八 地獄を創るシンス=フロイス
「これにて数学の授業を終える」
そうセロは宣言するが、この時、意識を保っている者はいなかった。全員が倒れ伏しているのにもお構いなしに、セロは教師用の扉から去っていった。
遺存宝器によって自然治癒した人間からのろのろと寮に戻っていく。その足取りは鉛のように重かった。
寮に戻って予定表を確認すると、ちょうど昼休憩の時間だった。食堂に行って、悲鳴を上げる胃に無理矢理食べ物を流し込む。食堂のおばさんは機械のように無表情だった。
食事している間、会話する余力がある者は一人もいなかった。
セロと戦っていて、とっても痛かった。普段とはかけ離れた、逃げ出したくなるような、つらい感覚が襲ってきた。
慣れない痛みを思い出し、一人の生徒が涙をこぼす。
こんな痛みとは無縁の生活を送るはずだったのに。
その涙を見て、ハロンドは唇を噛み締める。
あの時、永遠に止まなかった絶叫が、耳にこびりついて離れない。
次の授業は剣技科だった。午後を丸々使うらしい。
ハロンドたち生徒は、指定された訓練場(校長に挨拶したところと同じ場所)に到着する。そこには、先に男の教師がいた。
カルセニュートほどではないが、顔色が悪かった。
「はぁ。やっと来たか。やっと、ね」
教師は気怠げに言って、深くため息をついた。とても暗い雰囲気を纏った男だった。
「全員が到着したので、残念なことに授業を始めます。やだなぁ」
誰が号令するのか。男から何も指名がなかったため、不自然な沈黙が流れた。
「早くしてよ。だるいなあ。誰でもいいでしょ。はあー」
ハロンドが見渡すと、ほとんど全員がハロンドの方を向いていた。これはお前がやれ、ということだろう。
仕方なく、ハロンドが号令をかけた。
「気をつけ。今から剣技科の授業を始めます。礼」
「ありがとー。じゃあ、授業を始めるよ。にしても俺、なーんで教師やってんだろ」
陰鬱な雰囲気の目の前の教師に、ハロンドは大丈夫なのかこの教師、と不安になる。この学校にいる以上、自分より強いことは確実ではあるが。
「えーと、今日のノルマは……そうそう。奇剣について教えろってセロに言われたんだ。えー、知ってるでしょ、みんな。めんどくせえ」
独り言をぶつぶつ言って髪をくしゃしゃにする教師に、数学の授業で、ハロンドが五人で戦っていた時の五人の内の唯一の女子が、おずおずと手を上げた。ちなみに彼女はパラナというらしい。
「あのぅ……。破剣はなんとなく分かりますけど、奇剣っていうのは……」
隣にいた女子も手を上げる。
「はけんとは……」
教師は驚いて目を丸くする。
「うーわー、えー、知らないの?だるぅ。えー、マジでー?」
教師は延々と文句を言い続けていた。ガンムでさえ口を挟まなかったため、長い間愚痴が続いた。
けれど、セロの時とは少し違って、少しだけ緩んだ雰囲気があった。
「はぁー。わーかった教えるよ。そーいや、その前に自己紹介か。テレパシーでもありゃいいのになぁ。俺はシンス=フロイス。シンスとでも呼んでくれ」
簡単に自己紹介を済ませると、彼は早速授業内容に入った。
「あー、まず破剣についてだが……。なんて言えばいいのかなあ。あー、考えるのもだりい。あー、おいそこのお前」
シンスはハロンドを指差した。
「?僕ですか」
「そうだ。見た限りだと、こん中で一番剣が上手そうだからな。めんどくせえし、説明任せた」
これでも教師なのか。デッドエルブであるからこそできる奔放さだ。
「はあ。え、説明?」
「そうだよ、だるい奴だなぁ。ほーら、早く俺の隣に来て一から千まで分かりやすく説明しろぉ。ふぁーあ」
最後に欠伸をする。仕方なく、ハロンドは前に出た。
途中でタラに「何でも一番じゃーん」とニヤついた顔で言われ、ロファも「この最強め」と冷やかす。
若干顔を赤くしながら前に立つと、ハロンドは咳払いをして説明を始めた。
