」深山は言った。「社長は、このプロジェクトが会社の未来を切り開くと考えている。そして、二つの世界の危機を防ぐことにも繋がると」

「私もそう信じています」神崎は真剣な表情で言った。「しかし、これは単なるビジネスプロジェクトではありません。これは、二つの世界の均衡に関わる問題です。そして、私たち二人の魂に刻まれた契約とも」

彼女はデスクの引き出しから、古い羊皮紙を取り出した。そこには、複雑な魔法陣と、見慣れない文字が記されている。それは、以前神崎が深山に見せた、彼と「光の巫女」(神崎の前世)が結んだ「世界を救う」という契約の証であった。

「これは…異世界の契約魔法陣か?」深山は息を飲んだ。彼の魔王としての知識が、その古文書の意味を読み解こうとする。

「はい」神崎は頷いた。「そして、ここに描かれている紋様は…部長の胸にある『契約の呪縛』の紋様と酷似しています。これは、あなたがかつて結んだ『魂の契約』、その最後の痕跡なのです」

深山は自分の胸に手を当てた。そこには目に見えない紋様が、今も確かに刻まれている。もはや痛みは伴わないが、その存在は彼の魂と深く結びついていることを示していた。

「このプロジェクトは、単に異世界の技術を応用するだけでなく、二つの世界の境界を揺るがす可能性を秘めています」神崎は続けた。「もし、このプロジェクトが失敗すれば…異世界の混沌が、この日本に流れ込むでしょう。それは、私たちの前世での契約、『世界を救う』という誓いにも関わる、重大な問題なのです」

深山は背筋が凍った。彼は社長から「異世界からの干渉」があったと聞いていたが、ここまでの危険性を孕んでいるとは。それは、魔王としての彼が世界を征服しようとした行為と、皮肉にも対極にある使命だった。

「なぜ、社長は私にこのプロジェクトを任せたんだ?」

「あなただからです」神崎は静かに言った。彼女の瞳は、深山の魂の奥底を見透かすかのように、深く澄んでいた。「三つの魂を宿し、異世界の知識と力を持ちながら、この世界の理を理解し、尊重するようになったあなただからこそ、この危険なプロジェクトを成功させることができると、社長は信じているのです。そして、あなたの胸にある契約の証が、あなたを正しい道へと導くと」

深山は黙って考え込んだ。自身の成長と覚醒が、より大きな責任と危険を招いているのだ。

「部長」神崎は真剣な眼差しで深山を見つめた。「このプロジェクトには、社内にも『反対派』が存在します。彼らは、あのプロジェクトが過去に引き起こした惨状を知っている。彼らの抵抗は、決して私利私欲からだけではありません。彼らは、この世界を守ろうとしているのです。そして、高橋部長も、その中心人物の一人となるでしょう」

「では、どうすればいい?」

「彼らの懸念を理解し、対話することです」神崎は言った。「そして、彼らにも、このプロジェクトが真に目指すもの…二つの世界の調和と保護を理解してもらうことです。力で押し通すのではなく、言葉と信頼で道を切り開くのです」

「それは…一筋縄ではいかないだろうな」深山は小声で呟いた。社内政治とは、時に魔王の統治よりも複雑で厄介なものだと、彼は痛感していた。

「ええ」神崎は頷いた。「しかし、部長ならできます。あなたはもう、力で押し通すだけの支配者ではありません。あなたは、人々の心と繋がる術を学びつつある」

神崎は深山に、社内の主要な派閥とそのリーダーたちの情報をまとめた資料を渡した。そこには、営業二部の高橋剛の名前も含まれていた。高橋は、保守派の若手リーダーとして影響力を持ち始めているようだった。そして、彼の過去のトラウマが、このプロジェクトへの強い反対意見の背景にあることも示唆されていた。

法務部を後にした深山は、重い足取りで自分のオフィスに戻った。彼の心は、新たなプロジェクトの重圧と、社内政治の複雑さに直面し、戸惑っていた。彼の肩には、会社の未来だけでなく、二つの世界の運命が乗せられている。

デスクに戻ると、内ポケットからシャドウが顔を覗かせた。その黒い瞳は、深山の苦悩を静かに見守っていた。

「魔王様、大きな嵐が吹き荒れそうですね」

「ああ」深山は小声で返した。「世界を救うという使命が、こんなにも現実的で、そして面倒なものだとは…」

「しかし、魔王様は一人ではありません」シャドウは静かに言った。彼の声は、深山の心を落ち着かせるかのように響いた。「佐藤、山田、松本…彼らは魔王様の力になるでしょう。そして、高橋もまた…彼は、あなたを理解し、同じようにこの世界を守ろうとしているのです」

深山は考え込んだ。社内政治とは、力の誇示ではなく、人と人との繋がりと、信頼の積み重ねで乗り越えるものだ。それは、彼がこの現代日本で学んできたことそのものだ。魔王としての過去の経験が、この新たな戦いでどのように活かされるのか、彼は自問自答した。

「この渦中を乗り越えてみせる」深山は決意を込めて呟いた。彼の胸の左側が、温かい光を放っているように感じられた。それは、三つの魂の統合が進む証であり、彼が新たな道を歩む「導き」となっていた。

夕暮れのオフィス街を眺めながら、深山は心の中で静かに誓った。力と恐怖で支配する魔王ではなく、絆と知恵で未来を切り開く、新たな存在として、この社内政治の渦中、そして二つの世界の危機に立ち向かうのだと。

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