ダークヒーロー
拉致をされて、君たちは選ばれし者だと親父に言われた時。
正直に言えば、喜びに飛び跳ねた。
両親に会えぬ悲哀よりも、日常から引き剝がされた未知への恐怖よりも、自分がヒーローに選ばれた喜悦の方が遥かに勝っていた。
同じく拉致された自分と同じ子どもや異形の生物が次から次へと死んだと聞かされた時も、あいつらは選ばれなかった失格者だと見下していた。
自分は違う。
自信があった。
自分は本物の選ばれし者なのだ。
人魚の接吻を受けた時。
自分の唇が凍りついたかと思えば、離れて行く人魚の唇に皮膚と毛を除く肉体がごっそり持って行かれたような感覚に陥った。
間近で人魚が微かに笑った時、その吐息によって何の音も立たず、皮膚と毛だけになってしまった肉体は漆黒の大理石の床に倒れ込んだ。
起きなよ。
人魚は歌うように言った。
人魚は甘えるように言った。
人魚は面白くて仕方ないと言わんばかりに口にした。
ぞわりぞわりと背筋が凍った。
人魚の声はとても冷たかった。
人間が、いや、如何な生物も辿り着きようがない深海の果てを連想させるほどに、冷たい。
唇が氷のように冷たいのだから当然かと思いながら、人魚の声に引っ張られるままに立ち上がった。その刹那。
「おめでとう。律希。君は選ばれし者だよ」
人魚が言った。
親父が言った。
自分が言った。
命すら、尊厳すら面白おかしく弄ぶ為の遊び道具としか思っていない最低最悪な親父と人魚に選ばれた事を、誇っていた。
ダークヒーローの誕生だ。
心の底から喜んでいた。
親父と人魚の掌でいいように転がされまくっていると気づくまで。
ずっと、ずっと、喜び続けていた。
ずっとずっとずっと喜んで、あらゆる生物と闘い続けていたのだ。
「お知らせします。十番目の商品である人魚の接吻を受けて戦闘生物となった律希を出品したお客様から追加の商品をお出しするように、とのご注文をお受けしましたので、ここに登場させます。律希をお買い求め頂きますと、合わせてこの商品が、桔梗大太刀から天使と巨人と悪魔を封印から解いた人間、暖の稀有な右腕を手に入れる事ができます」
オークショマニアの言葉に頭が真っ白になった律希の眼前に設けられたのは、小さな円卓の上に軽々しく置かれた右腕であった。
衣を纏っておらず、筋肉も骨も細く白い素肌が露わになった暖の右腕で、あった。
オークション会場の三階席、主催者のみが出入りする事ができる個室にて。
「やあ。よく来たね」
律希が親父と呼び、このオークションを主宰する、闇すらも飲み込む深く濃く広い影を身に染み込ませる男性は、ロケットランチャーすら無傷で撥ね返す防弾壁を綺麗にくり抜いてここに入り込んできた少年を、にこやかに出迎えたのであった。
(2024.12.27)