「まず、この世界には【破剣】、【魔剣】、【神剣】と呼ばれる三つの必殺技があります。それらはまとめて【奇剣】と呼ばれます。【奇剣】の三つの中で威力、速度などに大幅な差があります。強い順に言えば【神剣】、【魔剣】、【破剣】ですね。威力の基準として、破剣は剣豪クラス、魔剣は魔王クラス、神剣はーーー神クラスと云われています」
そこでハロンドは一旦切り、唇を濡らした。生徒はしんとしていて、シンスは椅子に座り、机の上で眠そうに欠伸をしている。
「【破剣】、【魔剣】には“通常技”と呼ばれる技があります。これは、鍛えれば誰もが扱えるようになる技。それぞれ十ずつ型が存在します。ですが、威力の基準で示した通り、破剣でさえ習得には何十年の時がかかってもおかしくないくらいの高等技です。ですから、通常であればそれだけで剣の天才と呼べるでしょう。まあ、この学校だと平気な顔で教師たちがたくさん撃ってるので、破剣は最低条件なのかもしれませんが。ちなみに【神剣】には通常技がなく、代わりに“特殊技”と呼ばれるものを創り出すよりありません。これは自分専用の“技”で、通常技とは違い、他者が真似することは出来ない、唯一無二のものとなります。【奇剣】を初めて撃つ時に発動するのが“特殊技”と云われています。それは破剣、魔剣にも存在し、生み出せるのはそれぞれ一個ずつまでとなります。つまり、破剣、魔剣、神剣合わせて三つが上限ということですね。ーーーこれでいいでしょうか、シンス教師」
シンスのひんしゅくを買わないように、必要以上にへりくだって言った。
だが、シンスはあまり気にしないと告げた。
「ありがとー、あと教師はいらなーい呼び捨てでいー」
「では今後そのように」
「うーんよろしくー。でー、今ので理解できたー?まあ、破剣については大丈夫かなあ。ほら、さっきの授業でセロががんがん打ってたんじゃない?あれが破剣よ。ま、必殺技と考えてくれていいよぉ。はー、久々によく喋って疲れたー」
「……習得には、とてつもない時間がかかるのでしょう。私たちには、無理なんじゃ……。だって私、まともに剣も握ったこともないのに……」
タラが不安そうに聞いた。シンスは片目を瞑ると、ハロンドに目配せした。
ハロンドは一つため息をつくと、口を開いた。
「……【奇剣】の習得には、二つの方法があります。一つは鍛錬を積むこと。この場合、習得に早くて数十年、遅くて数百年かかる場合があります。つまり、一生習得できない可能性がある」
生徒たちは身を強張らせた。何故なら、当然のように教師たちが破剣を振るっているのに、自分たちが使えないのであれば、即ち詰み状態なのだから。
「もう一つはーーーこれは不確かではありますが、精神的苦痛を経験すること。実際、数百年前にこの国で名を馳せたかの英雄は、誰よりも辛い過去があったといいます。他にも、様々な実例がある。つまり、客観的に見ればーーーこの学校はどこよりも【奇剣】を習得しやすい環境にあると言えます」
セロの授業を見て、ハロンドは思ったのだ。この学校で行われる授業は、トラウマになるほどの地獄のように辛い授業ばかりだ。いつも死と隣り合わせのこの学校は、【奇剣】習得にはもってこいの環境だ、と。
要するに、この学校はどこまでも『最強』ーーー【神剣】を扱える者ーーーを育成するための施設なのだ。
「そーだよ。よーく見抜いたねえ。よーく苦しみ抜いて、【神剣】という頂に手を伸ばすがいい。ま、ここらでみんなも理解できたでしょ。座学は終わり。実践に入るよー。……めんどくさい」
ここからだ。実践になってから、セロの授業も地獄になったんだ。
ハロンドは冷や汗をかいた。
「じゃあ今日は模擬戦をやろうか。と思ったんだけど……。剣も握ったことない人も多いでしょ。だからー、ダルいけど体力作りをしよー」
彼らは、本当の「地獄」を体験することになる。
シンスは訓練場の内周を全力ダッシュするように指示した。
誰かが少しでも遅れていると「おーいお前、おっせーぞぉ。斬られたいのー?」等と脅迫して、無理矢理ペースを上げさせた。
(だるいとか言ってたのにこんなきついことさせるのかよ!?)
