三 カルセニュート=ファラグの洗礼①
男は小綺麗な出立ちをしていた。その印象を打ち消すような、青いとさえ言えるほどの青白い肌。まるで死体のような色だ。その線は細く、鼻頭の辺りに小さな眼鏡もしている。
だが、そんな特徴はどうでも良かった。全員の目を引いたのは、手が見えない腕だった。
「四名の紳士、淑女方、今すぐ剣を鞘にお収めなさい」
どこまでも平坦で、抑揚のない声。感情が感じらないのは、無表情な顔も一緒だった。
その手は見えない。いや、存在しないのか。
どちらにしろ、男は袖から手を出していないため、すぐさまに抜刀出来ないのは確かだ。そのはずなのに、首元に剣を突きつけられているような錯覚を覚えるのだ。
彼がその気になれば一瞬で命を刈り取られることを理解して、背筋が凍る。そして直感で理解する。今すぐに従わなければいけないと。
「……どうやってここまで来たァ?」
僕やシャル達がおとなしく鞘に戻す中、少年は物怖じせず聞いた。
ハロンドがやめておけと伝えようとするが、やめた。そもそも、さっきまで敵だったからだ。彼もそこまでお人好しではない。
「どうやって、とは?」
男は変わらない無表情で聞き返した。
「だからァ、そんなに速くここまで来れる理由だよッ!」
少年は苛々しながら叫んだ。まるで感情を感じさせない男の平坦な声に腹が立ったのだ。
知ってか知らずか、それにも男は平坦に答える。
「そういうことですか。普通に走っただけです。あなたたちはまだまだ若いので、そんなに気にすることではありませんよ」
その答えに、一同は戦慄する。
普通に走ってそんな速度が出るはずがないからだ。若いのどうのという話ではない。
彼が言っている『普通』が何の『普通』なのか、全くわからなかった。
「さて、聞きたいことは終わりですか?では、こちらからお伝えしたいことがございますが」
誰も、何も言わなかった。
「その前に自己紹介ですね。このデッドエルブ学校の一年教務主任を務める、カルセニュート=ファラグでございます。ちなみにお亡くなりになられた先生方の穴埋めも担当しております」
亡くなる。この学校の教師でさえも死ぬ危険性があるほどだということか。
「皆さんが連れて来られた経緯をご説明いたします。まずここはデッドエルブ学校と呼ばれる学校です。皆さんは『最強』となる可能性を見込まれて拐われて来ました。一日前くらいでしょう、記憶がぼやけている部分があるはずです。その時に拐われました」
確かに、ハロンドにも昨日、言われたことに覚えがある。
その時、確か自分は剣の稽古をしていた。それが終わると、大きな木に登って木の上の日陰で休んでいたのだ。そして休憩が終わるとーーー
記憶がない。恐らく、ここの辺りで拐われたのだろう。
「ま、待ってよ!」
混乱しているシャルが一同の思いを代弁するように叫んだ。
「なんで拐われてるのよ!?なんでこんな大規模な誘拐がまかり通ってるの!?こんなところに集めて何がしたいのよ!」
ああそうか、とハロンドは納得した。ここがどこなのか知っていれば、先ほども陽気な会話は絶対しなかったはずだ。生まれがど田舎なら知らなくても不思議ではない。ただ珍しいというだけだ。
「国営の学校だからです。国が認めた、公式の学校。どれだけ政権が変わっても、必ず国が保護している恐怖の学校。だからこそ、国民は毎年の間引きとして半ば諦めております」
その噂は日本中を飛び交っている。それは大幅に誇張されて飛び交いながらも、生きて帰ってきた生徒に「まだまだ甘すぎる」と言わしめるほどだ。
シャルとナーナは閉鎖的な村に住んでいて、どれだけ自分の行いが危険だったのか知らなかったのかもしれない。
だが、ここで当然の疑問が発生する。
「なんで、ずっと国営なんですか」
