十八 燻る葛藤
「……次はねェっつったよなァ?」
食堂の椅子に座ったガンムの冷ややかな声が響き渡る。
「申し訳ございません」
ファーは正座をしながら慇懃に答えた。
ガンムは苛立ちを隠さず、頭をがしがしとかく。
「謝れっつってんじゃねェんだ。謝辞なんか何の役にも立たねェ。俺が欲しいのは確証だァ。これから、お前は一切動揺せず、俺の言葉に従うと誓うかァ?」
「誓います」
「本当かァ?今回は、いとも簡単に乗せられていたように見えたが?」
ガンムがファーとハロンドの剣戟の音を聞きつけて目を向けた時にはもう、ファーは獰猛に笑い、全力で斬りかかっていた。ガンムからすれば、さすがに乗せられすぎだと思うだろう。
「……誓います」
「……」
ガンムは答えない。無言のまま、ファーの鳩尾を蹴り上げる。
「っぁ……」
避けられるはずのその蹴りを、ファーは無抵抗で受け入れる。そのまま、呻き声を何もなかったかのように押し殺す。
いつも通りの、ガンムからの罰だった。
「ぅっぁ……」
もう一度、鳩尾を蹴り上げられる。
決して軽くはない一撃が、容赦なく二回も入ってしまう。ファーはその場にうずくまる。唾が顎を伝って地面に落ちた。
「本当にィ?怪しいんだよなァ。ここ最近、お前は失敗続きだァ。失敗しか生まない塵はいらねェんだァ」
「誓、い、ます……」
鳩尾の一撃がまだ効いているファーは、途切れ途切れに言った。
「……フン」
もう一度、鳩尾に一撃が入る。
「か……っ」
いきなりの一撃に、ファーは声を我慢しきれない。
ガンムはファーに冷ややかな目を向ける。
「我慢しろォ」
もう一度、蹴り上げる。
「っぅっ……」
「上出来だァ」
ガンムは立ち上がり、次の授業に向けて去っていく。
ファーは、昼食の時間ギリギリだからすぐ向かわないと授業に間に合わないと知っていながら、数分間、その場から動けなかったのだった。
「……」
教師との殺試合の疲労が少女の身体を重くして、足を引き摺るようにして歩いていた。
月明かりが、一人の少女を照らす。
影に生きる間者には、その光はどうも眩しくて。窓の隣の壁に、光から隠れるようにもたれかかった。
そして、今の悩みを吐露する。
「ソール……」
そう口にして、すぐに口を押さえる。これまで、思い出さないようにガンムという呼び方しかしてこなかったのに。また、切なくなって、胸が痛くなるじゃないか。
これもそれも、ハロンドのせいだ。
ハロンドが『それ、全部演技でしょ?』とずばり図星を当ててくるものだから、すっかり丸裸にされてしまった。
普段なら、先に殺したり暴言を吐くことで自分を保てるのに、ハロンドが相手になるとてんでダメ。
ハロンドの方が強いし、暴言も全部受け流されるから。
ファーも自分の弱点を理解している。それは、心の脆さ。
ファーは元々、心優しい少女だった。幼い頃を過酷なスラムで過ごしていたにも関わらず優しいままだったのだ、相当なものと言える。カルリソール=ガンムと一緒にいるために間者になり、間者になるためにその心を押し殺した。そして、たくさん人を殺して感情を麻痺させ、暴言で『サイコパス』という虚飾を心に飾った。
だとしても、ファーの『優しい』という根本の部分は変わらない。
押し殺された心が耐えきれなくなって、胸が痛くなることがある。
今回も、そうだった。
ずっと押し殺されてきて、悲鳴さえ上げてこなかった心が今、ハロンドの甘言に共鳴して、全力で絶叫していた。
もう限界だ、いい加減己とむきあえ、とでも言うかのように。
「ぁ……」
胸の悲鳴を隠すかのように、両手を胸に当てる。けれど、胸はまだ痛みを訴える。
涙を堪えるような、掠れた声で呟く。
「お願いだから、収まって……。私はまだ、ソールといたい……!」
それがどんなに歪だろうが、ファーはソールといたかった。ソールがどんなにファーを他人行儀に辛く当たっても、ファーは昔の情景を諦めきれずに従ってきた。
皮肉なことに、それらは全て、ファーの優しさ故に我慢してきたものだった。