そうハロンドは心の中で叫んだことは秘密だ。
それを終えると、タラが荒い息を吐きながら「も、動、けない……」と倒れた。
実際、かなりのスピードだった。
「無理、かあ。でもさあここ、自分で限界を作るのは禁止されてるんだよねえ。おつかれー」
その表情を見て、生徒の顔は青くなった。
ーーーああ、この教師もデッドエルブに染まっている、と。
今度は大きな岩を引かされた。
数キロ全力ダッシュさせられた後、休憩もなしに次のメニューをこなせと言われたのだ。
もちろん抗議したが「あ゙?死にたいの?」と喉元に剣を突きつけられ、従うしかなかった。
「安心してー。ここ、『不死のトーテム』、『フルエナジー』っていう二つの遺存宝器があるから、死にはしないからー。…………死にたくなっても、死ねないからねえ」
最後のところはごにょごにょと小さな声だったのでよく聞き取れなかった。
そこそこに大きな岩が縄に括られていて、それを引きながら歩くのと同じくらいの速度で走らされた。
その岩はとても重く、持てるギリギリの重量だった。
訓練場内を走らされたのもあり、すぐに疲れた。けれど、少しでも遅れたら、肉眼では見えないほどのスピードでシンスがやって来て、首に剣を突きつけられる。死の恐怖が、彼らを限界以上に動かした。
また、『フルエナジー』という遺存宝器のおかげで熱中症などの体調不良になることもないため、彼らは永遠に走らされる。
すぐに息が切れ、辛くなった。
だからといって遅くすると、シンスがやって来る。さらに、たまにどこか斬りつけてきたりする。その斬りが深くなり、出血が酷くなる場合もあるため、無理にでも速くするしかないのだ。
何分経っただろうか。
もう、つらいという次元を超えてきた。
ここで彼らに襲ってくるのが、身体の限界。
いくら足を動かそうとしても、動かなくなるのだ。
(動け動け動け動け動け動け!僕の足よ動け!動かなきゃ、あの地獄が、シンスが……)
ーーーハロンドの肉眼は、高速で動くシンスを奇跡的に捉えた。
(ーーーああ)
生徒の限界を察して、シンスは新たな段階に入った。
ーーー生徒全員の脇腹を、抉った。
「あ゙…………?あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!?!?」
理解が追いつくと、凄まじい痛みが襲いかかってきた。ある者は地面を転がってもがき苦しんだ。
そこに、シンスの氷点下以下に冷え込んだ声が響いた。
「うるさーい。これ以上斬られたくなかったら、走れー」
走った。ただただがむしゃらに走った。眼前に迫った死に怯えて、全力で、限界を振り切って走った。けれどそれも、たった数分で力尽きる。
完全な、身体の限界。
タラが涙を溢しながら呟く。
「死に……たく、ない、よ…………」
シンスはにっこり笑った。
「そっかあ。じゃあ、頑張らないとねえ」
そして、シンスはやけに優しい声で言った。
「みんな限界かあ。よーく頑張ったねえ。じゃあご褒美で、その疲労を減らしてあげよう。このボタン式の遺存宝器を押すとね、疲労成分が少ーしだけとれるんだよー」
全員に押させると、みんな動ける程度には回復した。
死んだ魚のような目をしていた生徒たちの目の焦点が合うと、シンスは舌舐めずりをした。
シンスは、にっこり笑って言った。
「これでまた、訓練を続けられるねえ。さ、始めよー」
そして彼らは絶望した。
ある者は、乾いた笑いさえ溢したという。
どれだけ辛さに顔を歪めたって。
どれだけ絶望に顔を染めたって。
どれだけ地面に倒れ伏したって。
どれだけ必死に泣き叫んだって。
どれだけ時間が経ったって。
どれだけ顔面がぐしゃぐしゃになったって。
どれだけ白目を剥いたって。
どれだけ狂って狂って狂ったって。
どれだけ額を擦り付けて土下座したって。
どれだけ恐怖に漏らしたって。
どれだけ、どれだけ苦しかったってーーーーー。
シンスは、止まってくれなかった。
「ほーい腕立て終了ー。ついでに授業も終了ー。おつかれさまでしたー。疲労全部消えるまでボタン押させてるからもう動けるよー。あー終わった終わった」
地面に倒れている生徒とは対照的に、シンスは気楽にのびをしながら去っていった。
生徒は全員、絶望に顔を染めて、ただずっと、ずっと、動かなかった。
彼らは初めて、生命の限界を超えたのだった。
そういえば、授業では木剣しか使われません。文中に「剣」とある場合がありますが、正しくは木剣です。実技分野も木剣を使います。
ただ例外もあります。教師討伐戦など、ね。