ナーナより落ち着きのあるシャルが冷静を装って当然の質問をする。
「この学校の性質上、国営でなくなった場合、国に不都合が生じるためでございます。また正直にいうと、この学校に招待されて生きて帰れた者はごく少数。もし生きて帰れても、人間性において根本が捻じ曲がった者がほとんどです」
この学校には、カルセニュートのような化け物ばかりが在籍している。国がその強大な力を恐れ、国営にし続けるのも妥当ではある。
デッドエルブ。直訳して、死のエルブ。
エルブの意味は分からないが、デッドだけで充分だ。即ち、死の学校。この学校に招待された生徒の生存率は……驚異の一割以下。ほとんどの生徒が死ぬというわけだ。
「な、なんで?ここ、一応学校だよね?」
ナーナが震える声で自分を納得させるように言った。
「学校ではありますが、機能は学校だけではありません」
「どういう、こと?」
「ここは、最強の剣士を育成するための機関です。故に、一人の最強を生むために、九十九人の犠牲を出すことさえ、私たちは躊躇いません」
「ひ……っ」
ハロンドたちはぞっとした。それは最早、狂気の所業だ。きっと、もし一つの国の国民全てを犠牲にしてたった一人の最強を生み出せるとしたら、この学校はすぐにでも実行するだろう。
「なんで?命が、失われる命が、惜しくないの……?」
この問いにも、カルセニュートは平坦な声で答える。
「貴方たちは消耗品。いくらでも交換可能なモノが失われて、惜しいと考えると思いますか?」
「……っ!!」
戦慄した。それを聞いたハロンドはごくりと唾を嚥下する。
人間が、消耗品。
正気の沙汰とは思えなかった。
故に、不安になる。
「家族は、家族は無事なの……?」
たくさんの人間の中から、一人の少女がおどおどと聞いた。
「さあ。それは私の業務外ですから、よく分かりません。ですが、貴方たちが学校の思惑通りに動いてくれれば、きっと悪くはしないでしょう。きっと、ね」
それはハロンドたちへの人質だった。決して逃れることの出来ない呪縛が、今彼らを縛ったのだ。
「うそ、だろ……?」
この一言によって心を折られた人間が、地に膝をつけてしまう。ほとんどの人間が挫折した。
「ば、馬鹿野郎っ。お前ら、諦めんな!うちの父ちゃんはな、最強なんだ。たかが学校が差し向けた刺客なんか、返り討ちにする」
震える声で一人の少年が言った。
だが、諦観した様子の少女が強がっている少年を宥めた。その声も、少年と同じく震えていた。
「声震えてるし、本当はわかってるんでしょ。さっきこの人が介入した時の速度が普通なの。あんたの父さんがどれだけ強いのかは知らないけど、きっと……」
「あ、ああああああああああああああああああああああ」
その少年は発狂した。共鳴して、宥めていた少女もけたたましく哄笑を上げた。その頬には、一筋の涙が光っていた。
混乱は伝染する。
その恐ろしい恐怖と悪夢は、瞬く間に全ての人間に伝わった。
「ちょっと、うるさいわよ!」
「これは策略!こいつが仕組んだ策略だってこと、分からないの!?」
「叫んでも何にも変わらないんだ!静まれ!」
いつの間にか、パニックに陥った人間たちは大声で騒ぎ始めていた。この状況で騒ぐなと言う方が無理な話かもしれなかった。
けれど……今、ここで騒ぐのは悪手に過ぎる。目前にカルセニュートがいるからだ。もし彼の機嫌を損ねることがあれば、どんな報復が待っているのか想像したくもない。
ハロンドやシャルたちが声を張るが、一体どれだけ効果があったのか。
「……少々、騒がしいですね」
カルセニュートは無表情のまま呟いた。だがハロンドには、その表情が険しいように思えた。
いけない、とハロンドは直感した。これ以上、カルセニュートの気を揉ませてはいけない。でなければ、取り返しのつかないことになってしまう、と。