「あぁ……。うぅ、ああ……!」
月夜の昔日のように、少女は押し固められた覚悟と決意の結晶を押し留めるように、強く胸の辺りの服を握りしめる。
ソールが偶然、スラム街から一人の少女を拾ってきたことで始まった物語ーー
なれば、拾われた少女がソールと一緒にいたい、助けになりたいと思うのは、当然のことなのかもしれないーー
* * *
次の日、剣技科の授業。
また、ハロンドが寄ってくる。
「やらない?」
「誰が、やるか」
図らずも、その声は震えてしまう。
「うーん、しょうがないか」
そう言って、ハロンドは別の相手を探しに行った。
その後、ファーはサランと組んだ。
ーー今日も、ハロンドに耐えられる気がしないーー
ぶるっと身体を震わす。
サランの眼光が、一瞬、鋭く光った気がした。
「よし、じゃあやろうよ」
四戦目にして、ついにハロンド以外の相手が全員埋まってしまう。
「クソが……!焼け死ね」
ファーは精一杯の毒を吐く。だが、もはや相手は変えられない。
「うーん。まだ死にたくはないなー」
ハロンドの余裕そうでいて、優しげでもある笑みから、ファーはそっと目線を逸らした。
「はじーめー」
いつも通り唐突に始まる掛け声は、もう慣れたものだ。
とはいえ、ハロンドとファーは全く動いていないが。
一分経っても、まだ動かない。
だが、シンスも警告しない。
先手を譲らないための読み合いだと、分かっているからだろう。
不意に、ハロンドが口を開く。
その瞬間、ファーは飛び出した。
「ハァッ!」
小気味よい剣戟の音が谺する。二人は全力を振り絞って押し合う。
ハロンドは察していた。ファーがハロンドの言葉を警戒するあまり、口を開けば斬りかかってくるだろうことを。だから、ハロンドは誘うために口を開いた。万が一斬りかかってこなくても、ファーを惑わす言葉を喋るという二段構えである。
ハロンドは再度口を開いた。ファーと剣を合わせているが、話せないほど余裕がないわけでもない。そして、至近距離ではファーも聞くしかない。ハロンドの術中に嵌っていた。
「ガンムと、喧嘩でも、した?」
ハロンドは察していた。剣技科の授業の前、朝食の時辺りから、ガンムとファーの間に微妙な空気が流れていたことを。
ファーの瞳が揺れる。
「分かるよ?一回、僕も昔、パララって子と、喧嘩した、ことがある」
ファーの鳩尾が、疼く。
「う、るっさい!!」
ファーはそう叫び、
「破剣・鮫咬み!」
と、ハロンドに切り掛かる。
ハロンドは事前に察知していたようで、
「破剣・散受散龍!」
と、斬撃を受け止める。
「くそ……!」
ファーは一旦退がり、息を整える。同時に、動揺も収める。
落ち着け。
昨日も図星を突かれて一気に崩された。なら、その動揺を今消せば問題ない。
ーー影に生きる者に、感情など必要ないーー
すぅぅと吸って、はぁぁと吐いた。次の瞬間、普段通りの……いや、数段鋭い表情に様変わりする。
「ッッッ」
影に生きる者らしく、スッと静かに斬りかかる。ハロンドは一瞬でファーに接近されたような錯覚を覚えながら、修練の成果か、反射的に剣で受け止めた。
「私は間者ーー故に、感情も、あんたの問いの答えも、全てが要らない。ただ、あんたに勝つ」
あまりの殺気に、ハロンドは息を呑む。
「ーーーッ!」
「破剣・吸首鋭糸」
次は間者らしい必殺の首狙いの一撃。破剣のため、ハロンドに受け止める選択肢はない。だから、咄嗟にしゃがんで避けた。対してファーはその勢いのまま反転し、ハロンドに後ろ蹴りを見舞う。
ハロンドは“破剣の残り香”で強化されたその蹴りを剣で受け止めたが、数メートル吹き飛ばされてしまう。
間者たるファーはその隙を見逃さない。すぐさま追撃する。が、何かを察知し、その場で上に大きく跳んだ。
すると、さっきまでファーがいた場所をハロンドが切り裂いているところだった。吹き飛ばされている時に、素早く唱えられる「破剣・鮫咬み」でも詠唱していたのだろう。
