1 人と向き合うって疲れませんか?
さてさて。
一時期ほどではないかもしれませんが(ですよね?)、『ハーレム』『逆ハー』という概念が当てはまるお話、人気があると思います。
そりゃ、それぞれに魅力ある複数の異性(BL・GLならば同性)に無条件に愛され、この上なくチヤホヤされるって、何というバラ色の人生・ぐへへへへ、って感じになるの、わからなくないです、いくら萌えに対する感性が低い私であっても。
でも、元来がボッチ体質なのか
(こんなに沢山沢山、自分の周りに濃いぃ恋愛感情持ったヒトがいるなんて……あああ、つ、疲れるなア)
と思ってしまうんですよね、別に自分じゃなくてお話の主人公だとしても。
愛する恋人・妻(夫)たちをいくら愛していても、ふっと、
『ひとりになりたい』
『みんなから離れて、一時期でいいから自分だけで静かに暮らしたい』
みたいな、我が儘だの贅沢だのと謗られそうな気分になる……のではないかな? と(笑)。
仮にお話として面白くても、あんまり沢山の恋人やら妻(逆ハーなら夫)やらが主人公の周りにうじゃうじゃいる状態、ハーレム耐性?が弱い私は疲れてしまうようです。
一時期、勉強がてらムーンライトで逆ハーものを幾つか読み、とある長編の、ヒロインの夫たちもそれぞれキャラ立ちしているお話としてもすごく面白い作品を拝読していたのですけど。
やっぱり最後まで追い続けるのが疲れてきましてね、読むのエタりました。
特に、後半に近い時期に出てきた夫(夫候補だったかも?)が、私の苦手なモラハラ臭ただようツンデレタイプだったので余計にイヤになったという事情もありますが。
そうじゃなかったとしても、疲れただろうと思います。
何ていうのでしょう?
私の中にある感覚として、自分に対して濃い感情(恋情や愛情、あるいは友情や家族の情も含む)を持って向き合おうと努めてくれる人に対し、自分も一定以上の好意や愛情を感じている場合。
私もきちんと、ガッツリ、向き合いたいと思うのですよ。
誤解のないように書きますが、別にハーレム(逆ハー)の主人公がチャラくて不誠実なタイプばかりだと思っているのではありません。
ハーレムや逆ハーを(心ならずも)築いてしまう主人公は大抵、性格のいいヒトであり、恋人それぞれと向き合ってそれぞれに愛している(少なくとも作者様はそう描写しているのが普通)のですが。
しかし自分のキャパから考えて、恋愛関係にある人が一人二人ならまだしも、五人も六人も十人も……と、あまりに数が多くなってくると。
メチャ嬉しいとか、ヤッホーイ私ってばなんてラッキーみんなみんな愛してる~! というテンション高めな感情より。
心の奥深くから、ぐったり疲労しそうなんですよね~。
自分が疲れそうな状況を、いくらフィクションとはいえ自作の中で、主人公キャラに演じさせる気にはなりません。
いえねえ。
現実の話、自分のダンナひとりでもご機嫌を伺うのはそれなりにメンドクサ……いやいや、気を遣……ゲフゲフ、ちゃんと誠実に向き合うのに、そこそこエネルギーが要るものです。
(このくらいなら問題ない表現だよね? ハハハ)
別にウチのダンナさんが特別気難しいとかではなく、『親しき仲にも礼儀あり』的な、最低限の気配りをしながら向き合うというだけの話ですよ?
ちゃんと相手に健全な範囲での興味を持ち、相手(と自分)の心身の健康に気配りしつつ楽しく暮らすというレベルの話です。
たったそれだけのことでも、相手がひとりならまだしも両手を動員する数の恋人や夫、私のキャパでは対処する自信がありません。
目に見えない過労でポックリ早死にする、あるいはストレスのせいで禿げ散らかしそうです(笑)。
だーかーらー!
なんでチミはそういうツマンナイこと、考えるかな?
両手両足?にあふれんばかりの花を抱え、ヒャッホーイと喜ぶの!
それがハーレム(逆ハー)の醍醐味なの!
疲れるだなんだ、シミッタレたこと考えるなー!
私の中のツッコミ担当が、ハリセンで私の側頭をスパーン!!と、どついていきました。
一瞬、気が遠くなりかけましたが
「あー! わかったかも!」
そうかそういうことか、と突然、私としては納得の仮説が思い浮かびました。