「待ってくれ!」
「何を」
ハロンドは慌てて敬語に直した。
「絶対に静まります!だから、ちょっと待ってくれませんか?」
カルセニュートは無表情のまま、顎に手を当て考え込む。
数秒後、カルセニュートは頷いた。
「よいでしょう。今から十秒待ちます。それまでに静まらなければ、その時は実力行使に移ります」
「っ!わ、分かったっ」
十秒。この混乱を鎮めるには、あまりに短い。
でも、やらなければならない。
「私はうるさいのが嫌いですので、できるだけ素早くお願いいたします」
「は、はい!」
やらなければならない理由がまた、増えた。
「十」
「鎮まれ!黙らないと、お前たちの家族だけでなく、お前たち自身にも被害が及ぶぞ!」
ハロンドは自分の出せる限界の声量で叫んだ。しかし、あまり効果がない。大勢の人間が騒ぐ中でたった一人の声が通るわけがなかった。
「くそッ」
ハロンドは舌打ちした。
「九」
「家族がいなくなるからって叫びまくって他人に被害被らせて、あんた達は何がしたいの!?ねえ、お願いだから口閉じてよ!」
シャルがなりふり構わず叫ぶ。近くの人間は自分がしている恥ずべき行動に気づいて口をつぐみ始めたが、まだ全体的には効果がない。
「八」
「ねーえ、お願いだ、か、ら?黙ってくれないかしら?」
ナーナが可愛いパワー全開で叫んだ。一瞬、時が止まったかのように声が止んだ。彼女の顔を見た周りの人間は一瞬で黙る。
「解決、か」
全く、可愛いというアドバンテージはずるいと思う。自分たちと同じような台詞を吐くだけでこうなのだ。そう思いながら、ハロンドは安心のため息をついた。
「七」
けれど、カウントは続く。隣で、先ほどの少年が吠えた。
「お前らァ!ここで家族を想いながら死ぬという、ニセモノの名誉の死を選ぶのかァ!?違ぇだろ!だったら喚くな!みんな、みんな同じ気持ちなんだよ……!」
その拳が、黄色になるほど強く握り締めているのを見た。粗野で乱暴者に見えた彼にも、大切な家族はいるのだ。
けれど、今の行動は許されない。
「おい!せっかく鎮まりかけてたのに、何でさらに油を注ぐんだ!」
「六」
「分っかんねえのか!?こんな大規模な喧騒が、この中で一番に顔のいい奴のたった一声で収まるワケねえだろ!一瞬静まったあの時がトドメ入れるチャンスだったんだよ!」
「っ……」
ハロンドは反論できなかった。今、未だに騒ぎが収まっていないのが何よりの証拠だからだ。いつもなら、たとえ斬り合いでもこの少年なら鶴の一声で収まるだろうから。
「五」
「どうすんのっ?もう手が付けられないよっ!私たちが出来るのは声を張ることだけだけど、それじゃ……!」
その通りだった。ハロンドたちは剣士。人間の感情を操作することなど、門外漢もいいところだった。
だから、彼らが出来るのは声を張ることだけ。だが、それだと結果は火を見るよりも明らかなのだ。
「ナーナ!もう一回、さっきの出来ないのか!?」
「四」
まずい!もう半分を切った。
「駄目っ!実はあいつ、めっちゃ可愛い子なのに可愛いく見せるのにはほんっと強い抵抗があって……。多分今、トランス状態に入ってる!」
「はぁ!?」
ナーナを盗み見てみると、確かに頭を抱えてうずくまっていた。微かに震えている。
「なんで……」
「昔、その可愛さのせいで虐められてたのが原因かも……」
そんな余計なことしたのは誰なのか。やりようのない怒りと焦りに、ハロンドは唇を噛む。
「クソッタレが……!」
乱暴な少年が憤りの声をあげる。
これで、ハロンドたちは最後の切り札を失った。
「三」
ついに抑揚さえ何も変わらなかった機械的な声が、最後の3カウントに入った。
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