ハロンドは上からの攻撃を警戒して下がり、ファーは間者ぽく音もなく着地する。
そのまま……僅かだが永遠にも思える時間が過ぎる。
飛び出す瞬間は同時。
彼らは、破剣で斬り合っていた。
「ハァ……ッ!」
「アア……ッ!」
数合打ち合ったところで、決着はつけ難いと判断したのか、両者は下がる。
仕切り直しだろう。
「くそっ」
昨日からわかっていたことだが、やはりハロンドは強い。勝てるかどうかすら怪しい。舌打ちしたくなるのも無理からぬ話だった。
「ふふ。ファーとやり合うのは楽しいなぁ」
「こっちはうぜぇわ黙っとけ」
そう口を交わしたところで、また、二人は飛び出した。
「ハァッ、ハァッ……」
十数分戦い続けて、ファーの息は絶え絶えであった。前回のようにハロンドが口撃をしてこなかったからかもしれない。
対するハロンドは、息切れこそしているものの、ファーほど体力を消耗している兆しはない。
この学校に来るまでは潜入調査などの任務をこなしていたファーには、修練を重ねているハロンドほど体力がなかった。
「くそっ」
ファーはハロンドに斬りかかった。ハロンドに受け止められる。徐々に押される。自分の動きが単調になり、膂力も落ちてきているのを自覚する。
ハロンドがぽろりと溢す。
「やっぱり、ファーって優しいよね」
「はぁ!?」
思わずファーは飛び退く。
「あぁ、ごめん。思わず本音が」
「私が、優しい……?何言ってんだよ?」
言葉が汚い。
すぐ死ね等暴言を吐く。
元人殺しの間者。
ハロンドにとっての敵。
ハロンドたちの団欒を幾度と邪魔した。
そんな奴のどこが優しいと?
「本当に性格の悪い子は、そんな太刀筋しないよ。ハランセルみたいに、性格の悪い切り込み方をする。ファーなんて元間者なのに、ね」
「太刀筋……?」
たったそれだけで、優しいと思ったと?
「もちろんそれだけじゃないよ。一緒に食事を食べてくれた時、僕と話したら暴言もやめてくれたこと。昨日も、僕の言葉に動揺してくれたのも、証拠じゃないかな?」
ファーは絶句する。
ファーが暴言でハロンドたちの食事の場を凍らせていたら、ハロンドが話しかけてきた時のこと。
本当に性格が悪かったら、ハロンドの言葉は全て突っぱねて、さらに酷い暴言を浴びせていたところだ。けれどそれをしなかった。無意識なのだろうが、ファーも優しいから、善意で話しかけてくるハロンドを蹴り続けることができなくなってしまったのだろう。
昨日、ハロンドに揺さぶられたこと。
そのこと自体が、少なくともファーの性格は悪くないと言っているのと同義だった。
演技がばれ、ガンムと元々仲が良かったことがばれ。
もう、ファーは全てが見抜かれていた。
黙りこくるファーに、ハロンドは笑いかける。
「耐えきれなくなったら、幾らでも頼っていいよ。友達になろう」
「何をほざいてンだよお前は……!」
ファーは斬りかかる。だが、恨めしいことにいつも通りに受け止められる。
「僕、信じてるから。ファーが、優しい人間だってこと。ガンムと仲直りできるってこと」
「……っ!」
その真っ直ぐで純粋な瞳に、ファーが一瞬怯む。そして、その隙を見逃すハロンドではなかった。
ハロンドはすぐさま切り返す。
「時には、自分の想いをぶつけることも大事だよ」
なぜか、ファーの耳に、ひどく響いた。
二日後。
日も明けていない朝、ファーが食堂に行くと、一枚の見慣れた手紙を見つける。
ファーが緊張気味にその紙を開封すると、謎の文字が羅列していた。
だが、ファーにはその暗号が分かる。
その手紙の内容を要約すると、
『 今 日 八 時 ハ ロ ン ド を 殺 せ 』
そう、書かれていた。
『掌の上で踊れる少女』編が終わったら、大改稿したいと思います。(2024.12.20)
2025.2月中旬に学期末テストがあるので、それまで更新中止っす。空き時間でちょこちょこ書きたかった短編を書こうかなと。すみません。
書きだめしておいて毎日更新とかしてみたいから、もしかしたら再開もっと遅くなるかも……




