4 仮説③ 俺(私)のすべてを受け入れて!Ⅱ
全員を選ぶ。
ある意味、すごく優しいです。
全員に気配りをし、全員を平等に愛するなんて至難の業ですから。
でもある意味、すんごく傲慢ですんごく残酷だとも感じるのです。
すべてを選ぶということは、逆に言うと何も選ばないに等しいと、個人的にですが私は思います。
それでいい、と思う人ももちろんいるし、数多のひとりであっても愛するアナタのそばにいられたらいい、と思う人もいるでしょう。
ひとりのツマンナイ相手(笑)とガッツリ向き合うくらいなら、たとえたまにちょこっとであっても、(自分にとっては)最高の相手と向き合いたい、そう思う人もいるでしょう。
でも、みんながみんな、そうでもないと私は思います。
何故なら、私がその立場なら苦しくてたまらないだろうなァと思うからです。
(あ、モチロン中の人は私でも、見かけは儚げな美少女だとでも思って下さいね♪)
嫉妬は醜いとわかっていても、自分以外の(しかも魅力的な)女性にほほ笑みかけ、心身ともに愛するであろう自分の恋人を、しまいには殺したくなるんじゃないかと思いますねえ(苦笑)。
殺せば自分のものになるとかじゃなく、もうもう苦しくてたまらないから、相手もしくは自分を壊すしか道はなくなりそうな。
うん、そうだね。
愛しいアナタは殺せないから、その代わりに私が死ぬわね、うふふふふ…という感じにぶっ壊れるでしょうね、私なら。
要は、最初からハーレム構成員に向いていない、というだけでしょうが。
向いてるか向いてないかなんて(特に若いのなら)やってみなきゃわからないでしょうしね~。
それくらいなら主人公、変に期待を持たせないで、あっさりと私を振ってほしいです。
少なくとも最低限、
『君のことは確かに好きだけど、俺は他の子たちも君と同じくらい好きだから、君はもちろん誰も特別に扱わないよ。あ、自分だけは特別とか自分こそが俺を変えてみせるとか、そういうこと思わないでね、この方針、俺絶対に変えないから。君、ホントそれに耐えられる?』
くらいの意地悪は言って、軽く幻滅させてほしいものです(笑)。
仮に、振られたショックで私が自殺を選んだとしても。
ハーレム構成員である私がハーレム内で自殺するより、私本人や主人公くん含め、各方面へのダメージも最小で済むでしょうしねえ。
うーん、なんだか重くなってきました(笑)。
ラノベ的エンタメ内のハーレム(逆ハー)を、そんなにシリアスに読んではダメでしょう。
こういう重い人間がエンタメを楽しむ場合、さっさとヤンデレ方面へ行くべきなのです。
ハーレムもしくは逆ハーから、速やかに距離を置きましょう~。
一読者としてはそれでいいとして。
へっぽこエンタメ考察者としては、引っかかったものをそのままにしておけません。
あーだこーだ自分の中の違和感をこねくり回しているうち、ふと
(これって……恋愛の皮を被ってるけど。実は恋愛ではないんじゃ?)
という、ひねくれた発想が浮かんできました。
人間、社会の中では仮面を被るものです。
ヒトが二人以上いれば極小ながら社会は形成され、『その人向きの顔』の自分で、相手と付き合うもの。
つまり、どれほど愛して素をさらけ出している恋人相手でも、自分のすべての面を見せることはないと思うのです。
安心して武装解除している自分は見せていても、武装して闘っている(仕事している時の自分や地域社会での付き合いをこなす自分、親戚とのアレコレを仕切っている自分など)面のすべてを、恋人が知っているとは思えません。
ひとりの人に見せられる面なんて、どうしても限られてくるのが普通です。
そう……ひとりしか、いないのならば。
でも。
信頼している人がたくさんたくさんいたら。
すべての自分を受け入れてもらえる、かもしれない、のでは?
少なくとも、可能性は高まるでしょう。
ハーレム(逆ハー)愛好者は無意識のうちに、そう思っているのではないかと私は思い付きました。
エロエロ気分やときめき、胸キュン要素が前面に出ているし、それはそれで需要を満たしているでしょう。
でもそれだって、三~五人もいれば十分。
ちゃんとハーレムではないかと個人的には思います。
読者の要望とか作者の気分とか色々あるかもしれません。が、あまりにもどんどこ数が増えてくると、主人公も作者も管理できなくなってくるし、読者も誰が誰だかよくわかんなくなってくるものではありませんか?
そんなのどーでもいい、素敵な恋愛対象が数えきれないほどいることこそがハーレム物の正義、なのかもしれません。
アクション漫画で、敵の強さがインフレしてくるようなものかもしれません。
でも……何故、そこまで必要?
野暮を承知で私は考え、こねくりまわし……トンデモな仮説をひとつ、思い付きました。
『ひとりでは絶対無理だけど、山のように恋人がいれば。俺(私)のこと、(分担して)すべて受け入れてくれる…かもしれない!』
これだけ恋人がたくさんいれば、自分の中のナニかをあきらめなくてもいい、という無意識のメッセージを受け取っているのでは?と。
……穿ち過ぎ?
そうかもしれません。